カルダー part2

■カルダーの世界

中原佑介

 美術学校で絵画あるいほ彫刻を学び,その後美術家への道を歩むというのを,美術家にもっとも多く見られるパターンとすると,アレキサンダー・カルダーは例外的といわねばならない。祖父も父も彫刻家であり,母は画家だという家庭に育ち,美術学校へいって当然と思われる生活環境であったにもかかわらず,カルダーが選んだのは幾械工学を専門とする学校だったからである。

 もっとも,芸術家の子供が親と同じく芸術家にならなければならないという法はないわけであり,カルダーがたとえば経済学を学んだとしても,自らの関心がそこにあるなら奇異でもなんでもないが,カルダーの場合はいくぷん奇異な感なしとはしない。それというのも,機械工学への強い関心があって学校を選んだとも見えないからである。カルダーによると,ハイスクールの同僚がェソジニアーを志していると聞かされ,自分も不図その気になったのだという。そして彼はステイーヴンス・インスティチュート・オブ・テクノロジーという学校へ入学している(1915−19)。カルダー17歳の時である。

 しかし,この事実は次のことを物語るだろう。つまり,機械工学の専門学校に入ったのはなんとなくかもしれないが,カルダーが美術学校へ入ろうという気持を,当時はまったく持合わせていなかったという事実である。もっとも数年後,エンジニアーとして生活をたてることをあきらめ,アート・スチューデソツ・リーグで絵を学ぶことになるので,カルダーの美術への目覚めがやや遅かったのだといってしまえばそれまでのことかもしれない。それでは,機械工学や技術の習得は彼にとって,単に遠まわりの余計な経歴に過ぎなかったかというと,これがまたそうとはいえないから複雑である。

 多分,カルダーは芸術と工学的技術の中間地帯のような領域に,漠然と関心を抱いていたにちがいない。そんな領域をカバーする学校などまずあるわけがない。ステイーヴソス・インスティチュートへ入学したのも,その漠然とした関心が,あるいは技術の専門学校で多少ははっきりすると思ったからではあるまいか。

 ここでカルダーの経歴を細かく詮索しようというのではない。こうした青年時代の経歴に既にカルダーのその後の仕事の特質が示されていることをいいたいのである。カルダーを例外というのは,この独得な経歴に依っている。アート・スチエーデンツ・リーグで絵を学んだ後も,カルダーは画家として専念している気配はない。したがって,彼は決定的に回心したというふうではない。1926年にパリへゆくが、パリで熱中したのは有名な『サーカス』人形の一座だった。この上演がパリの美術家たちと知り合うきっかけになったことは、カルダー自身が語っていて有名である

 絵を勉強したけれども・カルダーはその当時の絵画の課題を引継ぎ,絵画史に新しく自己の作品をつけ加えてゆくといった意識をもたなかった。といって彫刻に取組んでいたわけでもない。カルダーが引継いだのはなんと玩具,それも動く玩具という分野だったカルダーは多分,先にいった芸術と工学的技術との境界領域に位置するものとして玩具を見出したのである。

 カルダーのサーカス好きはあまりにも有名だが、しかし,サーカスへの熱中は個人の趣好に過ぎない。そのサーカスへの熱中が玩具制作と結びついた時,カルダーのサーカス好きは・・・個人の趣好を超えて,人びとの眼に見えるものとなる。『サーカス』がそれである。この『サーカス』の個々の人形を彫刻という名で分類することは難かしいが、しかし、それが工学技術の実験でないこともまたいうまでもあるまい。カルダーは「玩具」という分野に関心を集め、それに自己の創意を盛込もうとしたのである。その創意はサーカス人形の演技者や動物の形態と、その力学的な構造の双方にわたる。つまり・美術と工学技術の双方にわたった。

 レオナルド・ダ・ヴインチは人工のライオンをつくったと伝えられるが,そうした先例を持ってくれば・カルダーの『サーカス』もまったくユニークというわけでほない。しかし,20世紀になって「玩具」の制作にこれほどの情熱を示した人間は,まず他に例を見ないのではあるまいか。しかも,注目されるのは,「玩具」制作に美術と工学的技術の接点を見出したカルダーは,そこを出発点として玩具ならざる構成物の制作へと,その作品の境界を拡げていったことである。「モビール」が美術と工学的技術との接点の産物であることは改めていうまでもあるまい。

  『サーカス』,そのあとに続く針金による作品,同じく針金を主体としたモーター仕掛け,あるいは手動による動く作品,そして吊されたり,壁にかけられたりするいわゆるモビール(「モビール」という名称は,1931年,マルセル・デュシャンの命名によるが,それは例の吊されてゆらゆら動くタイプだけでなく,モーター仕掛けで動くものをも総称している。ここで「いわゆる」と書いたのは,特殊な意味でのモビールを指しているからである),・・・これらの作品に共通しているのは「針金」が基本的な材料となっているという事実である。これと対比的にいうなら,カルダーの「スタビル」は「金属板」の組合せを基本としている。先程,カルダーは「玩具」制作を出発点として,そこから玩具ならざる構成物の制作へと次第に拡張していったと書いたが,その拡張の導き手となったのは「針金」という素材であった。カルダーの作品が美術の文脈へ位置づけられるようになったのも,今世紀になって針金による作品が彫刻の新種として容認されだしたことに依る。逆に今日から見るなら,カルダーは針金による彫刻の代表的存在とすらいえよう。

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 『サーカス』の人形においても,針金が重要な素材となっていることが知られるが,カルダーの「針金彫刻」として有名なのは,人物とか動物を,あたかも三次元の一筆描きでもあるかのように針金によって輪郭をつくりだしている一連の作品である。これはのちに針金による抽象形態的な構成作品に変貌する。これに動力源のつけられたのがモビールの始まりである。

 モーター仕掛けで動かすというのは,発想として別段特異というわけではいうわけではないが,先にも触れたいわゆる吊り型モビールについては,どこから発想を得たのかカルダー自身も語っていないため,さまざまに憶測がなされている。たとえば18世紀につくられた天体の運行を示す玩具だとか,自動人形の一種であるさえずる鳥だとか,あるいは中国の風鈴だとか,われわれならさしずめヤジロベエといいたいところだが,種々それらしいものが挙げられているが,本当のところはよく解らない。カルダーは,モビールはどのような意味でも何かに似ているものではないと語っている。

 カルダーが抽象形態を自覚的につくるようになるのは,1930年にパリのピート・モンドリアンのアトリエを訪ねて以後のことだが,この時のエピソードについては多く語られているので,ここでは書かない。要するに,彼は人物や動物のかたちから自由になるきっかけをその時得たのである。カルダーの作品のように「動く」作品にとって,これはきわめて大きな変貌といわねばならない。というのも,たとえば『サーカス』で「空中ブランコ」をする人形は,じっさいのサーカスをほうふつとさせるところにその面白さが潜んでいる。それが空中を運動する球となれは,意味するところがまったく変ってしまうことは明らかであろう。つまり,形態がなにかを再現するというものではなくなることによって,その「動き」はある動く情景の叙述的性格から解放され,「動き」そのものとなるからである。もっともその「動き」が作品の構造によって規定されていることほいうまでもない。

 

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 モビールが生きもののようだとはよくいわれるところである。というのも,その動きはあるパターンの規則正しい反覆を示さず,この次にどういう動きを展開するか,まったく予想のつかない場合が多いからである。外からの力と重力が合わさって,モビールのさまざまな動きがくりひろげられる。この予想のつかない動きが,モビールをしばしばコッケイなものに感じさせる理由である。注目されるのは,そのコッケイさは動きが何かコッケイな動きを再現しているからではなく,動きそのものに基いているという事実であろう。モビールのあらゆる意味でのこうした非叙述的性格が,この奇妙な物体を特徴づけている。カルダーの工夫になるモビールが,今世紀の美術として位置づけられるのも,そうした非叙述的性格によっている。

 スタビルが金属板の組合せによって構成されているとは先程書いたことだが,カルダーの作品の構成を決定づけているのは針金と金属板あるいは線と面ということができよう。量塊というのは殆ど無縁である。木と針金との組合せによる「星座」の連作では,木は塊として用いられてはいるが,しかし,その量塊性は控え目に抑制されているのを感じさせる。特に針金が長い場合には,その感が強い。

 スタビルは,動物をモチーフにした小さな作品から始まり,後の大作になってからは抽象的形態のものが登場している。しかし,モビールに較べると、スタビルにははるかに濃厚に動物の形態が残っている作品が多い。動物好きのカルダーの興味が,最後までその作品に反映したのはスタビルだといって過言ではあるまい。むろん,その形態はきわめて単純化され,しかも金属板による構成という事実からも形態の再現性は減少しているが,それでも動物の外形をほうふつとさせるものが少なくないのである

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 こうした事実は,彼はモビールとスタビルをその根本のところで区別していたという憶測に誘わずにはいない。つまり,スタビルではなお動物の外形の叙述的性格を温存させているのに対し,モビールでは先にも述べたように一切の叙述的性格を追いだしたという違いである。結局それはスタビル(不動の作品)とモビール(動く作品)という,静と動の違いに帰する。つまり,スタビルではその全体としてのかたちが本質とされているのに対し,モビールではある瞬間のかたちでなく,常に別のかたちへ移行してゆくというその動きの過程が本質とされているという違いである。カルダーの仕事は多岐にわたっているが,モビールは今いったような点からも独自の位置を占めているということができる。カルダーといえばモビールという連想は,必ずしも不当ではないように思う。

 アレキサンダー・カルダーは,伝統的な絵画,あるいは彫刻を学んだ後,しばらくその道を歩み,次第に伝統的な形式に飽きたりないものを感じて,新しい形式へ踏み入るといった経歴をたどらなかった。その例外さについては冒頭にも記した通りである。新しい形式をもたらした大半の芸術家は,古い形式から出発して,徐々に,あるいは急激に変貌してそれに至ったことを物語っている。しかし,カルダーは「玩具」から出発し,モビールやスタビルへ到達したのである。

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 この事実は,あるいはカルダーに芸術の正統派から一歩はずれたところに自己の位置があると思わせていたかもしれないことを推測させる。もしそうだとしても,カルダーはその一歩をまたごうとはしなかった。むしろ、そうした自己の位置を動くまいとしていたかに見える。というのも、モビールばかりでなく,スタビルにも,また他のさまざまな仕事にも,常に一種のユーモアが感じとられるからであるそれは作品にユーモラスな表現が見られるというのでなく,そういう作品の存在していること自体がユーモラスだといった感じである。そのユーモアは正統派から一歩ほずれているといったことに起因しているように思わせずにいない。

 ジョンソン・スウィーニーだったか,カルダーの仕事をアメリカのフロンティア・スピリットと関連づけて語っていたように思うが、今いったようなことも,フロンティア・スピリットと無縁ではないかもしれない。たとえば,今世紀の前半のヨーロッパでカルダーのようなタイプの美術家を見出すことはきわめて難しいように思う。あるいほ動く作品ということでは,ロシア生まれのナウム・ガボの方がはるかに早いという事実がある。のちアメリカに亡命し,カルダーと親しくなるガボも新しい形式に旺盛な関心を示した今世紀の美術家のひとりとして特筆されるが,しかし・カルダーに顕著なあのユーモアが見られないのである。これはきわめて大きな相違といわねばなるまい。ここでいっているのは冗談を好んだらしいカルダーの気質のことではなく,その作品に感じられるユーモアである。

 大きく網をひろげれば,カルダーの仕事は絵画や彫刻に在来見られなかった技術を導入した,今世紀美術の一現象ということになろう。1960年代、彼はコンピューターを組合わせた作品を一点制作しているが,しかし、それ以外の作品では,カルダーの依っている技術は古風な機械工学に過ぎないといって過言ではない。しかし,そうした技術が作品を決定しているということでは機械技術の重視されている美術なのである

 吊り型のモビールは,見方を変えれば・物体の重さの/ミラソスを測る実験装置と見えなくもない。あるいはカルダーのモーター仕掛けで動く作品にも,力学の実験装置と錯覚させるものがある。昔は,それらは大学の実験室の一隅に置かれていて,ごく一部の人びとの限に触れるだけだった。カルダーはそれを一般の人びとの眼の,そして知覚のたのしみのために陽光の許にひっばりだしてきたのだ・・・こういうイメージを想い描くのも悪いことではないと思う。機械技術の重視されている美術とは,そういうものだというようにである。そして,カルダーは実験装置の気難かしさをほぐすためにユーモアを注入しているという具合に

 そういうイメージを想い描くなら、カルダーの仕事,とりわけモビールは人間の知覚に新しい刺激を与えるための装置・・・まさに美術と機械技術のハイブリッド(混血児)ということになる。そしてそういう装置を多くの人びとの前に提出するという発想は、いかにもアメリカ的だと思わせる。もっともそのモビールほ,何的ということを超えて,いかにも親しみのあるものとして映るからふしぎである。

 カルダーは今世紀の美術家としての新しいひとつのタイプとなった。たったひとりとしても新しいタイプである。しかし、彼のなかには昔からあるひとつの考えがでんと居坐っていたかに思われる。それは人びとをたのしませ、おどろかせようという欲求であり,これは他ならぬ道化の精神といえよう。パリでの『サーカス』の上演以来,遂ぞ消えることのなかったカルダーの特徴はそれだと思う。この道化ほ演技によってではなく、ものをつくり,人びとに見せることによってその欲求を実現しようとしたのだった。新しいタイプといったのは,そういう美術家はいなかったからである。

1 Response to カルダー part2

  1. gacct のコメント:

    gacct

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