ジャン・ヘルプ-2

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■トルソ・葉 Torse−Feuille 1963年

 「私の彫刻はトルソなのだ。この垂直線が気に入っているし、私にインスピレーションを与えてくれる。それはひとつの詩的なテーマなのだ。私の彫刻は・線によってひとつの詩に結ばれる。」・・・アルプの晩年の言葉である。人間の胴体をモチーフとするトルソは、アルプの彫刻芸術の核をなす重要な主題だが、1960年前後から、それまでの豊かな量感をたたえる肉感的な作風に加え,垂直線を基調とするすらりとした立像様の表現が目につくようになる。今回の出品作の中でも「植物のトルソ」〔No・35〕が一連の立像形トルソのヴァリアント(勇気)として挙げられよう。水平方向への展開を断たれ、ヴォリュームを削ぎ落とされたこれらの柱状形態が、アルプの言う自然の中に同化されるには、空間との界面を隈取る輪郭線の生命感がまず第一に問われることになる。アルプの線に対する感性は・平板を自在な曲線で切りぬいて創るレリーフの仕事を見れば瞭然であろう。前掲の作家の言葉は・版画・コラージュ,レリーフ・彫刻と多彩な表現を繰り広ろげたこの芸術家の造形の基本が「線」であることを伝えている。

 一本の垂直線を軸に・三つの塊からなる単純なモデリングを施しただけのこの作品にあって,シンメトリカルなシルエットを生む振幅の小さな輪郭線のもつ意味は大きい。強,弱,強と変化する曲線は、まるで自然が奏でる音楽の一小節を聴くようである。そして,象徴的な普遍性を感じさせる対称形の中に,成長のリズムの反復を想像させる。H・リードは晩年のアルプの作風について,計算され尽くした簡潔な幾何学的フォルムに向うと評したが,この作品は一つの典型と言えるものであろう。シンメトリカルな構成や,作品の一部として全体のバランスを支えつつ,上部の有機的な形態と見事な対照をなす円柱の台座などに作者の緻密な計算を読みとることができよう。しかし,構成的な作風はアルプの後半生に突然出現するものではない。1916年に始まるの機関紙やポスターに載せられた木版画は・まさにシンメトリカルな幾何学形であり,同じ時期のS・トイベルとの共作には轆轤で挽いた工業製品のようなものも見られる。

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 トイベルやモンドリアンの影響も指摘されようが,晩年に再び構成的な傾向が現われるのは注目すべきである。もうひとつ・この作品の構造上の特徴を示すものとして,頭部の傾きがあげられる。同じスタイルは「三美神」〔No・56〕にもみられるが・この傾斜は作品がもつリズムの絶対性を崩すものであり,成長が決して無限に続くものではないことを予感させる。傾いた形態が暗示するもの,それは大地の重力である。自然とみごとに親和するアルプの作品には,例外なく重力の存在が感じられる。それは・機械的な精密さで単位形を反復させて上昇してゆくブランクーシの「無限柱」が,もはや地球の重力圏外にあるのと対照的である。(三上)

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■星の壷 Amphore d’Etoile 1965年

 1965年は彼の死の前年である。芸術家としての業蹟は益々高く評価され,64年のノルトラインコヴュストハーレン彫刻大賞,ピッツバーグのカーネギー貴の受賞の他,ロカルノ市から名誉市民の称号を与えられたのにつづき,この年は,ハンブルグのF・V・S基金からゲーテ賞,イタリアのヴュルッキオ金賞,ドイツ連邦共和国功労賞を受けるなど,数々の栄誉が与えられた。また各地における展覧会も盛んで,ミラノ,ニューヨークでのアルプ展,パリにおけるアルプーハンス・リヒター展,さらにダルムスクッド,ザグレブ,バーゼル,パリ,アテネ,サンパウロ,ケルン等で開催されたグループ展にも参加している。つまり1965年は,アルプ芸術の生涯の集大成がなされて来た年であるといっても過言ではなかろう。

 作品においても,これまでアルプが手がけてきた各種の要素がそれぞれに表現され,本展出品の65年作の8点を比較しても,かなりヴァラエティに富んでおり,生涯の各時期の特徴ある理念が,それぞれの中で集約され形成されているといってよいだろう。「星の壷」はアルプが抱いていた古典への想起,古代ギリシアの壷に対するイメージからのものと考えられ,その構築の明快さにおいて,他に比類を見ないものである。各単位における曲面と平面が作り出すコントラストは,さらに三つの単位の結合によって,ある種のリズムをともないながら,いっそう効果的に,ことさら構築としての印象を強めるものである。これは彼が彫刻制作の後期にきわめて重要視していた構造原則・・・諸要素を用いた構築という原則・・・が,その成果としてあらわれた意義深い作品である。一つの同じ母形態の三つの断片は,中心をなしている縦軸を基に各部分が固定的に互いに結合されている。しかしそれを構成している諸部分単位が固定的配置にありながら,形態そのものは,可変化性を直観させるという使命を負っている。可変化性は,個々の部分の操作において初めて経験されうる,結合のゆるやかな構造が仲介して得させたものであり,アルプが複数構成の原則としていた結合の課題ときわめて緊密に結びつく大きな課題で,彫刻の諸要素が回転しうるということで,その表現の可能性を高めるという芸術的な考慮のことである。 いずれにしても,「星の壷」においては,アルプの彫刻における結合と構築の理念が見事に実現されている。各個別単位の統合と,それでもなお単位の固有の価値認識と,双方が見事に端正な調和を保っているのであ。(早川二三郎・元山梨県立美術館学芸課長)

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■人間的なカップ Coupe Humaine 1965年 

 曲線的な優美なフォルムが突如切断されて強烈な面があらわれるといったスタイルは,この作品の他に、1960年の「ダフネ」〔No・49〕があげられる。垂直に近い方向に向った軸のやわらかなねじれ、全体にゆるやかな流れを持つ量の起伏・突然の切断等の構成の要素は全く同じであるが,この「人間的なカップ」の方が、起伏の強靴よる深い陰影と律動があり・それに対応させた切断面によって、強烈なコントラストをつくり出し、「ダフネⅡ」よりはるかに強い作品になっている。このような平面のもつ二次元的形態の役割は、彫刻形態の持つふっくらとした柔軟さに対するコントラストも二次元的形態を持つ絵画的鋭さによって作り出そうとするものである。

 アルプの丸彫り彫刻において,この切断による面形態は・1937年以前は全くあらわれて来ない。1937年から42年までを最初として、その後1946年から48年までの僅かな期間を経た後,1955年以後ほ頻繁に現われて来ることになる。切断は・不完全なものへとうつる形態の切除の意味をもち,同時に空間への形態の開放につながるものである。故にこれらの平面は曲面の部分とは関連を持たず、新たな彫刻の形態を生み出すいかなる空間の統一をも形成することはないのである。

 突然の中断、応々にして直角な鋭い角による特徴付け、該当箇所における平面形態の彫刻体形態への従属、といった一般的特徴は、晩年の10年間においては、平面は切断の帰結として彫刻本体そのもの又は分岐した部分にもしばしば現われてくる。そしてそれは,はぼ水平の上部の遮断を形成することも時にはあるが、たいていは垂直に延びているか,先と同様上部の境界付けの場合でも垂直方向へ傾斜している。これは全形態の軸の屈曲に従っていると考えられる。このようにして平面はその全体性において明確なものとなり、その平面性と彫刻的(立体的)部分の湾曲部とのコントラストは可能なかぎりに大きな強化を獲得することになるのである。「人間的なカップ」は、このようなアルプの切断が最も効果的にあらわれている一つの典型である。

上方へ向ってうねりながら伸びていくフォルムは、上面の二つの角度からの切断で完全にくい止められている。二つの切断面の接線は直線となり、同時に面の輪郭が曲線になることを拒否し,その強固な意志をつげている。細い下部・曲面によって切断された中央部,それに対応して存在する突出部の量感,さらに上部の切断面へと,上方へ向うにしたがって,より強烈な印象をともなってくる。全体の不安定感も,その切断の意志によって,限界ぎりぎりのバランスとなって目に映るのである。(早川)

 

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 ■陽気なトルソ Torse Enjou 1965年

 アルプの場合立っている人間は,晩年においては主として柱状に把えられている。本展におけるトルソでは,この作品の他に,1959年作の「植物のトルソ」〔No.35〕,1963年作の「トルソ・葉」〔No.65〕があげられるが,これらは何れも垂直の軸を基準として造形されたものである。

 アルプの形態配列や構築を考えるとき,軸の問題はきわめて重要な意味をもつものである。一つは運動性のある軸の流れであり,もう一つは実直な軸の方向である。前者はさらに,二面にあるいは一面に向っての湾曲,分岐,屈曲(うねり),転換等,それぞれの彫刻のムーヴマンを決定づけ,アルプ造形の主流をなしているものである。真直な軸の方向は,1947年以後の創作段階にあらわれてくる。この原理は,前者の軸の関係と対立している。主軸は決して,空間的なねじれや屈折を受けず,形態は主軸の周囲に対称的に配列されてくることになる「トルソー葉」はその典型例であるといえよう。アルプは,このような垂直主軸と形態対称性を非常に扱いにくい造形原理であると考えていたが,自然の法則に従った人体構造の原理としての対称性ということをふまえて,彼の人間表現の中に採り入れたものである。「植物のトルソ」は,そのゆるやかな起伏の曲面によって,人体のフォルムを最もよくとどめている一つの作例である。

 「陽気なトルソ」の場合は,このような中心の垂直軸,人体の対称性を意識しながらも,大胆な形態の構築性によって,全く趣きの異なった強烈な個を主張する作品になっている。その理由の一つは,全体としては上下の軸を中心にするが,個々の形態の方向性や重心が,必ずしも軸との相関関係において一致していないということである。これは主軸を中心とした対称性の造形においては,構築内部の個別形の等価性,求心性のゆえにあまりにも完結した様相を呈してしまう。この作品では中心軸の他に,個々の形態から生ずる方向扱が,何本も軸と交叉しているような動感を持ち,ある意味での完結性を否定しようと作用しているのである。理由の二つめは,垂直に構築されたそれぞれの形態の変化性である。アルプはこれまで数多くの作品において使用した形態要素を大胆に構築した。流動感あふれる曲面を持つ頭部からいきなり切断された直線幾何形の胸部に移り,下部に尖部を持つ球形へと続き,それは,斜めに大きな切断面を持つ逆円錐形の脚部へ結合される。個々の部分は相互にひきあい強烈なコントラストをつくり出している。このような諸々の要素が共存するトルソの作例はこれまでになく,最晩年に至って,さらに新しい人間の形態を作り出そうとした,アルプの激しい情熱がうかがえる作品である。   (早川)

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■魅惑の巣 Nid Enchanteur 1965年

 アルプの死の前年であるこの1965年にも,彼は数多くの作品を制作した。「敷居の上のオブジェ」〔Trier332〕・ストラスプールの広場のための「ロダンへのオマージュ」〔Trier341〕の制作,またオランダのハーグの公共広場へ「地平線を探りながら」〔Trier314A〕の設置・さらに「光の新芽」〔Trier347〕・「若い大陸」〔Trier350〕の制作等・意欲的に活動を展開している。

 この作品「魅惑の巣」は,これらの彫刻群の中でも・おそらく最後に属するものと考えられる。おだやかなふくらみを持っ輪形態の中に、はどよいバランスを持った空間・さらに空間に包まれるようにしておかれた核形態の存在と、やすらかな安堵感さえ覚えるのである。巣は同時に母の胎内であり、核の存在は実はアルプ自身の投影とも考えられる。生命の暗示と死の予感とが同時にみえる,アルプ最後の時期の最も美しい作品の一つである。彫刻体をポジティブな形態とネガティプな形態によって形成するというアルプ自身の課題は,空間を彫刻結合の一つの構成要素とし、彫刻の塊と対立する空間に一つの定まった形を持たせ,「空」を「形態」として認識させるまでに至った。このような塊と空間の関係を形態上の問題として提示し、それを克服したことは・20世紀第一級の芸術家の一人としてのアルプの・最も重要な業績であった。

 塊と空の対馳当初レリーフの分野で重要な役割をもっていたが,形態的に独立した空白は15年間もレリーフの中間領域としてとどまっていた。丸彫り彫刻の中に塊と空白との関係があらわれるのは1929−30年頃であるが,その空間の編入はレリーフより小さく,その後においても自然の空隙として,また固有の形を持つ場合でも、塊の従属的な位置しか持っていなかった。

 塊と空間の容積の共演が本格的に見られるのは,1936年以後となる。彫刻の構成は円に基づいて・多くの緊密な部分形態の中にある中心空間は、それらの諸形態に匹敵する重要な要素として存在してくる。そして彫刻のどの方向から眺めても決定的な要因となってくる。アルプはこの空間を取り囲む輪形態の単調な外観を防ぐため、互いに向かい合った形態の強度を異ならせ,厚さからうすさへ、ふくらみからくぼみへと変化性を持たせた。塊と空間との関係は・輪形態の彫刻へ配分される比率に応じてさまざまであるが,純粋にその広がりから言えば,巧みなバランスが保たれている。「魅惑の巣」は、アルプのこの原則に基づいて制作された作品で,形態言語の構造の中にみられる彫刻の核心性が最も良く表現されたものである。(早川)