絵画のたくらみ(パウル・クレー)

■絵画のたくらみ

前田富士男

▶︎「オルフェウスの庭」・・・解説 (いしいしんじ)

 大阪でパウル・クレー展へいった。会場はそれほど混んでいなかった。私はパウル・クレーの作品について、題名と絵があまり一致しない。パウル・クレーに限ったことではないかもしれない。有名な絵<オルフェウスの庭〉部分題を知らなかったり、逆に、絵の題名だけをおぼえている、ということが多い。

 パウル・クレーの絵の題には、絵は忘れていても、ということが多い。とりわけ印象深い言葉がちりばめられているから、いっそう絵から浮遊して、こちらへはいってくるような印象があるのかもしれない。

 外国でも日本でも、どこかしらの美術館でパウル・クレーの絵を見てそこから立ち去るとき、私はいくつかの題名を連れて帰る。たとえば、「隠者になった子供」を、「歌姫ローザ・ジルバーの声の織物」を、「一方の目は見る。もう一方は感じる」を、「しらみ仮面」や「カタストローフの夢」を連れて家に帰る。絵をもち帰ると、いろいろと厄介なことにもなるが、題名は自由にもち帰ることができ、安全であり、その上かさばらない。いま、印象深い言葉が数多いから、というようなことを書いたが、正確には、言葉自体が印象深いのでなく、パウル・クレーの作品においては、絵と言葉との「距離」、あるいは「関係」が、独特なのだと思った。何の変哲もない題、たとえば「上昇」「冬」「スポーツ・競技」という題が与えられていても、絵の上に浮かぶそれらの言葉は、独特の空気をはらんで感じられる。「上昇」という普通名詞に、パウル・クレーの描いた線や色が、それまでになかった勢いを与えており、その勢いは、パウル・クレーの絵の目に見えない部分から、見える部分にいま噴きだしてくる上昇の勢いに、関係があるだろう、と思う。私は「上昇」をもって帰る。

 ところが、大阪でいったパウル・クレー展で、ふだんにないことが起こった。その絵は「オルフェウスの庭」という題名だった。ドイツ語のニュアンスをくめば、オルフェウスの所有している家の庭、ということでなく、オルフェウスのために作られた庭、ことになるだろう

ギリシャ神話解説

アポロンとカリオペの息子。父アポロンから竪琴をもらい、名手となる。人間だけでなく、動物をも魅了するほど美しい音を奏でた。
エウリュディケと結婚をする。ある日、エウリュディケが散歩をしていると、牧者アリスタイオスが、彼女の美しさに心を奪われ、彼女めがけて進んできた。逃げる途中、エウリュディケは蛇に噛まれて死んでしまう。

オルフェウスは、黄泉の国の支配者ハデスのもとへ行き、エウリュディケを連れて行きたい、と願い出た。ハデスは二人が地上へ帰りつくまで、彼女をふりむいてはならない、という条件で願いを聞き入れた。

二人は暗い小道を通って、とうとう地上へ着こうかというとき、オルフェウスは彼女がついて来ているかどうかと、つい振り返ってしまった。すると、たちまち彼女は黄泉の国へ吸い込まれるように消えてしまった。

以後オルフェウスは、女というものをさけていた。トラキアの乙女たちは、オルフェウスをとりこにしようとしたが、彼は見向きもしなかった。ディオニュソス(バッカス)の儀式の時に、女たちは興奮して、「あそこに私たちを馬鹿にする人がいる」と、狂乱した。オルフェウスは手足を裂かれ、頭と竪琴はヘブルス川へ投げ込まれた。

ミューズの女神たちは、切れ切れの身体を集めて、リベトラに葬った。竪琴はゼウスが星の中においた。幽霊となったオルフェウスは再び黄泉の国へ行って、エウリュディケに出会う。

 「オルフェウス」とはギリシア神話に登場する竪琴の名手で、死んだ妻を地下世界へ迫っていき、連れ帰る途中でうしろをふりむいたため死者である妻と永遠に分かたれる、男性の名前である。「オルフェウスの庭」とは、水彩絵の具で薄く着色された長方形の上に、細いペンの線で描かれた模様だった。私は数十分その絵の前に立ち、他の絵のところへ行き、また戻ってきては、数十分立ち、ということを繰り返した。妙な感じだった。会場には何枚も目立つ絵があるし、よく知られた作品もあるというのに、私には「オルフェウスの庭」が、その場所の中心をなしているように思えた。何度離れても、不意に引き戻されてしまう。絵を見ているのも、はじめは全体を眺めていたのが、描かれた線の一本ずつを、どこから始めて、という感じもなく、いつのまにか、画面じゅうで辿りだしていて、しかもそれは目だけでなく、目を突端としたからだ全体で、私はそれらの線を追いかけている、という感じがした。線に取り込まれていく感じがした。これは絵なのか。「オルフェウスの庭」とは、ほんとうに絵の題なのだろうか。何時間、展覧会場にいたのかはよくわからない。おそらくその八割方、私は、「オルフェウスの庭」の前に立っていた。一緒にいっていた妻が、売店のほうへ歩いていくのがふと見え、私は絵から離れ、早足で妻の背中に追いついた。 それから何日経っても、私のなかには「オルフェウスの庭」の感じが残っていた。絵の題名だけをもち帰ったときとは、気分も体調もかけ離れている。あの絵は記憶のうちにでなく、まだそこにある、という感じがする。正確にはクレーが、「オルフェウスの庭」という絵によって、目に見えるかたちで表していたものが、自分のすぐそばに、目に見えない状態のまま、存在しっづけているという気配が絶えずしている。それは錯覚ではなかった。目をつむって立ちあがりさえすれば、壁際でひとり、線を辿つていたときの感じが全身を春の水流のように巡り出し、私はその水流に運ばれてあちらこちらへ動き、ふくらんだり、ちぢんだりを繰り返す。私は、「オルフェウスの庭」という題がついた絵を見ただけではなかった、と思った。それよりもっと大きなことが起こったのだ。

 パウル・クレーに関する本に何か文章を書きませんかと声をかけられたとき、私は、「オルフェウスの庭」の目に見える線を、もう一度間近で辿ってみたいと思った。本に載っていた図版を実物大に拡大コピーしたものを編集部から送ってもらった。それはいま、机の正面の壁にセロテープで貼ってある。窓の向こうは葉の落ちた葡萄畑と柿の木、はるか先に雪を浅くかぶった山峰がつづく。

 部屋のなかは、「オルフェウスの庭」の感じでいっぱいである。本のページを複写した紙にすぎないというのに、この臨場感はどうだろう。私のからだの内に、大阪の展覧会場からもち帰った「オルフェウスの庭」の感じがむろん残っているとはいえ、部屋に広がり窓から外へ漏れてさえいくような、空間のたしかなこの揺れ動きは、まちがいなく、壁に貼られた紙の、目に見えるパウル・クレーの線が起こしている。あるいは線と線との「距離」、「関係」が起こしている

 絵は目に見えるものだから、視覚に関わると思われがちである。ただ、視覚とは、それだけ切り分けて、はいこれですと取り出せるような働きとはちがう。別の部屋にいる人の姿、死んでしょった肉親の顔、あるいは小説のなかの家や土地を思い浮かべるのは、目に見えていないものを浮かびあがらせる内側の視覚の働きによる聴覚や嗅覚も同じことで、目や鼻や耳などの器官は、物理的に、からだの外にいま、ある、と信じられているものだけを、感知するのではない。大阪にいる父の顔をいま浮かべてみると、同時に、腹の太い犬の鳴き声と、有名な豚饅頭の匂いが顔の前あたりを巡りだす。内側では、すべての感覚がひとかたまりになって、ちぢんだりふくらんだりしているかもしれない。人間の感覚は、自分たちが思いこんでいるよりよほど広かったり、思ってもみない方向へ開いたりしていて、そのことを、見あげるような驚きや、風が吹き通るような開放感とともに、気づかせてくれる出来事のことを芸術と呼ぶ

 私にとって「オルフェウスの庭」は、音楽そのものだった。壁に貼りつけた絵の前に立ちながら、私は、音楽を見ていると思った。パウル・クレーはこれらの線を利き腕で一本ずつ引いたと思うが、画面全体の線は、すべて共鳴しあっている線はオルフェウスがもった竪琴の弦であり、その振動でありつまびかれるリズムであり、遠のいては近づいてくる音の動きである。パウル・クレーの他の作品では、私はそれぞれの絵の題名を、自分とともに連れて帰れると思った。ところが「オルフェウスの庭」では、そうはいかなかった。展覧会で、絵を前に立っているときの感じが、会場を立ち去り、別の町へ帰ったあとも、私のからだにとりついて離れなかった。それは、「オルフェウスの庭」が音楽で、私のからだにそのこだまが、えんえん鳴り響いていたためである。音楽を見る」こと、「絵に耳をすませる」こと。パウル.クレーは芸術家として、そのことを、はじめから終わりまで目ざしていたように思うが、「オルフェウスの庭」は、その試みの、もっとも純度の高い達成だという気がする。 画面最上部で、一定の間隔をおいて、試し弾きのように鳴らされる単音

 つづき、左右からの大きなストローク三本、四本の指で、つぎつぎに弾かれては転がっていく弦の束の響き

 その下の長い静寂。ここまではやはり、指ならしだったかもしれない、と思う。 いきなり駆け出すように、画面左からかき鳴らされる何十ものつま弾き。共鳴し、反撥しあいながら、それらは次第に全体へ、波のように波及し始める。それまで静寂だと思われていた水平線にふるえが生じ縦向きに並ぶ長方形の列が、上下に跳躍をはじめ、波及していく音のなかに短いトリルが魚の群れのように現れては消え、大きな波の動きにいきいきと変化を与える。ある音は遠のき、ある音は急に近づいてくる。一直線に駆けあがる棒のような太い音は、泡のように弾ける無数の単音に下支えされている。

 画面下部では、それまでになかった音が展開されている。弦を爪でこすっているのか、あるいは竪琴のフレームを、肘で叩きはじめたのかもしれない。一瞬のつま弾きのなかに全方向への音響がこめられ、伸びていく高音は画面の見えない場所にまではみだし、さらに遠くへと伸びていく。最下部では、小さな爆発がくりかえし起こっている。それはだんだんと小さくなり、やがて見えなくなる。

 ただ、画面の端で音楽が終わるわけではない。そのつづきは画面の外で奏でられる。本物であろうが、複製品であろうが、本のページであろうがかまわない。「オルフェウスの庭」をしばらく見つめ、そして部屋を出て行くとき、私は自分のからだが、「オルフェウスの庭」の残響に、沸きたっているのを感じる。私のからだは「オルフェウスの庭」を口ずさんでいる。遠い雪の嶺を眺めながら、私は「オルフェウスの庭」がある世界に生きているのだと思う。

 「作品の本源は、フォルムの運動としての生成にある」(クレー冒記』943番)

 フォルムの真の姿は、出来あがったフォルムではなく、生成・成長してゆくプロセス(過程)をおいてほかには、ありえない。男性的なものと女性的なもの、そのふたつの結合から生まれ、育ってゆく運動。すなわち「生命的フォルム」が、クレー芸術の根本にほかならない。

 その端的な例は、クレーによれば、線描である。「より良き認識の地にいたるために、地図をつくるように小さな旅を試みょう。死んでいる点から、まず、動く行為が始まる(線)」。つづいて画家は、線の中断や逆行運動、また川を渡るような波状運動などにふれてゆく。線のエネルギーにもとづく死から生への、静から動への豊かなプロセスが明示される。

 この線描論(1918年執筆)の冒頭にクレーは言う、「芸術は、眼にみえるものを再現するのではなく、眼にみえるようにすることだ」制作行為とは実は生命の旅そのもの、つまり生命的時間の空間化である、とのマニフェストである。「生命の旅としての線描」は、たしかにクレーの造形観を告知してやまない。

 だが、われわれはあえて主張しょう。この画家は、生命の旅の比喩がいささか稚拙にすぎると考えていたにちがいない、と。

 クレーが真に把握していた生命的フォルム、生命的時間過程とは、旅の比喩、男性女性の結合の例示をもっては、とらえがたいのではないか。一般に生命を語るとき、われわれは、人生の旅、生命の過程として、男女の結合による新しい生命の誕生、乳児から幼児への成長、少年期、青年期、壮年期、老年期、死、そして新しい生命の誕生・・・を想起する。直線状の時間過程といってよい。だが、生命の時間はそれほど単純に直線=空間化できるのか。とうてい画家クレーがそのような空間化を生命的と認識していたとは思われない。

 では、いったい生命の過程とはどのようにイメージすべきか。 《ル(ツエルン)近郊の公園》は画面中央に、発芽したあとの子葉にも似た小植物をおく。生成や生長の原イメージだが、画面には公園の植物のあれこれの姿が自由に配置され、生命過程の方向は、とらえがたい。螺旋状ともみえるけれども、フォルムや色彩の間に働く遠心と求心、つまり中心と周辺、拡張と収縮といった分極性にもとづく特異な往復過程が示唆ぶかい。春とも秋ともつかない時間の循環エネルギーを秘めた灰色みの循環とみなしてもよい。 そもそも生命的な過程や時間のありようは、直線状ではなく、ループ=環、とみなすほうが適切だ。循環するループがあり、そしてさらにつぎの循環するループヘ移る・・・少年はたえず少年というループを反復・循環しており、あるとき、ふと青年というループに移り、青年はずっと青年というループを反復・循環して、そしてあるとき、壮年のループヘ

 植物でいえば、あるときは種子というループを、あるときは芽というループ茎というループ、また花というループを、である。そこに新しい生命の誕生を付加すれば、反復・循環は、また往復でもある。生命的フォルムは、そんな不思議な時間過程を歩むのだ。この時間過程に直線状の空間イメージをあてはめることほど、危ういことはない。

 《ル(ツェルン)近郊の公園》は、ひろく「方形画」と呼ばれるグリッド(格子)状の色面をもつクレーの諸作品[下図左]に連続する。

と同時に、《周辺に》[上図右]の太陽と周辺、《オルフェウスの庭》の中央の小さな門とまわり、《時》[下図]の色面のオーバーラップと同質でもある。

 一見、形式上で類似していなくとも、遠心と求心、拡張と収縮、反復と循環といった生命の作動は共通する。クレーの作品世界を支えているのは、実は、形式が類似していなくとも、形態の作動性が共通するこうした「作品群」なのだ。

 生命的な時間過程は、直線状ではなく、反復、循環、往復をとる。あえて飛躍を覚悟して、言おう。バッハの「ゴールドベルク変奏曲」を想うべきなのだ、と。それも、グレン・グールドの演奏を、と。このピアニストは、演奏生活の最初と最後、1955年と1981年の2回の演奏をわれわれに残してくれた。だが、演奏生活の初めと終わり、ひとつのアリアをめぐる30の変奏の初めと終わり、そんな直線的な推移はどうでもよいことだ。ここには、たんに求心と遠心の「変奏」、すなわち反復、循環、往復があるだけのこと。このグールドの「変奏」ほどクレーの「作品群」に、生命過程にちかい作品は、ほかにない。

 周知のように、クレーの同時代人の批評家ヴァルクー・ベンヤミンは、この画家に敬意をよせた。ベンヤミンは、時間的な因果関係でも空間的な定位でもない特異な配置、つかの間の時空間しか提示しぇない配置こそが本源性の出現とみなし、それを「コンステレーション(星座的布置)」と名づけた。

 クレーのとらえた生命的な時間過程の絵画的空間化、その豊穣な「作品群」は、「変奏」もしくは「コンステレーション」と呼ぶにふさわしい。お前はペケとばかりに大きな×印をつけられた男は誰か?この年、クレーはナチスの機関紙に・・・典型的なガリシアのユダヤ人」 (上図右)と書き立てられる

 《そこの上、そこの下》は、クレーが死の年に描いたもので、私自身、最も愛し、かつクレーのキーワークだと位置づけている作品でもある。

 封筒のようにも見える、赤い長方形に囲まれた黒い線、画面上方の逆さになったフェルマータ、そしてその下にあるお団子のようなかたち。この三つの特徴に加え、それらの土台になっている支持体の素材と、その大きさ。この五つの特徴を突き詰めて見てゆくと、作品の凄さ、クレーという人間の凄みが見えてくる。

 まず、逆さフェルマータ。フェルマータは音楽用語としては「引き延ばす」ことを表わす記号である。ここでは余命幾ばくもないクレーの生への執着を読み取ることができる。この記号を逆さまにして見ると、クレーお得意の「神の目」が現われる。先に見た《詩のはじまり》1938年[上図]を思い出してほしい。ここでいう「神の目」は《詩のはじまり》に描かれた目と同じ。すなわち「創造者」の目だ。要するに逆さフェルマータとはクレー自身を意味している。っまりこの絵は、世界を見据え、世界を拡張し、「見える」ようにする、「神」「創造者」であるクレーの自画像だといえよう。そんな高尚な「目」が、同時に生への希求、執着という、俗なるものの象徴でもある。きわめて人間的で生々しい「怨念」が、その対極にある「神」の視点、宇宙論的な方法論で展開されているのだ。シェークスピアの『マクベス』の中で魔女たちが「きれいはきたない、きたないはきれい」とうがった呪文を唱えるが、逆さフェルマータには、この魔女の「のろい」にも通じる逆説があるように思う。

 二つ目は下のお団子二つの丸が横並びになって、その両脇から短い棒が出ている。二つの丸の並列は嫌でも「無限大」のマークを思わせる。逆さフェルマータと関連づければ、創造の無限性を物語っていることになる。死の年になお旺盛な創作力と創造力を見せつけるクレーだが、この無限大マークはそのことをいわば象徴的に示しており、彼の創作への執念には恐れ(畏れ)さえ感じる

 では、横に突き出た棒は何だろう? 逆さフェルマータとバランスをとろうとしたのか、それとも「無限大」そのままでは、あまりにもわかりやすすぎると思ってわざと付けたのか? そんな茶目つ気が、いかにもクレーらしい。

 三つ目と四つ目は支持体の問題。<もくろみ>(上図左)では、新聞紙という卑近で、卑俗で、あまりに日常的な媒体に、「芸術家=創造者=神」の「創造神話」という、極めて壮大な宇宙論的表象(具体的なメモ・上図右)を重ね合わせている。その大きさに注目してみると、この絵は、支持体に新聞紙を使ったことで、小品の多いクレーの作品の中では、例外的な「大きさ」をもつことになった。何故このような「大きさ」が必要だったのか? これは「歴史画」「創造神話」というものは、国家の威信の象徴であり、画面の大きさも、その権威を表わす大切な要素だったからだ。

 しかしクレーは、そんな壮大なテーマを、紙くず同然の古新開に描いてしまった。すなわち、卑俗な媒体を使うことで、その創造神話的内容を相対化させたのではないだろうか。もくろみが自画像でもあるとすれば、クレーはそこで自己をも相対化している。ひどく人間的で欠点も多い「わたし」が新聞紙によって表象され、しかしそのような人間が宇宙論的風格を持つ作品を生み出すことも出来る、という自負。その振れ、屈折に、たまらない魅力を感じる。

 この視点から《そこの上、そこの下》を見ると、こちらは縦29・5センチ、横41・7センチ。クレー作品としては標準的な「小ささ」だ。その小さな画面に、先程見た「創造神話」が描かれている《もくろみ》では、大きさは「歴史画」のフォーマットを維持しっつも、支持体で常識を「裏切った」わけだが、《そこの上、そこの下》では、もう「大きさ」など問題にもしていない。つまり、クレーの場合、作品の重要性は、画面の大きさや素材などには左右されないのだ。逆に言えば、《もくろみ》にしても、支持体がたまたま新聞紙だったから画面が大きくなったというだけのこと。画面の大きさなど、絵の本質にはどうでもよいことだという、絵画の常識を覆すような、クレーの一貫した姿勢が読み取れる。《そこの上、そこの下》の支持体は、新聞紙ではないが、ごく普通の紙である。紙はやはり卑近で日常的な存在だが、それが台紙に貼り付けられると、一転「作品」として再生する。台紙に貼ることは、作品を「聖化」することといってもよい。ここでも聖と俗が振れている。「聖と俗の振れ」という視点から、この作品を見つめなおしてみると、描かれたものが封筒のようだということも納得できる。これもまたクレーが「中間者」であり「越境者」であることをわたしたちに気づかせてくれるものなのだ。

 手紙はあるところからあるところへ出されるもの。場合によっては海も渡るし山も越える。つまり「越境」してゆく。出された手紙には返事が書かれ、また「越境」してゆく。手紙のやりとりはいつか終わりを告げるが、クレーの「手紙」は永遠に越境を続けてゆく。クレーは好んで越境者を描く。そしてその越境者たちは往々にして危ういバランスをとっている。一歩間違えれば奈落の底に落ちて行ってしまう、その一歩、いや半歩手前でバランスをとる。手紙もまた、遅配や番地違いでとんでもないところに送られることもあるかもしれない。思ってもみないような長い旅を続けた未に、ようやく何十年後かに受信人に届くことだってないことはない。そんな映画かおはなしがあった気がする。危ういバランスとちょっとセンチメンタルな表象。それが、クレーの描く「手紙」。

 さらに言えば、この絵は自画像でもあるわけだから、手紙(=越境者)とはクレー自身の象徴でもあるといえよう。右にも左にも傾かず、「上にも下にも」行き着こうとしない。「向こう側」と「こちら側」、男と女おとなとこども生と死、聖と俗、あの世とこの世生まれる前と死んだ後、、ミクロコスモスとマクロコスモス・・・こういった二元論はいくらでも出てくるが、クレーは常にその二つの極に行き着こうとはせず、越境に越境を繰り返し続ける。それもあまりに危ういバランスをとりながら。

 シャミッソーが書いたロマン主義的小説『影のない男』の主人公ベーター・シュレミールは、影を失うことで手に入れた、文字通り「世界を股にかける」ことの出来る靴を履いて永遠に世界見聞を続けるが、クレーもまた、「影のない男」の朋輩だといえよう。この「二人」はどこか気楽で、くつろいでいて、そしてちょっとふざけたところがある。その点でもよく似ている。でもこの「二人」はどちらも、世界の奈落も天上の光輝も知ろうと思えば知ることが出来るし、見ようと思えば見ることも出来る。でもあえてそれをせず、ひたすら越境、迂回、遡行・・・を競けて倦むことを知らない。まるで動くのをやめてしまったらそれでおわり、みたいな切迫感もある。 クレーが描く天使は、さしずめその最も純粋な形象化だろう。人でもなく神でもなく、男でもなく女でもなく、おとなでもなくこどもでもなく・・・常に越境を続けてゆく者。二元論の解消。グノーンス? プラトン的両性具有? でもそのどちらにもクレーの旅は解消されない。

 こんなもろもろの意味で《そこの上、そこの下》を見てみると、とっても慎ましいのに、恐ろしいほどの凄みがある。すごい作品だ。

 赤で描かれた六つの丸い点は何だろう。それがやっぱり赤い三角形で囲まれている。血? そんな単純なものじゃないだろう。「そこの上、そこの下」というタイトルがちょっとエロティックなのも気になるところ。

 クレーはやっばり深い!