美と土俗

美と土俗展より(1998.9北海道立旭川美術館)

道立文学館学芸主幹の新明英仁

 今日、一般に「日本文化」と呼ばれるものは、一体どんなものであろうか。芸術文化関係で代表的なものをあげてみると、和歌・俳句などの短詩型文学、物語文学、絵巻、花鳥画、文人画(南画)、浮世絵、それに能、狂言、歌舞伎などの伝統芸能などがすぐに思い浮かぶ。これらの多くは過去の文化、つまり明治時代以前に成立したもので、それをもって今日でも日本文化の代表とされている。これは、かなり固定的観念というべきもので、それだけに今日でも根強く、その美学も“わび” “さび” “もののあはれ”、あるいは“花鳥風月”などに代表されている。むろん、伝統を守ることは大切であるけれど、それだけでは、新しい文化を創造する活力とはならないし、それに明治時代以後の西洋文明の影響を急速に受けた近代文化はどのように考えるべきなのかという問題が残る。このような問題は、岡本太郎をはじめとして、多くの有識者が指摘していることで、筆者が改めて指摘する必要はないことだが、この展覧会の企画の最初に、以上のような問題が念頭にあったことは述べておかなくてはならない。

 さて、この「美と土俗」展は、そうした固定的観念を崩し、近代においてもより多様な日本文化をうかがうことができるのではないかと考え、企画したものである。例えば縄文土器、アニミズム、修験道などに代表される古代的、縄文的な性格や、“かぶく” “ばさら”などに代表されるような民衆的、祝祭的、(過剰な)装飾的傾向、風土との関わりからくる土俗性、民俗性などの要素を日本の近現代美術の5人の個性的な作家の中に見ていこうというものである。そして、それらの作家の間に共通するものや、系譜とまではいかなくとも繋がりをとらえていこうとする試みである。明治以前の日本文化観はここ30年ほどの間に大きく変貌し、再検討も進む中で、上記のような特色も大きくクローズアップされてきた。明治時代以降の研究においても今後そうした傾向が意識されるようになるのではないかと考えている。

 5人の作家は、万鉄五郎、棟方志功、片岡球子、岡本太郎、桂ゆきである。これらの個性的な5人は、上記のような傾向から考えて、20世紀の日本美術を代表する存在に当たると考えたのである。むろん、これは一つの選択の問題であって、近代でいえば、高橋由一、岸田劉生をはじめとして多数の候補者をあげることができるであろう。美術における既述のような特色の作品は、例えば“土俗的”  “民俗的”という言葉で処理されてしまうケースが多いし、時にそれはマイナーな“異色”  “異端”という言葉で片付けられ、あるいは「上品さ」「優雅さ」に欠けるというようなとらえ方でとどまってしまうことも多いようである。このような固定的表現は、一般的にはまだまだ有効で、それは日本美術の多様さ、奥の深さを自ら捨ててしまう危険性を孕(はら)んでいる。

 「土俗」や「異端」という言葉は、この展覧会のタイトルにも使ったが、自戒の念もふくめて言えば、作品を見る側が、表現に困り、中身に深く立ち入らず簡単にすませてしまうことのできる便利な言葉なのである。だが、近年の美術研究の成果は、そのような安直さを許さないだろう。また、他の学問、例えば文化人類学、自然人類学、民俗学など日本人の本質にも深く関わる学問が近年あげている成果を少しひもといただけでも、それに立ち入っていくことの重要さは理解できるとともに、それを美術の研究や理解に何らかの形で応用できないだろうかという要求が筆者には自然に湧いてくる。

 例えば佐々木高明氏著『日本文化の多重構造』(小学館、1997)では、縄文文化と弥生文化の記述の中で、縄文文化の基盤の上に弥生文化が成り立っているという考え方がある。つまり、土器をはじめとする基本的生活文化は縄文文化から引継ぎ、弥生的なものはその上に重なっているという二重構造の考え方である。これは、研究分野は異なるので簡単に取り入れられないが、縄文と弥生を文化的、芸術的に対立概念とする考え方に対し、示唆をもたらす魅力的なものであり、日本文化を考える上で新鮮な視点を我々に与えてくれる。埴原和郎氏は、自然人類学の立場から、日本人のルーツを科学的に調査して研究、紹介し、現代日本人は縄文系と渡来系との二重構造で成り立っていること、例えば縄文人とアイヌの関係、東日本と西日本の人の違い、アイヌと沖縄の人々の共通性などについて述べている。梅原猛氏は様々な本で縄文文化と日本文化(特に東北文化)を関連づけた鋭い発言を行っている。また、赤坂憲雄氏の東北の文化を詳細に再考する「東北学」の提唱もきわめて魅力的である。そしてアイヌ文化、東北の文化、南西諸島の文化などへの関心は近年非常に高まっている。こうした日本文化の再考の状況は枚挙に暇のないほどで、それが単に過去のことを述べ、研究しているのではなく、現代日本人(あるいは日本文化)にとってもそれが重要であり、科学、文化、社会、自然などに対する日本人の精神構造の変革を促す内容となっているものが多い。

 ただし、文化人類学や民俗学が汎社会的な性格をもっているとすれば、美術、特に近現代においては、作品は個人が受容したものの解釈の結果の産物であり、個性としてとらえられることが多く、その隙間を埋めるのは容易ではない。だが、個人は社会や環境からなにがしかの影響を受けた上で、個人の自我を確立するはずである。これらの学問と芸術家たちの個性的な活動との接点はないものだろうか。そういう点をある程度意識して、以下に作家論をまとめてみた。あるい壬ま、民芸の思想などを再考すれば、芸術と民俗の間に立つ媒体になり得るのかもしれないがここではそれは試みない。

 美術に関して言えば、辻惟雄氏著『奇想の系譜』(美術出坂社、1970年)は、もう二十数年前に刊行された本だが、未だに日本美術に新鮮な視点を与え、美術史の盲点を突いた名著として存在している。この展覧会の発想の大きな部分は、浅学ゆえに内容は全く及ばないまでも、この偉大な研究に負つている。

 ところで、日本の近現代美術には、幕末明治からの急速な近代化、ヨーロッパ化の問題があり、その反動があり、また.その上に、ピカソ、ブランクーシなどをはじめとするプリミティヴイズムの影響とそこから派生した民族芸術、原始美術に対する関心も20世紀前半に日本に移入されてきているのだから、問題は複雑である。

 しかし、日本が表面は急速に西洋化したとしても、あるいは国家や大衆の志向がいかに西洋一辺倒だったとしても、人間や文化の本質がそれと同じ早さで変わるなどということはありえない。最初は受容の中心地にいる人々とそうでない人々の間に相当な差が出るのである。それが、国の発展につれ、差を縮める。現在では情報化によってそれが極端に縮まつてしまった状態である。日本は、気候風土から考えても過去に相当な文化的多様性(たとえ源流は共通でも)を持っていたと考えられる(海と山、東西、南北、ナラ林と照葉樹、林、盆地などによる文化の違い)が、均質化が進み、その多様性も崩壊寸前なのである。ここまで来てしまえば、失われた目に見えない文化は大変大きい。この変化と喪失は、特に戦後急速に起こっていて、明治、大正、昭和前期を、現在の我々の目で見通すことさえ難しくなってきている。それらの時代には、焼畑農業やマタギ、各種祭礼などの例を持ち出すまでもなく、明治以前からのさまざまな民俗文化がたくさん残っていたのである。そして「西洋化=人間の便利さ、快適さ、経済的豊かさの追求」が大きな矛盾をはらんでいることに我々は十分気付いている。現在、西洋文明(近代文明)の取った方向は戦略兵器、環境問題の例を挙げるまでもなく多様な批判にさらされている。また現在の日本社会の抱える多くの課題とその先行きに対する不安も大きい。その中で「日本人」「日本文化」とは何なのかをいろいろな方向から改めて同い直すことが重要なのである。これは国際社会の中の、あるいはアジア文化圏の一員としての日本の文化的特色を考えるためにも必ず役立つはずである。これはいささか大きすぎる問題で筆者個人の手に余るが、それを考えてもらうことも、この展覧会の目標としたい。

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万鉄五郎 裸体美人 1912 東京国立近代美術館蔵

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 もたれて立つ入 1917 東京国立近代美術館蔵

 話をもどすと、急速な西洋化の中で、表面は和服から洋服に変わっても、中身はそう簡単には変わらない。“かぶれて”いる、あるいは政府の方針や時代の大勢に従っているだけで、思考回路はそれほど大きく変っていない。いってみれば「和魂洋才」である。この言葉は「和魂漢才」のもじりで、「わが国固有の精神と西洋の学問。日本国有の精神を以て、西洋の学問、知識を学び取ること。」と『広辞宛』にあり、この言葉を最も効果的に利用、応用して日本文化論を展開したのは梅原猛氏である。氏はさらに加えて「縄魂弥才」(縄=縄文文化、弥=弥生文化)という造語も用いて、興味深い日本文化の縄文起源論を展開した(『日本の深層』 佼正出版社1983年)。筆者には「縄魂弥才」を使う資格はないが、「和魂洋才」だけでも十分利用価値がある。先天的性格の強い「和魂」と、後天的性格の強い「洋才」のどちらが重要か?…もちろん両者は複雑に絡み合うし、重要度を比較するなどおかしいことだとも言えるだろうが、少なくとも近代の美術研究、批評は様式や現象面から考察しやすい「洋才」方面からの評価に傾きがちで、「和魂」には及び腰であったようにみえる。 確かに「和魂」の場合、実証的研究とはなりにくいし、推論の積み重ねになってしまうおそれが大きい。しかし、本展に出品した5人の作家に関して(いや、他の多くの作家に関しても)この「和魂」をカギに考えていくと、近代美術の範疇だけではとても収まりきれない広大な日本美術の地平がひらけてくるのである。つまり、縄文文化、アニミズム、民衆的性格など日本文化の根幹にかかわる要素を喚起させる内容を、これらの作家たちが十分にもっているということである。それは誰もが直観的に感じ得るはずの特色である。