モダンとポスト=モダンの間のイブ・クライン

ピエール・レスタニー

 このたび西武美術館の配慮により,1985年7月から1986年 2月にかけて・日本各地の美術館を巡回することになったイブ・クライン展は・1982年から1983年にかけて,アメリカとフランスで開かれた一連の展覧会を引き継ぐものである。イブ・クラインの回顧展は,ドミニク・ド・メニル夫人の熱心な発意によって,1982年2月から5月まで,ヒューストンのライス美術館で幕をあけた。

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 この展覧会はその後,1982年の6月から8月にかけて,シカゴの現代美術館に場所を移し,1982年11月から1983年1月にかけてのニューヨーク,ソロモン・R・グッゲンハイム美術館における展示で,アメリカでの巡回を終えた。展覧会はかなり内容を変えはしたものの,1983年3月−5月のパリ・ボンピドゥー・センターに受け継がれる。この巡回展の際に,2種類のカタログが出版されている。アメリカではヒューストンのライス大学美術研究所とニューヨークのアーツ・パブリッシャー社が共同で資料を刊行しており,フランスの方はボンピドゥー・センターの出版である。

 時を同じくして・1982年の春に,豊富な資料にもとづく最新の研究成果をまとめた,私自身のイブ・クラインに関する著書が,パリ,ニューヨーク,ミュンへンで同時に刊行されている。

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 こうしてふんだんに資料を提供されることによって,アメリカやヨーロッパの人びとは,クライン現象をある程度の時間的距離をおいて考え直してみること,人物一作品の神話的関係を、当然のことながら80年代初頭という時代の社会一文化的風土の中に組み込んで分析することが可能になった。私自身もこうした反応について熱心に研究した。「20年後に」と題された文章はそれをよく示すものであり,この試論の第I部を構成している。このように年代を厳密にしておくのは,むだなことではない。われわれが生きているポストモダンの断絶の時代にあっては,時間の加速はすさまじいものである。その時その時が重要である。1985年の風土はもはや1982年のそれではない。

■クラインとは誰か?永遠の問い

117-青の時代1957年

 まず最初に,この最近の経験に照らして,基本的な問題に立ち返り,次に同じ思考の線にそって,その問題を当今の議論の核心へと投げ出してみよう。それはあなた方,私自身ばかりでなく,読者であるあなた方のためでもある。イブ・クラインとは誰か?誰がいるのか?誰が誰なのか?1955年にわれわれがはじめて出会ったときに,私が立てた問題がそれだった。彼が生きているあいだ中,1962年に彼が死んだとき,20年後の1982年,そして今日でもなお,私は同じ問いかけをしつづけている。今なおつねに,というのは,私はこの問いを実存の標識、存在論的指示対象として自分の身につけてしまっているからだ。永遠の問い・・・そのもっとも目立たぬ潜伏期においてさえ。はてしのない問いかけ。それは私が答を出せないからではなく(私が答を出せないとしたら,誰がその点についてなんらかの考えを抱くことができよう?)・・・まったく単純に,人間と作品との綜合が神話のレヴェルで行なわれているからである。それは多様な解釈を受け入れる日常的な生きた神話であり,客観的に自立したその軌道は一方からもう一方へと,とどまることなく進行する。死後まで生きのびた神話は,第2の現実,イブ・クラインの概念的な分身,モノクロームの存在に対する非・・・存在のクラインをつくりあげた。その変化する実体は,「他者」の転移による不安定な偶然の産物である。この他者とは,〈事例〉の模範性,その判然とした投影によって惹起されたあらゆる解釈,あらゆる註釈,あらゆる説明,あらゆる大げさな触媒反応の沸きかえるような一団である。

 クラインのコミュニケーションには非物質的なものがある。彼は合理的,精神的,または神秘的な面で説明をつけようとするすべての解釈体系の鍵,すべての指示記号に挑みかかる。そしてこの非物質的なものは類推と同じように超越をも相対化してしまうのである。

 近代性を信じるカトリックであり,秘教的な存在者/非・・・存在者であり,ポスト=モダンの技術文化の転換者であるクラインは,われわれの諸差異の差異をつねに示しつづけるだろう。

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 モノクロームの冒険のいくつかの転回点の共犯,証人,書記・・・予言者として・・・なぜなら私はその命名者であり,クラインの文章にそのタイトル,つまりはその形式上の特異性を与えたからである・・・私は,1955年から1962年にいたる7年間の彼の歴史的発展の期間,〈作品〉における〈言葉〉の管理を引き受けてきた。私は彼の最初の註釈看であり,長い間私のはかにはいなかった。したがって私は,クラインの死後,歴史から伝説へ,論争から解釈へ,人間と作品との明白な矛盾から集合的想像力への神話の目ざましい投影へと電撃的に移り変るさまを,第一線で独占的に目撃することができたのである。

■近代の偉大と退廃 

 この移り変りは,近代性の旗印の下,1962年に一挙に行なわれた。前衛主義者として顰蹙(ひんしゅく)を買い,異議を申し立てられてきたイブ・クラインが,われわれの近代の伝説の人物となったのである。それは正当なことであった。クラインはその絶頂期に,近代の理想のすべてをまったく無邪気に信じて生きてきた。この1945−60年という戦後の15年間は・第2次産業革命が最高潮に達した時期であった。堅い素材を制御することによってエネルギーを支配し,われわれの惑星のハードゥェァの支配者となった西洋は,つかのま,自らの運命をも統御できるように感じた。そこでジュール・ヴェルヌの跡をたどって,宇宙空間の征服に乗り出していったのである。

 1955−60年の頃を思い出していただきたい。西洋全体がジュール・ヴュルヌのように考えていたものだ。どうしてそれがいけないことがあろう?未来学者たちは2000年まで地球がどっぷりエネルギーにつかっていると予言していた。手の届く範囲の全エネルギーをもってすれば、いかなる夢も気ちがいざたではなく,〈ユートピア〉とか〈キマイラ〉という言葉は辞書から抹消されてもよかった。イブ・クラインは進歩についての作戦上の神話を,〈技術のエデンの園〉における自然状態への回帰を,自然の広大なひろがりの空気調節を・空気の建築を,なんの留保もなしに,かぎりなく信じた。天国の入口はすぐそこにあった。もう一歩踏み出すだけでいい。イブリレ・モノクローム(単色者イブ)はむぞうさにそこを越えよぅとした。彼の周囲の人びとはほはえんでいた。あれは一種タラールの聖なる子,聖杯を探し求めるタンタンみたいなものだ。と人びとは言っていた。最後に彼はすさまじいまでに渦中の人 となった。それに感づいた人びと,とくに芸術家たちは,本能的に,寛容または賞賛のいずれかに傾いていった。

 クラインの死は,こうしたことすべての決着を宙ぶらりんにしてしまった。きわめて早い時期に,石油危機とドル危機 によって,金持ちの世界は恐るべき貧困の体験をした。無限のエネルギーという幻想の終焉は,近代主義の理想の勝ち誇った例証であり,放蕩息子である〈ハードウェア〉という技術 的方法論に致命傷を与えた。富の幻想とともに崩れ去ったもうひとつの幻想は,全世界的コミュニケーションの神話である。危機は西洋を第三世界に接近させ、それは文化上の新・原始主義の基礎をつくった。ニューヨークの近代美術館(MOMA)は1984年にそれを伝え広めたばかりである。西洋はコミュニケーションに最適な臨界値・経済的・文化的に均衡のとれた小集団のまとまりをうみだす特権的な回路の不可抗力を再認識するようになった0それはたとえば、部族・氏族,村,谷,入江,島,さらにはクラブ・協同組合,研究組織といったものである。

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 中世以来失われてしまっていたこの自然な均衡を再発見するためには,実験室での集中的な研究が必要である。認識の対象がより部分的,より断片的であることが明らかになればなるほど,ますますその研究は複雑微妙な設備を必要とするようになる。現実に対するくハード〉なアプローチは,こうしてくソフト〉なアプローチにとってかわられる。それは技術文化のアプローチであり,人間と知の機構との有機的な共生によるアプローチである。近代の理想には・ポスト=モダンの理想がとってかわる。それは認識の〈ソフト〉な方法論を介しての世界の再解釈にもとづいている。この方法論とは,たとぇば現在,筑波で「人間・居住・環境と科学技術」をテーマに開かれている万国博(1985年3月17日−9月16日)において・そのもっとも親しみやすい面を見ることのできる最先端の絶技術のものである0〈ソフト〉技術の勝利を示す筑波博には,ちょうど同じ時期(1985年3月28日−5月15日)にあたる,パリのボンピドゥー・センターにおける〈非物質〉の展覧会が対応している。心理一感覚的ないくつかの部門に分かたれた技術的道程を示すこの展覧会は,そこを訪れる人びとを・ポストモダンの状況,すなわち新しい素材と創造についての物理的・精神的な瞑想へ七誘うものである。

EXPO_1985

■感性の危機

 ポストモダンの急激な変化が差し迫っているというこの意識は,どく最近のものである。日本とパリで同時に展覧会が開かれるのは,ひじょうに意味深いことである。このような一致は1985年にしか起りえないが、そのことによって兆候としての価値はますます明らかになるばかりである。これからはポスト=モダンの視野を通して,モノクロームの冒険を判断すべきである。そして私が日本の観客にすすめているこ の種の分析は,クライン現象を新たな光のもとで見せてくれることだろう。ポスト=モダンの感性は,技術的であり・サイバネティックス的であり,ひじょうに明確にコード化されている。技術文化的な世界はその専門化されたさまざまな手順のインターフェイスのうちで,西洋という概念や東洋という概念を知らずにいる。

 1982年のアメリカとヨーロッパの観衆の反応,つまり〈20年後〉の反応は,近代哲学になじみの生気論的な感傷主義をなおもはっきり示していた。クラインは例外的である,なぜなら彼は自らの生の充溢を引き受けているからだ,というのである。この目的のために,禅仏教や薔薇十字会の宇宙進化論といった精神的な手段を用いたからといって,それはたいして問題ではない。重要なのは結果であり,イブ・クラインの生をひとつの芸術的なオブジェとしているこの実存の充溢なのである。

 1982年の私のテクストでは,イブ・クラインの信仰の有機的・自然的な面を強調することによって,この過度の感傷を和らげようとした。その信仰は魅惑的である。だが,どんな魅惑が問題なのか? それを哲学的に定義するには,どのようにすればいいのか? こうして,問いかけに新たな局面が開かれたことは,私にとって,2年間にわたって,イブ・クラインの非・存在の生気論的根拠と,感性に対して不安定にさせるようにはたらきかける彼の能力とを考察してみる出発点となった。

 クラインについての私の考えは哲学的に2つの段階に区切られていたが,次第にそれに第3のものが加わってきた。その指標となるのは,次の3者である。(1)デカルト,(2)ヘーゲルー・ハイデッガー,(3)ジャン・フランソワ・リオタール。私は青を考える,故に私はイブ・クラインである」という青のコギトの次には,生気論的な現存在「青は空虚を呼び寄せる」がくる。そして今日では,空虚がわれわれに問いかける。対自としての空虚,それこそ新しい人間のための新しい世界の母胎である。「素材,それはまず空虚である」。

 私の考えでは,イブ・クラインにおける信仰者・転換者という弁証法は,現在のポスト=モダン状況に特徴的な人間類型論に帰着するものである。それゆえ〈青色革命〉の行き着く先としての〈感性の学校〉を通してイブ・クラインが予見していたのは,情報に特有の技術に自然に適応する柔軟性以外には特性をもたず,したがってポスト;モダン状況の制約と矛盾,つまり知覚する個人の非問題化から自由であるような,新しい人間の到来である。

 こうした観点からすると,感性の構造に対してイブ・クラインが行なった,理論と実践の両面にわたる彪大な仕事は,今日,決定的かつ基本的な重要性をもっているように見える。モノクローム絵画の冒険は,当然のことながら,モダンの時代とポスト=モダンの時代の転回点に位置している。彼はこの前者をぎりぎりのところまで引き受け,それによって後者に対する自分の予感を確証したのである。

 近代の理想の危機は感性の危機である。イブ・クラインはわれわれの近代がこのように疲弊していることを予感することができた。彼の反応の感情的な豊かさもそれで説明できる。西洋が人類に約束していたことのすべて,知識による自らの運命の支配,解放,経済といったものは,もはや信用できない。

 われわれの救済のイデオロギーのすべてと結びっいている啓蒙時代の合理主義がわれわれにもたらしたのは,アメリカ憲法,フランス革命,カール・マルクス,睦仁と明治時代,レーニンとロシアの10月,つまりもはや信用できない人間主義の歴史全体である。

 1945年に戦争が終結するとともに,事態は収拾がつかなくなった。信用を失ったために,歴史の大著は粗悪なポップ漫画か,あらゆるものがロックの音響の中でどたまぜになっている雑駁なヴィデオ・クリップと化した。われわれは1968年の警告の叫びを過小評価したのだ。われわれはそれを〈文化〉制度の危機と受けとめたが,そのときすでにコミュニケーションの根底での危機,つまりさまざまな社会階層の対話のレヴェルでの危機が問題だったのである。近代の民主主義の規範への偽りの回帰という〈回復〉の美酒にわれわれが酔っているあいだに,堕落のプロセスはいっそう進行していた。今日,まったくわれわれの意に反することではあるが,仮面は落ち,危機は白日のもとにさらされている。

 われわれは不安定化の効果が自分たちの感性に及びはじめたこと,そしてそれと同時に,新たな知覚回路の設定が端緒についたことを実感しつつあるわれわれは〈ハードウェア〉を決定的に失ったことを強く感じている。この堅い素材の上に,われわれの生に有効性,充足,幸福をもたらすために,信頼と感性が築きあげられてきたのだが。その合目的性さえ,あやふやになっている。労働,政治,貯蓄,権威,夫婦といった,かつて本質的なものであった概念が,われわれの眼前で物質性を失い,人間の野心、はもはや磁力をもたない。

 おそらくわけもわからぬままに,われわれは近代にいとまどいをし,〈現在〉の大いなる希望が挫折にみち,すでにわれわれの夢の過去に属してしまっているこの失敗の世界に別れを告げたのだ。成長モデル,完全雇用,人間の顔をした社会主義,すべては逃げ去ってしまった。

■非物質はつねにわれわれの天国だろう

 しかし同時にこの世紀末には,科学技術の目もくらむばかりの発展によって,5000年におよぶわれわれの歴史は石器時代の洞窟へと押しやられ,万物の尺度としての人間は懐古博物館に押しこめられてしまう。われわれはモノクロームの冒険の基本理念,第一物質の状態にある感性に立ち戻ろう。サイバネティックス,情報理論,生物発生論は・無限大から無限小にいたる,限りない可能性の幅をわれわれに広げてくれている。

 「人間の心の中と同じように空虚の中心には燃えさかる火がある」と,イブ・クラインは言っていた。われわれひとりひとりの終末にも,また終末そのものにも,今やもう,それを証明するものがないことを,彼は知っていたのである。われわれの世界は今日,あまりにも変更を受けてしまっているので,それを再解釈することが緊急に必要である。そして知覚状態のこの特性を試験することこそ,彼がその〈感性の学校〉でわれわれにすすめているものである。非物質的なものについての彼のヴィジョンが空気の建築に結晶したとき・つまり1958年12月から1959年3月にかけて,彼は事実上社会一文化的感性の変動という観点から未来を直視していたのである

 近代の個人主義の首伽(くびかせ・足手まといになって、自由を束縛するもの)を前もって打ち壊さずにおいて,どぅして空気建築の透明で〈ソフト〉な都市での天国のような生活を考えることができるだろうか?感性の非物質化には・意識の非人格化が対応している。知覚する個人に・われわれの技術文化の枠組を構成している新しい現実・技術のエデンの園との触れあいを通して,彼らの実存を「非問題化する」ことを緊急に教えなければならない。

 技術文化的な美学は,その発生論的な操作,数値イメージ,即時伝達,光速の光センサーによって,われわれの知の基盤とわれわれの経験の形を根底から変革し、それらをわれゎれの文化的獲得物から取り除いてしまう。われわれの感覚器官の今の受容能力は乗り越えられる。新しい現実がさまざまに適用されることによって,人間・技術という関係は根本的に修整される。人間はもはや技術のパトロンではなく、そのパートナーとなる。人間は今のところは技術的な仕掛けの精神的協力者にとどまっているが,やがてその生体パートナー となるだろう。こうした方向で行動するようにとわれわれを 駆りたてるすべてのものが,われわれの感覚限界の締めつけをゆるめるのに寄与し,知の新たな苦行において,ごくわずかではあるにしても,ひとつの進歩をつくりだすのである。

 イブ・クラインは、とくに1959年から1962年にいたる彼 の晩年に・・・感覚の限界という明白な事実を強烈に思い知った。1960年10月19日にパリ郊外のフォントネイ・オ・ローズで行なった,彼の有名な空中ジャンプのエピソードを思い起せ ば,そのことはよくわかるだろう。

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 イブ・クラインは,自分がもうそのあかしをもたないひとつの現実の中で,断固として行動に出ようとした。この同じ直観を分けもった人は稀であった。だが今や、新しい聖杯騎士たちが結集すべき時がきていたのだ。

 彼は<新しい現実派・ヌーボーレアリスム〉・・・彼が自分のメッセージを把握するのにもっとも適すると見なした芸術家たち,その何人かほ彼のもっとも親しい友人であった(とくにアルマン,ティンゲリー,レイモン・アンス,マルシァル・レイス)・・・の結成集会を1960年10月27日に彼のパリの住居で開くことを強く望んだ。彼は私の冒頭演説に大喜びで署名した。「ヌーヴォーレアリスム=現実への新たなる知覚的なアプローチ」。すでに1958年4月28日に,イリス・クレール画廊で〈空虚〉(「その唯一の存在によって感受性を高められた」からっぽの画廊の壁面)を展示したとき,彼はこのような新しい知覚の現実にわれわれの注意をうながしていたのである。

 われわれは今や実際に日常生活の全般にわたって,情報・距離,速度といった非物質的なものにつかりきっている。こうした観念の変化は,進行中の変化が切迫していること、自然の秩序,性,金銭といった古い認識の記号の非物質化が差し迫っていることをあらわしている。

 伝統的な建築材料のかわりに,限に見えず透明な圧搾空気を用いることによって,空気建築家はまさに近代文明の2つの不変要素の破壊をもくろんでいたのである。その不変要素とは,ひとつは壁,仕切り,屋根による被覆で、それは今なお空間を隔離するはたらきをしている。もうひとつは個人的,家族的な親密さで,新しい関係の確定のためにはそれも破壊されねばならない。<青色革命宣言〉は,品質基準にてらして自動調整される一般化された物々交換システムのために,貨幣流通機構全体がそっくり廃止されると予想している。ますます増大するクレジット・カードの役割・われわれの現在の金融システムにおけるその情報および記憶の機能の発展のことを考えずにはいられない。

 イブ・クラインは正しく見通していた。近代主義的な条件づけから解放された明日の知覚する個人は,唯一の,しかしひじょうに大きな義務しか負わないことになるだろう。それは,自分が直面するまったく新しい状況のすべてに対してゲームの規則を案出しなければならない,ということである。そして宇宙エネルギーのメッカともいうべきモノクローム空間においては,われわれは孤独でほないし,主人でもない。技術的な仕掛けはますますわれわれの感性と知の構成要素をなすものとして要請されている。「地球は平らで四角である」という衝撃的なタイトルをもつ,もっとも名高い著作のひとつの結論部で,イブ・クラインは,この主題に関してはこれ以上は望めないほどはっきりと自分の考えを表明している。「今日、私が将来を予測しているところでは,われわれの太陽系やその他の宇宙からずっと離れた,無限に遠い空間を訪れるための現実的な手段は,ロケットやスプートニクではなく,浸透によるものだろう。人間は第一物質の〈空間の感性〉がしみこむにまかせ,それからこうして調整された感性,人間の新しい交通手段であり,われわれの身体にっいての新しい非物質的な感覚である自分の感性・・・それは今のところはわれわれのうちで潜在的な状態にあるが,そのときまでにははっきりと見きわめられ,科学的に研究されているだろう・・・を浸透させて,計りしれないはどの広大な空間を,それを横切るのではなく,そこに住みつくことによって,旅行していくだろう」。クラインの思想の基本となっている浸透という観念は,技術文化的なメタファーである。それは,人間・技術という関係の変化に介入しうる生物学的な仕掛けの総体をカヴァーするものである。

 イブ・クラインが行なったすべての空中浮遊の実験・・・それがソヴィエトの宇宙飛行士ガガーリンによる最初の宇宙飛行と時を同じくすることを忘れないでおこう・・・は,未来の技術文化的仕掛けを先取りしたシミュレーションと見なされるべきである。

 空間の冒険がもてはやされたのは1960年のことでギリシアの彫刻家タキスのような他の芸術家たちも当時,同じような関心を表明していた。空中にはさまざまなアイディアがあった。しかしイブ・クラインはただちに自分の選択を明らかにする。個人的な空中飛行の問題の解決策としては,彼は近代主義的なハードウェアの路線(ロケット,スプートニク)を拒絶し,〈ソフト〉な路線,浸透や生物発生論的な仕掛けの方をとる。パリ郊外の家の3階の窓から空虚に向かって身をおどらせたとき,彼はあるやり口,来るべき生物学的仕掛けの調整を,すっかりそれをシミュレーションしながら(地面では柔道家仲間がシートを広げて待ちうけていた),先取りしてやってみせたのである。

 来るべき技術・・・生物学的な仕掛けの〈ソフト〉なシミュレーションの別な例は,「火の絵画」であり,「コスモゴニー」(草むらで紙の上にとった雨や風の色のついた痕跡による)であり,いわんや「人体測定プリント」(あらかじめ青く塗ったヌード・モデルの体を紙またはカンヴァスに押しつけた跡)である。この最後の仕掛けはそのうえ〈生きた絵筆〉という意味深い名称をもっている

 イブ・クラインの生物発生論的な仕掛けのソフトな路線は彼の深層の本能がおもむく方向に従っている。この路線は人間主義的ではなく,〈人間化する〉ものである。人間・・・クラインはその本質において人間的なものを分かちもっており,それによって人間化されている。非物質的なものの譲渡は,感性の再・人間化の手ごたえ確かな経験を構成する。基本素材は空虚な空間,その本性からしても用途からしても非物質的ゾーンなものである。それは〈非物質的絵画的感性領域〉として高度に象徴的な儀式にのっとって小売りされ,第三者に譲渡,名ゾーン儀変更可能である。〈領域〉は全体とみなされた部分を具現している。

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 この〈領域〉には値段がない。そして〈それらの〉重さに見あった金をセーヌ河に投棄することによって行なわれるその譲渡は,それを動機づけている意識現象の触知できない価値を有している。この作業の痕跡として残されるのは,小切手帳の控とクラインが署名したうえで買い手に渡す受領証だけである。だが買い手は,参加と宇宙的交換の儀式を閉じるために,その受領証を燃してしまうように示唆される。

 非物質的なものの譲渡は,クラインのメッセージの射程をもっともよくあらわす象徴的な仕掛けをあらわしている。それで私も,1962年10月に東京に滞在していたときに,1グラムの純金の小さな塊を東京湾へ投げこむのと引きかえに,非物質的なものを象徴的に譲渡すること,ぜひともやってみたかったのである。この行為は,美術評論家の瀬木慎一氏が東京画廊で開いたイブ・クラインをたたえる夕べの締めくくりとなった。瀬木氏はその少し前に日本で最初のクライン展を同じ画廊で開いている。それは1962年の7月,クラインがパリで没した1カ月後であった。

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 イブ・クラインの日本でもっとも古く,またおそらくもっとも親しい友人であった瀬木氏は,当時の日本の美術界にこのモノクローム画家を紹介するのに,明らかに最適任者であった。

■デュシャンとクライン・正当性

 人間の条件の拡張の可能性の意識 日常生活のあらゆる領域で創意にとんだ新しい結合関係を通してその兆を見せている近代以後の意識,もはや尺度のない,このとてつもない世界へ到達する鍵であり,コードである,秘められた感性の意識・・・物心がついたときからすでに,イブ・クラインは自分が違っていることを知っていた。

 違っているといっても,〈他者〉とどれほど異なっているのか。彼が投げかける歪んだ影,パリの狭い美術界が彼についてつくりあげた〈解釈された〉イメージと,どう異なるのか。

 観客に対しては,彼はその眼を開かせようとする。あるいはむしろ,彼好みの言いまわしをひとつ借りれば・・・<心と頭〉を・・・空虚の<空気〉仕掛けを始動させることによって・・開かせようとする。それがすなわち,「第一物質の状態における感性を絵画的感性へと安定させる特殊化」である。1958年4月28日にイリス・クレール画廊で開かれた空虚の展覧会の招待状のために執筆した文章の中で,私は観客たちに「感覚しうるものが君臨する世界がはっきりと確実に到来していることを示すこの場に,どうぞど慈愛をもって臨席の栄を賜わりますように」と,呼びかけたのである。

 まず世界は最初、混沌(カオス)しか存在しなかった。神はその混沌に様々な性格(素質)を与えることによって、1つの混沌から数多くの物質を創り出してきたという背景から導かれる物理構成の論理である。 この混沌を錬金術では「第一物質(プリマテリア)」と呼び、この世のあらゆる物質は第一物質と“神が与えた性格”によって構成されているといわれる。 逆に考えれば、既存の物質から内在する素質を分離することで第一物質へと変換が可能で、さらにはこの第一物質に素質を加えることで別物質への再変換をができるという理論は錬金術師にとって一般的であった。 この素質のことを錬金術では流派や著書や時代に応じて「形相」や「種子」と呼んでいる(本書では便宜的に「形相」と呼称を統一する)。

 今日われわれは,この感覚しうるものの天下・〈直接に伝達可能な恍惚とした情動〉が統べる世界にいる。サントリタを介してイブ・クラインが仲立ちをしていた新しいスフィンクスが挑みかかってくる。さまざまな事物の魂がわれわれの魂になろうと争いあっている。「はじめに無がある。次に深い無があり,それから青の深みがある」。別な人はこう言う。「気をつけろ,クラインがガストン・バシュラールの美しくも高揚する詩的な一節を引くとき,彼はマックス・ハインデルの薔薇十字会の教えを思い浮べているのだ」。そんなことはわれわれにはどうでもいい!われわれはクラインとともに,自分自身の内部に,自分自身を越えたところに、青の深みの中にいるのだ。

 感性の非安定化は,ポストモダンの断絶のもっとも明らかな顕れである。非安定化は驚かせ,いらだたせ,挑発する。一面青のタブローや空虚な画廊の裸の壁を展示すること,あるいは炎の色彩的な合成(青色一金色−ピンク)においてく非物質的なものの物質化〉を行なうことによって,イブ・ク ラインはその時代にスキャンダルを巻き起した0彼の時代を先取りした身振りは,人びとが事物について・そのアイデンティティについて抱いていた観念を非安定化させるものであったために,挑発としてあらわれた。

 そこで正当性の問題が提起される。人びとは,たとえば木のパネルの上にローラーでウルトラマリン・ブルーの工業顔料の層を塗り広げたひとりの造形芸術家が、どうしてそれを画廊の展示用壁面に掛けようとするのか,疑問に思うのである。これこれの場所におかれたこれこれの物体は芸術作品であると言明する権限を,いったい何が彼に与えているのか? イブ・クラインのモノクロームはマルセル・デュシャンのレディ・メイドと同じ正当性についての異議を喚起している。デュシャンが1914年に彼のレディ=メイドで提起した正当性の問題は,1954年にイブ・クラインがそのモノクロームの企てによって再び公に取りあげるまで,棚上げされたままになっていた。

 新しい現実主義に関する私の理論がまだ予備的な考察の段階にあった時期すなわち1955年から1960年にかけて,私は大量生産による工業製品に芸術としての洗礼を施すという概念について,そして近代の状況がそれをそのとおりのものとして認めるときに味わうためらいについて,長ながと自問してみた。誤りはおそらく,レディ;メイドの正当性の問題を,もっぱら道徳の問題と見なしてしまうという事実のうちにある。「私は工業生産と大量消費の社会に生きているひとりの造形芸術家である。芸術家としての状況を私が引き受けているという事実が,私に権利と義務を授ける。眼差しの自由という権利と選択における一定の質という義務である」とするのである。事実,自転車の車輪や壕掛けや便器を選び,それらを彫刻として展示したとき,デュシャンは選択における自由と質という二重の要請に応えていた。芸術をつくるのは見る者である。

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 しかし,道徳の問題はそこにとどまり,美学がそのあとを引き継ぐデュシャンのレディ=メイドは客観的に見ても美しい。

 1913−14年にレディ=メイドをそのままでわれわれに見させることによって,デュシャンは〈すべて手作り〉というタブーに挑んだ。機械は美的なオブジェを大量生産することはできない。創造者の霊感を吹きこまれた手だけがそれをなしうる。デュシャンはレディ=メイドの中の美をわれわれに見せることによってその道を証明し,グロピウスがワイマールでバウハウスを創設するのに5年先立って,工業的な美学のあらゆる問題を先取りしてしまっていたマルセル・デュシャンに捧げられるべきもっとも確実な栄誉の称号,それは手ひどい打撃を受けながらも芸術のゲームの規則を改革したデザインのパイオニアというものである。

 イブ・クラインも美学的正当性の変動という展望からすれば同じところに位置している。青から空虚へ向かって・行き当りばったりに行動しながら,彼は自分の真理を段階的に獲得していき,次第次第にそれを明るみに出していった。彼は非物質的絵画的感性という新しいゲームの規則を発明する。イブ・クラインとマルセル・デュシャンは,実存ゲームの戦略の同一の美学的ヴィジョンにおいて,分かちがたく結びついている。

 イブ・クラインは〈他者〉の道徳的順応主義に対する闘いにあまりにのめりこんでいたために,この形式的・精神的な親近性,〈ダダの40度上〉という客観的現実を容易には認めようとしなかった。ようやく晩年になって,1961年12月15日にパリの私の家で話をしたときに,彼は当然のことのようにそれを認めた。「わかるだろう。人びとは青のことも空虚のこともさっぱりわかっていなかったんだ。それでぼくのことをダダイスト扱いした!」

■ポスト=モダンであること・美学的書見か,あるいは道徳的条件か? 

 イブ・クラインについて,2つの時代の間の断絶を予言する者として語ること,それはわれわれを,ポスト=モダンの美学について,より正確には技術文化の倫理的な領域におけるその役割について,問うことへと導いていく。ポスト=モダンの建築というものが存在する。それは近代の国際様式の画一性に対する反動として,折衷的であり,非安定化するものであろうとする。たとえば日本においては,丹下健三に対する磯崎新,アメリカにおいては,フランク・ロイド・ライトやミース・ファン・デル・ローエに対するフランク・ゲーリー,アイゼンマン,ヴェントゥーリなどがその例である。イタリアのデザイン界においては,同じ世代の中で断絶が見られ,アルキーミア(メンディーニ)やメンフィス(スコッツァス)を近代の古典であるエンゾ・マーリやスカルパに対抗させている。

 こうした局所的な反応はすペて,それぞれに新しい美学の兆候を示すものであり,そのようなものとして受けとめられるべきだろう。事実,それらは創造行為のあらゆる存在ゲームの言語現象への体系的な還元−それはフロイト流精神分析に対してラカンがやったことである」にもとづく,装飾イデオロギーを生み出している。ポスト=モダンの美学はこの還元行為の共通分母としてあえて出現し,視覚的な創造の全体を一般の趨勢として包括するイデオロギーの基礎となるだろう建築においては寄せ集めが構造にとってかわり,デザインにおいては装飾的なフォルムが実用的なフォルムに,ファッションにおいては素材が仕立てにとってかわるだろう。

 1970年代も末になって,コンセプチエアル・アートがその折々の買い手にとってはあまりにも主知主義的であると見なされて商業的に破綻をきたすのを前にして,装飾イデオロギーは国際市場に大量に消費される絵画生産物を提供することによって,救いの手をさしのべた。この〈バッド・ペインティング〉,〈野蛮な〉新・表現主義的絵画は,その身振り性と単純すぎるイコノグラフィーにおいて,映画化された芝居の装飾技術に近いものだが,断絶の雰囲気が生み出した混乱に乗じて,飛躍的な発展をとげた。こうした不確かさと混乱は,感性の非安定化と,そしてとりわけ近代主義的美学に由来する諸概念のぐらつきによるものである。

 1980年以降,新・表現主義の野蛮なヴィールスが蔓延する。イタリアの〈超前衛〉,ドイツのく新しい野蛮〉,アメリカの〈新しい波〉,フランスの〈自由な形象〉などである。日本ではこの野蛮な伝染病が波及した結果は,漫画的な光景を呈した近代主義的グラフィック・デザイナーとして名声を博していた横尾忠則が,4年間にわたってバッド・ペインティングに取り組み,合理的なレイアウトの中に脆弱なキッチュをつくりあげたのである。

 われわれは断絶のただなかにおり,後退は許されない。寄せ集めの危険は大きい。大衆は方向を見失っている。彼らは何が起っているのか,誰が自分に話しかけているのか,自分は誰なのか,何を考えるべきなのか,どのように反応すればいいのか,訝しく思っている。

 誰が誰なのか? われわれはいつもこの地点,〈他者〉とその混乱についてのたえまのない問いかけの地点にいる。イブ・クラインの目ききである瀬木慎一氏は,モノクロームのタブローを最初に見て以来,たえず彼の心をみたしている精神状態をひじょうにうまく言いあらわしている。「いつも同じ明噺な確実性が私におそいかかる。現実,疑い,想像。絶対,単純性,不安。精神と物質」。こうした矛盾する感覚の同時的知覚は,断絶の二元論的雰囲気を生み出す。

 一方で人は,新しい技術と素材が提供する可能性にきわめて敏感な,実験室の人間の方へと向かう。それはまさしくモノクロームの画家が心から祈願したものである。「そのとき,強く平静で純粋な感性をもった,無限の中にとけこむことのできる人間からなる新しい貴族階級が構成されるだろう」。それは自らの内なる空間と,そこに溶解するにまかせるときに産み出される目まいに,恐怖を感じなかった人間たちである。こうした知覚する個人にとっては,芸術においても科学においても,あらゆる命題が発生論的に可能である。彼らは技術文化を経て調和へと到達する道を準備している。彼らの探究はすべて,技術と素材へのくソフト〉なアプローチにもとづいている。素材,それはまず空虚である。

 この〈空虚〉,それはすぐれてイブ・クラインのく空虚〉であり,またマラルメや三島にとりついていた空虚でも十分ありうる。非・存在の特別に非安定的な性質,リオタールのいうポスト=モダンの状況である。

 そしてもう一方では,大多数の人にとっては,おまんま,仕事,ねんねというささやかな生活がつづいている。阻害とコンプレックスにみちあふれた日常の中で,人びとは自分の運命に内在するフラストレーションのように,探究の無限の可能性と彼らに差し出されている限りある実存の展望との間の大きな隔たりを感じている。宇宙飛行士が宇宙を飛んでいるというのに,地面にはいつくばって俗塵にまみれた犬の生活を送っているのだ!〈バッド・ペインティング〉や〈新しい装飾〉のキッチュな亜流はすべて,うっぶん晴らしのいんちき装飾,くだらない幻想の張り子細工,低俗な美的快楽の自己調節をつくりだすのが関の山だろう。

 われわれはこれまで何十年間もこの矛盾する二元性を引き受けてこざるをえなかった。ようやく技術文化の仕掛けが出現して,2つのシステムの間の相互補償と自動調整の超一複合メカニズムを整備することとなった。ポストモダンの状況が近代と同じくらいつらく長い変化の時期を必要としていることを忘れてはならない。そして技術文化による時間の加速の異常な高まりの開始に利するところのなかった近代性の方は,自分自身についての意識をもつのに数世紀を要したのである。

 われわれが断絶の二分状態を克服した暁には,われわれの肉体的母胎も環境の変化,新しい素材と新しい技術の進歩に適合するように変わっているだろう。科学技術はわれわれをこの地上から離れさせ,他の惑星,他の銀河系へと向かわせるだろう。

 最初のポスト=モダンであるイブ・クラインは将来の加速を予感していたのだろう。彼は断絶を告げる引き裂くような矛盾のすべてを,完全な情動的充実のうちに生きたのだろう。彼は裂け目を開き,過去の重みをすっかり担いながら現在に穴を穿っていった。彼が構想した先取り的なシミュレーションの仕掛けとモノクロームの冒険は,その総体において,造形的な作業と研究室での実験との貴重な蓄積をあらわしている。複合性−それは彼の人格そのものでもある一を通して,彼はポスト=モダンの状況の基本的な二元性をはっとするような形で体現している。結びを述べるかわりに,最後の言葉は彼にまかせよう。これこそ本当の自画像である。「私の根本をなす自分自身は,私の多様な心理学的個性と闘っている。

 私は自分の中にあって自分に属していないもののすべて,つまり私の生が好きだ。そして私は自分に属するものはすべて嫌いだ。それは私の教育,心理学的遺伝,しつけられた伝統的な見方,私の悪癖,欠点,美点,偏執,ひとことでいえば,毎日毎日,物理的,心情的,情動的な死の方へとどうしようもなく私を導いていくもののすべてだ」。 1985年3−4月 パリ