タピエス芸術についての再考察

マーコ・リヴィングストン

 過去40年以上に亘って、タピエスの作品は、彼に関する彪大な出版物の中で、詳細に分析され、その一方で、彼自身も、自分の意図を、長い回想録と理詰めなエッセイの中で、紹介しているものだから、我々は、もはや、この彪大で今なお増え続けている文献を抜きにしては、彼の作品を鑑賞する自由はないようにさえ思えるのである。彼の作品は、シェルレアリストの作品と理論、仏教と老荘思想の影響が顕著な東洋的なものの考え方、13世紀カタルーニヤの哲学者・数学者であったライムンドゥス・ルルスによって信奉された中世の錬金術と神秘主義フランコ政権の圧政に対するレジスタンス、等々を含む芸術的、哲学的、歴史的影響の混合の結果として、生まれたと考えるのが、現在の一般的解釈である061-720x480

 しかしながら、タピエスの作品についての解釈は、この長い年月の問に変化してきているし、批評家が他に負けたくないばかりに、次第に奇を街った奔放な解釈に走る傾向と、実際以上に複雑化されたこと、この2点によって、誤って、そして空想的に形成されたスペインについての一般論にまどわされた一部外国人批評家のように、全く相反する解釈をしている場合さえあった。タピエスの作品に最も同情的な解釈でさえ、時には、フォルムの見かけ上の単純さあるいは簡潔さが思考の貧困を物語るものと誤解されはしないかと恐れている解説ではないかと思われるのである。そしてこの誤解をとく只ひとつの方法は、個々の作品を制作するに至った意図をひとつひとつ積み重ねて示すことによってのみ、可能なのである。タピエスの作品は多様な解釈が可能である。それは作品を鑑賞する人に、鑑賞している間、持続的にイメージをいだかせるために作品の中に詩的多義性を表現しようとしているタピエスにとっては避けることのできないことなのであるけれど、この多様性は、勿論、鑑賞する人が作品の中に求めたいものを殆ど読みとることが出来るという危険性を含んでいるし、タピエス自身についていわれている、いわれのない中傷に、タピエスが不本意ながら異議を唱えることによって助長されることのないひとつの状況をも含んでいるのである。

 タピエス作品の素材およびタピエス自身が我々に伝える無言のメッセージは次のような意味をもっている。すなわち、タピエスの作品を解説なしに理解するには、ともかくもむずかしすぎるし、極端すぎる、それ故に、こみ入った理論の糸で支えられる必要があるし、明らかに本物の創造的個性の表現として、作品は提示される必要がある、ということである。その一方で、それぞれの観点は、我々がタピエスの作品を理解する上で助けになるし、作品を、単に、美しいと思う反応や、作品の素材を見ることによって生ずる反応以上のものを与えてくれる。そして、又、それぞれの観点には、タピエスが創作した、いろいろな物体で構成された作品を通じて、我々がタピエスに感じた直載性、タピエス作品に対する我々の深い理解、そしてタピエスの庶民的性格、これらを台なしにするのにだけ役立っような誤った先入観にたよろうとするには、多くの限界がある。まず、我々の直感に頼ることにより、さらには、いかなる芸術作品に対面したときにでも我々がいだくであろう期待感をさえとりさることにより、我々は、タピエス芸術の精神をより深くより人間的レベルで理解するためのよりよいチャンスにめぐりあうことになる。かなりの程度まで、タピエスは、我々の信頼と善意とを当てにしている。それはどういうことかというと、我々をタピエスの制作上の巧妙さにまどわされたり、楽しませられたりしておくというよりは、彼が我々に提示しようとしているものから我々を見いだす意識について我々が自ら責任をとるように期待している、ということなのである。作品を理解しようとする我々の努力は充分に報われるけれど、理解するという行為は苦痛に満ちた苦労の多い一つの過程として示されることはない。それどころか、我々が肩の力をぬこうとつとめ、タピエスが作品を制作する際に精神を無心の状態にもどそうと努めるのと同様に、予断にみちた我々の心、を白紙状態にもどそうとつとめればっとめる程、タピエス作品との精神的交流に入るチャンスは、より多くなる。77

 作品から受けた印象の直接性、あるいは、すなおな印象、とでもいおうか、そのようなものを重視するのがタピエスの特徴である。従って、彼がつけた作品の題名は、普通、作品の内容を全くそのものズバリにつけてあり、個性的でもないし、作品を構成する要素一色彩、形式、イメージ、材質、技法など−をそのまま列記することが多い。 それらの作品名は、ひとつの作品を他の作品と区別するのに役立つだけで、作品の制作意図を示すものではない。いろいろなことを思い出させるような作品名をつけることをしないことにより、タピエス作品を鑑賞する人がその作品をどのように理解すべきか、その作品からなにを感じとるべきかをタピエス自身は示唆しないことにしているし、いろいろな解釈の可能性も残してあるし、とかく知性によって作品を理解しようとする習慣的傾向をさけ、作品を見て最初に生ずる直感的で情緒的な反応の生ずる道をのこしておくこともしている。同じように、名前のイニシアル、十字形などの基本的記号、ドア、窓、椅子、ハサミそしてその他の日用品、人体の一部分の痕跡又は外形などのしるしとイメージは、それらの範囲が、タピエスによって確信を持って入念に選ばれているので、我々は安心して、それらに接することができ、そのことにより、それぞれの固有の機会に、それぞれ前述のものがはたす特別な機能を再現することが出来る。

 従って、作品名が素材そのものの名前と直結しているということは、より深く思慮を加えた反応が生ずる可能性を妨げることにはならない。そしてこの反応は、ひとつの作品についてのより長い熟考によるだけでなく、ひとつの作品を別の作品と関連づけたり、他の作家の作品と関連づけたり、ひとつの思想体系と関連づけたり、我々におなじみの歴史的状況に関連づけたりすることによっても、起こる反応なのである。タピエス言語の神髄にふみこめばふみこむ程、それの見返りは大きい。作家との会話は、彼の作品中のすべて目に見える物を通じて、行われるのだが、このことは、いろいろな種類のテキスト・・・タピエスが読み、それによって彼が思想的影響を受けた書籍、自分の創作の動機を説明する、あるいは、ひとつの事実(状況)に対して彼がとる行動(反応)を説明するためにタピエスが書いた文章、彼の作品に就いて述べられた他の人々による批評文・・・などによって理解を深める可能性の妨げになるものではない。

78 1970年に出版された『La practica de I art』で彼が述べているように、「作品に対する理解度は、作品鑑賞者の協力度に大いに関係する」のである。芸術作品は制作者と、その作品の、活発な鑑賞者との共同行為の産物であるというこの考えは、1957年にマルセル・デュシャンが行った講演の中で明快に述べられている。この中でデュシャンは「全般的にみて、創造的行為は芸術家一人によってなされるのではない。鑑賞者がその作品の内的な質を見抜き、作品を理解することで作品を外的世界と接触させる役目を果たし、かくて鑑賞者自身も創造的世界に貞献することになる。このことは後世、その作品の最終的評価が定められる際に、より明確になる。」と述べている。しかしながら、タピエスにとって、この考え方は、いろいろな機会に会い、尊敬もしていたデュシャンを高く評価するが故にその影響をうけた、というより、「東洋思想の影響がより大きいし、とりわけ、私自身の実践…なにごとも語り尽くすのではなく言外の意味を残しておき、観る人がそれを補うためある努力をしなければならない…に由来するところが更に大きいのである。」

■生命の哲学 

 タピエスの念入りに構成された作品によく見られる「暗示の重要性」は、老荘思想と禅彿教に由来する考えを、まだ子供だった彼に教えてくれた『茶の本』・・・西洋に、日本の美学と哲学の精神を伝えるために岡倉覚三によって英文で書かれ1906年に出版された・・・が夙(つと・早くから)に認めている。「なにか一言二言いい残しておくと、鑑賞者は、それを完結する機会を与えられることになる。かくて、ひとつの傑作は、あなた自身がその一部分でもあるかのように思えるまで、あなたの注意を引きつけるのである。」

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 この独創的な文章を読むと、タピエスがとり入れた生命と芸術の哲学に対する有用な指針(それを披は、自分の目的のためにとり入れ、阻喝し、作り直したのだが)がおどろく程たくさんあることに気づく。岡倉は、簡素と素朴を賞賛し、この二つを「完全さは我々がそれを認識しようとするならばどこにでも存在する」という考えに関連づけている。そして「小さなものの偉大さ」、「平凡の幸福」を説き、日常茶飯のことに自分自身の存在を表現することについて書いている。部分にも普遍性が存在すること、禅にあっては実在が精神と同じように重要であるという認識があること、貴賤に差のないこと、「原子は宇宙と同じ可能性をもっていること」、についても述べている。

 世界をありのままに受け取ること、「悲しみと不安の世界の中に美を見出す」よう努めること、を勧めており、「老荘思想が現在を問題にしているが故に、‘現世処世術としで同思想を紹介している。」老荘思想(「それは、行為ではなく過程に興味を示す」)における不断の変化の概念(変化は連続しているという)を強調することにより、彼は死(生きているからこそおとずれる)は歓迎されるべきである(なぜなら変化は不断のものであるから)ことが説明出来るとし、「古いものの崩壊によって、再生が可能であることも説明できるとした。」

 岡倉は、禅と、老荘思想における完全の概念とに言及しながら日本の茶道における不均整と、「意味のない」反復をさけること、の二つを説明している。というのも、それらが発展の可能性を示唆し、過程を重視し、絵画の精神的完成に重点をおいているからである。彼は、「集中瞑想」法による禅の「最高の自己実現」の達成について述べ、「禅の信奉者たちが、外面的な附属物は、真実の明白な認識にとって障害でしかない、と見なし、物事の内なる性質との直接の交流を目指している」のを観察している。芸術の鑑賞において、我々は作家の魂に反応する。手先の技に反応するのではない。作家の人間性に反応する。テクニックに反応するのではない。「人は深く求めれば求める程、より深い答を得ることが出来る。」と彼は述べている。そのような美術では、それ故、人間の姿が再現されることはめったになく、鑑賞者自身という形で表現されている。タビュスの近作に特徴的(空虚への執着に対する正当性さえもそうなのだが)なことと、岡倉の文章に見られる哲学的思考との間に類似性が見られる。「老子は、空虚の中にのみ真に本質的なものが存在すると断言している。例えば、部屋というものの実体は、屋根と壁に囲まれた空間の中に見出されるものであって、屋根や壁自体に求められるものではない。水差しの有用性は、水を満たすことの出来る空間にあるのであって、その形やそれが作られた素材にあるのではない。空間はすべてを包含する故に全能である。」

■読み方を学ぶ

 タピエスによって考案された絵画的言語の解読を学ぶために、我々鑑賞者は、他の絵画を観る時には当然のことと思われている絵画上の慣習を忘れることから始めるよう期待されているであろう。特に自然主義の形式は、我々が彼の表現形式を学ばうとする場合には、遠ざけねばならない。タピエスの芸術は、より原始的あるいは形式化された芸術から、特にアフリカと極東の文化から、由来するしきたりを断固として拒否した40年代半ばから50年代初期のペインティングとドローイングのリアリズムの時期と、呼応しながら展開した。即ち、

 アカデミックな表現は袋小路に向かっており、それは他の表現方法一写真とか映像・・・におきかえられていると私が気づいた時、最初、私はとてもまごついてしまったものだ。しかし、後には、その表現方法が、造形芸術よりもおもしろく思えたものだ。何故かといえば、その時こそ私たちが他の文明の芸術と知り合いになるきっかけだったのだから。112

 タピエスの作品を観ると、殆どの作品についてそうなのだが、意味をつかもうとする意識が頭をよぎる。これは恰もそれが最初のテーマのひとつででもあるかのように強い意識である。タピエス作品との会話は、物いわぬものとのたえまなき戦い、あるいは、「無言のマーク」との悪戦苦闘として、提示される。タピエス作品中のすべての形の言語・・・記述された言語、あるいは単に絵画的な言語・・・は完全には解読されておらず、時間が経過するにつれて益々解説が困難になる象形文字に準(なぞ)えられるだろう。

 私は、現在使用されている日常的な言葉を用いてさえ、意思を伝え合うことの難しさを強く感じている。言語は一つの誤解である、とレリスがいったのは一理あることだと思う。人々は互いに誤解しあっている、互いに話が通じていると思っているが実は反対で、むしろ混乱を引きおこしている。エジプト象形文字を解読出来るようになったので、エジプト宗教の神話を理解出来たと、フランス人が考えたとエジプト学者がいっているのを少し前に読んだ覚えがある。彼らが発見したのは、解読できたとき、それ以前と同じ状態におかれたということであった。彼らは、依然としてなにも理解していなかったのである。換言すれば、我々が意志疎通のため言葉を用いるという考えは非常に相対的意味をもつ。自分が、なにか神秘的なことを伝えたいなら、それは神秘的手段でなされなければならない。私は、わざわざ、そのようなことはしない。私なら神秘はそのまま説明しようとする。少なくとも、観る人を神秘と隣合わせにしておく。しかし、私は、多くの場合全く即興で制作する。そのような神秘を獲得するには、私もまた物ごとをむずかしく神秘的にしなければならないと、私自身が気づいたのかもしれない。しかし、これらすべてはとても直感的な仕事である。自分自身を信じよう、私はなんの準備もしていない。今この時でさえ私は即興で行っている。というのも、私は答えをはっきりはしらないから。

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 東洋の書と同様、エジプトの象形文字〔この両者については、例えば「下地に赤い線のある灰色」(1957挿図1)と「フィギュア」(1994,カタログNo,38)の制作過程を通じて率直に言及しているのだが〕にあっては絵文字とそれが表す物自体は非常によく似ている。以下は彼のイメージの扱い方の事例である0即ち、それが絵具で表現されたか、粘土で表現されたか、あるいは、これらとは別の材料を用いて、何を表しているか判断出来るよう再現されたか、オブジェであるか、あるいはこれらのオブジェで又は彼の手や足で印した図形として表現されたか、いろいろあるのだが。彼の作品に見られる直訳的表現の轟い旋律は、少なくともその一部分は彼が表意文字や絵文字に興味をもつことに由来するかのように思えるかもしれない。

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そして彼はそれに由来する理由から、意志疎通のひとっの形として絵文字のような表現を用いる、という考えを発展させていったのではないだろうか。タビュスは以上のことには同意する。しかしこのような方法で世界を見るという哲学を通じて、私が内部からそれらの影響を受けたことにも同意する。実際のところ、これは全く東洋的な発想である。私がもっとも興味をいだくのはこれらの信念であり、理念であり、宇宙観であって、これらの中に表されている記号(その本質を示す)に対してではないのである。禅僧と同じ方法で思惟するならば、自分で認識しないにかかわらず、あなたも禅僧と同じ表現形式の書を表すかもしれない。

 しかし、これらは互いにそんなに似ていないかもしれない。宇宙を統合しようとする観念・・・これは中国の芸術家の理念でもある・・・それもひとつの筆づかいの中に・・・これを達成するのはすばらしいことだが全く実現不可能である。私は毎日それを試みた。しかし実現しなかった。そこで私は修正を始めなければならない。私が試行錯誤を通じて求めているものを見つけるまで、私の作品の一点一点がその修正の過程なのである。

 書かれたことばとアルファベットの文字と数字へのさりげない言及を示す表現がタピエスの作品にしばしば見られる。彼のイニシアルAとTはいわばモチーフの中に、イメージを得る方法としてあるいは署名としてよく表現される。その文字は、又、意味を選択することができるのだ。Tは時には彼の妻Teresaを意味する。TまたはⅩの形は、彼の作品の中では最も持続的モチーフのひとつなのだが、時にはいくつかの作品にあっては彼の姓のイニシアルの代わりをする。しかしより一般的には、世界の特定の場所と時間に於ける自我とその存在の最も根元的なしるしと見なし得る。タピエスにとってそれの大きな魅力のひとつは、「十字形が過去5000年の間宇宙を表すものとして世界的規模で使用されてきたことであり、中国でもすでにこの概念はあったことである」十字は自分の位置の目印としての機能もある。その結果、全く自動的に、それら十字が表現されている作品の構成の力強さの中心であり、鍵として使われることが可能になるのである。それは、恰も、クレーの作品に見られる矢のような存在である。即ちタピエスも同じ考えだと思うが、「部分を識別したり、部分を神聖化したりもするようなものである。足のような汚いものをとりあげ、それに十字形を置くことによって、それを神聖なものに変えるようなものである。」 言語による意志疎通の変形としての絵画的言語による意志疎通という変革がなぜタピエスによってなされたかについては、他の根本的な理由がある。1975年のフランコ将軍の死まで、彼の作品は、彼が反対していた独裁政治の影におびえながら制作されていた。彼の友人のカタルーニヤの人々に、30年以上に亘(わた)り、彼の方から、かくれた政治的メッセージを送りたいという願望が、彼の作品を暗号のような、饒舌でないものにしたのが実情であることは彼自身も認めるであろう。「私の作品が抗議の意味をこめて制作されたものがあることは勿論であるが、その他に、あの時代、地下に潜入していた最左翼、そして反フランコの政治家たちを助けようとする願いからのものもあった。彼らは発言することさえ出来なかったので、我々、知識人、小説家、画家たちが政治家の役目を少しでも果たそうとした。」「抗議という形あるいは明言できなかった事実を伝える手段」を利用したことを率直に認めながらも、早い時期からプロパガンダ(特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った、宣伝行為である。)になるような制作は避けようという明確な意志をもっていた。このプロパガンダは、全体主義との関連の故に彼に不快感をいだかせていたものだし、民主的にえらばれた政府に変われば、その作品の中にカタルーニヤの政治的文化的弾圧に対して、とりあげる必要がなくなると認めている。またさらに、彼のことばでいえば、もっと「形而上的で普通のことばでかろうじて表しうるか又は全く表しえない、私の意図にもっと深くかかわっている問題により強い関係のある謎めいたメッセージの他の一面を彼が用いていることもある。それから、勿論、私はこれらのもっと深遠な思考に人々を近づかせようと試みるメカニズムをさがし求める。それらの思考を知的に解釈しようとはしないが、それは、それらがそのように解釈できないからではなく、私はいわば、思考の解釈の手がかりを与えるのである。事実、すべての芸術家の作品についてそれを観る人は思考(制作意図)を推量することができると私は信ずる。すべての思考が明快に説明出来るわけではない。しかしある種の哲学、ある種の思考は、もし人が望むなら、政治的行動を容認しうるものを暗黙のうちに内包している。

■試行錯誤

 タピエスの仕事にとって重要なことは、芸術作品は、洗練された芸術家の伝統ある材料だけから作られるのではなく、手に入るどんなものからも制作されることが可能であるという認識である。1940年代半ばに実験的に制作された‘ミクストメディア’の作品は、1953-4年に始められた‘素材絵画’作品を予感させるものであったが、この作品は直ちに彼を有名にした。

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 そこから脱却しようとしていたアカデミックな伝統に固有の油絵の光沢に不快を感じさせられていた彼は、作品の素材を想起し易く、より日常的な感じを出すために、絵具に他の物質を混ぜはじめた。彼はどんなことも試してみる気になっていた。缶の底で乾いた絵貝をキャンバスの表面に塗りつけたり、砂を絵具に混ぜたり、カンバスの表面に糸や他の異物を飾りつけたりしたが、これらはすべて「純粋なる即興」の精神にもとづくものである。台所の食器棚の中をのぞいて、彼は粉末大理石(ポットと平鍋の研磨材として家庭で使われる)の包みを見つけた。この粉末を用いた最初の試みは満足すべきものでなかった。というのは、油と大理石粉末の混合物はひびが入ってしまうのである。かくてこの試みは放棄された。しかし間もなく彼は大理石粉末を使いこなすことができるようになり、その時以来、どのような素材を用いても、活気のある、さりげない自然な感じの作品を作る通が開けたのである。そしてこの道が彼を、最も因習破壊者的な作品一例えば1962年の「暗い灰色の筋」、同じく1962年の「三枚の厚紙」・・・、あるいは厚紙の上に制作された作品、あるいは有機的材料をも用いた作品一例えば1969年の「大きな藁の包み」・・・などの制作に導いた。

 タピエスは自分の使用する制作材料に対してどんな重要性も、なんの意味も認めていない。それら材料は、目的(作品)に至る単なる手段とみなしていたから。しかし彼はどんなことでも試みるつもりでいた。彼の発展経過を学ぶひとつの方法は、彼が用いた制作材料とその過程を通じてである。それは大まかにいえば、1950年代と60年代初期の素材絵画からはじまって、この年代および60年代後半から70年代にかけてのオブジェを用いた作品がよりふえた時代まで、そして最終的には1980年代から90年代にかけての透かし細工のような作品(そこでは以前、素材絵画の下地として用いられていたニスが半透明な絵貝の代用品として用いられているのだが)、までの過程である。

 彼の素材絵画の中で、タピエスはダダとシュルレアリスムに関連する技法、あるいは両大戦問一特にジョアン・ミロ、マックス・エルンストそしてパウル・クレー・・・の絵画、そして第二次世界大戦後すぐ発表された、ジャン・デュビュッフェやジャン・フォートリエらの絵画に関連する技法に自分でいろんな変化をつけている。シュルレアリスムに対しては視覚芸術としてより、文学的、理論的思考の点で一般的な関心をもったにすぎないとタビュスは主張しているが、1948年から1950年代初期にかけて彼の絵画は明らかにシュルレアリスムのスタイルと夢幻的形象の影響をうけている。彼はこの時期をすぎても、素材絵画の中で、シュルレアリストの絵画によく見られる特徴を頻繁に用いていたが、ただ、ひとつ条件をつけていた。即ち「もし他の芸術家にひとつの言葉が非常に特徴的であることに気がついたら、私自身はそうなら・・・ないよう気をつけるだろう。」という条件である。1952−3年ごろ彼が自分の仕事をもう一度やり直す(ゼロからやり直すのではなく、シュルレアリスムの中で明確にではないが直感的に知った方法をもう一度たどる)緊急の必要があると考えたとき、彼はチャンスやアクシデントを利用するように創造力に富んだ潜在意識下の、無秩序な衝動からくる反動にもっと意味を与えてみようと決心した。彼の見解では、これは合理主義の拒絶ではなく、むしろ自分自身の可視言語の「認識論的な可能性」を拡げ豊かにする試みなのであった。彼は、紙と油彩の作品のために、「扇と矢印」(1987)19のような、「真の」世界が崩壊した証拠を用いて画面を生き生きさせる方法としてコラージュの技法、落書きだらけの壁のように粗い質感を出すために表面に切りこみを入れる「黒と白のコンポジション」(1954)のようなグラタージュの技法凹凸のある表面へのすりこみによって画面に転写しいろいろな解釈のできるイメージを創造する紙の上の偶然性のある作品であるフロックージュの技法などを利用した。

 もっと一般的ないい方をすれば、無意識の根源に入りこむ方法としての、シュルレアリスムにおける、「純粋に精神的なオートマティスム」の重要性はタピエスによって開発された瞑想状態に入ることによって自分を勇気づけることにより、意識コントロールから自分を解放する方法にいきいきと反映されている。それは1940年代後期のジヤクスン・ポロックや他の抽象表現主義者たちの場合のように、素材として又は純粋に視覚的プロセスとしてのオートマティスムの問題ではなく、ジョイスの用語としては意識の流れ、精神分析学でのいわゆる自由連想法といわれている、フォルムとイメージを引き出す方法としてのオートマティスムの問題なのである。「アトリエの壁にそって規則的、機械的に歩き回ることは私にストレスを引きおこすのだが、そのことがかえってイメージを与えてくれることに私は気づいている。確かに他の芸術家は薬を飲むかコーヒーを飲むことで自分を刺激することが出来る。私にはこの歩き回るという方法がある?私は今もこの方法をとっている。この方法はとても役に立っている。」このようにして偶然の可能性とか偶発的な効果の可能性を利用したり、素材が相互作用や有機的流動の結果として、それ自体で形態を決定するがままにしておいたりすることで、タピエスは自分が自然と一体になっていると宣言している。と同時に、彼自身の気質と体の運動に合致しているということも認めている。特別な色・形・素材に対する潜在意識的な偏愛にもとづいて描いたり、同じように、これら色・形・素材を用いた制作の蓄積された経験にもとづいて描いたり、しているが、タピエスはそこに一定のコントロールを保っている。と同時に、自分より大きな力と対話することにより自己の限界を凌駕する可能性があることをも暗示している。

 大多数の人々に共通のイメージ、芸術家たちに特有のものではなく誰にでも経験ずみのイメージ、を生じさせるプロセス・・・これは心理学者が「象徴化のプロセス」として言及しているものと、私は思うのだが・・・を私は惹起しようと思う。私は自分自身について試してみた、なぜならそれが制作の方法だったから。しかし制作は別の方法でなされることが可能であった。パスツールがワクチンを試すとき、自分の腕に注射してその効果を知ちた方法と、私の方法とをいつも比較するのである。この方法は少しそれに似ている。私はいくつか試み、そしてその試みをやめる、そして次の日新たな目で、その結果を検討し、それがどんなにすばらしいかを発見するのである。それは全く実験的なことである。なにがおこるかわからない。年が経過し経験をつむに従い、当然のことであるが、素材と形態がどのように互いに影響し合うかを時々私が知るということがありうるのである。今や私は自分のことば(表現手段)をより上手に統御している。

 タピエス作品のイメージが、時々なんらの先入観なしに、制作のプロセス自体を通じて表れたとしたら、それ以外の場合には、作品のイメージは、概略図として描かれたデッサンにもとづいて表される。乾きが早く、修正のきかない素材のほうを好むことで、タピエスは意図的に危機を求め、自分自身をわざと、制作上有効で創造的な気分にしてくれる心の状態にもっていく。タピエスが総合的に与えられたそれまでの諸様式㍊をタビュス個人としては全く無視していることのあかしとして、「不明確で一定の様式のない表現方法を再び用いること」を自分の仕事であると示唆しているが、この議論は必然的に不完全のように思える。なぜなら「不明瞭で一定の様式のない表現方法」は、それが暗黙のうちに拒否している構造と秩序であると積極的に、見做(す)かされされているので、それが無視していることのあかしと思われる理由はないのである。更に、彼の仕事にはカオスに秩序を与えたいという願望が明らかにみてとれる。そしてそれはこれらの正反対の衝動(タピエスの作品が、人間行為のモデルとしての正当性を置いているのだが)からくる緊張に由来するのだ。

 タピエスが自分の作品の素材を実際に研究する方法の変遷は、ここ何年かの間に、異なった形をとってきた。しかし、そこには常に我々の存在を支配する力に似た先導的な働きをする力と先に進もうとする意思か、デリケートなバランスを保つ感覚が存在した。我々は、例えば、いろんな失敗に呼応して適応していったり、自力で自己を作り上げたりする方法を学び、そして自分の願望にそって自分の人生を構築しようと試みる。しかし、我々は、我々がどうすることも出来ない力が常に存在すること、その力に対し、我々の知力と感情と意志だけで無意識のうちに武装して、対抗しようとしているということを認めざるを得ない。同じことがタピエスの作品にもいえる。彼の作品はそれらがありふれた形どおりの決断に律せられて制作されたのではないという単純な理由によって、単なる形どおりの観点からでは充分な分析はできない。それぞれの構成部分は、それらがいかなる素材でつくられているにしろ、人間的、そして道徳的な意味さえ、不可避的に持っているひとつの過程の要素の代わりとして活用させられてきたのである。最も形式的に制作された作品、例えば「黒い角」(1962)にさえ上のことがあてはまるのである。

 なぜなら、それらの作品の図柄・輪郭は作品を制作する時に決定されるのであって、前もって決められているグラフィックデザインとは異なるのである。それぞれの作品がこのようにして世の中での行動様式と自分の方法とを話し合う手段の根拠を示す、ということができる。この目的に対し、タピエス作品の表面にしばしば彼の手又は足・・・彼の素材に文字どおり手や足を置くことになる・・・で直接しるされたか又は刃物からドアの頬まで人間生活を彷彿させる物でしるされた痕跡について特に雄弁な証例がある。

 人間性は、タピエス作品にあっては、単に自然の一部として表現されている。そして、その結果、地球やその構成要素と同じ力に従属している。このことは、「側面にⅩのある大きなレリーフ」(1961)、あるいは「褐色の上の白と黄土色」(1961)のような、より大きい有機的な力が関係すると思えるような作品にも、見られることなのである。

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 そこには、すべての事物に関連する感覚がある。この点に関しては、「壊れたプレート、ガウディヘのオマージュ No.Ⅳ」(1956)という絵をタピエスが捧げた、世紀末カタルーニヤの建築家アントニ・ガウディは、同類である。彼ら二人の有機的流れの描写:ガウディが作ったグェル公園のアーチ形建造物の仕事に最も顕著に見られる、自然のプロセスと構成の人工的模倣:材質感に生気を与えるちょっとした物で飾られた外層-これは日々の現実の出来事についてさりげなく言及し、普段は正当に過されていない、人々の創造能力と創意工夫を讃えるものなのだが・・・これらに見られるように二人の問には堅いつながりがある。

 1960年代初めまでに、これに先立つ10年間に制作された壁のような素材の絵画よりもより抑えた方法で描かれた、人工とも自然とも見分けのつけられない作品がタビュスによって発表され始めた。1961年制作の小さな作品「I」の中で、タイトルの頭文字が、崩れる波にぬぐい去られる直前の濡れた砂に書きなぐられた印のように、いろいろな色の混じった厚い絵具の中に刻み込まれている。ここには、短命のものに永遠の命を与える感覚、逆にいえば、すべての事象の短命さの感覚、そして存在するものが絶えまなく変遷する間に行うすべての行為がおだやかに根絶していくという感覚がある。このような場合、作品それ自体の中に、いつかは消滅するという暗示又は死すべき運命にあるという暗示がある。このような考え方は、タビュスの諸作品の中に異なった形で現れてくる。例えば表面を力いっぱいひっかいた「ダブル120」(1967)のように外層をより厚くした作品の中に、あるいは「木の2枚折り」(1983)のように、1980年代の「ニス」を用いた諸作品の内の最小の作品の中に、あるいは湿った息のように表面にぴたりとつく筆で描くときの動きのように殆ど目に見えないような繊細さの中などに現れてくる。

■人間のしるし

 可視的な引喩、詩におけると同様に、ひとつのものを通じて他のものを理解する手段として利用されていることにより、タピエス作品にあっては顕著な役割を果たしている。素材は、単に、人体の形や機能的な物体を表すだけではない。素材はそれらに具体性を与えるが、一方では、それ自体では動かない物質としての本質は保ち続け る。我々の目の前でひとつの物質を他の物に変えるこの過程は、・・・魔法とくに錬金術とくに錬金術と深い関係があるのだが・・・タピエスが例えば「椅子の形」(1966)や「わきの下の形のもの」(1968)などのもっと一般的にいえば、タピエスの絵画に根源的な物質・・・・土、泥、水、血、精液その他の排物・・・を混ぜた作品と、自然、我々をとりまく気候、地勢、腐敗、生と死の輪廻などの有機的過程をふまえて制作された作品との間には、明確な同一性が存在する。

 美術史家リンダ・ノクリンは、最初の研究で、18世紀末の早い時期に始まった、現代美術における人体の分裂、さらには手足などの切断の表現は「取り返しのつかない損失、失われた完全性に対する痛恨の後悔、消滅した全体性、などを意味する」と、論じている。タピエスにあっては、上のような場合は、肉体的苦痛を含み、カトリックにおける祈りをこめた供え物(傷が癒されるようにという望みをこめて教会に置かれた、ひとりの人間の傷っいた部分・・・腕とか脚・・・のミニチュアモデル)と視覚的に匹敵するいろいろな感情を表現しているのだ。タピエスは若い頃にカトリックの教えを拒んでいるのだがこの点に関しては、その影響が残っていることは認めている。「私は時々、祈願成就の供え物に注意を払うことがある。それらの供え物はそれに関連したいろいろな、制作上のアイデアを与えてくれる。それは、事故のようなものかもしれない、外科手術のようなものかもしれない、あるいは、反対に、それはなにかきれいなものをさがし求めることなのかもしれない。それはドラマティックになるべきではない。」さらには、彼の絵画の中では、怪我と癒しの過程にひとつの相関関係があり、タピエスは彼の作品にちょっと触れるだけで、鑑賞する人が自分を癒すことが出来るという理想をさえ語っているのである。私は仏教をより深く知り、生は苦痛と、苦痛に満ちたすべてのものから作られていることを知ったとき、間違いなく私に最大の印象を与えたことは、苦痛を示し、世の中の苦痛を抑える方法を示すことであった。」タピエス作品で繰り返されるイメージは、しばしば性的な告発を意味し、あるいは身体的機能と官能的欲求に関するタブーについて語っているのだ。このことは、「扉でも窓でもなく」(1993)の場合のように、彼相いる人間の生殖器、足、肛門、のイメージより、人間の使用によって汚れている無機的対象物のイメージによりよくあてはまる。それは我々自身を知ることの問題であって、見せかけとか心遣いなどの入る余裕などない。実際、この種のイメージを最もよく表している作品が1966年妻テレサに捧げた56枚のスケッチの連作である。一般的な社会環境の下でやるように、これらの作品を、単に優しい愛情の営為として、または、上品な外見に対する弁解として利用することはしないで、彼はそれらの作品に、男と女の生殖器、そして糞便を排泄しつつある肛門といった最も極端であからさまなイメージを、組み入れた。食物と排泄、性交、出生と死、これらの外になにがあるか。タピエスにとって、精神性は、自分を高めるある高慢な形のエチケットとして定義づけるのではなく、それとは反対に、それを容認することにより下等な物質性からの超越を定義づけることが出来る。「わきの下の形のもの」(1968)に見られるように、そこには我々の最高の願望をもふいにしてしまう、不完全な肉体的自我・・・毛深く、汗くさく、悪臭を放つ・・・・に対する、率直なユーモアと素朴な賞賛がある。

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 ピエスは精神分析に関する文献、フロイトの著作、そして特にユングの著作を深く研究したのだが、それでも、増して、油彩と素描の実際の制作を通じて、上述のようなイメージを自分自身で発見しようと努めている。「多分、自分自身を失うこと、正気に戻ることが出来ないこと」、自分のことをたくさん知られること、を恐れてタピエスは精神分析を受けなかった。しかし、彼の見解では、真実らしく思えたり、強く感じたり、心を乱したりするモチーフに到達したと思えるのは、シンボルの辞典に頼ったり、すでに理論的分析を受けているイメージに頼ったりするよりは、自分自身の潜在意識を活用したり、自分自身の経験を描いたりした場合だけである。「一般的にはあなたの潜在意識を解放するのはよいことのように思える・・・常にではないが・・・・そして結局、その上より正常なフィルターが我々を助けるべく存在しなければならない。しかし、概ね、私にとって創作の方法は、空想的でとてもとても興味のつきないことなのである。そしてまだまだ開拓すべきたくさんの創作方法があると思う。」

 集合的無意識から着想された元型に関するタピエスの考えは結局はユングの思想に由来するということを彼は素直に認める。

 これは私に芸術が持つことのできる、より社会的な使命を、認識させた。それは一個人の中にとじこめられれているなにかではなく、まさに、精神的に正常でない人々によって経験された一種の自家受粉のようなものである。それどころか、ユングは無意識の中に狂気の面が実際に存在すると述べている。しかしそこには、人間がもっている象徴化の自発的なプロセスのように非常に良い面も悪い面も又存在する、とも述べている。それ故に、元型は、我々が知識を理解したり、知識に侵入するのを助ける集合的無意識の内部の共通する型という発見の構成要素となる。それは知ることの別な方法なのである。

■日常生活のオブジェ

 絵の制作に、普通家庭にある物や時には土さえも使ったように、タピエスは、1950年代には、日常生活をとりまくいろいろな物からとり出した、最も親しみのある物体について言及し始めた。最も率直に心情を述べたエッセイの一文で書いているのだが、目をとめるに値しない程つまらない物は存在しない、といっている。「黄土色の絵画」(1959)、「灰色の上の黒い十字」(1955)、「5つの穴のある灰色」(1958)、「点線の入った大きな絵画」(1958,カタログNα3)などの造形的作品に見られ、後に壁と呼ばれた言葉

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 この言葉は、1970年初版のエッセイ『Communucasio soble elmur』で彼が語っているように、特に多くのものと関連のあることばである。関連のあるものとは‥彼の生地の建築物:政治的抗議又は人間的欲求の表現のパブリック・フォーラムとしての使用:考古学の論文から、ダ・ヴインチの助言、さらにはブラッサイの写真にまで、多岐にわたっている芸術的先例などがあり、さらにタピエス自身の姓・・・カタルーニヤでは「壁」を意味する・・・・まで関連があるのだ。その結果、窓枠と特にドアは壁と同じように、ルネッサンス絵画のしきたりをはっきりと拒絶し、その向こうの広がりへの開口部として、繰り返しとり上げられるモチーフとなっている。と同時に、これらのイメージをもとに、彼は、ある意味においてはより字義どおりに上の概念を再解釈するのだが、それは何故かといえば、絵画は、それが表している物の実際の形をとるからであり、更にもっと深くいえば象徴的な形をとる、というのも「その向こうの広がり」もっと純粋に想像的な意識から生まれた概念だからである。このような2つの解釈は、タピエスの意図することの一部なのである。

 いわゆる‘窓絵’を拒否する方法はある…ひとつの幻想にとどまらず、絵の内容に観点を向けず、関心を内容以外のものに向けること、がその方法である。絵をひとつのオブジェと看做すことである。私は常に言っているのだが、絵画はひとつの窓であることを止め、絵それ自体の力でひとつのオブジェにかわってしまっているのだ。それ故に、私は時には絵の端にまで注意を払うし、作品が首尾一貫するように時々絵の裏にまで気をつかっている。勿論、作品には象徴的な部分が存在する。ドアは、それがどんな形で(どのようにして)造られたかによって、それぞれの象徴的な形を有する。しばしば、私は開けようと試みたがドアから外に出られなかったり、刑務所から逃げ出せなかったりしたときにつけられたキズがあるように見えるドアを作る。…しかし、同時に、そのドアは純粋に絵画上の、音楽上の構成の一部を形成してもいるのである。この点から、私はミュージック・コンクレートのある面と、私の制作法が一致していることを知ったのである。

 同じ形のオブジェでも「単に色を変えることによって」異なった暗示的意味が存在しうる。「例えば、黒い色のベッドは青色のベッドと違う。これは私が熟慮の上で行っていることである。」ベッドそれ自体のイメージは「多くの異なった意味と関連したことを思い出させる。ベッドは寝るためのもの、夢を見るためのもの;夢についての空想、ベッドでセックスすることの夢想、ベッドでの死、たくさんのことを思い出させる。」若いときの思い出もその空想を助長させる。

 1929年バルセロナで国際博覧会が催された時、サーカスの余興で私は非常に野卑な印象を受けたことがあ  る0父が私をそこに連れていってくれたのだが、そこで突然射的の′順に入った0その射的は、体を布で覆  つた若い女が、ベッドに頓になっていて、ボタンを撃つとなにか電気的な仕掛けが働いて、その女が裸同然  でベッドから転がり落ちる仕組みになっていた0そして父が私に「見てはいけない、出なさい、ここから出  なさい!」といったのを覚えている0父は私を外に出した、そして、以来この常ならぬ印象は私の記憶に深く  きざみこまれてしまっている0女性をそのように扱う・ことは、とても恐いことのように思えた。夜ベッドか  ら転がり落ちるという考えも又奇妙である。そのことは、突然脚月をあてられたときの感覚と似ている。し  かしこれを私はフランス語の所謂「illuminationsoud血e」の概念とも結びつけて考えている。

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 そのようなイメージを特徴としている一点、「褐色のベッド」(1960)は、アメリカの美術家ロバート・ラウシェンバーグの混合技法の絵画の「ベッド」(1955)(本物のベッドが絵貝で汚されている。ニュづ-ク近代美術館勧と興味ある類似点をもっている。両者とも、ベッドルームという静養と夢と性的行為の場である私的な領域から、最も平凡な物のひとっをとり上げ、そしてそれに、特に性的な意味を与えた。ひとりは凌辱(りょうじょく・個人の尊厳を傷付ける言動に出ること)の意味でベッドを絵具で汚したのである。タピエスの作品はベッドを上から眺めたような形をとっている。一番高い所に枕の形をした突出があり、まるで一組の足でつけられたような印の二つの荒っぽい円形の切れ込みが一番下にある。これらを見た感じが殆ど球状であるということが畢丸をも連想させ、さらに性的ないろいろなものとのつながりを強調する。人の形は表現されていないが、このオブジェ作品は、人の存在と、暗に裸であることと傷っき易いことを印象づけるのである。全体の褐色の印象は口にすべきでないが、しかし、完全に自然で日常的な行為を思い起こさせる。それはタピエス作品ではもっと明白に排便のイメージを想起させる。「幻想の国(1987)などに見られる、はきふるしたズボン、パンツや汚れた靴下などのように、タピエスがオブジェを選ぶ際は見苦しい物にするという内在的な意識がある。

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 我々はそれらのオブジェを見ると体とその機能を思い出してばつの悪さを感ずるのだが、常にこのような場合だけとは限らない。他の作品、例えば「椅子の形」(1966)に見られるように、もっとあたりさわりのない、実用品的なオブジェの使用も、同様に、人間の存在を想起させるが、前の例のオブジェのようなショックは与えないし、不快感を与えるなれなれしさも伝えない。他の作品の場合、「テレサ・シリーズNoⅫ(1966)の中のカップと受け皿の場合のように、とても親しみのあるオブジェを見せられるので、違和感をもたず当然あるべきもののように思ってしまう。しかし、それらのオブジェは日常生活の交流の中でひとつの儀式的な役割をつとめている。「ハサミのアウトライン」(1966)などに見られるように、開いたハサミは、暴力に汚染された人間の行為の意識を伝えると同様に、彼らがまねるⅩの形のように、場所の印と自分のためのしるしとしての役目を果たす

 そのようなモチーフが作品化され、それらに意味が与えられる過程は、1点1点ごとに変わっているし、制作のそれぞれの時期を通じて変わってきている。立体派の作家たち、特に「既製品」シリーズの作家としてのマルセル・デュシャンによって確立された伝統にならって、タピエスは自分の作品の中に、現実に存在している日常的なものを、オブジェとして持ちこみ、その物をあるがままの姿で提示した早期には「金属のシャッターとヴァイオリン」(1955)、そして「大きな黒いレリーフ」(1973)に見られるように、それらのオブジェの表面を絵具で覆ってしまい、それらが美学的な言葉で根本的に再定義されるようにしたのである。

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 タピエスは又オブジェの表面の背後にかくれている幻のイメージをも創り出した。例えば1枚の紙や非常に上質のキャンバス地を用いてなにかある物質を立体的に包みこみ、その上でそれを端の方からひろげていくことにより一種のキアロスクーロ効果を出している。もっと近い例で、彼の金属を用いた作品では、伝統的なエンボス技法を応用してオブジェの外形が形づくられている。しかし、家庭生活をとりまくすべての日常的な物品を調和する、人間性を感じさせる意味こそ、彼の作品に、常に、見られるものなのである。例えば、最近作「つぎはぎ」(1993)では糸そのものでなく、裂け目を繕う糸の使い方を強調して制作されている。このような方法で、制作過程は、容易に理解することのできる日常の活動と関連づけられるのである。同様に空のコンテナの作品「箱」(1993)は、開いた状態で我々に提示されるのだが、この作品はタピエスが空虚という観念に持続的関心をもち続けていることを示すものである。この観念は、我々自身の情緒と理念を自由に投影するためのひとつの開かれた空間としての作品の本質に対して鑑賞者の関心を明快に呼び起こす。

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■連続と伝統

 タピエスは、現代生活の諸相に対する不満、「機械によって作られたいろいろな物の磨かれた、きれいな外観」に対する嫌悪についてしばしば言及している。ライムンドゥス・ルルスとバルセロナゴシックの四半世紀の哲学的著作に表された中世紀に対する特別な好感を含んだ彼の言及は過去数世紀に及んでいる。継続という意識は、タピエスの絵画の生地そのものなのである。というのも、タピエスは、絵画の中で、人に、最終的結果を生み出させる、時を再現させてくれる行為の継起をあらわに表現するからである。壁やドアに対する彼のイメージには古さが感じとれるし、焦げたような色の土の表現には時を超越したものを感じるが、意外に思えるかもしれないが抽象芸術の形式的展開と前衛芸術の技術的実験の背景を除外すれば、彼の作品はすぐれて20世紀後期のものである。過去に対するいろいろな言及にもかかわらず、タピエスには過去のある時期に生活してみたかったという願望はない。タピエスは、一方で、感傷的な意味での、ノスタルジアはほとんど感じさせないが、他方、今日の出来事とか人間像についてはしばしば、具体的に言及している。それだから、タピエスの作品を鑑賞する人は、外部世界の厳しい現実から逃れるチャンスはほとんど与えられないのである。タピエスの作品の中で我々が経験するのは過去の出来事をロマンティックに扱うことではなく、連続と伝統をしっかりととらえることである。

 異種の文化をまぜ合わせる仕事は私にとって・・・多分私だけでなく、私と同世代の人々にとって・・・そして、未だに充分に価値のある過去の知識の体系を再現しようという希望をもっている私にとって、基本的でそして唯一の仕事なのである。仏教のある面における知恵はとても現代的なので、我々が聞いている仏教のいろいろな教えがとても新しい発想であることを知った。過去のもので我々が守り育てなければならないものがたくさんある。それらのものが永遠の価値を持つと私はいっているのではない・・・というのは、永遠の命を持つものなど多分存在しないから・・・しかし過去のものが存在するということは、かなり永く続く価値は持っているからだと思う。 

 超自然的なことを考慮に入れずに、自分自身の問題を解決しなければならなかった釈迦の知識の体系としての仏教のある面は、ひとつの概念として現代精神にすでに関連づけられているのである。私は他の古い文明を調べて人間の現実を理解するためのしっかりした根源のようなものを明確に残している面があるかどうか調べる仕事を自分に課している。

■ジレンマと矛盾

 タピエスの作品には、正反対の意図や表裏逆のものなどの例がたくさんある。私が言及している矛盾についての究明はフォルムに対する強い意志(これは壁又はドアとして絵画を展示したときに、あるいは足や体の他の部分、又は家具の一部の似姿としての表現に見られるのだが)によって均衡を保たれている。彼はニスを最初は描画の素材のひとつとして用いたのであって絵の表面の保護材として用いたのではない。ニスを用いて、半透明より不透明が習慣的に好きだった自分に反抗した。それと同時に、液体と固体の関係、変化と不変の関係、静止と硬化の関係について究明を続けている。描いた作品は垂直に立てて展示するのに、平らな床の上で制作するという過程には矛盾があるし、木枠に張ったいろいろな作品をキャンバスの裏側を表にして展示することにも矛盾がある。

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 タピエスのある種の技法の中に見られる激しさ・・・・絵画の表面を突き刺して穴をあけたり、まだ生乾きの絵具を部分的に切りとったりすることなどを含む・・・・は絵画・・・(それはいまだに制作されつつあるのだが)の構造的な無欠性を脅かしさえするように見えるのだ。

 対立する力という角度から働こうとするこの傾向に対して、人は何を貢献出来るだろうか。ピオ・バローハが、その小説『パラドックス,王』(1914)で「破壊は創造である」という所信・・・・帯政ロシアのアナーキスト、ミハイル・バクーニンによって早くから述べられていた・・・に示した賛意は、私がこれまで主張してきた明白な矛盾の全部ではないが一部の、説明にはなると思う。一種の錬金術の過程としての芸術の存在を信じることも、ひとつのものが他のものに変えられていく衝動を説明する助けにはなるだろう。さらに、そのような知的又は哲学的正当化の及ばない所、もっと根源的で潜在意識下のレベルで、タピエスの仕事は、一方では行動と自己過信の問の、他方では試みと不安の間の主導権争いを暗示している。絵の表面は、どの様な意志表示の行動も必然的に意味のないものにしてしまう空白として呈示される。しかし、その空白が一人生のなにかの選択のように一目的を達成するには、それを確信する勇気が必要である。

 自己を理解し、世界における自分の位置を理解する知的過程に対する絶えまない言及が、タビュスの作品には見られる。このことは、自己を、自己の肉体と物質としての存在を、そして最終的にはもっと高尚で概念的なレベルで自己の本質を、漸進的に認識するのに影響を与え、そして自己と外界をつなぐ仲介者としてすべての人間社会に存在する椅子、窓、ドアなどの基本的なオブジェの役割と性質についての意識をも漸進的に認識するのに影響を与えてもいる。そのような方法でタピエスの作品は、世界中の人間の経験を表現したりそれに形を与えるばかりでなく、我々が生まれてから死ぬまでの自分の人生行路を切り抜ける過程を再演して見せてくれる。そのような理由で、タピエスは自分の芸術を作り上げるタブラ・ラサ(訳者注‥精神の無垢な状鼠白紙状態)を創造しなければならなかったのである。このおかげで、我々鑑賞者は、蓄積された先入観をはらい落とす勇気を与えられると共に、世界を、あたかも初めてみるかのように、発見する勇気も与えられるのである。