レクイエム・森村泰昌

■レクイエム・美術家・森村泰昌

 1980年代から一貫して名画の登場人物や映画女優などに自らが扮するセルフポートレイトを手がけてきた美術家・森村泰昌。本展「森村泰昌:なにものかへのレクイエムー戦場の頂上の芸術」では、日本の現代美術を代表する森村泰昌の新作シリーズ〈なにものかへのレクイエム〉完全版をご紹介している。

 「20世紀の男たち」をテーマとする〈なにものかへのレクイエム〉は、男たちが建設し、戦い、破壊してきた20世紀の歴史と意味を検証するものである。森村は2006年にシリーズ第一章烈火の季節」、2007年に第二章「荒ぶる神々の黄昏」を発表し、20世紀の報道写真に写し出された時代を象徴する事件や、レーニン、独裁者、ゲバラ、毛沢東、三島由紀夫といった歴史上の有名人物たちを、セルフポートレイトの手法によって現代に蘇らせてきた。本展ではこれらの作品とともに、第三章、第四章を最新作として初公開している。

 第三章創造の劇場」は、ピカソ、デュシャン、ダリ、ポロック、ウォーホルなど20世紀の男性芸術家たち10人に扮し、革新的な美を切り開いた先駆者たちとの対話を通して、彼らの人間性とその創造の魅力を新たな視点から捉え直すものである。

 第四章1945・戦場の頂上の旗」では、歴史の重要な分岐点1945年の有名な報道写真に着想を求めています。昭和天皇・マッカーサー会見、タイムズ・スクエアの終戦記念パレード、硫黄島の星条旗といった歴史の記憶をめぐり、ひとりの芸術家の感性と想像力は、戦いの時代の頂点へと挑んでいる。「あなたなら、どんな形の、どんな色の、どんな模様の旗を掲げますか?」森村の問いかけは、見る者へと投げかけられている。

 鎮魂歌(レクイ工ム)。それは過ぎ去った男たちとその時代、思想への敬意をこめて、失われていく記憶と意味を検証し21世紀に伝えようとする行為てある。新作を含む43点の写真作品・映像作品によって構成された、歴史の記憶に挑む森村泰昌の新たなセルフポートレイト表現が堪能できよう。

▶︎烈火の季節 SEASONS OF PASSION

 20世紀とはどういう時代だったのか?

 1951年生まれの森村泰昌は、歴史の記憶に挑むその探求を、自則りアルタイムで体験し、個人的記憶と結びついた、60、70年代に目を向けることから着手した。写真の時代、と言われる20世紀、政治や戦争を雛に、決定的瞬間を敵た髄額をもとに、セルフポールイトによって自らの身体を過去の歴史のなかに鯛させ、森村は20世紀を象徴する様々な「男たち」に次々と扮し、歴史に触れていくのである。

 三島由紀夫は、1970年11月25日、自らが組織した「盾の会」を率い、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自衛隊のクーデター決起を訴え演説を行った後、割腹自殺を遂げる。当時知識人や学生が一様に左派的な思考を支持するなか、三島の行動は社会の価値観を烈しく揺さぶり、青年・森村も大きな衝撃を受けた

 三島はまた自らが被写体となった細江英公の撮影による写真集「薔薇刑』〔1963年出版)で肉体に求耽美とナルシシズムを排させている。森村は三島の思想、肉体双方を強烈な20世紀のイコンとして取り上げ、芸術家附解釈を加えていく。

 三島事件に先立つ、1960年10月12日、日本社会党委員長、浅沼稲次郎が、3党自民党、民社党、社会党)党首立会脚会の行われた日比谷公会堂で、17歳の右翼の学生山口二矢(おとや)に襲われ刺殺された。その暗殺の瞬間は、カメラマン・長尾靖が一枚の写真に収め、これにより日本人として初めてピューリッツアー賞を受賞した。刺殺犯は歯磨粉で独房に「七生報国 天皇陛下万歳」の文字を残し自殺している。

 このように報道写真は20世紀を語る衝撃的な殺害、暗殺の闘を捉えてきた。同じくピューリッツアー賞受賞となった<サイゴンでの処刑》は、1968年旧正月に起きたベトコン(南べトナム解放民族戦線)によるテト攻勢の弧サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン兵士グエン・ヴァン・レムが、まさに路上で射殺されようとする場面を捉えている。

 写真は全世界に配信され、ベトナム戦争の狂気を語り伝えるイメージとなった。森村はそのシーンをデパートの建ち並ぶ日本のストリートにすり替える

 アメリカの希望を一身に担った若き大統領ジョン・F・ケネディは1963年11月22日ダラスで暗殺された。翌日、射殺犯、リー・ハーヴェイ・オズワルドも警察から移送される際、地下駐車場で射殺され、大統領暗殺の真相は謎のまま闇に葬られてしまう。

 こうした至近距離での男たちの思想と肉体のぶつかり合いを捉えた写真に、森村は芸術家としての抑を大胆にかつ自由に加え、社会的な意味の再考を私たちに促している。

▶︎荒ぶる神々の黄昏 TWILIGHT OF THE TURBULENT   GODS

 「ロシア革命」、「ファシズム」、「アメリカ」の3つを、20世紀を構成する思想的要素と解釈する森村が本章で扮するのは、強靭な精神力を持ち、急進的な信条を胸に取り憑かれたかのようにばく進し、自ら築き上げた一時代に神々しく君臨し散っていった、どこか哀れな男たちである。

 ウラジーミル・レーニン(1870−1924〕は、1917年、ロシア革命に成功し、ソビエト政権を樹立、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦を建設し、初代指導者となる01920年、モスクワの赤の広場で労働者を前にレーニンが行った演説を、森村は労働者の街、大阪・釜ヶ崎に降り立ち、不景気と高齢化のため日雇いの仕事すらない現代の元労働者を目前に行った。

 その演台横の階段こはレーニンの死後、その意思を継ぐもスターリンに破れ、亡命先のメキシコで暗殺されたレフ・トロツキー(1879−1940)の姿がある。

 アドルフ・ヒトラー(1889-1945)は、ナチスを率い、独裁政治を極め、侵略主義を推進、ドイツを全体主義国家に推し進め、ユダヤ人大虐殺を実行した人物であるが、森村は、映画「独裁者』(1940年公開〕で、チャーリー・チャップリン演じるトメニア国の独裁者ヒンケル/床屋のチャーリーとしての独裁者に扮する。

 チャップリンと森村により二重に演じられたヒトラーを通じ、エンブレムの「笑」の文字が示すように、笑いから独裁者について再考する。

 中国共産党の指導者、毛沢東(1893−1976)は、1949年に中華人民共和国の成立と同時に、中国の最高指導者として君臨するc1959年国家主席を辞任後も内外の政策を指導、1965年からの文化大革命を主導し体制に抗う思想に対して大粛清を行った。

 森村は、現在も天安門広場に掲げられ、世界中に灯られるポートレイトの毛沢東となり、世界中でのビジネスチャンスをものにし、大躍進するアメリカ寄りの現代の中国の姿に視線を向ける。

 アルゼンチン生まれのチェ・ゲバラ(1928−1967〕は、メキシコでカストロと出会い共にキューバに上陸しゲリラ戦を開始1959年キューバ革命成功後は市民権を得て国の要職を務めたが、国際的に革命闘争に別口すべく1965年キューバを離れ、アフリカ、コンゴでゲリラ戦に参加、後ボリビアヘ潜入しそこで命を落とした

 森村は過ぎ去った人や時代や思想に対する敬意を表し、それを記憶に残し、現代に、未来に受け継ぐ試みをレクイエム=鎮魂と呼び、歴史上の人物に男装して成り代わり過去との対話に臨む。

▶︎創造の劇場 THEATER OF CREATIVITY

 20世紀を芸術から顧みるべく、森村は10名の芸術家たちを選び出し、彼らに扮した個性的な風貌や独特のポーズで写真に写り、人々の記憶に焼き付いた、カリスマ創造主の姿を現代に蘇らせる。

 飽くなき探求心で次々と新しい様式に挑戦したパブロ・ピカソ(1881−1973)を、写真家ロベール・ドアノーが撮影したポートレイトに扮する森村は、ピカソの代表作の一つである、ナチス・ドイツに無差別爆撃を加えられたスペインの街を描いた〈(ゲルニカ)〉の図版を小道具として登場させた。

 ピカソ・芸術家の無邪気な素顔と戦争への抵抗を際だたせる。

 既製品をそのまま作品として発表するなど、芸術のあり方を根底から揺さぶるマルセル・デュシャン(1887−1968)は、1963年、カリフォルニアのパサディナ美術館で自作《大ガラス》を背景に、裸婦を相手にチェスをプレイするパフォーマンスを行った。

 森村が扮した二人のデュシャン男性としてのデュシャンアルクー・エゴとしてのローズ・セラヴィが対決に用いるのは、戦いが成立しないオノ・ヨーコの作品《ホワイトチェス》である。

 デュシャンとその分身を自らの身体でコピーし、森村は20世紀最大の芸術的価値の転換に成功したデュシャンヘのオマージュを捧げる

 フェルトや蜜蝋を材料とした立体作品で知られるヨーゼフ・ボイス(1921−1986)は、教育や社会活動も彫刻の一形態と見なす「社会彫刻」という概念を推し進める。黒板に文字や図を書き解説したボイスに代わり、森村版ボイスが黒板に書いたのは、岩手出身の詩人、宮沢賢治の詩のドイツ語訳である。

 人智学に傾倒し社会と芸術を結びつけようと試みたボイスを、法華経に帰依し農村指導を行いながら詩や童話を書き続けた宮沢賢治と結びつけた森村独自の解釈である。

 鉄腕アトムを産み、国民的アニメ作品を産んだ手塚治虫(1928−1989)、1960年に「空中浮遊」を行い空にダイブしたイヴ・クライン〔1928−1962)。「乳白色の肌」の女性像で人気を博した藤田嗣治(レオナール・フジタ、1886−1968)、戦艦ポチョムキンニでモンタージュ理論を確立したソビエト連邦の映画監督セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898−1948)、特徴的な髭と風貌で知られたシュルレアリスムの代表的存在サルバドール・ダリ〔1904−1989)、アクション・ペインティングという独特の技法で、戦後、アメリカアート界の寵児となったジャクソン・ポロック(1912−1956)、ポップアートの旗手アンデイ・ウォーホル(1928−1987)。森村という現代の芸術家の個人史と20世紀の美術史との闇を自由に行き来しながら、もう一つの解釈の可能性を私たちに至示する。

▶︎1945・戦場の頂上の旗 1945-A FLAG ON THE SUMMIT OF THE BATTLEFIELD

 歴史と記憶を巡る森村の探求の旅は、革命や戦争など数々の事象を彷復し、1945年へとたどり着いた。最終章では第二次世界大戦が終結し、日本で、世界で、政治や権力、社会システムが大きな変化を遂げた1945年という歴史の分岐点を、一人の芸術家として、感性と想像力によって捉えていく。

 その時アメリカでは戦勝の歓喜に沸き、ニューヨーク、タイムズスクエアで終戦記念パレードが行われ、アメリカの時代の到来を祝福していた。 ドイツ、デッサウでは写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン(1908−2004)がユダヤ人強制収容所から解放される人々にカメラを向けた。ゲシュタポヘ密告された者が死の淵から生還し、密告者は怒りの告発を受け逆に奈落に突き落とされる。

 一校の記念写真に収まる昭和天皇と連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー。二人は森村の父が大阪で営んでいた茶屋に並んでいる。日米を象徴する2役を演じ、森村は私的な記憶が詰まった場所を舞台に個人史と社会の記憶を重ねていく。

 そして1945年を語る歴史的イメージとして、硫黄島に星条旗を揚げる兵士たちの写真に森村はイマジネーションを羽ばたかせていく。

 20世紀を彩った歴史上の男たちではなく、むしろ無名の人物に光を当て、名もなき一兵卒に扮した森村は、芸術を生み出す道具を持って海辺を彷復い、よろよろと山の頂上に向かい白旗を掲げた。森村は問いかける、「あなたなら、どんな形の、どんな色の、どんな模様の旗を掲げますか」、と。

 アメリカを象徴し、森村の分身でもある女優マリリン・モンローが登場し、近代日本洋画の大作、青木繁の《海の幸》の構図が引用される映像は、幻想的なイメージが重層的に時空を超えてからみあい、アメリカと日本、男性的なるものと女性的なるもの、争いと創造といった、時に対抗し、時に補完する様々な要素に言及していく。白旗とは敗北を意味するのではなく、真っ白いカンヴァス、つまりあらゆる創造の原点であり、無垢なるもの、再生と可能性の象徴である芸術の旗」である。勝者ではなく敗者、強者ではなく弱者を輝かしていく芸術が、多くの血の流れた歴史からの再生を予感させる。

そしてラストに、森村はガンジーとなった身を守る鎧を纏わず、人を襲う武器を手にすることなく、糸車(チャルカ)をまわし辛紡ぎの布を織る非暴力・不服従であることの静かなる強さに到達する。こうして歴史へ果敢に挑み、森村は芸術的感性から担えた20世紀像を未来へ受け渡す。