3.11以後の建築

■3.11以後の建築

五十嵐太郎  

▶︎3.11以後の建築に寄せて

 東日本大震災では、海辺の多くのまちが激しく破壊され、未曾有の原発事故は現在に至るまで立入りさえ困難なエリアを生み出した。これまでは災害の後構造を強化したり、不燃化を促進したり、耐震の基準が高くなったりしてきたが、今回は建築界において社会との繋がりが大きく注目されるようになったことが特筆される。むろん、こうした動きは漬手な造形のポストモダン建築が花開いたバブル経済の崩壊後から、また日本の社会が少子高齢化に向かう中で、少しずつ起きていたことだが、それが顕在化した。震災はわれわれが考えるべき課題を前倒しにしたのである。大金をかけて、もっと強いハードをつくるだけでは、津波や地震に対抗できない。人と人の繋がり、あるいはまちと人の関係といったソフト面からのアプローチが重視されているのだ。これに伴い、かたちから関係性のデザインヘと、建築家の役割も変化している。「3.11以後の建築」展は、そうした新しい活動に焦点を当てる。

山崎亮  

 住宅や公共施設が足りない時代には、「何のたにつくるか」を改めて考える必要がなかった。しかし、それらが余る時代になると悩ましい。「足りているのになぜつくるのか」ということになる。特に、空き家や空き地が増え続ける地方にぉいては、建築の力を何に活かすべきか探らざるを得ない。だからだろうか、地方に興味深い建築の実践が多く見られる。これまでなら建築の範疇ではないと考えられてきたことに取り組む建築家たちがいる。こうした実践は、「どうデザインするか」よりも「何をデザインするか」を考えることから生まれていると言えよう。東北地方はまさにそんな場所だった。だからこそ、東日本大震災以後に「何をデザインするか」を改めて考え、実践する必要があったのだ。無邪気に「どうデザインするか」だけを考えるわけにはいかない地域だったのである。金沢もまた全国の地方と同じく現実に即した建築の役割が求められている地域である。「3・11似後の建築」について金沢での実践に照らし合わせながら考えてみたい。

■みんなの家

 「みんなの家」は、5人の建築家が結成した「帰心の会」が提唱したプロジェクトで、伊東豊雄、妹島和世、山本理顕が中心となって活動を進めています。自治体の復興計画とは別に、被災した人々が集まり、今後のまちの復興や自分たちのこれからの生活を築くための拠点として、各地につくられています。これは震災後の“はじまりの建築”と言えます。

 この運動に共感し、世界各地の建築家、建築を志す学生、子どもらもスケッチを寄せています。実物としては、2011年10月に竣工した仙台市の「みんなの家」を皮切りに、これまでに被災各地につくられました。とくに陸前高田の「みんなの家」は、伊東、乾久美子、藤本壮介、平田晃久、写真家の畠山直哉が協働がら実現したもので、「第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」での設計プロセスを展示し、日本館は最高賞にあたるパヴィリオン賞(金獅子賞)を獲得しました。(五十嵐太郎)


■エネルギーを考える

 20世紀前半に勃興したモダニズムは、エネルギーを大量に消費する社会を前提としていました。しかし、1972年に「成長の限界」が報告されたように、20世紀末からは地球資源の有限性が意識されるようになり、近年は建築の分野でもエコロジーやサステイナブル(持続可能性)のデザインが重要視されています。また東日本大震災が誘発した原発の事故は、日本のエネルギーに対する考え方に大きな影響を与えました。

 「みかんぐみ」竹内昌義は、エコハウスの試みと同時に、3.11を受けて、エネルギーの視点から原発の問題を考える著作を刊行しています。これは建築界から原発事故への数少ない応答と言えるでしょう。「日建設計」は、コンピュータを使うBIMによる設計を通じて、都心の大規模建築を悪者とせず、そのサイズならではの環境へのポジティブな関与を行いました。

 「逃げ地図」も、同じシミュレーションの技術を基にした試みです。また三分一博志は、空気や水の動きも建築の大切な要素と捉えながら、地球の一部として建築を構想しています。(五十嵐太郎)

 筆者が注目し、研究しているのは、建築とエネルギーの関係である。2011年3月11日までは、明確な関係があるとは思えなかったが、あの日からその考えは一変する。震災後、3年経った現在でも14万人が故郷に帰れず、復旧の目処が立たない福島第一原子力発電所の事故は、チェルノブイリの規模を超え、日本は国土の3%を失った現在も放射性物質は放出され、汚染が続いている。安全対策や避難対策が十分ではなかったことや事故後の政府の対応を含め、このような過酷事故(シビアアクシデント)を起こす原子力発電所は安全ではないと思う。

▶︎建築とエネルギーの関係

 さて、その原子力発電と建築はどう関係しているのか。実は、日本で消費されるエネルギーの34%は建築物が消費している。こと電力に至っては送電力の55%以上を建築が使っている。なのに効率のよい使い方をしていない。住宅におけるエネルギーのうちの2/3、(さらにその内訳は、家電1/3、給湯1/3、暖房1/3と言われる)は熱需要にもかかわらず、高価な電気を使っている。これは電力需要を増やしたい電力会社のキャンペーンと一致する。日本のエネルギー自給率はわずか4%。経済的な安定からしても、国際的な安全保障の枠組みで考えても、これでいいはずがない。エネルギーをどう使うか、どうつくるかには国民のコンセンサスが基本的に必要だ。それが現在のところ、日本ではなされていない。

 日本では、震災後、電気の節約の気運が高まって、電力の消費量が約15%程度抑えられた。その量はちょうど原子力発電で賄(まかな)っていた量である。人の意識が働くと、その程度は節電できてしまうのだ。現在、世間で節電が要請されないのは、このためであろうか。一歩進んで、私たち自身がエネルギーの消費量を抑えた生活をすることで、国のエネルギー政策に影響を及ぼすことができるかもしれない。その点で、建築に関係する人たち(私も含めて)は、エネルギーに対してもっと敏感になる必要がある。

 また、単純に日本の家は建築的に寒過ぎるという問題がある。建築による寒さが、ヒートショックを引き起こし、年間1万7千人以上が亡くなっている。また、高血圧、冷え症、不妊症など様々な健康的な被害が引き起こされている。これらはすべて、建築の問題なのだ。

▶︎消費よりつくりだすエネルギーのほうが多い家

 さて、これらの活動は、建築デザインを本学(東北芸術工科大学)で教える馬場正尊をはじめ、ランドスケープ、建築構法、エネルギーなどの学科の教員と共に『未来の住宅 カーボンニュートラルハウスの教科書』(バジリコ、2009)を書いたことから始まる。本書では、地域の木材を利用し、林業から建設まで含めた大きな循環の中で、アウトプットとしての木造住宅、およびエネルギーをできるだけ抑えた住宅の可能性を著した。ひとことで言うと、本の帯にある「本当にエコな家はどんな姿をしているのか? 追い求めた結果はシンプルな木造住宅だった」ということに尽きる。小さな経済と林業や住宅産業をセットにした考え方(下図)だが、地域にとっても悪い話ではない。

 山形県が環境省の補助を受け、環境省エコハウスモデル事業の一環として、東北芸術工科大学と連携し建設した「山形エコハウス」の建設は、この本の発売と同時に始まり、2010年3月に完成した。南からの日射を最大限に採れるように、庇の長さを調整した。また、重力換気を促すために、天窓の面積のシミュレーションを行った。

 その結果、夏には日射を入れず、冬には日射を取り込む。また、窓を閉め切らない中間期(季節)には、室内に上昇気流が発生し、そよ風が流れる家となった。

 森を中心とした循環・・・森の資源を活かし、それを産業化していく。木は製材になり、住宅をつくる。それが価値を生んで森に利益をもたらす。製材の過程で発生した廃棄物は薪として、直垂的なエネルギーとなることで、資本を地域外に流出させない。