デューラー-1

 アルブレヒト・デューラー(ドイツ語: Albrecht Dürer, 1471年5月21日 – 1528年4月6日)は、ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。同名の父・アルブレヒトは、ハンガリーからニュルンベルクに移住してきた金銀細工師。

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ニュルンベルクへの帰郷(1495-1505)

 1495年にニュルンベルクに戻ったデューラーは、自身の作業場を持った。結婚したのは作業場が必要だったからであった。帰郷後5年間で、彼は潜在的な北部様式にイタリアで得たものを統合した。その後の10年間にデューラーは両親を共に失っている。父は1502年に、母は1514年に亡くなった。作業場での彼の初期の優れた作品は木版印刷で、特に宗教的なものであった。しかし1496年頃描かれた”The Mens’ Bath-house”のような平信徒の描写も含んでいた。これらはそれまでのドイツ木版画の大多数よりも大きく、より複雑で比率のバランスが取れていた。

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 デューラー自身がすべての木版を彫ったとは考えづらい。この作業は専門の職人が行ったものであろう。しかし、彼はヴォルゲムートのアトリエでの修行時に、多くの祭壇彫刻や祭壇画を造り、木版用のデザインと彫刻の両方を行い、創作に必要な技術が何であるかと、木材彫刻士との作業の仕方を理解した。デューラーは木材に直接デザインを描くか、紙に書いたものを木材に接着させた。どちらにしても、木材を彫るときに、設計図は壊された。彼の有名な『黙示録』の16の設計シリーズは1498年のものである。彼は『大受難伝』の最初の7つの場面も同年に製作した。少し後に、聖家族と聖人 (The Holy Family and saints) に関する11のシリーズを製作した。1503-05年頃、彼は『マリアの生涯』の挿絵セットの最初の17枚を製作したが、すべての製作が終わるまでに数年間を要した。これらの作品も『大受難伝』も何年もの間出版されなかったが、印刷物はかなりの数が個人的に売られた。

 これと同時期に彼はエングレービングを製作するために、ビュランを使用する今までとは異なる技術を特訓した。基本的な技術は金細工とほぼ同じなので、彼は幼少の頃、父親から技術を学ぶことが可能であった。習い始めはあまり熱心ではなかったが、1496年頃から傑作を産み出すようになった。『放蕩息子』は、数十年後にジョルジョ・ヴァザーリに絶賛された。すぐに彼はいくつかの超大作と原画を残した。特に1502年作の『ネメージス、運命の女神』、1498年作の”The Sea Monster”と1501年頃製作された『聖エウスタキウス』は、きめ細かい背景と美しい動物が描かれていた。彼は数多く聖母マリアの宗教的な単身像や喜劇的な農民の姿の小風景の作品を造った。印刷物なので持ち運びができた。これらの創作によって数年以内にヨーロッパの主要な芸術の中心地で、デューラーは有名になった。

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 かつてヴェネツィアで出会った画家ヤーコポ・デ・バルバリが1500年にニュルンベルクを訪れた。デューラーは遠近法、解剖学、人体均衡論を彼から学んだと述べている。バルバリは知っていることすべてを語りたがらなかったので、デューラーは独力で研究を開始した。それは彼の生涯にわたる関心事であった。人体の比率を描く実験が、デューラーの現存している一連の絵画で見ることができる。1504年に製作された有名な『アダムとイヴ』のエングレービングは、ビュランを使用し、肉体の表面に質感を持たせている。この作品がデューラーのフルネームが署名された唯一のエングレービング作品である。

 デューラーは特に絵画やエングレービングによる銅版画の下書きを数多く残している。最も有名なものは1508年に作成され、現在はウィーンのアルベルティーナ美術館に所蔵されている『祈る手』である。それはヘラー祭壇画の十二使徒を調査したものである。彼は水彩とガッシュの絵も作り続けていた。それらは1502年作の『野うさぎ 』や1503年作の『芝草』などに代表され、数多くの牧草地での優雅な静物や動物画を含んでいた。1498年に木版画集「黙示録」にて成功をおさめた。

ニュルンベルクと傑作(1507-1520)とその後

 ヴェネツィア人に敬意を持たれていたにも関わらず、1507年の中頃までにデューラーはニュルンベルクに戻り、1520年までドイツ国内で暮らした。彼の評判はヨーロッパ中に知れ渡り、彼はラファエロ・サンティ、ジョヴァンニ・ベリーニやレオナルド・ダ・ヴィンチ(ロレンツォ・ディ・クレディを介して)を含む有名な芸術家と親睦を図ったり、連絡を取り合っていた。

 1507年から1511年の間、彼は最もよく知られた絵画を残した。1507年の「アダムとイヴ」、フリードリヒ3世のために描かれた1508年の”The Martyrdom of the Ten Thousand”、同じく1508年の”Virgin with the Iris”、フランクフルト・アム・マインのJacob Hellerのために描かれた1509年の”Assumption of the Virgin “、Matthaeus Landauerのために描かれた1511年の”Adoration of the Trinity”などである。同時期に彼は、『大受難伝』と『マリアの生涯』の2つの木版シリーズを完成させ、両作品とも1511年に、『黙示録』シリーズの第二版と共に出版された。ヴェネツィアから帰国後の木版画は、デューラーのキアロスクーロモデル効果の発展を示している。出版物のいたるところに、明暗が対称的な中間の色調が見られる。 1513年から1514年にかけて、銅版画の傑作である『騎士と死と悪魔』、『メランコリアI(メレンコリアI)』、『書斎の聖ヒエロニムス』などの作品を発表した。また、1520年~1521年にはネーデルラントにも滞在している。