白紙に戻すこと

■白紙に戻すこと

マーコ・リヴィングストン(Marco Livingstone)

 過去40年の間、アントニ・タピエスの仕事は、出版物の殺到する中にあって、非常に細かな分析にさらされてきた。一方で、彼は自ら、その膨大で今なお増大の過程にある著述の仲介を経る以外、我々にはもはや彼の仕事を考察する材料が他にないと思われるような、長い回顧録と理論的なエッセイの中で、自分の意図を明確にしている。彼の芸術が、芸術的、哲学的、そして歴史的事件・・・それらは、シュルレアリストの芸術と理論、東洋的な思想(とりわけ仏教と道教)における特徴、(13世紀カタルーニヤの哲学者・数学者ラモン・リュルなどによって特に信奉された)中世の錬金術と神秘主義、フランコ政権の圧迫に対するレジスタンスなどを含む等の影響の合流によって現れてきたとみなすことは、今や慣例となっている。

 しかし、芸術家の仕事についての解釈は様々に異なり、長い間しばしば相矛盾してきた。スペインについて誤解されロマンチックに喧伝された一般概念に屈従した何人かの外国人著者の場合、やや過剰な複雑さと、ますます奇想を凝らせる解説の器用さを解説者たちの側で競い合う風潮をもたらした。最も読者の心を引き付ける説明でさえも、時折、見かけの単純さあるいは表現形式の節約が思考の貧しさと間違われはしまいか、という不安から誘導されているように思われる。そしてこの誤解は、それら各々を生み出すに至った思考の積み重ねを強く弁護することによって解消するしかない。タピエス作品の幅の広さは、彼の、見る者の想像力に作用し続ける詩的な曖昧さの追求には欠かせない物であるが、当然ながら、観賞者がそこに欲しいと思うものはほとんど何でもを読み取ることができる、という危険性をも伴う。それは、タピエスが自分ついて述べられたいくつかの不合理に対して、異議をためらったことにより、避けることのできなかった事態である。


 タピエスの作品と画家自身について書いたこの本文によって暗に示されるメッセージ、それは、彼の芸術が、どうにも、説明なしで自立するにはあまりに難しく、または極端であり、それゆえに理論の複雑な織物によって支えられるか、あるいは、信頼に足るの創造的な人物の証言として述べられなくてはならないということなのである。各々の観点は我々の理解をうまく促し、純粋な美学や物質的なレベルを越えた我々の感応を豊かにしてくれるかもしれない。だが一方、いずれも、やや制限的ではある。先入観にとらわれすぎた考えに頼ることは、直接性一彼が生み出した物質的オヴジェを通した、我々と芸術家のコミュニケーションの親交と民主性−を弱めるだけである。

 タピエスの作品と向き合う時、自分の直観をまず信じ自分の経験に注意を注ぎ、さらにどんな芸術作品の前でも抱く可能性のある予想を出来るだけ遠くに放り去ることによって、我々はより深みのある、人間的なこの芸術の精神に立ち入るための、より良いチャンスを得る。タピエスは、彼の手の早わざによって我々が楽しませられるだけか、あるいは感嘆させられるだけであるよりも、むしろ彼が提示するものから我々が抱く感覚については自己責任を期待しており、そういう点では普通以上に我々の責任と誠実を要求している。我々の努力は十分な報いを受けるとはいえ、理解は、つらく困難なプロセスとしては示されない。一方、我々がもっと心を柔軟にし、ちょうど芸術家が自分の芸術創造に当たって、白紙に戻って新たに出直そうと努めるのと同じように我々の先入観を払拭する用意ができていればいるほど、その芸術との親交に立ち入るチャンスはより高まっていくのである。

 タピエスによって考案されたタイトル作品の最もすぐにわかりやすいエレメントの記述:色、形、イメージ、材質またはテクニックがたいてい全くそのものズバリである(無頓着ですらある)ことは、感応の直接性に対する彼の欲求を示している。それらは、自身では何も表現せず、1つの作品を他のものと区別することにしか役立たない。彼は、より喚起的なタイトルの使用を避けることによって、観衆が自分の作品をどのように解釈するべきであるか、経験するべきであるか指示しない方を選んだ。そして複合的な解釈の可能性を開き、知性によって理解する我々の習慣的な傾向を短絡させる、直感的で感情的な最初の感応を考慮に入れておいた。同様に サインとイメージ(彼の名前のイニシャル、十字架のような基本的な記号、ドア、窓、椅子、はさみ、その他の日用物、人体の部分の印影あるいは輪郭を含む)の選択の幅に対する彼の信頼は、我々がその具体的な機会における各々の要素の特有の機能を考えることができるように、即、我々を安心させる接点を確立する。

 方法のそのような直接性は、それゆえに、よりよく考えられた感応の可能性(ただ一つの作品についての長い熟考のみならず、その他の作品や別の芸術家の作品、我々にはすでに馴染みの思想体系または歴史的な状況と関連づけることによっても達成される)を妨げない。タピエスの言葉の精神により多くのものが入るほど、成果はより大きくなる。彼の作品に対するコミュニケーションが常に専ら視覚的方法を通じてなされる時、これは様々な種類のテキスト(芸術家によ?て読まれ、後に彼の考えに重要な影響を与えたもの、或いは、動機づけないしは、事後の進行方法を説明するために彼によって善かれたもの、彼の作品に対する他の人の感応によって詳しく説明されたもの)に関する理解を高める可能性をも否定しない。

タビュスが、彼の本『Lapracticadel,art』(1970年に出版された)で書いているように、「作品の趣意は、それを理解するためには見る人の協力に依存している。創作者と積極的な受取人の共同作業である芸術作品についてのこの概念は、1957年のマルセルヴュシャンの講演の中で格別な明快さをもって採り上げられた。その中でデュシャンはこう結んでいる。何よりも大切なのは、創造的な行為が、ただ芸術家のみによって行なわれるのではないということである0見る者が、その内側の資質の判読と解釈によって外部の世界と作品を接触させ、その貢献を創造的な行為に加えるのだ。後の世がその最終判断を下すとき、これはさらにより明らかとなる。しかしながら、タピエスにとって、デュシャンが尊敬する芸術家であり、様々な機会に会っていたとしても、この考えは、デュシャンに対する彼の評価にはそれほど依拠していない。彼の言葉によれば、それは「より多くは東洋の思想、そして特に私の実践から・・・もし、多くの言いかけたことを残すならば、見る人は、それらを完全なものにするためにある程度の努力を強いられるのだ。

■人生の哲学 

 タピエスの円熟した作品にとって主要な「暗示の有用性」は、道教と禅仏教に由来する考えを子供のときの彼に初めてもたらした本‥岡倉天心の「茶の本」(西洋の人々へ日本の哲学と美学の原則を伝えるために、英語で書かれ、1906年に出版された)で賞賛された。岡倉が書いているように、「無言の何かを残す中で、見る者は考えを完成させる機会を与えられる。そして、偉大な傑作は、いやおうなく、あなたが実際にそれと一体となるように思えるまで、あなたの注意を引き付ける。」

 この多大な影響があるテキストで,人は、タピエスが採り入れ、造り直したこれらの考えの範囲を、その結果に示しながら、彼が採用した非常に多くの人生の哲学と芸術への指針を見つけることができる。岡倉は、「我々がそれを認識することを選ぶならば、熟達は至る所にある」という考えと、これらの美徳を関係づける、純真さと謙虚さを賞賛し、「小さなものの偉大さ」、「世俗的なことの至福」そして、我々がわずかなものの中に自身を現す方法について書いた。彼は、一般概念を詳細に映すことと、小人と偉人の間の区別なく、「原子は、宇宙と等しい可能性を持っている→のであり、世俗的なことは、精神的なことと等しく重要であるという、禅の中の認識について語った。彼は、世界をありのままに受け入れること、「悲しみと不安の我々の世界に美を見出す」努力をすることを勧め、「現在に対処するための『この世にある芸術』」としての道教について述べた。彼は、「行為ではなく、興味深い方法」によって、道教信者の思想における、永遠の変転の概念を強調しながら、生命としての死は、変転こそ永遠であるがゆえに、歓迎されるものであり、「古いものの崩壊を経て、再生が可能になる」と説明した。

 日本の茶の湯における不調和と「無用な」反復の忌避を、岡倉は、それらの発展の可能性を示唆する為に、禅と道教の完成に対する(プロセスに、そして絵の精神的な完成に重点を置いた)概念に関連づけて説明した。彼は、「集噸想」法による禅の「最高の自己実現」の達成について乱、「禅の信奉者たちが、外面的な附属物は真実の明白な認識にとって障害でしかないと見なし、物事の内なる性質との直接の交流を目指している」のを観察した。芸術の認識において、「人がより多くを求めれば、より深まるのは我々の感応である」という理由で、我々は、手にではなく魂に、つまり、テクニックにではなく人に感応していると、彼は言及している。それゆえにそのような芸術においては、人間はめったに説明されなかったが、自ら見る人の形で示された。以上のことが、岡倉の本に見出すことのできる、これらの哲学的な反映とタビュスの近作における特徴との間の類似であり、空虚に対する彼の執着の正当な理由でもある。真に本質的要素は、空虚の中だけにあるとLaotseは主乱た。たとえば部屋の現実性は、屋根と壁自体ではなく、それらによって囲まれたうつろな空間に見出される。水差しの有用性は、その形や作られた素材ではなく、水が入れられるはずの、空虚の中に存在する。空虚は全ての可能性を含んでいるがゆえに、全能である。」

■読み方の学習

 タピエスによって考案された絵面的言語の解釈を習得するために、我々は、他の芸術を見る際に当然のことと思っていた絵面的慣習を意識的に忘れることから始めるよう求められるように思える。特に、自然主義の形式は、我々が彼の表現方式を理解するための前提として、わきに退けられなくてはならない。タピエスの芸術の展開は、より「原始的」あるいは様式化された芸術(特にアフリカと極東の文化からの)形式から引き出された慣習のために断固として拒絶された1940年代半ばと1950年代初期の彼のペインティングとドローイングのリアリズムの、まさにそのような意識的忘却に伴っている。彼自身が認めているように、

 わたしが気づいたとき、アカデミックな形態は行き詰まりへ向かっていた。そして、もちろん、それは他の表現方法(写真や映画)に取って代わられていた。それは最初、私をとても困惑させたが、後になって、私に造形美術よりも大いに関心を持たせた。なぜなら、我々が他の文明の芸術を認知し始めていた時機でもあったからである。

 解読あるいは翻訳の行為は、人が、それを自分の最初のテーマの1つとしてこの活動をみなすことができる程度に、タピエスの作品に貫流している。

 コミュニケーションは、無言に対する一定の努力、「無言のマーク」との格闘として表わされる。あらゆる言葉の形態(善かれた言葉と、全くの絵入り雑誌を含む)は、全体の意味を、決して充分につかむことはできない、そして時間の経過とともに分析がもっと難しくなる象形文字として見なされる。

 わたしは、慣習的な言葉ともコミュニケーションすることの難しさについて、かなり意識している。わたしは、それがレイリスによる言葉を誤った何かであったと思う。人々は間違っている。彼らはその目的がコミュニケーションであると思っているが、むしろ逆に混乱を引き起こす! 私は、これがそんなに遠くない昔エジプト学者によって善かれたのを知っている。フランス人はエジプトの象形文字を解読する要領を得るようになったとき、エジプト宗教の神秘を理解できると考えた、と彼は説明していた。そして彼らがそれらを解読したとき気付くのは、彼らが前と同じ位置に残され、依然として何も理解していなかったということなのである! 言い換えれば、これは非常に相対的であり、我々は伝達のために言葉を使うという観念である。もし、すでにあなたの例の意志が神秘的な何かを説明するためにあるのでなければ、それもまた神秘的な方法によって為されねばならない。わたしは目的ではそれを行なわない。私は本当に神秘を説明しようとする。或いはせめて、観衆を神秘と接触させようとする。しかし、どうすればそれを為しうるか私は知らない。わたしは全く自分のやり方を即興で作るのだ。わたしは、そのようなミステリーを獲得するために、自分もまた難しく神秘的なものを作ることを、たぶん悟ったのであろう。しかし、全ては非常に直観的な仕事である。わたしを信じ給え…私は本当に白紙の状態なのだ。率直に言って、わたしは答えを持っていないので、今のところ、全く即興で作っているのだ。

 東洋の書道と同様、エジプトの象形文字の中には、絵文字的なサインと物事それ自体との間の親密な一体化がある。タピエスは、この象形文字と書道の両方について、例えば≪下地に赤い線のある灰色≫(1957)と≪フィギュア≫(1994)の2作品の創作過程を通じて、卒直に言及している。これは、彼のイメージの扱い・・・それらが塗料としてか、識別できるように作り直された粘土またはその他の素材としてか、鋳造された物体としてか、それらの物体あるいは彼の手か足によって押された印として示されるかどうかの事例でもある。それゆえにそれは、まるで彼の作品における直訳(直接性と表現の即時性に対する要求から単純に起こるよりもむしろ、彼がコミュニケーションの形式として絵面的性質を持ったサインを使うという考えを進展させた、表意文字と絵文字的な言葉に対する関心によって、少なくとも増分は説明される) の強い緊張のように思われる。タピエスはこれがその事例であることに同意している。

 この哲学を通して、彼らは世界の見方について内側からわたしに影響を及ぼした。実際はこれは全く東洋的な観念である。最もわたしに関心を持たせるのは、それら自体の中のサインよりも、これらの信念であり、これらの観念であり、この世界観である。もしあなたが禅仏教徒のそれに似た方法で考えるならば、あなたも無意識のうちに禅のものに似た書道に形式を与えるということが起こる。しかし、それらはそれほど明確ではない。たった一つの筆づかいの中に、宇宙を総合する観念(中国の芸術 家の観念でもある)これを達成するのは素晴らしいが、全く達成できない観念である。私は毎日それを試すのだが、それはうまくいかず、私は修正を始めなくてはならない。わたしが、試行錯誤によって求めているものを達成するまで、私の絵はすぺて一連の修正である。

 アルファベットと数字で書かれた言葉の暗示は、頻繁にタピエスの作品に現われる。彼のイニシャルAとTは、イメージを獲得する方法、署名をする方法として、いわばモチーフにしばしば繰り返される;文字は、Tが妻Teresa(テレサ)の名前を時々暗示するのと同様に、別の意味も持つことができる。彼の絵の中の最も持続的なモチーフの1つである、T・・・かⅩ・・・に形作られたクロス形は、いくつかの事例において、彼の姓のイニシャルの代わりをする。しかし、より一般には、それ自体、世界の中における特定の時間と場所での存在の、最も基本的なマークとして見なすことができる。タピエスにとって、その大きな魅力の1つは、「十字形が、過去5,000年の間、宇宙を表すものとして使用されていた普遍的な印であり、中国人には、この概念がすでにあった。」ということである十字形は、自分の位置の目印としても役割を果たす。その結果、パウル.クレーの絵で使用された矢印のように、構成のダイナミズムのカギと焦点として、彼によって全く自発的に使用された。芸術家の同意するところでは「テリトリーを区分けするように、或いは、また、神聖にするかのように。何か汚い滓(さい・よごれ)のようなものを選びなさい。;あなたはそれに十字形を置いて、神聖な状態にする。」

 タピエスによる絵画的言語の変革が、なぜなされたかについて、もっと根本的な理由がある。1975年のフランコ将軍の死まで、彼の芸術は、彼が反対していた独裁制の陰で作られていた。それが、政治的な抗議の隠れたメッセージを仲間のカタルーニヤ人たちに送りたい、という欲求の事例およそ30年間、彼の芸術の暗示的な秘密主義の性質を説明する)ともいえることに、彼は同意している。「私の作品には、もちろん、抗議として、そして潜伏中の政治家(左派の人と反フランコ派の政治家を指している。)さえも助けたいという欲望からも作られる面がある。彼らは話すことができなかった。それゆえに我々知識人と小説家と画家は政治家の代役を担う努力を少しした。「抗議の方法、或いは明言されなかったことを伝達する方法」を使用したと公言する一方、彼は、全体主義体制との関連の為に彼を不愉快にさせたプロパガンダを避けるために、早い段階おいて意識的な決定を行った。そして、カタルーニヤの政治的、あるいは文化的な抑圧について、彼の作品で暗示する必要のない、民主的に選ばれた政府への転換を認める。さらに、隠れたメッセージには彼の使用した他の部分もある。それは彼の言葉では、より「形而上学的な、ありふれた言葉でかろうじて表現可能、あるいは、絶対に言い表せない、私の意志の問題により深く関連した部分である。もちろん私は、人々をさらに密接により深みがあるこれらの考えに近づけさせるメカニズムを探し求める。それらは、その方法や知的観点で解釈できることではなく、私はいわば、いくらかの手がかりを提供する。どの芸術家の作品の中にもあるもの。私は人が考えを推察することができることをも信じる。全ての考えは、はっきりと説明されない;しかし、いくらかの哲学、いくらかの考えは、もし望むならば、政治的な行動になりうるものを、暗に含んでいるのだ。」

■思考錯誤

 長い伝統のある洗練された芸術家の材料からだけでなく、手にするもの何からでもで芸術は作られることができるという感覚は、タピエスの作品にとって主要な部分を占める。まず、1940年代半ばに実験的に制作されたミクスト・メディアの絵画は、彼が1953~4年に開始し、名声を飛躍的に高めた、革新的な「素材絵画」の予示となった。彼は、自分が乗り越えようとしていたアカデミックな伝統と結びついていた油絵の光沢を排除し、より生の、そしてより土の質感を与えるために、絵の具に他の物質を混ぜ始めた。彼はどんなものでも試す用意ができていた:缶の底で乾いた絵の具をキャンバスの表面に塗ったり、絵の具に砂を混ぜたり、糸と他の異質な物質を表面に張り付けさえした。それらは、「純粋なる即興」の精神の全てである。台所食器棚の中をのぞいて、彼は、粉末状の大理石(ポットと平鍋を磨く研磨材として家で使われた材料)の包みを見つけた。油と大理石埃の混合はクラックが入るため、最初の試みは不満足なもので、彼は結果を放棄しなければならなかった。しかし間もなく、彼は首尾よく大理石の粉を使うことができた。そしてそれ以来、より確固とした、さりげなく、自然のままの結果を彼に与える、あらゆる材料を使う方法が、彼に開かれた。結局、このアプローチが、≪暗い灰色の筋≫(1962)≪三枚の厚紙≫(1962)などのような、いくつかの彼の最も因習破壊者的な作品へ導いた。そして他の絵は、≪大きな藁の包み≫(1969)のようにボール紙の支持で作られ、有機的な材料を含んでいる。

 タピエスは、どんな重要性も正確な意味も、媒体それ自体には付与しない。結果のための方法のみとしてそれを見なす。しかし、彼はどんなことも試す用意ができている。彼の作品の展開を研究する1つの方法は、概して1950年代と1960年代初期の素材絵画のために彼が利用した、材料とプロセスを通してある。この時期に見つけられた物体の使用を通してで、1960年代後期と1970年代にはますます、そして、ついには、1980年代と90年代のより多く開かれた作品の中では、前に素材絵画の下地として使用されたこスが、半透明な絵具の代用品として大胆に使われている。素材絵画の中で、タピエスは、ダダとシュルレアリスムに由来している技法の上に自分の多彩な方法を利用し、両大戦間の前衛芸術特に、ジョアン・ミロとマックス・エルンストとパウル・クレーの絵、そして第二次大戦直後にジャン・フォートリエのような芸術家によって制作された絵に関連している

 一方で、彼は、シュルレアリスムが一般的なレベルで、視覚芸術としてよりも、その文学的で理論的な考えに関して彼により関心を持たせたと主張する。1948年から1950年代初頭にかけて、彼の絵は、明らかに彼らのスタイルと夢想的なイメージの運動によって影響を及ぼされた。これ以降にも、1つの重要なただし書きをもって、彼はシュルレアリストの絵画の特徴を多く利用し続けた。「言語が他の芸術家に非常に特徴的だったということを知ったとき、わたしはまたそれを避けるようにも努める。」彼が1952-3年の前後で、もう1度彼の作品を始める(スタートラインからではなく、彼がシュルレリスムの中で直観した手順の中の彼自身の再探索によって)緊急の必要性があると決めたとき、彼は、可能性と偶然の使用のように、それら想像的な、そして潜在意識からくる、そして無秩序の衝動から生じるものに、より多くの重要性を与えることにした。これは、彼の意見では、合理主義の拒絶ではなく、むしろ、彼の視覚言語の「認識論的な可能性」を大きく、そして豊かにする試みとなった。

 彼は、紙と絵の両方の作品のために、「本当の」世界のばらばらになった証拠をもって画面を活気づける方法として、<扉の矢印>(1987)のような、コラージュの技法、落書きで覆われた壁に似たラフな質感を創り出すために、表面に文字などを刻み込む、≪黒と白のコンポジション〉(1954)のような、グラタージュの技法、そして、紙の上の偶然の作品で、平らでない表面にすりこむことによって画布に転写し、曖昧なイメージを創造する、フロタージュの技法を利用した。

 より一般的な言葉では、シュルレアリスムにおいて「純粋精神のオートマティスム」に帰する重要性は、無意識の心の資源を軽く叩く方法として、自分をトランスライク瞑想的な状態)に入るように促すことにより、意識的なコントロールから自由になるために、タピエスによって開発された方法に鮮やかに反映される。それは、1940年代後期にジャクソン・ポロックや他の抽象表現主義者たちを擁護する主張となった時の、素材もしくは純粋な視覚のプロセスとしてではなく、ジョイス的な言葉では意識の流れ、あるいは精神分析学の言葉では自由連想法と表現される手段によって、形態とイメージを引き起こす方法としてのオートマティスムの問題である。「非常にシステマチックでメカニカルなスタジオ中の歩行は、確かに一種のストレスを私に引き起こす。そして私は、それが、イメージが私に来ることをより容易くすることを知る。確かに、他の芸術家は、薬を服用するか、たくさんのコーヒーを飲むことによって自分を刺激することができる。わたしにはこのシステムがある。そして私にはそれがまだある。それが私のためによく働く。」このようにして、チャンスと偶然の効果の可能性を利用し、自分を材料に充ててそれらの相互作用か有機の流れの結果で形態を確定するのを助け、芸術家は、彼の気質と体の運動に忠実であることを保証するマークと同時に、自分は自然と一体となっていると宣言する。特有の色、形態、材料への潜在意識からの偏愛、そしてまたこれらの内容で仕事をする蓄積された経験を利用し、同時に、より大きな力との対話に入ることにより自己の限界を克服する可能性を暗示しながら、彼も、ある程度のコントロールを維持する。

 私は、ほとんどの人々に共通なイメージに上昇を与えるそれらのプロセス心理学者が「象徴化のプロセス」として言及すると私は信じるを引き起こそうと思う。それは芸術家特有のものではなく、だれもが経験するものである。わたしは、それがうまくいく方法なので自ら実験したが、他の方法でやることができる。私は、パスツールがワクチンを試用する際、それらにどんな効果があるか知るために自分に注射するという方法と、いつも比較する。これは少しそれにも似ている。私はいくらかの試験をして、おそらくそれをそのままにしておく。そして次の日に、より新しい目をもって、それがどんな驚きを私に与 えるか知るために、結果を綿密に調べる。それはまさに実験的である。年月の経過と経験とともに、素材と形態がどのように反応するか、時々自然に私はわかる。私は今やより多くの表現手段を支配しているのだ。

 もし、タピエスの絵の中のイメージが、いかなる先入観もなく時折、それ自身のプロセスを経て現われるとすれば、それらは、別の機会に、大ざっばな記録として作られドローイングの後になる。速乾性で、修正が許されない材料を好むことによって、彼は故意に不安とリスクを得ようとし、進んで、自分を有用な創造的調子にさせる心の状態に身を任せる。彼が「不明瞭な混沌(−まとめで与えられた形態の無視における個人的な確実性のサインとしての)を徹底的に作り直すこと」を彼の課題にすることが示されたといえども、この議論は、宿命的なひびが入っているようである‥「不明瞭な混沌」は活発に探索され得るし、それゆえに暗に拒絶する構造か命令として前もって決定されるため、それが確実性のサインであると思う確かな理由は何もない。さらに、彼の作品の中に、カオスに命令を課したいという欲望の証拠が大いにある。それはこれらの反対の衝動の緊張(作品がその多くの確信と人間の行為のモデルとしての確実性を得る)からくる。

 タピエスによる材料への実践的なアプローチの展開は、長年の間、異なる形をとった。しかし、自分の存在を支配する力のように、コントロールを導いたり、離そうとする意志が、デリケートな均衡で持たれる中に、この感覚がある。我々は、自分の失敗に応じて順応し、我々の力の上の建てる経験から習得する。そして我々は自分の抱負に関して人生を組み立てようとする。しかし我々は、いつも我々の影響を越えた力があり、知性と感情と直観力だけを身に付けて自発的にそれらに答える用意ができていることを、認乱なければならない。同様にそれはタピエスの芸術にもいえる。彼の作品は、それらが、形式的な決定によって左右されないという、単純な理由のために、純粋に形式的な観点からは、十分に分析することができない。;それが作られたあらゆる媒体の、各々の構成要素の部分は、人間的で精神的な含蓄を不可避的に伴う、プロセスの要素の代わりに、実行される。そのようなものが、それらの中の形が、あらかじめ決められたグラフィックデザインへの服従からではなく、絵の制作に応じて分類されるため、<黒い角>(1962)のように、最も形式的に造られた絵画と同様の事例である。各々の作品は、従って、行動の形式、世界の中で方法を交渉する手段の根拠を示す、ということができる。ここに、タピエスがしばしば彼の絵の表面に、直接手か足(彼の素材に彼の文字どおりの賦課を示す)のどちらか、或いは刃物類からドアにまで及ぶ人間の含蓄に富んだ物体で押した印についての、特に力強い言葉がある。

 人間性は、タピエスの作品では単に自然の一部として、そして必然的に地球とそれら自身の要素と同じ力に従属するものとして表現される。≪側面にⅩのある大きなレリーフ≫(1961)、あるいは69のような、より大きい構造上の力に関係すると思われるそれらの作品においても、そうである。そこには、全てのことについて関連の感覚がある。1956年にタピエスが≪壊れたプレート、ガウディへのオマージュ No.Ⅸ≫という題の絵を捧げた、世紀末カタルーニヤの建築家アントニ・ガウディは、そのような点で同類の人であった。それらの有機的な流れの描写;グエル公園のアーチ形屋根におけるガウディの仕事に最も明らかに見られる、自然の構造とプロセスの人工の模倣;テクスチャーに生気を与え、毎日のリアリティーについて暗に言及し、大抵は公平に扱われない、人々の創作力と創造的な才能を賛美する、質素なオブジェのある表面の装飾、それらの間には堅いつながりがある。1960年代の初め頃、人工と自然の類似性は、10年前の壁のような素材絵画の場合よりも抑制された方法で、タピエスによって表現され始めた1961年の小さい絵≪Ⅰ≫の中で、タイトルの初めの文字「I」が、崩れる波に消される濡れた砂にひっかかれたマークのように、絵の具の厚い混合に刻まれた。ここに、つかの間のパーマネントされる、逆に言えば全ての事のはかなさの、そして存在の絶え間ない流動の全ての気配の緩やかな根絶の、感覚がある。そのような思索が、異なる形でタピエスの芸術の全体にわたって現れてくる:≪ダブル120≫(1967)や画面の強い削り落としのように、より厚く画面を作られた素材絵画で;あるいは、≪木の2枚折り≫(1983)のような、1980年代の「ニス」の最小の中で、湿った息のように表面につく、カリグラフィツクな意志表示の見えないことに近づく繊細さの中に。

■ヒューマン・サイン 

 視覚のメタファーは、詩の場合と同じように、他のものを通して1つのことの理解を得る方法として使用され、タビュスの作品で重要な役割をはたす。素材は、人間の形か機能的な物体を表現するだけでない:惰性的な事としてそれらのアイデンティティを保ち続ける一方、それらはそれらを具体的に表現する。我々の目の前で、物質が他のものへ変化する、魔法、特に錬金術と深い関連のある、このプロセスは、≪椅子の柳(1966)や《わきの下の形のもの≫(1968)のように、タイトルについての芸術家の慎重な選択の中に示される。より一般的に、タピエスの作品の、主要な物質土と泥と水と血と精液と他の身体の分泌物を混ぜたペイントと、自然気候、地勢、腐敗、生と死のサイクルを含むの有機的なプロセスの絵の手順について、全体にわたって明白なアイデンティティがある。

 最近の研究で、美術史家リンダ・ノクリンは、18番世紀末頃に始まる「取り返しがつかない損失、失った完全性に対する痛烈な後悔、消えた完全性」を伴う人間の分裂と切断さえも現代芸術を形作ると主張しているタピエスの場合、そのような身体の苦しみを含む属性はさまざまな感覚(カトリックの祈りを込めた供え物:嘆願者が望む誓いの実現の中に教会に置かれた人体の腕か足のような)影響を受けた部分の小型化されたモデルとの強い視覚の比較に耐える)を伝える。芸術家が年齢の早い時期に、カトリックの教育を拒絶したといえども、彼はこの敬意の中に、その存続を認める‥わたしが祈りを込めた供え物についても時折注意をとったことは、事実である。彼らも、連合の考えの大きい相違を引き起こす。それは事故のようかもしれない。外科手術のようかもしれない。恐ろしいドラマかもしれない。これに反してそれは何かすてきなものの探索(それはドラマチックである必要はない)かもしれない。さらに彼の絵には怪我と癒しのプロセスとの間の相関関係があり、彼は、単に彼の作品の1つに触ることによって、鑑賞者は、自分を癒やすことができるという、理想についても話している。「わたしがより仏教のことを知り、生命があらゆる苦痛および苦痛に満ちた全てのものから作られたという、考えを知ることができたとき、苦痛を示し、世界の痛みを抑えるのに役立つ方法を示すこと」は実に重大な印象を私に与えた。

 タピエスの芸術で頻繁に起こるイメージには、性的興奮かが身体の機能と動物的本能に関係するアドレスタブーがある。これは人間の使用によってよごれている無生物のオブジェの彼のイメージにあてはまる<扉でもなく窓でもなく>(1993)の場合のように人間の性器、足、肛門あるいはわきの下として。それは自分を知ることの問題であるため、猫被りまたはデリカシーの余地がない。実際、彼の仕事の中のこの種の最も明白なイメージのいくつかが、1966年に彼の妻テレサに捧げた56枚のドローイングの連作に現われる。優しい愛情の動作として、あるいは上品な外見を現すことに対する弁明としてのみ、これらの作品を扱うよりも、正常な社会的状況をダメにするかもしれないものとして、彼は、それらに彼の最も激しくあからさまな男性と女性の性器、そして排泄物を入れている肛門のイメージさえもいくつか合体させた食物と排出と性交と出生と死、他に何があるか?タピエスにとって、精神性は自分を高めるエチケットの高潔な形として限定されないが、それとは反対に、その性交を通しての卑劣な物質性の超越となりうる。≪わきの下の形のもの》(1968)のような絵には、下品なユーモアがあり、また我々の不完全な肉体的自我の低俗な儀式がある・・・毛深く、汗臭い、そして悪臭を放つ・・・それは我々の最も高い願望をも後ろに追いやってしまう。

 精神分析学の文献、フロイトと特にユングの執筆について、徹底的に研究していたが、タピエスは一貫して、ペインティングやドローイングの実際のプロセスを通して、自身のためにそのようなイメージを見つけるように努めた。「自分を失うこと、正気に戻ることができないこと、多くのことを知りすぎることを、たぶん、恐れて」彼は決して分析をしなかった。しかし、彼の考えの中では、すでに彼が、真理を鳴らし、強い感触や心を乱すような感情を伝える主題に到着しそうな理論的な分析に従っていた、シンボルの或いはイメージの上の辞書に頼るよりむしろ、それはただ、自分の潜在意識への軽い働きかけと、自分の経験を利用することによっている。一般的な方法では、私は、この方法が、あなたの潜在意識をうまく行くようにし、(それは、常にではない)そして、後に、我々を助けるより合理的なフィルターも、なくてはならないことを、理解していた。それは、わたしにとっては非常に面白い、空想的な創作の方法である。そして、まだたくさんの領域が探索されるためにあるとわたしは思う。」

 共同の無意識から引き出された原型についての彼の考えは、最終的にユングに由来するとタピエスは認めている:

 これはわたしに、芸術の持ち得るより社会的な使命を理解させた。それは何かが中で個人を囲んだことでない。まさに精神医学的に異常な人々によって経験されたある種の同系交配である。Jungはそのなかで、本当に狂気の面である、しかし、人間に備わった象徴化のこの自発的なプロセスのように、非常に良い面でもある、無意識の領域について述べた。そして、それゆえに原型は、知識へ侵入するために我々が理解するのを助ける、共同の無意識の領域内で共有された形のこの発見を構成する。それは知ることの他の方法である。

■日常生活のオヴジェ

 絵の制作に、普通の家庭の素材や、時には泥さえも使ったように、タピエスは、1950年代に、日常の環境から最も馴染みのある物体についての隠喩を作りはじめた。彼が最も示唆に富んだエッセイの1つで書いたように、注目に値しないぐらいにつまらないものはない。≪黄土色の絵画≫(1959)≪灰色の上の黒い十字≫(1955)、≪5つの穴のある灰色≫(1958)、≪点線の入った大きな絵画≫(1958)のような、以後、そのような造形作品を呼ぶ、「壁」は、彼自身がエッセイ「Communicasiosobreelmur」(1970年初版)の中で述べているように、彼の生まれ故郷の都市の建築や、政治的な抗議、あるいは人間のニーズの表現のための公のフォーラムとしてのそれらの用途や、「考古学の論文からダ・ヴインチの助言、プラッサイの写真まで」に分布している芸術的な先例や、カタルーニヤでは「壁」を意味する彼の姓とも、関連が特に豊富だった。その後、窓枠と特にドアは、壁のように、ルネッサンスの向こうのスペースへの通路としての絵の慣習の明白な拒絶を構成しながら、繰り返し登場するモチーフであった。同時にこれらのイメージは、彼が「向こうのスペース「がより純粋に想像力豊かな感覚で考えられて以来、より文字どおり、同時に絵が表現することの実際の形式をとって以来、そして以上の深く象徴的な方法でその概念を新解釈するのを許す。そのような二重の読みは、彼の意志の部分であった:

 錯覚をもってとどまる代わりに、あからさまに「窓絵」を拒絶する方法がある。独自の権利の目的に絵を変えることによって。これが、わたしが絵の緑にもそれをときどき強調する理由であり、そのため、完全に一つになり、時折遅れさえする。それらがどのようにされるか次第で、象徴的な告発がある。しばしば、わたしはドアを作った それらをオープンする試みによって作られたプリントが そして刑務所から出るあるいは逃れることができない、しかし、それは部分と同時に、純粋に絵面的で、音楽的な、構成をも形成する。この点でわたしはミュージック・コンクレートのいくらかの面と一致したのを知った。

 同じタイプのオブジェについて、「色を変えるという点だけによって」も、異なる関連が可能である。たとえば黒いベッドは、青いベッドと異なる。これは故意にわたしが行なった何かである。ベッドのイメージは、それ自体「多くの異なる連想と考えを引き起こすことができる。「眠り、夢を見るためのベッドは、セックス、死の床など、非常に多くのことをそれは彼の青年期の記憶によっても触発されている

 わたしがそれらのフェアのサイドショーで見た非常に堕落したイメージは、バルセロナの国際美術展のあった1929年に催された。わたしの父が、それに、わたしを連れて行った。そして突然、そこに、ターゲットシューティングのある、仮小屋の1つがあった。それは、毛布の掛かった若い女性のいるベッドで構成されていた。そして、ボタンを打って発砲するのだが、そのボタンを打てば、電動の何かがはたらいて、裸に近い若い女性がベッドから転げ落ちるのである。そしてわたしは父がわたしに言ったのを思い出す。「見ちゃいけない.ここから出なさい!」彼はわたしを歩いて去るようにした。そしてこの奇異なイメージは、わたしの記憶に深く刻み込まれているままであった:その女性の扱い方が、わたしにひどいことのように思えたのだ。夜のベッドからの落下についての考えは、奇妙でもあり、それは突然当てられたの照明のように衝撃的でもある。しかし、わたしは、フランス語で言う「突然のイルユ ミネーション(illuminationsoudaine)」についての考えともこれを関係づけた。Bed195568

 そのようなイメージを呼び物にしている1つの絵、1960年の≪褐色のベッド≫は、アメリカの芸術家ロバート・ラウシェンバーグによるコンバイン・ペインティング本物のベッドが、塗料で汚されている作品≪ベッド》(1955)(ニューヨーク近代美術館)・・・との興味ある類似を提供する。どちらの芸術家とも、静養と夢とエロチックな行為の場である、寝室のプライベートな領域から、最も平凡でありふれた物体の一つを選び取った。そして、特に性的なアイデンティティーをそれに付与し、冒漬の感覚をもってかき乱すように染められた。タピエスの作品は、最上部に枕の形をした突き出し、そして最下部近くに、二人によって足で挿された印のように2つの荒く循環するギザギザを伴って、まるで上から見られるかのようなベッドの形をとる。;それらの印象がほとんど球状の形をとるという事実が、性的な連想をさらに強調する畢丸を連想させる。どんな人間の形も表現していないとはいえ、暗黙の裸であることと傷つきやすいことをもって、オブジェには、人間の存在が充満している。茶色の全体のイメージの塗装が、下着についても暗に言及するが、完全に自然であり、日常的であり、タピエスの作品の中のより明白な排便のイメージを誘う。

  ≪幻想の国≫(1978)(cat.no・17)のような作品に現われる、使い古したズボンやパンツあるいは汚れたソックスのように、タピエスによるオヴジュの選択には、無作法についての暗黙の感覚がある。体とその機能についての我々の困惑の感覚の上で作用する、しかし、決していつものケースではない。84

 ≪椅子の形≫(1966)のような、他の作品のよりニュートラルな機能的オヴジュについての暗示もまた人間の存在を呼び起こすが、傷つけられた親密の同じショックの価値または感覚は課さない。ほかに我々は、≪テレサ・シリーズNo・Ⅻ〉(1966)のなかの、カップとソーサーのような、しかし、それには我々の生活における毎日の聖餐での儀式的な役割がある、当然と思われるほどよく知られているオヴジュを見せられる。≪はさみのアウトライン〉(1966)に現れるような、開けられたはさみは、同様に、目印としてそして自己のためのサインとして彼らが形をまねるⅩ・・・形のように、暴力と行為で染まっている人間の行動の感覚を伝える。

 そのようなモチーフが、合体し、そして意味がそれらによって与えられるやり方は、事例から事例へと変化し、作品の異なる段階を通して変化した。立体派によって確立された伝統と、特にマルセル・デュシャンの「レディ・メイド」の後を受けて、タピエスは、自分の作品に本物の物体を持ち込み、それらをただあるがままに表現した。早いものとしては、≪金属のシャッターとヴァイオリン≫(1956)。また、≪大きな黒いレリーフ≫(1973)や≪アイロン台のある絵画≫(1970)(cat・nO・11)では、それらのアイデンティティーが、美学的な言葉で再定義されるように、塗り込められた。

 彼は表面の後ろの物体の痕跡のイメージをも創り出した。例えば、くっきり目立つ物質を覆うために、紙片または非常に質の良いキャンバスを使うことによって。そして、一種のキアロスクーロ効果を作るために、サイドからスプレーする;より最近では、精神的な作品のいくつかの中で、物体の外形が、伝統的なエンボスの技法によって、作られている。しかしながらコンスタントなままであることは、国内の環境から全てのこれらのよく知られている物体に示された人間の輸入である。たとえば≪つぎはぎ≫(1993)(cat.No.34)のような最近の作品では、強調は、それ自体糸の上ではなく、傷をつなげるその使用の上のある。;そのような方法によって、芸術的なプロセスは、容易に理解され得る日常の活動との関係に至らせられる。同様に、我々の凝視にさらされる、空のコンテナの作品《箱≫(1993)(cat.no.35)の存在は、(鑑賞者としての我々が自分の感動と考えを考案することを自由にしておかれる、開いているスペースとしての芸術作品のアイデンテティーに対する注意を明白に呼ぶ)無限についての芸術家の永続的な関心の鮮明な表現を示している。

 ■連続と伝統 

 タピエスは、現代の生活の面、そして例えば「機械製の物体のクリーンな、磨かれた外観」への嫌悪をもって、自分の不満についてしばしば暗に言及している。ラモン・リュルとバルセロナのゴシックの四半期についての哲学的な執筆で中世に対する格別の興味を含んだ彼の言及は、幾世紀にも広がる。最終的な結果を彼にもたらす時を再現することができるものを通して、彼がありのままの一連の行動をしばしばそこに、置くため、継続の感覚は、彼の絵のまさしくその布地の部分である。土を焦がす色への彼の好みには、壁とドアと無限の彼のイメージへの古ぼけた眼差しがある一方、彼の芸術は、20世紀後期について、抽象芸術の形式的な展開と、前衛芸術家によって助長された技術的な実験の文脈を除いてはとても考えられない。過去への言及にもかかわらず、他の時代に生きたいという感覚は一切ない:一方では、感傷的なセンスの中のノスタルジアのささやかな証がある:他方では、現代の出来事と人間についての、常習的で具体的な暗示がある。(鑑賞者は、外部の世界の厳しい現実性から逃れる、わずかな可能性しか与えられない)タピエスの芸術で経験することは、過去をロマンチックに語ることではなく、連続と伝統の確固たる結合である。

 文化の交雑の仕事は私にとって基本的で、そしてたぶんわたしの(或いはたぶん、私だけでなく、私と同世代の他の人においても)中ではユニークである。多くの依然として有効な過去の形態を取り戻したいという私の欲望において。私は、我々が聞かされた多くが、最新のファッションである、仏教のいくつかの面の知恵が、より現代的であることを知った。我々にはある過去を保つ大いなる義務がある。私は、これらが永遠の価値であるとは言っているのではない。(たぶん永遠のものなど何もないであろうから。)しかし、そこには永久的な価値が存在すると言っているのだ。 

 超自然の言及の必要性なしに自分の問題解決しなければならない、孤独の人についての知識の形式としての仏教の面は、現代の心にすでにつながる考えである。わたしは、人間の現実性の理解のために、固体の源のように残された明確な面を他の古い文明に捜すことを自らに課したためである。

■ジレンマと矛盾

 タピエスの作品には、多くの反対衝動と反転のタイプがある。支離滅裂の調査(例えば、わたしが言及した)は、形成する強い意志によってバランスがとれており、絵の提示の中に、壁またはドアとして、或いは足か他の体部分の形で、或いは家具の幻影として見られる。彼は、保護剤としてよりむしろ、絵の主要な材料としてニスを使用した。;彼は半透明の曖昧さに対する慣習的な好みに反対した。同時に、液体と国体の形、流れの状態と永久不変性の状態、静寂と石化の関係を調査している。彼の選択した、床の上でフラットに描くプロセスの中にも矛盾があろ。垂直に結果だけを展示する、そしてカンヴァス台の道側の作品における提示にも。タピエスのテクニックのいくつかの暴力(刺すようである補助的な表面を刺し貫くこと、まだ描かれて生乾きの部分の除去を含んでいる)は、それがまだ存在に至らせられている間、絵の物理的な完全性をも脅すように見える。

 1つは何の力に反対することの観点からの作品へのこの傾向を考えることができるか?小説「パラドックス、回転」(1914)でピオ・バラヨによって述べられた、「破壊は、創造である」(ロシアのアナーキスト/ミカイル・バクニンによって早くから示されていた)という信念への同意は、わたしが述べたいくっか(全てではない)の明白な矛盾を説明するかもしれない。錬金術のプロセス世界としての芸術に対する信仰も、1つのことが他のものに変えられた緊急を説明するのを助ける。さらに、そのような知的なあるいは哲学的な正当化を越えて、より基本的な、そして潜在意識のレベルの上で、彼の作品は、いつも一方で行動と自己保証の間で、そして他方で試みと不安の間で、綱引きを信号で伝えられるようにする。どんなジェスチャーも必然的に独断的であるが、・・・人生におけるどんな選択の自由のようにも・・・少しでも適切に選ばれたのを好み無限にはうまくいくために、独自の確信の勇気がなければならないとき、絵面的性質を持った表面は与えられる。

 ある人が自分自身のそして自分の場所の理解を得る認識のプロセスへのタピエスの芸術の中のコンスタントな暗示が、世界中にある。これは、体と材料存在についての、そして最終的には、より洗練された概念的なレベルのアイデンティティーの、自己の漸進的な認識を含む;そして、椅子とウインドウとドアのような、(自己と外部の世界の間で調停者として全ての人間社会の中に、いくつかの形で存在する)基本的な物体の特徴と機能についての知識も含む。そのような方法で、彼の芸術は、全世界の人間の経験に形を示したり、与えたりするるだけではなく、我々はみな、誕生から死まで自分の道を交渉することによって、プロセスを再演する。そのような理由のためにタピエスは、彼の芸術を建てることからタブラ・ラサを創り出さなければならなかった。:このおかげで、我々鑑賞者は、蓄積された予想の層を拭き取るように励まされ、まるで初めてのように世界を再発見するのである。

日本語訳 : 松沢寿重(新潟市美術館)