外尾悦郎

■外尾悦郎

 外尾悦郎とマルク・リマルガス、パブロ・オリオルと対談、およびマルク・リマルガス撮影の写真によって構成される。マルク・リマルガス(Marc Llimargas):写真家。ガウディの建築作品を精力的に撮影する。写真はリマルガス撮影。パブロ・オリオル(PabloOriol):建築家。

外尾悦郎

 ■水平の静謐

 古今東西、人類が手がけてきたあらゆる建築物は、垂直と水平という二つの要素が完璧に調和しているか否かで、その実しさが決まる。そしてこの二つの要素は、教会建築に欠かせない二つの道具、水準器と錘重(すいじゅう)に表象される。

 それは人生と似ている。意識を超えたさらなる高みに到達するために(重責)、人は自らの自由を十全に活用する必要がある。その高みにおいて、わたしたちは真の〈名前を持たない自由〉の境地にたどりつく。そして、ついには至福・・・つねに神のみそばにいることができる恒久かつ究極の状態・・・に至り、永遠の歓喜をわがものとできるのである。

 古代の神学者である偽ディオニシウス・アレオバギタが著書『天上位階論』で語っているように、他者に対する節度ある態度によって、わたしたちは互いの関係について深く理解し、真の愛や思いやりを育てることができる。イエスは「あなたの敵を愛しなさい」と説くとき・・・それはときに理解しがたいと思える教えかもしれないが・・・それぞれ外見は異なっても、人はみな兄弟であるということをわたしたちに理解させようとした。たとえ姿かたちや性格に大きな違いがあるとしても、われわれは本質的にみな神の子なのだ。これがすなわち「水平」である。垂直と水平、この二つの基本要素を持つことで、わたしたは一人ひとりの心の中に真の聖堂を築くことができる。

 ガウディはこの二要素をみごとに統合させた。彼は、聖堂の外観をよりよいものにできるかどうかは、この内なる錬金術の成否にかかっていることを、完璧なまでに理解していた。

 サダラダ・ファミリアの建設に従事する人々についてガウディが残した文章がある。それによれば、「この世に存在するものは、必ず何かの役に立っている。人それぞれがかけがえのない才能を持っており、すべての人が神の似姿としてつくられている」。よほど悪意をまき散らすような人間でないかぎり、ガウディは誰にでも、聖堂の建設現場という共同体に居場所と仕事を与えた。彼自身もまた、自由な一個人として、明るく大胆に仕事を進める手本たろうとした。その過程で、徐々にガウディの人間性も、精神面をより重視する方向へと変わっていった。彼がカトリックに帰依する道を選んだことが何よりの証であり、そのおかげで、天恵たる才能をふんだんに授かり、世に二つとないこの聖堂を設計することができたのであろう。技術的にも、構造的にも、制作者が聖堂建設に喜んで身を捧げたその精神においても、また、創造に対する彼の愛情が「自然」という究極の形で表現されている点でも、サグラダ・ファミリアこの地球上で唯一無二の建築物なのである。 そして何よりも、サグラダ・ファミリアが傑出している理由として挙げられるのは、けっして枯れることのない創造力の源泉であることだ。現在も、きっと未来も、人類の手による建築物にインスピレーションという澄んだ水与えつづけてくれる泉である。

 こんな言葉が自然にわたしのなかからあふれだしたのは、悦郎と知りあって受けた強い衝撃が原因に違いない。気高く、善なる心を持ち、とても勇敢な男で、人生を大義のために捧げている。つまり、彼は彫刻という仕事を通じて、自分自身の存在を石という素材に移し入れている。人間らしく生きたいと思うなら、まさにこう生きるべきであろう。だからこそ彼は、生前のガウディが聖堂の内部に吹きこみ、いまも生き生きと流れる本物の生の息吹を受け取ることができるのだと思う。

 制作に関わる者が意識していようがいまいが、人間の手によるどんな作品でも、その作品に命を吹きこむ精神にすべてがかかっている。ましてサグラダ・ファミリアの場合は、着工時から、その建設を通じて魂の浄化を祈念しつづけている建築物なのだから、なおさらである。

 悦郎の仕事・・・あまり世に知られてはいないが壮大な作品・・・はそれ自体でも非常に価値あるものだが、彼の精神性が聖堂に生命を与えるという意味で、なお貴重な仕事である。悦郎の作品には、この聖堂の魂を顕現させる精神そのものが宿っている。だからこそ、わたしはこの企画に加わりたいと願ったのである。 (マルク・リマルガス・イ・カサス)

 ■仕事とは探究である

 建築物の設計は、ある種の祈りです。石を穿(うが)ち、すぐれた彫刻作品をつくろうとすることも、彫刻家独自の祈りの方法です。医者は命を救うために検査をし、薬を処方し、手術をしますが、それも医者の祈りの手段なのです。どんな職業でも、祈らない者によい仕事はできません。

 人間は、両手に抱えきれないほどたくさんのものを持っていると思いこんでいます。全世界を、いや宇宙さえも所有していると。しかし本当は、この世に存在するものはすべて、恵み与えられたものです。自動車、飛行機、コンピュータなど、じつに多くの品々を発明してきたわたしたちは、人間は創造者であり、世界の主だと思っていますが、実際には、わたしたちの暮らしを大きく左右するものは自然なのです。太陽、水、空気、大地……。それらすべては、本当は与えられたものだという真実から、わたしたちは目を背けようとしています。

 わたしが石を刻む過程、仕事をする工程は、それ自体が探究です。これまでわたしは数多くの碑や作品をつくってきました。しかし、自分にとっていちばん大事なことは、一つひとつの作品の制作過程で何を学んだかということです。そうした経験の積み重ねが、いまのわたしを形づくってくれたと言えます。

 いま彫っているものが本当に最善なものか、制作中に確信が持てたことなど一度もありません。しかし、よりよいものをつくろうと試行錯誤を繰り返すことこそ、わたしたちが自由である所以なのではないでしょうか。

 最近わたしはこう思うようになりました・・・自分がいかに小さな存在であるかと思えれば思えるはど、いっそう幸福になれる、と。以前は、石の前で自分にこう言い聞かせたものです。「わたしはこの一片の石くれを、芸術作品に生まれ変わらせる彫刻家なのだ」と。完全に間違えていました。命令を下すのは石であり、わたしはそれに従う下僕にすぎないのです。そうでなければ、新しい何かを生みだすことはけっしてできないでしょう。

≪建築物の設計は、ある種の祈りです≫2631

 エドゥアルド・チリーダ(20世紀スペインを代表する彫刻家])の言葉を知っていますか? 彼も同じことを言っています。石の声を聞け、と。

 石の声を、自然の声を、すべての声を注意深く聞かなければなりません。わたしはチリ-ダとほとんどの点で意見が一致します。彼はわたしが考えていることの多くを、まさに実践しています。たとえば、時間は過ぎ去るものではなく、わたしたちが時間のなかを進んでいる、という考え方時間や空間もまた、天がわたしたちに与えてくれた自然の要素です。時間は無限だと考える人は多いのですが、本当に時間と無限に向きあい続ける人は多くありません。「時間がない」とよくこぼす人は、結局のところ自分を見失っているのです。そして自分を見失っている人は、時間も空間もまた見失っているのです。

 別の言い方をしましょう。神は前もってわたしたちの心の奥深くに、あるものを埋めています。それがどこにあり、どうやって埋められ、どうすれば見つけ出すことができるのか、わたしたちは知りません。でもそれはとても深遠なもの、わたしたちの真髄なのです。もし見つけることができれば、本当の自分自身と出会うことができる。この探究の過程こそが重要です。探す道すじそのものが、あなたなのです。探求を試みなければ、何も始まりません。

 わたしたちは小さな子どもです。見た目は大人でも、本物の子ども以上に子どもなのです。親と手さえつないでいれば、子どもは安心できます。行き先がディズニーランドであろうが、動物園であろうが、近所の小さな公園であろうが、満足なのです。でも、もしそこにひとりぼっちで置き去りにされたらどうでしょう? 不安で不安で仕方がなくなるはずです。すぐに泣きだし、必死に親を探すでしょう。その子どもにとって最大の望みとは、親を見つけ出すこと、親がすぐそばにいてくれることだからです。

 親がいないのにディズニーランドに行っても、子どもは苦痛です。大人も同じなのです。わたしたちは、行きたければどこへでも好きなところに行けると思っています。しかし「ひとりだけでディズニーランドに行きたい」と思って行ったとしても、親がいなければ、たとえそこがどんな楽園であろうとも、悲しく、不安になるだけでしょう。恨みさえ湧いてくるかもしれません。

 子どもであるわたしたちは、社会もしくは世界といってもよい親、つまり〈われらが父〉につねに手を引いてもらう必要があります。そうして初めてやりたいことを満喫し、すべての自由と喜びを享受できるのです。親さえそばにいてくれれば、怖いものはないのですから。しかしひとたび〈われらが父〉を見失えば、あたりは恐ろしい闇と化し、泣きじやくるはかなくなるのです。

 ガウディは、たとえ小さな部分であっても、この聖堂が成長しでいることを示そうとしていました。そこでピナクルには、大地から頭をもたげたばかりの植物の芽と、それを補強する彫刻として葉・・・ここの場合はツタ・・・のイメージを選んだのです。

 作業を始めるにあたって、いくつかの問題がありました。たとえば、素材となった石はわたしがいままで使ったことのない種類のものでした。モンジュイツク(バルセロナ市街南西部にある丘)の石はとても硬い砂岩なのです。適切な道具もありません。当時は、自分の道具や素材を手に入れる手段があまりなくて、取りかかるまでにまず苦労しました。

 また、計算ではベランダの先端部分の厚みをわずか1センチに仕上げなければなりません。やろうと思えば不可能ではありませんが、あまりにも強度不足に思えました。いったい何のためにこんなに薄くするのか?わたしは首をひねりました。この聖堂は何世紀も、いや何千年でも持ちこたえられるものにしなければならないのに、1センチではあまりにも脆すぎるのではないか、と。

 しかし、やがてわたしは、ガウディは構造体となる部分をつねにぎりぎりの強度でつくっていることに気づきました。自分の家のあらゆるところにべランダの写真を貼り、「なぜガウディほ、先端を1センチに仕上げさせようとしたのだろう?」「デザイン的には、葉の彫刻はどこに置くべきなのだろう?」と考えつづける毎日を過ごしました。そして、やはり写真を眺めていたある日、ふと気づいたのです。葉の彫刻は装飾的な意味しかないと思いこんでいたが、じつは弱い部分に彫刻を配置することで強い構造になるのだ、と。

 わたしはベランダをくまなく調べて構造的に弱い箇所を見つけ、ツタを配置するのにふさわしい部分をつきとめました。こうしてようやく彫刻の構成が完了しました。

■色 彩

 聞き飽きた質問かもしれませんが、サクラダ・ファミリアの色彩についてうかがいます。ガウディは、色彩を命の象徴と考えていたようですが・・・

 彩りあふれる天上界と比べると、わたしたちが住む地上界ほ精彩を欠きそれと同様に聖堂の下のほうは石材そのままの色(=地上界)ですが、12使徒の塔の上方は神の世界であるため、カラフルになっています。地上界と天上界は区別しなければなりません。天上界を彩るふんだんな色彩はモザイクで表現されているので、時が経っても退色しません

・・・色彩はつねに上のほうにしかない? はい、そうです。

・・・でも、下方にある門は色で装飾されていますね?

 はい。慈愛の扉口、希望の扉口、信仰の扉ロについては、彩色したいとガウディの意向が残されていたので、色を配しています

・・・ガウディのこんな言葉を読んだことがあります。「サグラダ・ファミ!においては、太陽の手の届かない下方の部分のみ多彩色にするつもりである。高所はすでに色味にあふれている。自然の摂理からして、太陽はそれ自体大なる画家だ。その光でどんな塗料より美しい色彩を施すからである」。つまり、ガウディは下方の部分こそ多彩色にすべきだと言っている・・・なのに、そうしないのですか?

 しません。これは建築士の方針によるので・・・。一建築士の方針によって石材に色をつけるかどうか決める、と?

そうです。個人的には色をつけてもいいと思いますが、担当する建築士の意向に左右されます。

■正しい疑問

 人々が何より求めているものは、答えです。答えがなければ、成長はありません。しかし実際には、答えそのものより、正しい疑問を持つことが重要なのです。正しい疑問を持った瞬間、すでにあなたは成長を始めています。答えを見つける過程は、畑に種をまく作業と似ています。まず土を耕し、肥料を施します。さらに整地し、種まきの準備万端となった土は、黒々と美しく、湿り気も帯び、強さとやさしさを兼ね備えています。よい土壌の条件とは何でしょう? どんな種をまいてもすくすくと育つことです。

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 自然は寛大で気前がよく、人間は卑小な存在です人間には、多くの恵みを与えてくれる大地ほどの力はありません。ガウディは言っています。「人間は何も創造できない。できるのは、自然を再発見することだけだ。もし創造が可能だとすれば、それはやはり自然を排すことから始まる(耕すcultivar ことで文化 culturaが生まれる)」と。耕すとは、どんな種でも元気に芽が出るように土を起こし、雑草をとり、水を撒く・・・そうした行為のすべてであり、耕すことが文化や教育の源なのです。いま文化と言えば、音楽や文学、舞踏、映画などを思い浮かべる人がほとんどでしょう。でも、本質は違うのです。「耕す」とは、何かを発見し、生まれるのを待つことです。わたしたちにできるのは、種が芽を出すのを手助けする程度のことです。だからこそ、わたしたちは土を耕さなければならない。すなわち、疑問を持つということです。疑問を持たず、自然に従おうともしなければ、実はみのりません。

・・・アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーも「問われていない質問に答えることほど無益なことはない」と言っています。つまり、疑問がなければ答えるも何もない、と。

 近頃の教育は、生徒が質問するまえに答えを与えてしまうのです。

・・・疑問を持つ機会を与える代わりに、ということですね?

 そのとおりです。耕す代わりに、あるいは疑問が生まれるのを助ける代わりに、答えを与えてしまいます

 経済というテーマを持ちだすのはあまり好きではないのですが、経済こそがすべての基本だと人は言いますね。わたしが若い頃は誰もがマルクスを学びましたし、最近ではアダム・スミスが流行りのようです。この2人は、水や空気が商売になるはずがないと言いました。しかし両者とも間違っていました。水も空気も人間が生きていくうえで不可欠なものだからこそ、近い将来、金持ち連中は自然な空気やきれいな水を競って買おうとするでしょう。でも、そんな未来が欲しいですか? わたしはそうは思いません。

 次に栄光のファサードの設計図と模型を見てみましょう。将来このファサードには15本の鐘楼が立ち、それぞれから響く合計16種類の音が、結婚式や葬儀をはじめ、さまざまなミサを知らせるシンプルなメロディを奏でます。そして、84個の鐘が吊るされる生誕のファサードの塔はまさにピアノです。こんなアイデアを人類史上、誰が考えたでしょう。最後に、受難のファサードは、それ自体が非常に背の高いパイプオルガンで、さらに教会内部には大勢の聖歌隊が並びます。これらすべての音がハーモニーを形成するのです。

・・・サクラダ・ファミリアが完成するまでわたしを長生きさせてほしいと、神に祈るばかりです。2000人の聖歌隊、聖堂内部のパイプオルガン、12本の鐘楼によるコンサート、その音楽を聖堂の片隅に座って、ぜひ聴いてみたい。

 自分も同じことを願っていますし、ガウディもまさに同じ気持ちだったでしょう。彼は有史以来、誰ひとり見たことがない楽器をつくろうとしていました。そのガウディの夢を、いまわたしたちが共有しているのです。

・・・音楽を奏でる建築ですね。

 この聖堂は神への捧げものであり、観光客のためでも、名誉のためでもありません。人間が神への愛を最大限に表現したものです。音楽も彫刻も建物も絵画もモザイクも、すべては神への供物です。この聖堂すべてが、人類から神への贈り物なのです。

■教育者としてのガウディ

 教育にはとても関心があります。教育とは善悪の区別を教えることですが、昨今、何が善で何が悪かは人によって異なるなどと言われています。これは誤った考えです。善悪が「人によって異なる」ことなどありえない。個々人の意見や興味・関心で左右されるべきものではありません。

 教育が弱体化すれば、人間も弱体化します。ペルシャでは古来三つのことを教えてきました。烏の乗り方、嘘をつかないこと、目上の人を敬うこと。しかし、現在ではこの3つのどれひとつとして学校では教えません。

 わたしが心配しているのは、いまの教育は共に生きる方法ではなく、自分だけが生き延びる方法を教えていることです。友だちをだましてでも、家族を足蹴にしてでも世間を渡ってゆけ、と。これを教育とは呼びません。教育とは共に生きる知恵のことです。他人と共に生きなければ、自分が生き延びることもできないからです。人間はひとりでは生きていけません

 教育者が人との調和に気づいてくれることを、わたしは願っています。他人を蹴落としてひとりで生きるのではなく、世界中が幸せになること。がイエスの愛です。現代社会では誰もが一番になりたがり、しかしみながにはなれません。イエスの愛は、これとはまったく逆です。みなが一番なのです。世界じゅうの人々がみな一番などということは、数学的にはありえません。しかしイエスの愛があふれる世界であれば、それは可能なのです。

 まずはシステムを再構築することが肝要です。新しい技を伸ばすために強い根が必要です。いちばん大事な原点に立ち戻らなければならない。そめには、どんな経済システムや政治システム、教育システムを持つべきな謙虚に考える必要があります。いま歴史は紀元3千年紀を迎え、はたしの4千年紀を無事に迎えられるのか、やがて明らかになるでしょう。

 これらを体現しているのが、サグラダ・ファミリアです。もっとも、こうた聖堂本来の目的から、いま横道に逸れつつあるのですが。侵食しようとしているのです。とはいえ、こうなることも神はお見通しだっのかもしれません。わたしには誰かの助けが、とりわけ天の助けが必要でわたしに何かひらめきを与え、どの方向に歩んでゆくべきか教えてくれるが。本書が、その一助となってくれることをわたしは願っています。

 最も重要な目的は、聖堂を美しく完成させることではありません。聖堂という行為は目的を達成するための手段にすぎません。聖堂の最終目的は、人類を構築することなのです。

■希望の量と質

 いまわたしたちがいる場所はサグラダ・ファミリア付属学校で、一時期わたしの仕事場でもありました。ここに来ていただいたのは、ガウディの本質にふれてほしかったからです。ガウディの本質・・・それは構造と機能と象徴の三つに集約されますが、彼はつねにその三つを組み合わせて考えていました。

 ガウディは私財を投じてこの学校を建てました。なぜならこの学校は、聖堂を建設するうえで極めて重要なものだったからです。ガウディが偉大だったのは、つねに職人たちのことを慮(おもんばか)り、よい作品をつくるには職人がみな仕事それ自体に幸せを感じなければならないと考えたことです。今年は給料が増えて満足でも、来年はもっと増えなければ満足しない・・・給与が多いことが幸せなのだと現代人は考えます。しかしそれは違います。給与明細書は幸せを約束するものではないと、ガウディは知っていました。

 では幸福とは何でしょう?仕事で結果を出すことはもちろんですが、希望の量と質が大切なのではないかとわたしは思います。職人たちが願うのは、子どもたちにより良い未来を与えることです。そうすれば、職人たちも幸せにれる。子どもの将来のためなら、親はどんなことでもするものです。

 空き地だったこの場所にガウディは学校を建て、聖堂で働く職人たちは「この学校でなら良い教育を受けさせられる」と考えて、わが子を連れてきました。ガウディは全員の幸せを願っていました。その証拠に、聖堂の建設が始まった 1882年以来、死亡事故は一度も起きていないと言われています。まさに奇跡 です。

 わたしたちは記号(=象徴)によってコミュニケーションを図ります。そう、 言葉も象徴なのです。言葉を使わずに新しい象徴をつくることが彫刻家の仕事 です。たとえばガウディは、付属学校の構造を三つのハートの形でつくりまし た。わたしたちは論理的であろうと努めます。しかし真の論理的思考とは、象 徴を魂にまで近づけることなのです。現代人にはこの点が欠落しています。わ たしたちはさまざまな方法で意思の疎通を図りますが、精神を象徴化すること を怠っているのです

■ガウディと自然

 構造と重力は互いに「敵」でしょうか?「味方」でしょうか? 

 この場を仕切るのは俺だ・・・たいていの人はこう言いたがります。誰もが「世界を支配しているのは人間だ」と考えていますが、大きな間違いです。世界を動かしている者など誰もいません。本当は、場を支配したいと思う心は、無知と恐れから来るのです。「誰かが主導権を握るまえに、自分が握りたい」とあせるのですが、恐怖は増すばかりです。そんなことを言う人は、恐怖に怯えていることを告白しているようなものです。

 わたしが思うに、真の信仰に生きるガウディに恐怖心などなかったのではないでしょうか。そうでなければ、すべてを引きずり下ろしてしまう、建築家にとって最大の敵である重力を、あれはど自在に扱えなかったはずです。

 アストルガ司教館の建設に際し、ガウディは傾斜のかなりきつい石造りの玄関天井を設計し、職人たちは落ちるのではないかと恐れました。ふつうのアーチ型なら平気だが、ガウディの望む形にすれば落下する可能性がある、と彼らは訴えました。ガウディに言わせれば落ちるはずなどないのですが、職人たちには経験も想像力も足りなかったのです。誰もが落ちるに違いないと考えるなか、ガウディはその下に立ち、「組み立てよ」と職人たちに告げました。もし落ちてくれば、当然ガウディの命はありません。職人たちは言われたとおりにしましたが、結局、建物は無事でした。

 チャーチルは言いました。「金を失えば小さな損失。名誉を失えば大きな損失。勇気を失えばすべての損失」。人間には勇気が必要なのです。ガウディには勇気がありました。だからこそ、重力を頼れる味方につけて、誰もが無理だと考える構造を今日まで維持させることに成功したのです。

・・・ガウディと自然との関係について話してください。彼のすべての作品、特にサグラグ・ファミリアには自然に対する深い愛情が表現されています。

 ガウディは病気とずっとつきあっていかねばなりませんでした。病気は彼の一部であり、かなりの不自由を彼に強いました。生まれながらのリウマチに苦しんできた彼の対症療法ともいうべきものが、自然観察でした。自然を観察してさえいれば、病気の痛みや友だちと遊べない孤独の寂しさを忘れられたのです。この自然観察で彼はさまざまの発見をしました。サグラダ・ファミリアに数多く見られる自然を象徴した造形は、それらが活かされたものです。

 ガウディは言いました。「苦しみもがく者、自分を犠牲にする者、答えを求める者は、針の穴のように小さい光をめざして暗い谷を歩く者に似ている。人はその小さな光を希望と呼ぶ」。ガウディを照らしていたのは自然の光でした。サグラダ・ファミリアとは、希望あふれるシンボル、神の家なのです。

 当たり前ですが、自然がなければわたしたち人間は生きてはいけません。世紀、人類はたくさんの戦争を経験しました。ガウディは信仰に支えられ平和な世界を、幸福な日常を懐かしんでいました。だからこそ自然を重視したのです。彼の考え方は日本人に似ています。表現の形は違うかもしれません根っこは同じです。結果としてできあがった作品も異なりますが、感覚はわしたち日本人と符合するところがあるのです。

・・・サクラダ・ファミリアでは、自然は象徴的に表現されていますたとえ葉や果物の彫刻にはきちんと意味がある。そうですね? ええ。生誕のファサードのように。

■地中海の光

 サグラダ・ファミリアは地中海の教会です。では、地中海とは何でしょう?

 地中海とは、光です。地中海の光は世界一美しく、さまざまなものがくっきり と見えます・・・自分の思考さえも。ですからガウディは、広い空間に光があふ れるようにしました。

 そして光もまた、重力と同じように、光の思うがままに設計させる必要があ ります。しかし、窓を多くすればするはど建築物の構造が弱くなってしまいま す。ではどうすればよいのでしょうか。重力に構造を設計させたように、光に 窓をデザインさせればいいのです。「従うことを知る」・・・これこそ真の知性 です。自然光が直線的に差しこむ方角は東から西へと移り、その過程でさまざ まに角度を変えますが、それを追っていけば、理想的かつ完璧な採光の形がお のずと見えてきます。

 ガウディが言っているように、自然が自由に設計するのにまかせる自然の メッセージに従うことで、わたしたちの知性は育まれるのです。これこそが究 極の知性のありかたです。もし自然に従わなければ、わたしたち人類は25世 紀にはたどりつけないでしょう。

■総合的に考える

 大学の建築学の授業では、建築の研究、専門性の追究、分析方法について指導するばかりで、それらをどう総合するかについては教えません。(写真を見ながら)この写真には、砂場に川をつくって地理について説明している子どもと、それを聞く子どもたちが写っています。しばらくすると説明役の子どもは大量の水を流し、川を壊します。つまり、ひとつの授業で地理も物理も化学も同時に教えているのです。もう一枚の写真では、子どもたちが歌をうたい、遊び、踊りをおどりながら、音楽と幾何学を同時に学んでいますピタゴラスも、音楽のおかげでさまざまな数学的発見をしました。

 このように、さまざまな科目をひとつに統合することこそ、真の教育です。わたしたちは、文学、地理学、数学、化学、物理学というように、あらゆる教科を分類します。それぞれを学び、知識を得ても、この世界は何のためにできているか、わたしたちはこの世で何をしているのか、わたしたちはいったい何者なのかは、本当に知ることはできません。わたしたちは森羅万象を解き明かしたいと強く願っていますが、そのためには物事を分類するのではなく、総合しなければなりません。世の中に優秀な専門家は大勢います。すぐれた建築家で建築に関しては詳しいけれど、人生について、人はどう生きるべきかについては何も知らないような人もいます。それがいまのわたしたちです。知識はたくさんあるのに、まったくもって無知なのです。

・・・わたしの人生に大きな影響を与えたある事件の話をさせてください。基礎中等教育課程を終えた、14歳のときのことです。わたしが良い成績を取ったことを喜んだ父が「大人になったら何になりたい?」と尋ねました。子どもだったわたしは、無邪気に「レオナルド・ダ・ヴインチ!」と答えました。それは祝日の前夜で、父と、エンジニアのおじと、中学教師をしているおじの友人がいたのですが、たちまち全員から頭ごなしに説教されました。わたしの大志など、誰も理解してくれませんでした。彼らはわたしに、現代社会で直接役に立つ専門性を磨いてほしいと考えていたのです。つまり、日進月歩の現代科学は、総合的な知識などは必要としていない、というわけです。

 芸術家と科学者はけっして相容れないものではなく、むしろ手を携えて、この世界とは何かを探るべきだと思います。そういう視点が現代には欠けています。天から授けられたあらゆる素材を試さなければなりません。すべてを100パーセント利用できれば、世界は変わるかもしれない。わたしたちはまだ、天恵のごく一部しか使っていないのです。ガウディは最大限にそれを追求しました。最大限の力を得、最大限の美を実現するために、最善を尽くそうとしていたのです。

 ■外尾悦郎の遍歴

1978
聖家族購罪教会(サグラダ・ファミリア)で彫刻家として働きはじめる。
「大窓の果実彫刻の模型」
「動く人休彫刻の模型」

1979
「大窓の職人の紋章の模型」
「受難のファサード/10体の長老の模型」

1980
「受難のファサード/階段室ピナクルの彫刻」

1981
カタルーニヤ州初級職業専門学校の教官に就任。
「大窓の果実の彫刻」

1982−1983
「ロザリオの問」(修復)

1984
「生誕のファサード/ハープの天使像」

1985
現天皇陛下、サグラダ・ファミリア御訪問。外尾が案内。
「生誕のファサード/ファゴットの天使像」
「ナシミュント」(静岡県賀茂郡松崎町/伊豆の長八美術館)

1986
「大窓の職人の紋章」

1987
「生誕のファサード/ヴァイオリンの天使像」
「永遠の種」「立ち上がる少年」(福岡県立福岡高等学校)

1988
「生誕のファサード/シターの天使像」
「老人と子ども」(静岡県賀茂郡松崎町/伊豆の長八美術館)

1989
「生誕のファサード/ドゥルサイナの天使像」
「生誕のファサード/タンバリンの天使像」

1990
「生誕のファサード/子どもたちの合唱隊・等身大模型」

1991
カネット・デ・マール日本センター副所長就任。
「生誕のファサード/ペリカン像」
「ドメネタ・イ・ムンタネ一美術館の彫刻を修復」

1992
皇太子殿下バルセロナ訪問。外尾が案内。
「大窓の果実」

1993
「松の実」(福岡ドーム前に設置)

1995−1996
「大窓の果実」

1997
この年から、果実の彫刻にモザイクを貼りはじめる。
「パティオ・五大」(福岡県立福岡高等学校に設置)

1998
福岡とカタルーニヤの文化交流に従事。

1999
「生誕のファサード/子どもたちの合唱隊像」

2000
生誕のファサード/扉ロブロジュクトの担当者に指名される。
「生誕のファサード」完成

2001
「聖ヨハネの塔の雨樋」

2002
「聖マタイの塔の雨樋」
「聖体頂上の葡萄の房」(原寸大模型)

2003
「モザイクを貼った葡萄の房」
「『編み物をする天使』のモニュメント」(スペイン/カタルーニヤ州アレンジ・デ・ムント市)

2004
「ルイ・ヴィトン創業150周年記念モニュメント」(スペイン/バルセロナ市
パルベラ・デル・パレス)
「聖ホセマリア・エスクリバー像」(模型)

2005
「聖休・麦の穂とパン像」(原寸大模型)

2006
「聖体像」

■著書

『バルセロナ石彫り修行』『バルセロナにおいでよ』(以上、筑摩書房)、『夢は
石の中に』ゼネラルアサヒ出版、『ガウディの伝言』(光文社)、『Espiritude
piedra(石の精神)』Lladrd(リヤドロ社。スペイン語)、『Dallapietraal
Maestro(石からマエストロへ)』Cantagalli(カンタガッリ社。イタリア語。
スペイン語にも翻訳された)。

■その他

執筆、講演多数。福岡県文化賞受賞(2002年)。リヤドロ・アートスピリッツ
賞受賞(2002年)。日本国外務大臣表彰受賞(2008年)。国際カトリック文化
賞ゴールドメダル受賞(2011年)。