みえない亀裂

■ヨーゼフ・ボイスの現在

神奈川県立近代美術館主任学芸員・水沢勉

 去年、デュッセルいレフでヨーゼ7・ボイスの遺作「パラッツオ・レガーレ」(1985年、下図)が飾られたノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館の一室に何度も足を運びながら、ちっとも感激しない自分のことをしきりにいぶかっていた。

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 あの空気の希薄な、淡い光がみごとに均一に統御された空間。マックス・ペックマンの強烈な「夜」を含んだ一階のモダン・クラシックのコレクションからはじまって、中央にドナルド・ジャツドの大作が置かれた二階の充実した戦後アメリカ美術の代表作家たちの居並ぷ空間を一巡し、三階の全室を使った、記念すべき、公的な認知の記念碑としての最大規模のボイス展をみる行為の一部として、いまこの・・・部屋のなかに自分はいる・・・そう言いきかせてはみても、なにものか空虚な光に満たされた空間の持続を心の片隅で消しがたいものとして感じつづけずにはいられないのだ。

 真鍮のわずかに歪んだ、不活発な複数の金色の疑似鏡面に囲まれた、その部屋「パラッツォ・レガーレ」には、いつものボイスの、あの不法侵入の野蛮な狂暴さが、どこにもにじんでいないではないか。どこかしら軽やかな、むしろロココ的ともいうべき筆者な印象。ちんまりとしつらえられたという、お行儀の良さ。たしかにふたつのヴィトリーヌのうちの部屋中央に置かれたものの内部には、あの一度みたらけっして忘れることのできない、「市電停車場」(1976年、下図)にも使われていた、苦悶に口を半開きにしている不気味な鉄製の首(1961年制作)がころがっている。

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 そのかたわらには、1969年のアクション「イフィゲーニエ/ティトゥス」をすぐに想起させる一組のシンバルが置かれ、ボイス自身の肉体を喚起させずにはおかない大山猫の毛皮を使ったコートが横たわり、隅のほうに、目立たないように大きな巻貝がある。そして、もうひとつのヴィトリーヌには、脂肪をはじめとして、それこそひとつひとつ記述する必要がないほどボイスの基本的な語曇ともいうペきオブジェがいくつも納められている。

 中央のヴィトリーヌが死体安置を暗示することはだれの目にも明らかだろう。鉄と毛皮の物性の段差は、ボイスが生涯にわたって自己同一化してきた、故郷クレーヴェの偉大な先達であるアナヒヤルシス・クローツ(1755−1794)が、パリでロベスピエールによって断頭台の露と消えた歴史的事実と符合する。そして、それは、みずからの死を予感していたボイス自身の最期の姿と誇らしげにおのずと重なってもくるだろう。

 しかし、あのいつでも、どうしようもなく野暮でし田舎臭く、倉のなかにほこりまみれで放置されていたという印象の黴(かび)臭いオブジェのみごとな使い手であったボイスがどうしたことか。それらのオブジェは脇役のヴィトリーヌに、まるで生涯の偉業の形見という按配(あんばい)に、顕彰の品々であるかのように麗々しく並状中央の「英雄」は、深々とした毛皮と薄紅色の内部をさらす巻貝という、ひどく世俗的で性的な官能性をまとったオブジェとともに聖化されてしまっている。毛皮と貝?・・・出来損ないのシュルレアリストでもあるまいに。いらだちが募る。そして、壁の真鍮製のパネルとヴィトリーヌを金属部分に塗られている金泥が、すべてはすでに霊化されているとささやきかけるのだ。ボイスではないボイスがボイスを埋葬する。生死幽明の境があいまいになっていく。こんな浮遊するような空間をボイスは作ったことがあっただろうか。あれほどボイスがデュッセルドルフ芸術アカデミーを根拠地にあらがいつづけたノルトライン=ヴエストファーレン州の学術研究省の殿堂ともいうペき美術館が、皮肉なことに、この建築の中央にしつらえられた明るい玄室ともいうペきレ〈ラヅソオ・レガーレ」によって、いまボイスのためのマウソレムとなっているのだ。


 「パラッツオ・レガーレ」の部屋を出て、ボイス展会場を逆にもう一度歩いてみる。ギャラリー・トークに耳を傾ける着飾った上品な婦人たちの香水と脂粉の匂いのなかを急ぎ足で通りぬける。「20世紀の終わり」(1983年)の玄武岩に円錐が埋め込まれた部分の粘土が、もうすっがり乾いてひび割れているのがみえる。ナチ考案のバスタブをそのまま吊しただけの初期作品「イアソンⅡ」(1962年、下図)の前には簡単に近づけないようにワイヤーが渡してある。

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 いつものこと。いつものことではないか。作者の不在によって、作品は展覧会の名のもとに美術館にしっかりと回収され、美術史がきちんと安全弁を施し、みんなで一所懸命に勉強する。こうして専門家というものをもっとも嫌ったボイスの「研究家」が生まれる。1972年に警察にアカデミーから強制退去させられたときのボイス自身の痛烈なことばを借りるならば、だから「民主主義は愉快なのだ」

 しかし、ボイスの活動には、どこにもシニスム(皮肉)の影が差していないことを、ここでもうー度確認しておく必要があるだろう。クレーヴェ出身の田野夫ボイスは、文字どおり、そのあらくれた手で木を刻み、石を彫ることから出発して、粘り強く、彫刻する素材を社会全体にまで拡大していったのである。そこには真一文字の道筋があったといっても過言ではないとおもう。そこには、イロニー(表面的な立ち居振る舞いによって本質を隠すこと)という回避はあったが、シニスムという退避はなかった。

 「パラッツオ・レガーレ」は、美術館に代表される制度が栄光の屍衣(しい)で自分を包むことを見越した、ボイスの最終最大のイロニーではなかったか。それは、美しければ美しいほど効果的になるのだ。浄化されているとみえればみえるほど、物質の不透明な熱度を雄弁に指示するのであり、ボイスのしごと全体を逆照射し、そこに貫流する「中心の流れ(Hauptstrom)」の所在を教えるのである。


  たとえば、今回の出品作のうち、もっとも最初期に属する「ハンドクロス」(1949年、下写真)にもすでにボイスの「中心の流れ」は、確実に洗出しはじめているように思われる。

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 このブロンズ像は、汚れくすんだパティーナ(緑青)の色合いや意図的な古拙な表現もあって、ま争で初期キリスト教の遺物のようにみえる。ボイスの当時の師エーヴァルト・マタレ(1887−1965)が、戦後の復興のために教会関係のしごとに従事していたことを考えれば、

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生徒ボイスも、そのようなつながりで、この縦20センチほどの小品を制作したことは容易に推測できるだろう。キリストの胸部にみられる奇妙な渦巻き紋は、あきらかにボイスのケルト的なものへの共感を裏づけ、また、やがてボイスに頃出することになる蜜蜂のモチーフ(たとえば、1952年の「女王蜂Ⅲ、下図)をすでに予告しているように思われる

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 しかし、こうした絵画的な処理そのものは、あまり過大視してはならないだろう。むしろ、後光から首筋へ、そして、さらにからだ全体へとかすかに波及していく動きのほうがのちの展開を考えるときはるかに重要であるにちがいない。

 ここでは、動きそのものは、まさに「手持ち(ハンド)」の「十字架(クロス)」であるためにあまり強調されていないが、ほぼ同時期にクルミ材でつくられた、やや大型の木彫「救済の象徴り(1949/50年、下図左)をみるとき、それが、ゆるやかなリズム感あふれる形状へと単純化をほどこされ、舞踏的なものへと流体化させられていることが知られる。しかも、ボイスは、この作品の線刻部分をより図式化したオーク材による第ニヴァージョン(1951年、下図右)を制作し、それを同時期のやはりオーク材による「犠牲の象徴」(下図右の左)を組み合わせて併置し、ひとつの木箱に納め、キリストの霊肉のふたつの次元を造形的に対比させている

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 さらに、ボイスは、これでも満足することなく、この併置された状態の2点の背面を利用して、それをブロンズに抜き、それをゲルハルト・フアン・デア・グリンテンの墓碑(下図左)の正面にもちいている。1961年のことだ。その間に10年以上の歳月が経過し、ふたたび物質そのものは、ブロンズにもとているが、肝腎の表がいつのまにか裏となっている、いかにもボイス的な武骨な自在さ。しかも、それは、単なる造形の機知ではなく、物質をかいくぐって確認されるべき彫刻の基本的な質にかかわっているというべきだろう。ここにはいわば螺旋的な形態の転生があり、その流動的な動きによって、いつしかカトリシズムというボイス個人のキリスト教的な文脈を越えて、より普遍的な存在が指示されないではおかないのである。(それはまた、「きみはけっして彫刻家ではありえないね。きみは画家なのだ」という師マタレの言葉にたいして、ボイスがひそかに期していた逆証の作業でもあっただろう)。

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 1949年のブロンズの女性トルソ「コルセット」(上図右)が、今回の出品作のひとつ「あるヒロインのためのバスタブ」(1984年、下写真)の一部に組み込まれ、ほぼ同時期にブロンズで7点で制作された「獣女」にもバリ(バリは、材料を加工する際に発生する、素材の残材部分である。 機械加工では、バリが残っているとまっすぐに固定できない、部品を正しく計測出来ない、怪我や事故に繋がるなどの弊害が発生する。 このバリを除去する工程をバリ取り (バリとり、deburring、trimming) と呼んでいる。 バリ取りの作業には、やすりや専用の工具(機械)などによって削り取る、潰す等の機械的な除去方法のほかに、化学研磨、電解研磨による除去方法がある。)を残した荒々しい姿で再生していたこともここで思い出しておきたい。「コルセット」の女性イメージは、おそらく、ボイスの芸術家としての出発点にさえ遡れるものであるにちがいないが、それが、ボイスの最晩年に繰り返し立ち現われるのである。しかも、それは、けっして単なる懐古ではなく、より力強く充填された生のポテンシャリティーの確認として制作されているのだ。

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 異種の物質を介しながら、かぎりなく転生を繰り返す形態そのもっとも直裁な提示の一例が1968年の「大地電話」、下写真)ここにもボイスの制作を貫いて流れる「中心の流れ」がある。

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 こうした制作態度が、ボイスに、存在状態そのものが、すでに流動性をはらんでいる、脂肪やフェルトを素材として選ばせたことは、いわば必然のなりゆきであった。1985年のロンドン滞在時に制作された出品作「ジョッキー帽」(下写真)は、1960年代に入って本格化した、こうした素材による作例のほぼ最後に位置するものだ。愛らしい典型的な作品であり、つい素材に通じたボイスの名匠ぶりを讃えたくなるが、ボイスは当然のことながら、小ぎれいな仕上がりをはっきりと拒否している

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 ボイス愛用のソフト帽のつばの部分はぞんざいに切り取られ、そのなかにまるでかきまぜられたように渦巻き状に脂肪がたっぷりと詰められ、そのうえにドイツ語新聞が二枚小さくちぎられて置かれ、そこにボイスのトレード・マークである褐色の十字が書かれている。手にもてば、帽子のイメージとまったく食い違って、ずっしりと重く、脂肪は、新聞紙とフェルトに染みとおって、物質を変成させている。いや、より正確には、いままさに変成させつつあるといわなくてはならないだろう。

 ここには、静止して安定した物質は、ひとつも存在しないのだ。脂肪は、温度差によって硬軟の程度と形態を微妙に変化させ、わずかな圧力でフェルトはへこみ、空気の流れは、紙片をめくらせたり、飛び散らせるかもしれない。「ころげおちているジョッキー帽」という状況は、「疾駆する馬」を喚起しないではおかないから、そこから「速度」を、そして、さらにそれとの観念連合によって「自由」を、この作品から感じとることも、まったく不可能なわけではない。しかし、やはりここでいちばん重要なのは、そのような詩的連想の綾ではなく、不可測の流動状態にある物質そのもののありかただろう。


  ボイスのオブジェは、たとえどれほど難解で神秘的にみえようとも、シュルレアリストのオブジェにみられる無意識への下降を誘うことはけっしてない。それは、物質そのものの難解さであり、神秘にほかならないのだ。だからこそ、ボイスの作品は、貴族主義的な頼晦と孤立を断固拒みながら、たえまなく変化しつつある自然をあくまでも「レアルに」観察することをみるものに促し、さらにその視線を、創造的な主体によって構成されるべき変化しえる社会にも振り向けさせるのである。この小さな「ジョッキー帽」もまた、そのとき、ボイスが思い描くあるべき社会への鮮烈な隠喩となりえるのだ。 32-1

 この「ジョッキー帽」を制作したとき、ボイスは、ロンドンのアンソニー・ドフェイ画廊で大規模な「プライト(PLIGHT)」(上図左右)と題された作品を発表している。それは、画廊空間全体が作品となるペき、環境的な作品だった。ボイスは、未加エのフェルトをプレスしたフェルトで巻いたものを隙間なく二段に並べて、画廊の壁も窓もおおってしまつた。記録写真をみると、部屋の中央ではなく隅のほうに、蓋の閉じられたグランド・ピアノが設置され、そのうえにはなにも善かれていない五線譜付きの黒板があり、その黒板の亀裂のうえに体温計が置かれていたことがわかる。明快なコンセプトというべきだろう。その壁の部分のフェルトを独立させて作品化した「ブライトエレメント」(下写真)をみただけでも、その空間の圧倒的な物質感を思い描くことができる。

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 近代ヨーロッパの良き趣味を代表するグランド・ピア/は、もはや、みずからを語る能力もなければ(「蓋を閉じられ」)、語るペき内容ももたない(「なにも善かれていない五線譜」)。それはひたすらに治癒されるペきなのだ(「亀裂」と「体温計」)。フェルトは、外部の雑書を遮断し、やわらかく母胎のようにグランド・ピアノ(そして、作品をみているもの)を包み込み、温度を保つ。

 しかし、英語の題名「プライト」は、ここではきわめて多義的であるのにちがいない。それは「状態」を意味するが、日本語でいうならば、「さま」ではなく、「ざま」であり、ネガティヴな意味合いが普通つよく、「苦境」と訳してもかまわないだろう。しかし、そもそも「plight」が「状態」を意味することになったのは、それが語源的にたどるならば英語の「Plait(「襞」の意味)」に通じる、「織り」や「織り方」を意味する中世フランス語の「Pleit」に由来するからである。おそらく、こうした「襞」「織り」といった意味合いも、この作品の場合、無視することはできないだろう。また、ボイスはドイツ人である以上、イツ語の「Pflicht」と語源的に共通する本来「危険」を意味していた、現在は「契り」を意味する「p=ghりのほうがより身近なものに感じられたにちがいない。もし、そのとき、ボイスが「Pflicht」を意識しているとすれば、「義務」「責務」というニュアンスが濃くなり、その動詞「pflegen」も当然連想されて、「世話をする」「手入れする」という意味にまで、「Plight」は、その意味の裾野を広げることになる。

 あまりに題名にとらわれることは、言葉による過剰解釈の罠にはまる危険がある。しかし、「ジョッキー帽」であれば、これほどこだわることはありえないだろう。オブジェそのものがすでに対象を明確に指示しているからである。しかし、「プライト」では、作品そのもののコンセプトはきわめて明快でありながら、それだからこそ、というぺきか、「プライト」という言葉の曖昧さがよけい気にかかるのだ。同じようにグランド・ピアノを使用し、それをフェルトで梱包し、十字をほどこして行なった1963年のデュッセルドルフ芸術アカデミーのアクション「グランド・ピアノのための等質浸透、最大の現代作曲家はサリドマイド児である」には、一見難解とはみせていても、意味了解可能な命題がかかげられていた。

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 たとえば、グルムシュクットのヘッセン州立美術館で「基底Ⅲ」(1969年上図)をまのあたりにすると全身に打撲を受けたような衝撃をだれしもあたえられるだろう。そこには、けっして簡単になじむことの許されない厳然たる緊張に満ちた空間が存在する。ボイスの作品は、戦争をはじめとして、世界の無数の打撲と亀裂を拡大してみせる暗箱であったのではないか、という思いに、比較を絶するほどに暗く、重い圧倒的な作品群に囲まれながら、どうしようもなく駆られるのだ。

 「プライト」では、もはや、これみよがし(「これを見よ」と言わんばかりに誇らしげに見せつけるさま。)に亀裂は提示されていない。五線譜上の亀裂はゆるやかに快癒しつつあるではないかとみるものに思わせるほどにかすかなものだ。死への恐怖よりも、死への郷愁がただよう。死者は、「苦境」「危険」をへて、死出の旅の身繕いの「世話」を受ける・・・とすれば、ぼくをいらだたせた「パラッツオ・レガーレ」の金色は、復活の証だったのだろうか。 (神奈川県立近代美術館主任学芸員)