笹で包む

082 083

笹の緑は、日本人が大切にする季節感にとってなくてはならぬものである。

 笹という素材を独立した分類としてここでまとめたが、実は笹も竹も同じ植物である。竹の類で形の小さいものの総称が笹である。ここでいう笹は、笹の葉のことである。笹の使い方の代表であるちまさの民俗学的な面については、この分野の権威、宮本馨太郎先生の詳しい解説が別にあるから、私の余計な口出しは無用であろう。

3-5

 漱石の『坊っちゃん』に越後のささあめ(上図)が出て来る。女中の清が笹ごとむしゃむしゃやっているので笹は毒だからよしたがよかろうというと、イエ、この笹が温薬でございますと澄まして食っている…というような一節だったと思うが、笹がお薬かどうかはともかく、笹の葉にはペクチン質とかが多量に含まれていて その働きで包んだ食べものがわるくなりにくいと聞いている。昔の人は、生活の知恵という点で遠く今日の私たちの及ばないところであり、案外そんなことをちゃんと心得ているのかもしれをい。

 古くから御所にも献上し由緒を誇る京都上賀茂の川端道喜(代々その名を名乗って当主は十五代に当たるそうである)に、ちまきづくりの苦心を聞きに行ったが、心に残っているのは「ちかごろよい笹が手に入らなくてそれが何より困ります」という話であった。排気ガスやら何やらで空気がすっかり汚れている、それに水が昔に比べてずいぶん悪くなっている、したがって笹の葉の質も年々落ちるばかりだというのである。〔下図左右〕

3-2 3-1

 道喜の笹の葉は、洛北の鞍馬で採れるものに限っているそうで、それ以外では香 らが出せませんということだ。毎年土用のころに採集し、乾燥して束ねて保存して おく。これを使うとき熱湯に通してもどすと、したたるような緑がよみがえるので ある。今は百枚笹の葉があっても使えるのは五十枚もあればよいほうだと嘆いてい たのが印象に深い。

 青竹といい笹の緑といい、日本人がことに大切にする季節感にとってなくてはな らぬものである。それが近年急速に失われつつある。元来、竹や笹は日本の風土に よく合った産物であり、欧米にはない特産として貴重なものと考えねばならない。 何もかも便利で経済的で機械にかけやすい合成素材が幅をきかせる時代、それはそ れで合理的なやりかたであり必然のなりゆきなのであろうが、人間の心は果たして いつまでもそれに満足出来るであろうか。

 天然の笹の菓より塩化ビニール製の代用品のほうが企業的見地からは、はるかに 望ましいに違いない。しかし、だからといってこんなに魅力ある、こんなにも長く 親しまれている天然の素材を、簡単に見捨ててしまっては、あまりにも知恵がなさ 過ぎよう。もっと積極的、計画的に笹を栽培することだって十分可能性のあること ではないか。本当の意味で進歩とは、つまりそういう方向で物を考え処理して行く ことだということを一枚の笹の葉が教えている。

■笹による伝統パッケージ

3-4 3-6 3-9