ベン・シャーンと「フクシマ」

a0212807_12524628■ベン・シャーン展に寄せて−「フクシマ」から

酒井哲朗

 2011年3月11日に起きた東日本大震災で、地震と津波によっで電源が損壊した福島第一原子力発電所は、冷却機能を失って4基の原子炉に炉心溶融が生じ、水素爆発によって原子炉を覆う建屋が吹き飛び、大量の放射性物質が大気中に飛散した。被害は広域におよび、発電所から60キロの福島市に立地する福島県立美術館もその影響を受けた。いま事故の収束に向かっで懸命の努力が続けられているが、天災と人災が複合したこの「原発災害」のもたらした諸問題は、楽天的な技術過信に依存したこれまでの日本人の生活様式の再考を促す文明の岐路の契機になり得るような重大な問題性をはらんでいる。

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 思えば、日本という国は原子力との悪縁が深い。広島と長崎は、この地球上ではじめでの被爆地となった。1954年に日本のマグロ漁船第五福竜丸がマーシャル諸島のビキニ環礁付近で操業中、アメリカの水爆実験による「死の灰」を浴び、無線技師の久保山愛書氏が亡くなった。乗組員たちは実験について何も知らされず、彼らが浴びたのは放射性物質であることも知らなかった。この第五福竜丸事件は、その後世界的に広がった原水爆禁止運動のきっかけとなり、核爆発による災害の象徴となった。そして、今度はアメリカのスリーマイル、ウクライナのチェルノブイリに続く福島第一原子力発電所の大事故である。

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 世界最初の被爆国という立場で、「核アレルギー」といわれるほど日本では原水爆禁止運動は盛んであり、日本政府も民意を重んじ、「つくらず」「もたず」「もちこまず」という「非核三原則」を建前とし、原子力の軍事利用を否定しできた。他方、原子力の平和利用を積極的にすすめた。原子力発電所の建設には各地の地元で激しい反対運動がおこったが、国全体としでみれば原子力の平和利用に対して寛容であったといえるだろう。経済の高度成長にともなっで、国策としで構築された欺瞞的な「安全神話」の中で、原子力エネルギーに依存する日本人の生活様式が定着したのである。

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 しかし、福島第一原子力発電所の事故によって、「きれいな核」などというものはあり得ず、目的はどうあれ放射性物質は地球や人間の生存を脅かすものであること、そしてその危険が、われわれの日常生活の中にあることをあらためて知らされたのである。

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 ベン・シャーンは、原子力という人間や自然に途方もない災厄をもたらす問題を芸術のテーマとした画家である。第五福竜丸の事故調査にかかわったアメリカの原子核物理学者ラルフ・E・ラップ博士(1917-2004)が、『ハーバーズ・マガジンJ誌(1957年12月号、う8年1、2月号)に掲載した「ラッキードラゴンの航海」という記事の挿絵を、ベン・シャーンが描いたことからはじまった。この「死の灰」事件が人類全体におよぼす影響の重大さに注目したベン・シャーンは、1960年に来日し、あらためて「ラッキードラゴン」シリーズとしで11点の作品を制作した。

 ベン・シャーンは、この連作を平和に暮らす人々の日常を突然襲った悲劇として描いた。かつては「ドレフユス」、「サッコとヴァンゼッテイ」、「トム・ムーニー」など社会的事件をテーマにして、社会派の画家としで知られていたが、193う年からう8年までFSA(農村安定局)の写真家として、アメリカ国内のさまざまな人種や階層の人々と接することにより、その人問体験がベン・シヤーンの芸術を変え、その作風が社会的リアリズムから個人的リアリズムに移行したと、彼自身が語っている(Fある絵の伝記J美術出版社、19‘0年)。

 「ラッキードラゴン」の連作は、政治的なあるいは社会的なプロテストではなく、日本人とその生活の側から、個々の人間の次元で、その悲劇性がシンボリックに表現されでいる。《我々は何が起こったのか知らなかった》では、第五福竜丸に降下した「死の灰」は、寓意的なモンスターとして描かれている。シヤーンは、《寓意≫(1948年)や《恐怖の夜の町》(1951年、Cat.nO.254)などの作品において、現代社会が内包する得体の知れない恐怖をモンスターとして表象した。

 ベン・シヤーンは科学文明のもつ危うさをしばしば警告したが、福島でおこった原発事故は、まさしく日常生活に潜んでいたモンスターの出現という事態である。いまわれわれは、ベン・シヤーンを予言者として想起するのである。

 福島県立美術館は、アンドリュー・ワイエスやベン・シヤーンら20世紀のアメリカの具象絵画を収蔵している。ベン・シヤーンの作品は、タブロー、版画、ポスターなどあわせて約50点ほどである。その中には、日本にかかわりの深い作品として、亡くなった久保山愛書氏を描いた《ラッキードラゴン≫(1960年、Cat.nO.387)が含まれでいる。

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 第五福竜丸は、アメリカでは「ラッキードラゴン」と訳された。福島を英訳すれば「ラッキーアイランド」である。どちらも放射能汚染というアンラッキーな運命を共有することになった。さらに、《ラッキードラゴン》という作品を福島県立美術館が所蔵するという不思議な偶然が重なっている。

 しかしいま福島は、「ヒロシマ」「ナガサキ」とならんで、ローマ字やカタカナ表記によって世界中に知られることになった。「ヒロシマ」「ナガサキ」は戦争という非日常の状況の中で、人間の決断の結果生じた悲劇であるが、「フクシマ」は平和な日常の中でおこった災害である点で異なり、いつかどこかでおこり得る普遍性をもっている。いわば現代文明が生んだ災害である。いまわれわれは、ベン・シヤーンとともにすこし立ち止まっで、人間の運命や未来についで考えてみてもよいのではないだろうか。                (福島県立美術館長)