時間地図の試み-1

■ダイヤグラム

■変幻自在、可変性にとむ「東京画廊カタログ」Kohei_Sugiura

◉1961年に始まる「東京画廊カタログ」デザイン。013-1

一般のカタログが冊子形式の閉じたものであるのに対して、対極の発想である開かれた構成を基本とし、さまざまに変化する形が作られつづけた。

多種多様な新素材を駆使し、複雑な裁ちと祈りを組みあわせ、打抜き加工を施し、数枚の異なるシートを交ぜあわせ、異なる印刷方式を多用して一体化される。変幻自在な「可変性」への探究である。

◉数多いカタログデザインの中の一つの例、たとえば1962年の「4人の作曲」展は、作曲家の新作を集めた、日本で最初のグラフィックスコアの展覧会。東京画廊が主催し、黛敏郎、武満徹、一柳慧、高橋悠治の4人の作曲家が参加した。カタログは和紙、トレーシングペーパー、コート紙などに刷られた新作楽譜のはかに、厚紙に穴をあけ、その中央に糸で円盤を浮かせ、息を吹きかけると回転する・‥という仕掛けをもつ作品、武満徹+杉浦による「コロナ」が加えられた。

■変幻する普の磁場、「図形楽譜」の試み・・・

◉1962年、杉浦は、作曲家武満徹と恊働し、色と形が干渉し響きあう「不確定性楽譜」、「コロナ」と題する2つの作品を作りあげた。

【ピアニストのためのコロナ】1962013

この曲を演奏するピアニストは、色と形に敏感でなければならない」…(作曲家ノート)

◉5色の正方形の色紙と、その上に記された二重の環(太陽コロナ、あるいは唇の輪を連想させる)。正方形の色紙には、一筋の切込みがあり、それを媒介にして、幾枚かの紙を好みに応じて組みあわせ、自由に回転させる。

◉二重の輸の内・外に記された記号は色紙ごとに異なり、「抑揚」「イントネーション」「アーティキュレーション」「表現」「会話」への音の探究を暗示する。

色紙を組みあわせ、紙の回転を工夫して、相互関係を変化させ、さまざまな音の出会いを生みだす、可変的楽譜。「形と色彩への繊細な配慮」が不可欠となる

【弦楽合奏のためのコロナ】1962

◉正方形の3枚の透明フイルムには、太陽コロナを思わせる、黄・赤・青のデカルコマニー・パターンが一色ずつ刷られている。弦楽奏者の感性が選びとる自由な色の重ねあわせ、回転による変容が、磁気嵐のオーロラが発する音の磁場を生みだす。

◉印刷術の3原色、刷り重ねの手法にヒントをえた発想である。

| 原案・制作=武満徹+杉浦

■犬の感覚体験を図化する試み

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◉「犬地図」(1967 — 未完)は、杉浦が50代半ばに挑戦した感覚ずらしのダイアグラムで、「乱視的世界像」への最初の試みとなる作例である。

◉初めて飼った犬は、雌のダックスフント。足が短く、胴が長い。60年代当時はまだ数の少ない、もの珍しい犬だった。「彼女はいったい何を感じ、行動しているのだろう…」と思つたのが、ことの始まりであった。

◉部屋の中で犬は、心地よげに床にごろりと寝そべっている。その場所で犬と同じポーズをとると、風通しよく、まろやかな光に包まれたよき場所だとわかる。犬の眼の高さで部屋を見まわすと、人間が仕事で使う机や椅子は、座の裏側や足まわりの構造体しか見えていない。犬にとっては裏側こそが生活の場の主役であり、人間にとっての表裏の見え方・意味のあり方が大きく逆転していることに気づかされる。

人間の五感への依存度は、視覚が50%、聴覚が20%、触覚10%、嘆覚5%程度だといわれている。だが、長い鼻をもち嗅覚依存度が高い犬は、汗の匂い(酢酸)の識別に特に優れ、人間の100万倍も鋭敏であることがわかっている。昔の可聴範囲も広く、匂いと音で世界を「嗅聞」していると思われる。

◉犬が敏感に感じとる人の匂い、汗の匂いは、部屋の中では足跡の匂いとともに家具や床の上に強く染みついている。だが犬は上方空間の匂いには関心が薄い。高い場所に漂う匂いは、嗅ぐことができないからだ。多くの犬は、地面や入隅、突起物(とりわけその足まわり)、小路に染みつく匂い・‥などを嗅ぎたがる。犬の背丈レベルに点在する匂い分布にはひときわ敏感で、他の犬の体臭や尿の空間定位は、散歩の際の重要な「嘆覚的犬言語」を形成している。

犬の気持に同化する。犬の行動の変化点に気を配る…。犬地図作成のための架空の街並みを想定し、その中を散策する犬の足取りを設定してみた。この散策路のなかで犬が出会う刻々の体験・・・旬いの変化、風向きのゆらぎ、すばやく歩いたり、ゆっくり匂いを嗅いだりする歩行速度の変化、土の上・草むらなど地面のテクスチュアの変化、腹部に受ける輻射熱や周囲の音のざわめき、さらに最も気になるであろう、あちこちに印された異性の匂いづけ…などを犬の気持ちで拾いあげ、併記してみた031-1

◉犬自身が歩く道のりが形づくるトンネル状の空間と、その中を流動する感覚情報の変化。刻々と生起する感覚体験の連なりを、犬自身は内的な時間経過を軸とする一本の線上によりあわせ、記憶してゆくのではないか・・・。60年代末に中垣信夫さんの協力をえて着手した犬地図の試みは、その後、多忙にまぎれて中断され、いまだ完成していない。

■五感の饗宴・・・味覚地図に挑む・・・

◉第2の感覚ずらし、「乱視的世界像」への試みは、味覚を主題にした地図の作成である。味覚地図は、基本的なアイディアと表現を思いついたときに、「興味深いものができるだろう…」と直感した。

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「食べること」は日本人が特に強い関心をもつテーマで、料理一つひとつの味だけでなく、器の変化、素材の色どり、盛りつけ、匂いや舌触り、さらに噛む音、吸う音などが加わり混ざりあって、まさに「五感の饗宴」という趣をもつ。加えて、ここで比較する四大料理は、豊かな歴史・文化に支えられた食事観が確立されており、明瞭な差異をもつものであった。多元的な要素が関係しあい、その中に隠されていた「乱視的世界像」を取り出すことが容易であったといえるだろう。

■「多主語的を世界像」に向っで・・・

◉犬地図を感知するために、すべての感覚を研ぎすまして犬と行動を共にする・・・。これは杉浦にとって貴重な生存感覚の訓練になった。犬に限らず、鳥や魚、樹液の流れや水の滴り、光の明暗へと意識を移し、あらゆる存在の感覚に同化しようと努力する。いわば、丸ごとの生命転位体験を主題にした、思考実験を試みる。杉浦はそれを「多主語的」と呼んでいる。自然が放つ幽(かす)かな声を聞きとり、伝統文化の豊かさと今なお深く交感しつづける、アジアの人びとに教えられた思考法である。

◉たとえば、「蛹(さなぎ)が羽化した瞬間」の蝶の意識をとらえるダイアグラムを試みる。あるいは樹上に止まり、下を通過する動物の汗の匂いを待ちかまえる「ダニの気持ち」に同化する。「植物の受精過程と受精後の内的変化」を植物の気持ちになって図化してみる・‥など。「乱視的世界像」の一端にふれる、自然界の神秘を人間に伝える「多主語的ダイアグラム」が生まれうるのではないだろうか。

■事例研究

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