猪山直之(加賀藩御算用者)

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 『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』(ぶしのかけいぼ 「かがはんごさんようもの」のばくまついしん)は、2003年(平成15年)に新潮新書で発刊された歴史学者磯田道史の著書。一般向けの教養書で、ドキュメンタリー的なノンフィクションであるが、2010年(平成22年)にこれを原作として映画『武士の家計簿』が製作されている。

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■映画内容

 加賀藩御算用者猪山家8代目。初登場の時は御算用方見習い、後に御算用方となって天才的な算盤遣いを揶揄されて同僚からは「算盤馬鹿」と呼ばれた。父と共に御蔵米勘定役を勤めた際、蔵米を巡る藩の不正を上司に訴えるが揉み潰され、婚姻直後に能登輪島への転任を命じられる。しかし、直後に起きた一揆(安政の泣き一揆)により不正が発覚。藩の目付が御算用方に手入れに入り、不正に関わった藩士が処罰されるに至る。後に重臣の奥村に唯一不正を暴いた功績が認められて、藩主前田斉泰の側仕え(御次執筆役)に抜擢される。しかし、次は猪山家の家計が火の車であることを知ると嫡男成之の4歳を祝う宴に出す鯛が買えずに紙に鯛の絵を書いた睨み鯛で難を逃れ、恥だと不満を漏らす両親に借用書を叩きつけて現状を説得。家財道具を質入れすることで質素倹約に努め、猪山家を立て直すことに成功した。また、成之に対しても厳しく教育し、算盤が扱えるようになると家計簿の記入を任せる等、将来、御算用者として恥ずかしくないように育てていくが、父の死を境にお互いの考え方が対立するようになり、成之が前田慶寧に重用されると疎遠になっていく。明治10年に軍人となった成之と再会した時はすでに病に侵されており、満足に歩けない状態であった。最後は成之に背負わされながら昔話をしながら川べりを歩いて行った。1878年(明治11年)歿。