分析的な方法

■分析的な方法

 最初の.段階ではまず、全身全霊をあげ、対象となる現実を主観的感覚に従って知覚できるようにする。それがいかに重要か、イッテンは再三強調した。けれども、彼はまた自身の芸術的見地から、断固として第2の段階を要請した。つまり、この「主観的感性に条件づけられた状態」から踏み出し、対象の現実を、その前提であると同時にそれが向かう目的でもある「客観的法則性」の観点から究明するという段階である。その法則性のうちで何より重視されたのが、コントラストだ。それが素材研究や形態研究の基礎となる。

■素材と構造

 教育活動の全期間を通じてイッテンは、種々の素材を組み合わせたモンタージュや、精密な自然研究を行い続けた。ワイマール・バウハウスの予備課程で行われた素材モンタージュの場合、目的としてクローズアップされるのは、素材をいじりまわすうち、どの工房で用いる素材が自分にいちばん適しているのかに学生が気付く、ということだった。「学生の職業選択を容易にする。素材研究、テクスチュア研究は大いにその役に立った。短期間のうちに学生はみな、自分に語りかけてくるのはどの素材なのかを知るようになった。

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 素材研究が教室の空気をどれほど高揚させたか、予備課程の生徒のひとりが残した短い記述からも窺い知ることができる。「そこにあったのは、大きなゴミの山だった。木の板、木製の靴型、枝、それに鉄、ひん曲がった釘、紙切れ、などなど。ここから何らかの造形を作り出す、というのが授業の課題だ。なかでも、ある生徒の印象は強烈だった。彼はワイマールの街はずれまで行って、ゴミ捨て場から錆びたブリキを引っばり出し、穴を開けて、そこにいろんな色をしたビンの底をはめ込んだ。それで一種の「ステンドグラス」の出来上がり、という訳だ。彼がヨーゼフ・アルバースだった」。ものを綿密に観察し触察する。続けて、それを形態的なコントラスト効果に置き換える。そうした作業を通じて、視覚的観察力や触覚能力を拡張させること。素材研究の一般的な目的はそこにあった。「わたしのもとで学ぶ初心者は、鋭敏で正確な観察力を得る訓練のため、自然に極めて忠実な、写真のように精密な素描を、色付きのものも含め、行わねばならない。眼と手、さらには記憶力を鍛えるのだ」。

 自然の素材を用いて、様々なコントラストを含む明暗のスケールをいくつか制作したのち、学生は、自然の即物的客観性に依拠したコンポジションを試みることになる。素材に対する理解を深め、それをコントロールするための方法のひとつに、木材、樹皮、毛皮などを、生徒らがそれらの手本を見ずに記憶によって再現できるようになるまで、観察させ、手で触れさせ、素描させる、というものがあった。

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 のち、とくにクレーフェルト織物学校では、素材モンタージュのねらいは、織り目の新たな表面構造を見出すことに多分に向けられるようになった。「テキスタイルザザインの分野では、様々な紡績糸、織り方、技術的可能性によって、広大な実験的領域が拓かれた。授業の練習では、小さなサイズの素材モンタージュが制作され、続けて、その一部が直接、デザイン・スケッチを介さず実験的に布地の模様に翻案された。

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 授業での課題が織物に応用された分かりやすい例に、マッチの例がある。「頭のついたこの短い棒に、種々の操作を加える。縦・横・斜めにずらす、回転させる、鏡像化あるいはスライドさせて鏡像化する、上下をひっくり返す、交差させる、プロポーションを変えてみる、明暗や色を変化させる、といった具合に。そしてそれらのヴァリエーションをさらに組み合わせる。そのようにして、無数の図案を見つけ出すことができる」。

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 新しい構造を創案するための例として他に、例えば雪解けといった現象をその構造に従って描写できるようになるまで、花や風景を綿密に描き込んでいく、といったことも行われた。「こうした研究を通じて学生は、外界の現象をテクスチュアとして析出することにも習熟する。市場、群集、大都市、駅は、新しい種類の描写を可能にする」。

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 こうした練習の延長上に、素材モンタージュのさらなる変種が、フォトコラージュの姿をとって現われる。イッテンが新たに導入したこの方法は、触覚体験とはもはや無縁だ。クレーフェルトに新たに創立された織物平面芸術高等専門学校で、イッテンは写真部門を立ち上げ、布地の模様の開発に写真を役立てようと実験を始めた。「写真の助けを得ることで、形態観察は一気に拡大される。その利用法として、いま、ふたつのものが考えられる。

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 この写真・形態・研究を、手描きのデザインの下敷きとして、あるいは記憶の助けとして用いる、というのがひとつ。あるいは・・・こちらの可能性がわたしには実に興味深いのだが・・・撮影されたカットから、何か気になる、眼を惹く部分を切り抜き、それを編集する・・・組み合わせて並べる・・・ことで直接、新しい模様を生み出すことも可能だ。この方法を成功へと導くためには前提がある。

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 それは、写真に写された自然の断片を、抽象的に、つまり、ただ純然ぶちたる形態としてのみ、眺めることができる能力だ。一頭の[斑のある]牛の写真が、「牛」という対象としてしか見られていないうちは、その写真は模様のモチーフとしては殆ど無価値である。ところが、白黒の斑とか、形どうし関係とかが、ひとたび純然たる形態として限に映るようになると、牛の写真というこの撮影された形態コンポジションは、モチーフの宝庫に一変する。模様のデザインを行う者、織りの構造を考える者にとってそれは、新しくて独自な、見たこともないようなデザインを生み出すための尋常ならざる刺激を満載している。このようなデザインが手描きによって見出されることは決してない」。こうして、あらゆるものが、新しい構造を生むための触媒として形態的な価値をもつようになる。指紋や銀杏の葉までもが、異様な緊張をはらんだモチーフに様変わりするのである。

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 構造発見のための方法という分野においても、イッテン自身の作品と彼の教育活動との間には、明瞭な平行関係がある。バウハウスに着任する以前から、イッテンはコラージュやモンタージュに取り組んでいた。そのことは、1916年の日記の記述から分かる。「素材の探究。藁、材木、鉄、布で作った編み物を木の板に縫い付け、これら全体にある色の声調を添える。それが一面を覆う」。また、初期作品にも後期作品にも、授業での素材研究・構造研究と緊密なつながりをもつコンポジションが数多くみられる。「自然研究とはまずもって、純粋に物質的なものを研究することである。コントラスト・・・物質的なものの研究は、鋭敏にものを見る訓練となる」

 ■形態研究

 形態研究は、対象を客観的に把挺し、分析し、合理的に整理する、という明確な目的をもった方法である。それはさらに六つのカテゴリーに分類される0すなわち、形態の性質、プロポーション、形態像(form丘即)、アクセントとなる点(Abentpunkt)、空間研究、コンポジションの六つである。

■形態の性質

□○△は、形態の性質の根幹をなす5要素である」。正方形は水平一重直運動、円は循環運動、三角形は斜め方向の運動という性質を、それぞれ具えている。これらを経験するため、イッテンは再び、感覚的な体得、という方法を採る。練習を重ね、何度となく繰り返すことで、形態のもつ性質が全身に浸透するようにさせたのである。

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 それに続けて、三つの幾何学的基本形、すなわち正方形・円・三角形の性質を、客観的なコンポジションの造形に応用する、という課題が行われた。それぞれの性質に応じた制作だけでなく、各性質を組み合わせて重層化させることも試みられる。これらのヴァリエーションは、線と面に置き換えられた。「それは、簡単な例から始め、複雑な構成へと歩を進めることで、線によって構成された世界の本質を探り、その多様性を垣間見ようという探究だった。考えられるかぎりのあらゆる線もそれらが織りなす形態の性質という点から見れば、コンポジションが単純であれ複雑であれ、三つの基本形態から成り立っている。

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 つまり、正方形の性質=水平垂直運動/円の性質=循環運動/三角形の性質=斜め方向の運動、である。これら三つはおのおの、内的な統一性を保っている。方法の原点がここにある」。「構成的な形態思考は、この練習を通じて大きな力を得る。この種の練習が彫塑的、3次元的な模型制作の場に補完されれば、それは建築家にとっての黄金律となるだろう」。

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 ■プロポーション

 線の性質や正方形の性質と直接関連するものに、プロポーション研究があった。イッテンが予め、大きさの比率を示す。それに沿うように、生徒らはいくつかの面を割り出して形を作った。「線、面、立体に即してプロポーションの問題が探究された。個々の切片が比例に基づく数によって定められ、線が展開される。この一連の数値に変化が与えられることもある」。大・小、高・低、濃・淡、広・狭といった主要なコントラストを比較・対置することではじめて、大きさの比率は眼に見えるようになる94

「プロポーションについて。プロポーションの領域では、相対性という現象が最も顕著となる。1本の線をそれだけで観察しても、長くも短くもみえない。けれどもそれを小さな黒点と比べてみれば、それは黒点との対比で長い線となる。黒点が線の端に置かれるか、中央に置かれるかによっても、見え方は違ってくる。位置関係の変化に応じて、大きさの効果も変わってくるのだ。描かれる個々の部分に、また部分と全体との間に、適切に調和した、しかも表現力に富んだ比例関係をもたらすことは、芸術家の頭をしばしば悩ませる難事である。95-1

 それゆえ、同時的に作用する諸々のプロポーション効果の基となっている根本原理を、初歩的な例に即してはっきりと頭に思い描けるようにするのが良い。三つの形態要素(例えば、背の高い人物、背の低い人物、1本の木)がある。それらは互いにその位置を変えるに過ぎない。なのに、もしグループの個々の要素を覆い隠してみれば、その都度つねに驚くべき効果が得られることが分かるだろう」。95


 ■形態像

 様々な練習で、生徒は独自の新しい形態を創案しなければならなかった。そのとき、コントラストの原理は、面から非面へとわたって適用されることになる。例えば白い形態は、黒っぼい色で境界づけられることによって、はじめて輪郭を得る。ここで中心的な課題となるのは、面を別様に切り出し、新しい仕方で構成することだ。

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 ポジあるいはネガの輪郭を切り抜く、それをさらに違う色の紙に貼り付ける線の操作によって多層化する、各種の像を組み合わせる、といった手法で、形態像は生み出された。形態像の練習はイッテンにとって、面をさらに研究していくための基盤となるものだった。

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 イッテン自身の作品でこの手法が出番を得たのは、1938年(50歳)、アムステルダム市立美術館での展覧会に際し、同館の天窓を覆う巨大な《ヴェールム≫㊺を制作したときである。ここでは、色で満たされた領域を空白の面から境界づけることで、株式化された人像が躍動感を得ている。

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 ■アクセントとなる点

 「アクセントとなる点をいくつか画面にほどこすと、作品に力の緊張が生じ、観者の視線を導く筋道が生まれる。眼差しは、アクセントからアクセントヘと滑らかに移動し、それによって観者は距離感をつかむとともに、線の同時的なネットワークを体験する」。

 「点を、画中での位置、重さ、大きさ、明暗価値やコントラスト強度、指向性、それらによって生ずる形態像や線、といった観点から研究することは、たいへん重要だ。点は力の中心であり、それらが織りなす緊張関係はときとして非常に込み入っているが、造形芸術家はそれに敏感になり、それらを分析し、理解し、支配できるようになる」。97-1

 「点について。点はそれぞれ、力の中心である。その力は、作品全体の中で点が占める位置、隣り合う別の点との関係、大きさや密度などによって左右される。点は力を放射し、また凝集させる濃い色の点は凝集、明るい色の点は拡散。点をふたつ配置すると、その間には力のやり取りが生じる。それが落ち着きを欠いた苛立たしい状態だったとしたら、そのときは、片方の点を大きく強調する(専制)か、第3の点を打つ(子ども)か、両方の点を引き寄せる(それが一体となって作用するかのように)か、そのいずれかの方法によって、たやすく解決することができる。ふたつの点の間の緊張は、大きさと間隔によって定まる。極端に遠ざける、あるいは極端に近づけると、緊張は収まる」。97-2

 「課題。大きさも相互の間隔も異なる3つの点a、b、cの間の重心を求めること。この課題は、力の平行四辺形を援用して解くことができる。a、b、cのうちの2つの点を結んだ各辺をもとにして、[うつの]力の平行四辺形を描くと、そのそれぞれの重心d、e、紬号得られる。これら3点を結ぶと、力の三角形ができる。その重心は、う点a、b、Cの重心と一致する」。

 アクセントとなる点を用いて、また点同士の間に生ずる視覚的導線を用いてコンポジションを制作するほか、イッテンの授業では、集会というテーマに従ってこうした点を画面にばら撒いたり、静物に応用したり、といった課題も行われた。


 ■空間研究

 形態の問題は、彫塑的立体や、空間的ヴォリュームをもった形態を把握することを通じて、また続けて、空間的効果を2次元平面へと縮約する非物質化の作業を通じて探究された。「自然形態から芸術形態へと変成するプロセスを、非物質化と呼ぶことができる」。

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  3次元的効果を解除するためには、明暗の操作、斑紋、プロポーションの改変、物質の挿入、色彩の作用など、さまざまな手段が試された。98-1

「空間研究。

(a)基本的な形態の立体を、自然に忠実に、空間的イリュージョンをもった塊として描写する。

(b 同じ立体に彫塑的モデノングをほどこす。光と影をつけるのだが、しかし2次元平面に組み込まれた状態で描く。

  (c) 球と円筒を絵画的に造形する。

(d)彫塑的立体を、明暗および面結合によって、絵画平面に組み込む。

(e)古典的な絵画作品の空間分析。

(f) 円盤、菱形、斜線、垂直線の4要素の空間的効果。

(g)斜線、円、球、正方形の4要素の空間的効果。99

(h)彫塑的コンポジションを、絵画平面上に造形する。

(i)線、面、立体に明暗を加える。

(k)受胎告知の分析」。99 100 名称未設定-198


 ■コンポジション

 形態練習の分野では、様々な造形要素にひとつひとつ習熟していくことに加え、例えば静物などを題材として、それを線によって分析するという練習も行われた。この作業を通じて生徒は、1本の線の中に潜む表現の可能性を知ることになる。101

 「絵画を構成するということは何よりまず、平面分割とその表現力の問題である。どんな作品でも、上下、左右、そしてとりわけ中心という成分には、つねに変わることのないはっきりとした特性が具わっている」。101-1


  色は生命、色のない世界など死んでいるも同然だ・・・ヨハネスイッテン、1961年

■色彩論の成立 

 イッテンが色彩論を授業で教え始めたのは厳密に言っていつの時点だったのか、現在のところまだ確定されてはいない。とはいえ、日記の記述、[バウハウスで行われた]マイスター評議会の議事録、生徒の証言、イッテン自身の作品、そして何より生徒作品の数々から、重要な手掛りが揃ってきていることは確かだ。シュトウツトガルトでの学生時代(1913−16年)、イッテンの日記には、色彩論への集中的な取り組みが綴られている。当時、彼はアドルフ・ヘルツェルに師事し、その色彩論を熱心に学んでいた。ヘルツェルはまた、ゲーテやベツォルト、シュヴルールらの色彩論についても講じていたし、またオストヴァルトやショーペンハウアー、ほか何人もの色彩理論家の説が、彼のもと、理論的かつ実践的に鋭意研究されていた。すでにこの時期、イッテンの実験は既存の色彩論を乗り越えるものになっていた。その成果を彼は日記に書き留めている。ここでの彼の関心は主に、色彩のもたらす奥行きの効果に向けられていた。また、続くウィーン時代の日記(1916−18年)からは、彼が自身の色彩論の範囲をさらに押し広げたことが分かる。そこにはゲーテの色彩論についての卓抜した見解が記されており、シュライバーやブラントについても若干の言及がみられる。色彩と音響とのアナロジーという着想をイッテンは、作曲家ヨーゼフ・マティアス・ハウアーとの対話を通じ、徹底的に掘りさげていった。

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 イッテンのアトリエを写した1枚の写真は、シュトウツトガルトでの彼の色彩論への取り組みについて、貴重な示唆を与えてくれる。写真は1915年、オスカー.シュレンマーが彼のもとを訪ねた際に撮影されたものだ。イッテンの眼前、オルガンの上の壁面には、チェス盤の形式による色彩階層のスケールが見える。この形式は、のちの彼の色彩論で用いられるものと同じだ。厚紙で額装され、教材パネルのように掲げられたこのスケールの様子は、彼が生徒に色彩を教える仕方を彷彿させる。いずれにせよ、遅くとも1917年のウィーン以降、イッテンは、ほぼ50年後に自ら証言したとおりの仕方で授業を行っていたのだろう。「色彩の探究に際しては、わたしは一切の形式的アプローチを排した。]色彩の響きについての研究が形式的なものに陥らぬようにするため、1917年にはもう、たいていの練習にチェス盤のフォーマットを用いさせるようになっていた」。


■バウハウスでイッテンが行った色彩論の授業

 1919年(31歳)にワイマールのバウハウスヘやって来たとき、すでにイッテンが色彩理論について豊富な知識をもち、さらに、その後予備課程に組み込んでいくことになる彼独自の色彩論を温めていたことは確実である。けれども、現在までの研究では、ウィーンとワイマールでイッテンが展開した色彩論の方法と範囲について、ほとんどが未解明なままだ。例えばハヨ・デュヒティングは、予備課程が開始された当初から色彩論には大きな比重が与えられていた、と主張するものの、イッテンが授業で行った具体的な内容については何ら示していない。

 しかもその論述は、ずっと後になって出版されたイッテンの色彩論を引き合いに出して進められているため、確実性を欠いたものとなっている。プリッタ・カイザー=シュスターは、イッテンが、1920年から1921/22年の冬学期にかけてバウハウスで色彩論を講じた唯一人のマイスターであった、と確信している。

 バウハウス初期、1919年から1922年にかけて、色彩論は、明確に体系だったものとして教えられていた訳ではなかったし、練り上げられた教授法が存在していた訳でもなかった。学科規則の上では、それは「補足科目」の扱いだった。色彩論が全学生必修になるのは、1922年になってからのことである。1922年10月20日付のマイスター評議会の議事録には、イッテンを指導者として、独立した色彩課程をバウハウス内に設置したらどうか、という提案があったことが記録されている。

 すでに1922年10月4日、イッテンは文書をもって解雇を言い渡され、公の場に姿を見せずに引きこもってしまっていたにも拘わらず、である。この記録は、イッテンがマイスターとして、バウハウスの授業で彼の色彩論を、少なくとも部分的にはすでに教えており、それが学生にも受け入れられていた、という重要な示唆を含むものだと言えよう。そうでなければ何故、イッテンとグロピウスの関係がきわめて緊迫していたこの時期、こうした課題を担う人物の候補にイッテンの名があがってくるだろう?バウハウスの教育プログラムを示した図式に1923年以後イッテンが書き込みを加え、色彩論の講座を独立させた状態にして示しているものが残されているが、バウハウスで実際に色彩論のコースを新設することには、おそらくイッテンはもはや関わらなかったものと思われる。

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 1922/23年の冬学期にはパウル・クレーが、彼の「造形的形態論」という枠組みの中で、色彩論の講義を引き継いだ。その際、クレー自身も強調しているように、ルンゲが構想した色彩秩序が参照された。このルンゲの色彩論は、イッテンによってすでに1921年、カラー・スターFarbsternと、それに附随する色調階層のスケールによってバウハウスに導入され、おそらく講じられてもいた。イッテンのカラー・スターは、ルンゲの色彩球を平面に投影したものである。これをクレーが確実に知っていたことは、バウハウスの理念と構成を模式化して1922年に彼が描いた図から読み取れる。そこで彼は、意図的に星形の配置図を用いたのである。もっとも、クレーの図では、放射される尖った形は12個ではなく、7個になっている。クレーの講義と平行して、「非公式の色彩ゼミナール」ルートヴィヒ・ヒルシュフェルト=マックによって開かれた。これには生徒だけでなくマイスターも参加することができた。クレーとカンディンスキーも顔を出している。ヒルシェフェルト=マックはもともとイッテンの生徒であり、このゼミナールも、ある程度はイッテンの理論に依拠しているものと推測される。イッテンの方はと言えば、この時点で、自身の色彩論をさらに展開させていた。というのは、バウハウスを去った後まもなく、ヘルリベルクのマスダスナン教区に「存在(オントス)工房」を設立した彼は、それに附属する芸術学校にすぐさま「色彩講座」を導入したからだ。さて、ブルーノ・アドラーの編集により1921年に出版された「ユートピア」は、さらなる例証を提供してくれる。この本には、上述した12のカラー・スターが、18色による別刷り付録として収められていた。

 読者はこれを眼の前に置いて練習することができたのである。星型の表現は、ルンゲによる3次元の色彩球をイッテンが2次元に変換した結果生じたものなのだが、その際、球の赤道の部分は、カラー・スターでは中心から3番目の円環の部分に置き換えられた。この円環にはすでに、のちに有名になるイッテンの12色相環と同じものが見られる。平面に投影された球、色彩に体系的に取り組むためのこの重要な足掛かりを、イッテンは授業でも用いたのだろう。

 「このカラー・スターを、わたしは1921年に編み出した。これはバウハウスでのわたしの色彩論の基礎となった」。イッテンは制作着をまとった自身の姿を、いみじくも、額装されたこのカラー・スターを背景として写真に撮らせているが、これは決して偶然ではない。当時のイッテンの手紙には、自ら「色彩芸術のマイスター」と署名したものがある。

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 おそらくはこの写真もまた、そうした演出を意図したものだったのだろう。

 素描≪色立体、帯による立体化》を見ると、イッテンがすでに1919/20年の時点で、球体という視覚的モデルを用いて色彩理論を教えていたことが分かる。暖色から寒色へ、白の極から灰色の球体内部を抜けて黒の極へ、あるいは球の表面上の、明度を同じくした切片を通って補色の区域へ。そうしたいくつかの可能性がここでは示されている。同様のモデルは、のちにイッテンが出版した色彩論にも含まれることになる。105

 1921/22年、長男の誕生後にイッテンが描いた《子どもの肖像》は、色彩理論への取り組みを反映した作品だ。絵の前景、下端右には色立体が転がっており、また子どもの右、積み重ねられた立方体のうち、こちら側に面を向けた2段目のものには、色彩論が図示されている。そこには、大きな正方形の中に小さな正方形が色相環の順序に従ってはめ込まれ、さらにそれに取り囲まれて、中央には赤・青・黄のう原色と白の、四つの正方形が収まっている。絵の上端では、マスダスナンの星が、イッテンの宗教的信条を示す。子どもは左手に小さな立方体を持っており、その三つの面が別々の色で塗り分けられているのが見える。立方体のう辺を真上から見下ろす、という幾何学的な描写は、イッテンがのちにべルリンで行った、3色の響きによる色彩和音法の練習にも共通して認められるものだ。この描写は、彼が和音法の練習をすでにワイマールでも実施していたことの間接証拠なのだろうか?

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