サム・フランシス

85 116

白に至る道

前田希世子(川村記念美術館学芸員

 サム・フランシスがその絵画に「白」を確立したのは1957年であった。彼は画面の大白地のまま残すという西洋絵画史上ほとんど前例のない大胆な試みをし、それ釣40年間の画業において、その「白」は画風の様々な変化に従って、多種多様な我をみせながら、常に彼の絵画の根幹をなすものとして画面に存在し続けた。

 作家が残したメモに走り書きされた「君は 永遠から来た あの白なのか」という問いが提示するように、作家自身にとっても白は画業をとおして探求せずにいられない不確定なものだったにちがいない。だが、そもそもあの眩い白は一体どのように彼のキャンヴァスにやってきたのだろうか。1950年の渡仏から彼が世界旅行に旅立つ1957年まで、つまりパリ時代の作品群を制作年代順に考察することで、彼の「白」が生まれる過程を辿るものである。

■白の上の色彩

 カリフオルニア大学で美術と美術史を修了したサム・フランシスが、制作の場として選んだ新天地はパリであった。今から考えると、この選択は意外に思われるかもしれない。当時、ポロックやロスコ、ニューマンなどアメリカの作家たちが次々に独自のスタイルを打ち出し、ニューヨークをパリに代わる美術の中心地へと変貌させていった時代に、この若きアメリカ人の渡仏はその流れと逆行するものだったからだ。パリ到着直後の1950年から1952年にかけて、主に彼が手がけたのは、画面全体を無数の小さな(絵具の)筆致で覆ったモノクローム作品(下図)で、使用した絵具は緑、青、赤、黄、白と基本色のみに限られている

32 30

 それらの作品はいずれもメディウムで薄めた絵具を塗り重ね、刻一刻と絶え間なくキャンヴァスの表面の表情が変化するように見受けられる絵画面をつくりだす。それは通常目には見えない空気が、霧の存在や光の差す度合いなど、その時々の自然条件の違いによって見えるものとして提示されるのと似ており、それによってサム・フランシスはおぼろげな奥行きのある広がりをもつ空間を画面に生み出しえたのだ。1952年、父宛の手紙に彼はこう告白している。「絵が宇宙的な感じになり、さらに大きな空間の広がりを持つようになってきた」。こうした画面の奥に広がる空間や空気感というものは、一見色彩に由来しているように感じられる。なぜなら画面を覆う色味の印象にまず目がひきつけられるからである。しかし、画面の広がりは色彩ではなく、むしろ絵具の透明感であり、重ねられた絵の具から透けて見える白地という要素によって生じているのだ。用いられた色が何であれ、それが薄められて透明となり、下地が透けて見えることによって、色とその背後にある白地の間に潜む空間を感じ取れるからである。ここでサム・フランシスが一番重要視したのは、白地とその上にある色との関係性であったのではないだろうか。何色を使うかは、おそらく本質的な問題ではなく、明るい黄色、深い赤、又は静謐な白、すべての色が広がりの色となりえ、あらゆる色彩について同様に、その異なった効果を白地の上で実験されていたと考えられる。

 

 この関係はモノクローム作品にとどまらず、当時徐々に展開していた数色の色を加えた作品(上図左)にもみられ、時には塗り重ねられた色彩同士の関係において奥行きを提示するものも出てきた。また、この時期《ディープ・ブラック》(上図右)にみられる、窓のような明確な形態の導入によって奥行きを強調するものも手がけており、それもまた絵画のなかの空間・広がりについてのフランシスの別の関心がうかがわれる。これらは20年後の70年代にサム・フランシスの制作に訪れる重要な「マンダラ・ペインティンク」(下図左)「マトリックス・ペインティンク」(下図右)などへの展開を予感させるが、この時期のフランシスの絵画空間を構築する手法としてはむしろ例外的なものであった。

 

■青という宇宙

 1953年サム・フランシスの「白」の形成へと繋がる重要な制作上の展開が起きる。青を基調とした作品群が集中的に手がけられ、今まで使われていた他のいくつかの基本色をさしおいてこの色に積極的な関心がはらわれるようになったのだ。このことは一見、彼の「白」の形成とは無関係にみえるが、実はこの青こそがサム・フランシスの白を誕生させるうえで、欠くことのできない重要な要素となってくる。1954年に制作された《コンポジション》(下図)にみられるように、この頃の青は絵具の濃度が高められ、透明度が減じているため、下地の自が透けてみえることはなくなる。そのため前年までの作品と異なり、絵具の物質感が強調され、キャンヴァスに留められたその滴りの跡は液体の流動感を生々しく目に伝える。また、無数の筆触の集積として空間を構成するかわりに、いくつかの広い色彩の領域を組み合わせて画面を構築するようになり、それまでのサム・フランシスの絵画が備えていた繊細で多層的な空間とは対照的な平面性が強調されはじめる

 奥行きの減少した画面で、次にサム・フランシスが試みたのは四方に拡張していく運動感をその平面上で実現することであった。1955年に着手された<ブルーネス〉(下図)は、それまであまり使用されなかった横長のフォーマットを7mという大きなスケールで実現し、作家の水平方向への意識をうかがわせる。

 画面は、左右に赤と黄の色斑の群れが配されているが、大部分はそのタイリレの示すとおり、青が支配している(図録では、中央のトーンの暗くなっている部分が、実際の作品では青の領域となっている)。各色の領域は、ジグソーパズルのピースを組み合わせるように、より小さな色面の単位の構成からできている。それら色面のつながりはあいまいで、溶解したような印象を与えるフォルムが画面全体を覆っているため、「青」という色から連想される水の揺らめき浮遊感とも似た表面の運動感を画面に存在させているように感じられてならない。

 「青」は、空や水といったイメージと繋がる広がりの色彩である。これこそが青の特権であり、サム・フランシスにこの色を選びとらせた理由なのではないだろうか。サム・フランシス自身、青を「外へ広がっていく色で、外へ浸出する力の強い色」ととらえている。以前の作品では、三次元の奥行きのある広がりは下地との関係において生み出されており、いってみればどの色を使ってもよかったと言える。しかし、こうした関係性に頼るのではなく、二次元平面の上での広がりと運動の感覚を備えるためには、「青」という色自体が固有に持つ特性に頼る必要があったのだ。青だけが広がりにふさわしい色であるという自覚が、以前とは全く異なった広がりを存在させ、色彩が個別にもつ宇宙を自覚的にとらえはじめたことこそが「白」への発展への大きな足がかりとなる。

■青から白へ

 ≪イン・ラヴリー・フルーネス》では、青が圧倒的であり、まだ副次的な要素にとどまっているが、すでに余白の白が新たな力を持ちはじめている。以前のように、有彩色の下から透けるのではなく、それらの聞からのぞいている形で、白地が画面に再帰しているのだ。絵具の間から覗くキャンヴァスの白地と青の組み合わせは、微妙な揺らぎ感を与えるリズムを画面に生み出している。

 この作品には、同年制作を始めた別ヴァージョンの≪イン・ラヴリー・ブルーネス》(上図)が存在する。同作は、タイトルを裏切るように、画面が青で覆われているどころか、その使用が極力抑制され、わずかばかり稲妻のように白の上を這っているのみである。他の色彩も画面の一部を覆うにとどまり、白地の面積が急激に拡がっているのだ。一見すると「白の中に」と呼びたくなるような画面である

 しかし、タイトルからもわかるように「青」に対する意識が強いのは確かで、実際画面にリズムを与え、画面を活性化しているのは、まぎれもなくジクザグに置かれて滴り、飛び散る青であることに気がつく。つまり、青を形作る最も有効的な方法が、結果的に広い白を導き出してしまったようだ。しかしここで注目したいのは、画面右下の青と隣り合う、青に縁取られた白の領域が、他の白地の部分と較べるとより強い存在感をもって提示されていることだ。そこでは青という色彩に囲まれ、限定されることによって、白が活性化され拡張しているようにみえる。この作品で、サム・フランシスは、青によって形作ることのできる「白」という色彩を初めて意識したのではないだろうか。

 翌年の1956年に着手されたバーゼルの美術館からの依頼による3枚組の壁画(上図)では、意識的に青に縁取られた白の領域を広く残す描き方がとられはじめる。白の上に置かれた青は煉瓦のような単位を繋げて置くことで、網状のフォルムを形成し、ほとんどそれは白の形を描きだす輪郭線のようなものとなっている。下地であったはずの白も、以前と比べて均一に厚く塗られており、その均一な塗りから生じる身のつまった白の印象は、下地とは異なるひとつの白い形態を形成しつつあるようだ。まだ完全に密度ある量感としての白は達成されていないものの、この大画面からは、白を形としてとらえようとする意識をもつ、サム・フランシスの手探りの試みが伝わってくる。

 この後、1957年に制作された作品群(上図)においては、白の広がりの中に色斑の連なりが、海洋に浮かぷ島々のように配置される。ひとつひとつの色斑は、周囲の白を自らと桔抗する形態として浮かび上がらすように、意識して置かれている。充実した密度と広がりのある色としての「白」の存在を認識したサム・フランシスにとって、「白」を提示するのに、青による明白な囲い込みはもはや必要ではなくなったのだ。これらの作品でサム・フランシスは遂に彼の「白」を確立したといえる。

 白−それは限定できない茫漠とした存在であった。サム・フランシスは、この白に有彩色を対崎させることによって形を与え、また、限定することによって逆に広がりの感覚をもたらしたのである。こうして形を与えられた白は、1957年以降晩年まで、隣り合わせた色彩や形態のヴァリエーションによって様々にフォルムを変容させていき、60年代の「ブルー・ボールズ」

セール・ペインティング」、70年代の「マトリックス・ペインティンク」、80年代の《タイアイシャ》などの変化に富んだ代表作に結実していったのだ。その意味で、50年代の数年間における「白」への道程は、ごく一時期におこった過渡期的な現象とはいえ、サム・フランシスの全画業における重要な転換点、欠くべからぎるモメントだった。彼の言う「永遠からきた あの白」は、下地の白でもなく、余白の白でもなく、それ自身の量感をもった色彩として存在し続けている。