クールベ-1

ギュスターヴ・クールベ(クルベ) (Gustave Courbet[1], 1819年6月10日 – 1877年12月31日) は、フランスの写実主義の画家。

近代芸術の抵抗 写真の登場

「天使は見えないので描かない」と宣言するクールベ

19世紀中ごろのフランスは革命、政変が相次ぐ政治の動乱期であった。ギュスターヴ・クールベは、社会主義思想の影響を受け、自由を求めて立ち上がろうとする民衆の側に立つ血気盛んな画家であった。彼は、あい変わらず神話世界を描くサロンの画家たちに強く反発し、「天使は見えないので描かない」と古典絵画の主題を捨て去った。神や天使、その威を借りようとする為政者の夢物語ではなく、クールベが描くのは、社会の底辺で仕事にいそしむ人々の姿であった。クールベは、主題を現実に向けることによって、いわば、古典絵画の「近代化」をめざしたといえるだろう。

クールベ絵画のライバルは写真映像

 クールベが戦いを挑んだ相手は、サロンを牛耳る新古典主義絵画のほかにもう一つ、当時普及した写真映像、それこそが彼の真のライバルであった。彼のこれでもかといわんばかりのねちっこい写実描写は写真映像のリアルさへの対抗意識から生み出されたといえるだろう。むしろ、彼は写真映像に触発されて重厚な写実絵画を生み出した、とみてもよいかもしれない。実際に彼は下絵に積極的に写真を使ってさえいる。
下の2作で描かれる石割り人夫は、よく見るとまったく同じ姿を左右を反転させたものであることがわかる。

Gustave_Courbet_040 realism_courbet2

「石割り人夫」1849           「石を砕く人」1851 159×259

 ダゲレオタイプ写真は左右が逆に写る。クールベは、写真による下絵を元の姿に反転させ、より現実に近い姿を描こうとしたのかもしれない。

kemurihaku-junomaru1854 riwelin-ugoki1853

「煙を吐くジューノ丸,テンビー波止場」1854 J. D. Lewelyn (1810-82)  「動き」1853頃 J. D. Lewelyn (1810-82)  

瞬時をとらえる写真映像の進化

 1851年、フレデリック・S・アーチャーはコロジオンプロセスと呼ばれる湿板写真を開発した。このあらたな写真は、撮影時間が5秒から15秒と短いうえ、ガラス板のネガから何枚も鮮明な写真映像が得られた。写真はいよいよ時間を薄切りにスライスするかのように、瞬時をとらえる現在のものへと近づいたのである。
1855年、ナポレオン3世が国威発揚の目的で開催した第二回万国博覧会では、 絵画の展示とともに瞬時をとらえだした写真が大々的に展示され人々の話題をさらったという。右にあげたのはJ. D.リーウェリンによるそのうちの二枚である。ここには、舟の煙突からたなびく煙や寄せる波までもが鮮明にとらえられている。静止する靴磨きと客しか写らなかったダゲレオタイプ写真からは驚くべき進化である。ちなみに、この博覧会の絵画部門で、クールベは自らの自信作「画家のアトリエ」の展示を拒否され、会場前に小屋を建て個展を開き自作を展示したという。絵画領域では、まだまだ新古典主義が幅をきかしていたのである。

「動き」1853頃 J. D. Lewelyn (1810-82)  「写真の歴史」イアン・ジェフリー 岩波書店 1987

「波の動き」に挑戦するクールベ

Gustave-Courbet-The-Wave-3- Gustave_Courbet_-_Waves_-_Google_Art_Project

クールベ 「海」1870

 写真映像が波の動きまでもをとらえたことは、他の画家はもちろんのこと、クールベにとっても大いなる衝撃だったに違いない。彼は後に波の動きに挑んだ大作を制作している。この荒海は、彼が身を投じている政治的な動乱の心的風景でもあっただろう。描き出された激しい自然の光景には、現実をありのままにとらえる写真映像のリアリティに、あくまで古典絵画の重厚さで対抗しようとするクールべの心意気がまさに怒涛の波頭のようにあふれ出ている。

クールベの写実主義の限界

 さきにもふれたように、クールベの古典絵画の強化策は写真映像に対抗してなされた。彼は現実の対象をよりリアルに絵画化すれば、現実の典型としてのかたちが生まれ、時代を象徴する表現が生み出せるとかんがえたに違いない。
ところが、彼がこれでもかとばかりに濃密な描写を重ねれば重ねるほど、その迫力に満ちた画面はかえって芝居がかった「絵空事」にみえてきてしまうのだ。どうしてだろうか?それは、写真が「一瞬の現在」をとらえる表現であるのに対して、クールベのめざす絵画が、永遠の時間の表現、すなわち古典絵画としてあったからだといえるだろう。そのためクールベの写実主義絵画は時代がかった古い表現の範疇に止まったのではなかったか…..。社会の動きに目を転じると、1871年、民衆が蜂起したパリ・コミューンは72日間で敗北に終わっている。民衆の時代が始まるかにみえたフランスの政情は大きくゆり戻され、参加者3万人が銃殺されたという。これに加わったクールベは捕らえられ、2年後辛くもスイスへ亡命した。彼は失意のうちにアルコールにおぼれつつも風景画等を描き、享年58歳で没した。政治的には敗れても、写真には断じて負けまいとして戦い続けた画家の一生であった。

Wounded_Manc1867 sketchbook04-p64 J.F.Millet, Muedigkeit -  - J.F.Millet, Fatigue  juliette Jeune_modèle_au_repos_Courbet-170 Jean François Millet  bineyard  head4k head3i Gustave_Courbet_-_Study_-_WGA5524 Gustave_Courbet_-_Self-Portrait_-_WGA05525 Gustave_Courbet_-_Seated_Young_Man_-_WGA05522 Gustave_Courbet_-_Courbet_in_his_Cell_at_Sainte-Pélagie_-_WGA05526 gustave-courbet-1819-1877-french-everett GR169 - Jean-François Millet - 1814-1875 - Going to Work - 1863 GR167 - Jean-François Millet - 1814-1875 - Woman Carding Wool - ca 1855 DT3251 d5047399x courbet-port-170 courbet cat courb505 courb504 courb503 courb502 courb501 1427690 1427669 7c2d591e62c83a3057c7d11e41baa5e4 1P