垂直の時間

■木の芸術

薩摩 雅登  

 木は石とともに人間が最も早くから扱ってきた素材であろう。それ故に彫刻は、土や金属を凝固成形させる彫塑芸術よりも古い歴史を持ち、人間の生活や営みと深く関わってきた芸術といえることりわけ森林資源が豊富で、家や生活道具まで木を主体に造作してきた我が国では、古代から中世までの彫刻芸術の主流は木彫であった。

 近世には木彫芸術が停滞したようにみえるが、それは浄土思想や禅宗の影響で仏教芸術が多様化し、また、国家規模の寺院造営が減少した結果で、伝統的な木彫技術そのものは奈良仏師や江戸仏師によって連綿と伝承されていた。われわれはその系譜を明治時代の高村光雲、竹内久一、山田鬼斎などに確実に見て取ることが出来る。

 この点は、日本と同じく中世に優れた木彫芸術を有していたアルプス以北のヨーロッパで、近世以降はプロテスタンティズムの普及によって礼拝像の必要がなくなり、時には意識的な破壊もあって、木彫祭壇なとの制作技術が急速に衰退した事象とは、状況が大きく異なる。

 明治以降の日本近代彫刻は、江戸時代までの伝統上に一元的に成立したものではなく、西洋美術・西洋彫刻との葛藤の上に展開した。ロダンに感化された高村光太郎、三脚コンパスを使用した「星取り」を木彫に実験した米原雲海、「刻」技法で「塑」の質感を表現しようと試みた山崎朝雲なとがその先駆者で、彼らに続く平櫛田中、橋本平八などは、日本近代具象彫刻をついに大成できなかった戦前の日本において、出色の存在といえよう。

 もの派とインスタレーション系の芸術を経験した今日の美術にあって、彫刻もまた新たな展開を迫られており、「空間構成」が大きな造形要素になったことは否定できない。

 しかし木彫の本質は、木を切り、彫り、削り、組み、時には彩色するという、生活に密着した造形行為にある。木という素材ま柔らかくて扱いやすそうで、実は粘性や方向性に意外な自己主張を持つ。原初的ともいえる造形行為の中で、木の自我と作家の個性が調和したときにのみ優れた木彫芸術が生まれることは、古今東西を通じて不変のようである。

■彫刻の時間−ハードとソフト

佐藤 道信 

「歴史」ではなく「垂直の時間」、企画の意図が窺われる展覧会タイトルだ。各時代に画定された史実とその集積としての体系 ′′ハード′ をたどるのではなく、時代や時間をこえて貫流、連続、断絶、復活、再生、新生する感性や理念 (ソフト)を探ることで、未来を展望しようということだろう。

 古代はほぼ仏像、近代は人間像、現代は具象、抽象、コンセプチュアル、ネオ・ポップ的なものへと一気に多様化している。ここには、主題(〜19世紀中頃)から造形表現(19世紀後半〜)、認識論(20世紀)へという、美術の基本テーマの時代変遷の反映も読みとれる。

 洋の東西で多少の違いはあるが、美術の主題はほぼ初め宗教、次いで歴史・風景・肖像・風俗といった史的展開をとげてきた。中でも宗教美術において彫刻は、神の姿を直接造形化するメディアとして、絵画とともに特別な位置を占めてきた。人間は神の似姿(にすがた)として作られたという理念的前提のある西洋では、美術の表象が神から人間の物語へと移行しても、モニュメンタリティは保持されており、おそらくこれが、ヨーロッパ美術の中で彫刻と絵画が上位ジャンルとされた理由でもあった。

 しかし一方日本では、もともと自然崇拝的な信仰がベースにあったため、平安期の神仏習合や鎌倉期の実践仏教の登場以降、彫刻の偶像性や象徴機能は後退していく。室町から江戸のこの時代は、極論すれは山水花鳥をメインモチーフとする絵画と工芸の時代であり、江戸期の彫刻は、実際にはなお数多く作られた仏像以上に、彫物・置物・細工物・人形といった、むしろ生活の中に需要を見出していた。こうした美術は、西洋彫刻の移植に始まり、人間像中心の新たな造形の創出をめざした近代彫刻の中では、「彫刻」からはずれ、おおむね玩具や人形・装飾品として、遊びと生活の中に生き残る。そしてその日本近代彫刻での重要テーマは、対西洋・国家・社会・個に対する意識と表現としての写実だった。

 ところが一方、大量生産・消費社会が実現する20世紀においては、人々の意識と生活が、かつての神や自然よりモノや都市社会によって規定されるようになったため、美術の表現も、まったく新たな局面を迎えることになった。

 人や自然を幾何学的に捉えたピカソやセザンヌらの造形表現、産業社会を反映した機会美術など、人間・自然・社会への意識再編が、既存のジャンルをこえた美術表現として行なわれるようになり、それは日本でも行なわれた。

 こうした動きは戦後さらに加速し、物理学や生命科学の認識論を導入し、時間・空間・重力・形態・生命・DNA・リズム・書などを造形化したもの、反芸術やモノ派など社会的制度を問うもの、ポップアートなど大量メディア社会を体現したもの、自然に場を求めたランドアート、人間の純粋思念を造形化したコンセプチュアルアートなど、一気に多様化する。

 しかしその多様性も、大量生産の物質社会における人間のアイデンティティーを問い続けている点では、まさに20世紀のクローバルシステムとしての共通性を持っており地域性や民族性の違いは逆に薄まっている。その傾向は、コンピューターの登場による物質社会から情報社会への移行によって、さらに強まっている。