伊藤 若冲

 伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう、 正徳6年2月8日(1716年3月1日) – 寛政12年9月10日(1800年10月27日))は、近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があるが、その使用例は見出されていない。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)とも号す。写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。

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 『続諸家人物志』(青柳文蔵)には、若冲が狩野派の画家・大岡春卜に師事したとの記述があり、大典による若冲の墓碑銘にも狩野派に学んだとある。一方で木村蒹葭堂は、若冲は、鶴沢探山の門人で生写(しょううつし)を得意とした青木言明の門弟だったと記す(『諸国庶物志』)が、それを裏付ける証拠は見つかっていない。現存作品の作風から狩野派の影響を探すのは困難であるが、一部の図様について、狩野派の絵画や絵本との類似点が指摘されている。

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 前記の墓碑銘によると、若冲は狩野派の画法に通じた後、その画法を捨て、宋元画(特に濃彩の花鳥画)に学び、模写に励んだとしている。さらに、模写に飽いた若冲はその画法をも捨て、実物写生に移行したと伝える。実物写生への移行は、当時の本草学の流行にみられる実証主義的気運の高まりの影響も受けていると言われる。また、大典が読書を通じて宋代の画家の写生の実践を知り、それを若冲に伝えたとも言われる。ほかにも、美術史家の研究により、明代や清代の民間画工の影響、特に南蘋派の画僧・鶴亭との類似が指摘されている。

 山水画・人物画の作品は少ないが、若冲が尊敬していた売茶翁の肖像画だけは何度も描いている。濃彩の花鳥画、特に鶏の絵を得意とした。美しい色彩と綿密な描写を特徴とするが、写生画とは言い難い、若冲独特の感覚で捉えられた色彩・形態が「写生された物」を通して展開されている。

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 代表作の「動植綵絵」30幅は、多種多様の動植物がさまざまな色彩と形態のアラベスクを織り成す、華麗な作品である。綿密な写生に基づきながら、その画面にはどこか近代のシュルレアリスムにも通じる幻想的な雰囲気が漂う。また、当時の最高品質の画絹や絵具を惜しみなく使用したため、200年以上たった現在でも保存状態が良く、褪色も少ない。「動植綵絵」は、若冲が相国寺に寄進したものであるが、のち皇室御物となり、現在は宮内庁が管理している。

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 「動植綵絵」と同時期に、若冲はそれとは対照的な木版画「乗興舟」「玄圃瑤華「素絢帖」を制作している。木版を用いた正面摺りで、拓本を取る手法に似ていることから「拓版画」と呼ばれる。通常の木版画と逆に、下絵を裏返しせずそのまま版木に当て、地の部分ではなく描線部分を彫って凹ませ、掘り終えた版面に料紙を乗せ表から墨を付ける。結果、彫った図様が紙に白く残り、地は墨が載った深い黒の陰画のような画面が出来上がる。また、これに更に着色を施した「著色花鳥版画」(平木浮世絵財団蔵)も6図伝わっている。