晩年の音楽の役割

ル(ツェルン)近郊の公園85p

《フレンチホルンのための場所〉1939年厚紙に貼った紙に木炭,29.4×20.7cmベルン,パウル・クレー・センター

 きわめて珍しい病(皮膚硬化症)が突然に発症して体力を失ったクレーは,1936年にはほぼ完全に芸術制作をやめるが,しかし翌1937年から没年の1940年までの間には信じられないほど豊穣に作品が生まれ,1000点を超える線描画もそれらのなかに含まれている。画面形式は大きくなり,フォルムと色彩が目指しているのは直接的で激しい効果である。

 もっとも,最大の変化はクレーの線の引き方に窺える当初は細く繊細に呼吸をしていた線が梁のような太さと・・・何よりも・・・絵画的な質を備えるようになる。しばしばクレーは筆と黒い絵具を用い,直接紙に大胆で自由な遅筆によって,いわば文字と記号の中間的な性格を備えた線と言うべき「秘密の書記」を描いている。その運筆が記号的に短いものであるゆえに,画面にはリズミカルな構造が生まれるのである.これらの「書記」については試みに多くの(矛盾する)解釈がなされうるため,その書記法には主に形式的な性格があるのではないかという疑念を抱かせられる。

 たとえば《フレンチホルンのための場所≫(上図)の場合のように,題名が音楽的なものやリズミカルなものを示唆しているということは,どの線描画についてもそうであるというわけではない.しかしそれでもやはり多くの作品において,分節や構造によって音楽的なものやリズミカルなものをぴたりと感じることができる。

記念碑

 《4拍子の分岐》は,退化してゆくような線の短さから強くリズミカルな効果を生みだしている多くの作例の1点である。4つのフォークのような形は画面上の4つの主要な方向を向いて枝分かれしており,それらの分岐がまるで1つに循環しているかのごとく方向転換を始めているように見える。これらの素描的な作品では線が優位であるために,色づけはむしろ地塗りのようであるが,また別の作品では色彩が集中力のある調和への高まりを見せている。ナイルの伝説82p

《ナイルの伝説》1957年綿布にパステル,糊絵異を施したジュートに貼付 69×61cmベルン,パウル・クレー・セン

油彩画《ナイルの伝説≫上図は,クレーが力強く線を描いて一連の記号的フォルムを配し,それらを支えるように色彩を施している最初の大作幾点かに含まれる。ほかの作品とは異なり,いくつかの記号についてはそれが何であるかを特定することでき,たとえば画面中央のボートのように,それらの記号は1928年のクレーのエジプト旅行を示唆している。多くの幾何学的フォルム,半円,点,短く角張った線,梁は色彩区画を「浮遊して」おり,静かに流れるような全体としてのリズムを画面にもたらしている。濃淡の施された色彩区画の色調は紫からコバルトブルーを通って青緑にまでわたり,造形記号の運動に呼応している。しかもこの作品では,方形からなる画面の構造が対角線と湾曲とによって寛(くつろ)いだ感じである。舞台・風景1937年83p

 《舞台一風景≫(上図)も構図全体として見るとまだ方形構造の画面に拠っているが,画面の中央あたりに配された明るい赤,オレンジ,毒々しい緑,そしてクリームの色調が稀に見るほどコントラストに満ちた色合いであるため,色彩に対する考え方がバウハウス時代の調和概念とはかなりかけ離れたものへと変化していることも窺える。この頃クレーはおもにパステル絵具で,しかもよく糊性の高い接着剤を用いて制作している.こうすることで並はずれて明るく集中力のある色合いが画面にもたらされたのである.色彩の地から姿を現している集中力のある黒い記号と線は,黒抜きにされたように見え,そして植物のようなフォルムのほか,拍子を刻んでいるようなリズムである.画面中央下の明るい区画にはクレーがしばしば眼の記号として描いたフェルマータが見える。これら晩年の作品のコンポジションが「書記記号」から出発していることは紛れもない。むしろ色彩による構造化が実を結ぶのはようやく制作の第2段階に至ってのことであり,そこでは色彩が記号的な特性よりも優っていることは一目瞭然である。

 《ル(ツェルン)近郊の公園・フレンチホルンのための場所》1939年(最初の絵)にはまさに黒い記号と明るい色彩の地との強烈な緊張感が瀧っている.大きく伸びやかに分岐するフォルムは植物の基礎的形態として読みとることができ,色とりどりの木の葉のような色彩の帯に取り囲まれている.なるほどこれらの帯からは,リズミカルな枝分かれから放射される光輪を想像することもできるかもしれない。そのように見るなら,自身の抽象的フォルムのうちにやはり「特別な光」をみとめていたカンディンスキーの調和理論に結びつけることもできるだろう。

 いずれにしても,クレーは定期的にルツェルンで療養をしていた妻を訪れた時に風景から受けた印象をこの作品のための契機として取り入れ,色彩とフォルム(線描)をリズミカルな対照へともたらして,黒から有彩色への調和の効果を高めている。ドゥルカマラ87

《ドゥルカマラ島》1938年ジュー卜に貼った新聞紙に油彩・糊絵具,自作の画枠,88×176cm ベルン,パウル・クレー・センター

 晩年の代表作の1点には《ドゥルカマラ島≫(上図)という美しい題名のつけられた作品があり,これには「甘い(ドゥルキスdulcis)」と「苦い(アマルスamarus)」という概念を統合した意味が込められている。「甘い」と見えるのは明るい色彩,すをわち油絵具と糊絵具の思い切った組み合わせで,あちこちで色とりどりの斑点としてその効果を発揮している.一方で「苦い」のは,それとは対照的な黒い記号である.そして今しがた述べた対極性こそがこの画面全体の要となっている。第一に画家の伝記的な地平に立って眺めると,ここには希望の感じられる平静さと深い生の不安との間で揺れ動く病める芸術家の姿が垣間見える.しかしそうした伝記的な地平にとどまらず,そもそもクレーの造形思考全般は対極性というものを基盤としているのであり,つまり,ある概念はクレーにとってはそれとの対をなすものなくしては考えられないのである.双方が互いを前提として相互補完的な統一を形成し,そこに世界の全体性が映し出されうる。相対するもっとも重要な対がカオスーコスモス,此岸/彼岸,地上的/宇宙的,静力学/動力学,古典主義/口マン主義である.芸術作品においては,運動と反対連動が織りなす戯れからこそ「さまざまな力の戯れを克服して,自らの中で鎮まり,休息する状態」が実現するのである。

 クレーにとってこの対照は自然の本質に根ざすものであった.そして彼は《ドゥルカマラ島≫という作品において,そうした対照を適切な造形形式へともたらそうと試みている。死と浄火

 たとえば,画面中央に顔が見てとれるが,これは《死と火≫上図(1940年)に描かれている白い頭部と似ていることから死の象徴と解して差し支えなく,しかもこの頭部には「甘いもの」と「辛いもの」を量るつの計り皿のための支えを見てとることもできよう。1本の線が大きく旋律的な弧を描いて左から画面全体を覆って伸び,右へゆくと多声の和音で「響いて」消えてゆく。その自由な運動は音楽的かリズムを造形的なものに転用しようとするクレーの試みをまたしても想起させずにはおかない。そしてこの運動を画面の右部分で受け止めているのが,大きくU字形に曲線を描く線である.画面左にあって蛇のような曲線を描いている線には2つの点があるので相貌の印象がある.このほかにも抽象的な記号が見られ,それらは,楽譜の小節線のように,画面を分節し,連続するヒエログリフを関連づけている.これらの記号には画面上部の角に描かれた2つの呼応し合う半円形も含まれるが,それらはクレーのフォルム理論によると「大地」と「水」を意味していると言いうるものである。そしてそっと置かれたいくつかの記号,すなわち植物的な諸要素が春めいた島を思わせる。ヴイル・グローマンが述べているように、クレーはこの絵を当初「カリュプソの島」と名づけたいと考えていたようなので,「我アルカディアにありき」という図像類型の伝統にのっとった解釈はおそらくそこから生まれたのだろう。豊かな生は記憶の徴の大きな流れのごとく過ぎ去っても,終わりはかならずやすでに心に銘記されている,ということだ。 鼓手89p

《鼓手》1940年厚紙に貼った紙に糊絵貝,54.6×21.2cmベルン,パウル・クレーtセンター

 そのことをさらに強烈に物語っているのが,クレー最晩年の作品の1点《鼓手≫(上図)である。力強いわずかな筆致でこの芸術家は,黒く幅の広い線と純粋な輝く色面による表現力に富んだ対照的な画面を構成している。ふたたび,しかし今回は可能な限り簡略化されたフォルムによって色彩と線がポリフォニーをなしている。輝く朱色がもっとも強烈かつ能動的に作用する(ゲーテやカンディンスキーによれば)色彩として深い黒(カンディンスキーによれば「もっとも響きのない色」)との鮮烈な対照をなし,クレー晩年の作品におけるモニュメンタルな効果を高めている。すばやく鋭敏に捉えられた輪郭線はフォルムのをい色彩調和とまるで正反対であるが,線描それ自体も対照に富んでいる,すなわち,中央に描かれた眼にはほとんど催眠作用と言っても過言ではない効果すらある顔の落ち着いた静寂と集中力は,角ばって引かれた線の強い運動性とは対照的である。また,小さな円形が線の躍動をせき止めている。 個々の要素の連動を時間の連続へと転換させるのは鑑賞者である。そして,集中力のある不変性と力強い運動とがリズミカルに交代する。鼓手は,まるでクロノス〔ギリシャ人による時間の人格化〕のように時間の分量と経過を定めているのである。 さてこうして,線が音楽的に表現する運動は,paul551

《ホフマン風の物語場面》1921年(上図)や晩年の作品である《〈ハルピア・ハルピアーナ〉テノールとソプラノ・ビンボのために(単旋律),ト調》1939年 厚紙にはった紙にペン 切断して再接合27×11.4㎝/3.6×24.9㎝ パウルセンターハルピア・ハルピアーナ90p

《〈ハルピア・ハルピアーナ〉テノールとソプラノ・ピンボのために(単旋律),ト調〉1958年厚紙に貼った紙にべン,切断して再接合.27×11.4cm/27×10.5cm/5.6×24.9cmベルン,パウル・クレー・センター

(上図)に見られるような金銀線細工風の諷刺的で具象的な素描から,《鼓手》においては形式的な手段が一段と簡略化されて象徴的に高められ,その円環を閉じることになる。 あらゆる芸術ジャンルのなかでクレーがもっとも洞察を深めたのが音楽であり,その音楽が彼に示したものこそ,自然を写しとったものではなく,その「内奥」にほかならない。それゆえに音楽は,現象の世界と,宇宙の法則を研究して極めようとするこの芸術家の努力を媒介するものとなったのである。音楽の作曲法を分析し,それを造形的な等価物に転用する取り組みからクレーが体得したことは,新しい「ポリフォニーの絵画」という可能性であった.「ポリフォニーの絵画」においては,運動と反対運動とが,相対するさまざまな摩擦の和解の一般的かつ宇宙的な比喩として,しかも1つの上位構造において視覚化されえたのである。 しかしクレーが関心を寄せたのは音楽の数学的で法則的側面ばかりではない.とりわけ高く評価していた作曲家であるバッハやモーツアルトが彼の心を動かしたのは,形式的な技量はもとより,何よりも,調和のためにさまざまな対立関係を均等化してしまうことなく,現実に競い合う無数の諸要素を有機的に統一させる能力であった。そうしたさまざまな要素がまるで戯れのごとくぴたりと有機的な画面に組み込まれ,しかも往々にして魔法にかけられたようにバランスを保つとき,クレー芸術は格別の効果を発揮する。音楽のみならず,自然,建築,物理学,数学,哲学から得た実に多くの刺激が,クレーの作品を豊かで多様なものにし,また彼もそれらを完全に我がものにしている。したがってその影響力や効果に直面して,何ゆえにそのような造形的な処理が施されているのかを問うことなど所詮は取るに足らないことなのだ。クレーの「ポリフォニーの絵画」はこの点でまたもや音楽に匹敵し,それと同時に,空想的な多次元性ゆえに音楽より優れているのだ!「さまざまな要素を意のままにすること,合成された下位区分にそれらの要素をグループ分けすること,分解すると同時に多面的に全体へと再構築すること,造形的ポリフォニー,運動を調整し静寂を生み出すこと,こうしたことすべてがフォルムに関わる高次の問題であり,外面的な英知を左右しこそすれ,しかしそれはまだ芸術と言えるものではない。もっとも高い領域においては多義性の背後にこそ究極の秘儀があり,だから知性という光も哀れにも消えてしまうのだ」。

・・・・・・・・・・END

このページの先頭へ