秋の夜空を彩る風物詩

■土浦の花火

 毎年10月第1土曜日に土浦市の桜川畔で開催される「土浦全国花火競技大会」は、全国の花火師たちが磨き上げた技量を競い合う競技大会である。222-1 222

 平成16年(2004)で第73回を数える伝統ある競技大会の起源は、大正14年(1925)9月までさかのぼる。土浦町内の神龍寺秋元梅峯(ばいほう)師が、霞ケ浦海軍航空隊の殉難者を慰霊するために霞ケ浦湖畔で行なったのが始まりと伝えられ、翌15年の大会では、秋元師が団長を務める大日本仏教護国団の主催となった。

 昭和初期には、土浦町と土浦煙火協会が主催となり、10月の土日の2日間にわたり盛大に開催されている。当時の「いはらき新聞」の記事には「全国煙火競技大会は昼過ぎ、秋元梅峯師ほか十数名の僧侶によって、霞ケ浦航空隊殉難者と全国の花火殉難者の慰霊祭が厳粛に行われた後、花火の打ち上げが開始された。夜になると桜川畔の会場周辺では、間断なく打ち上げられる花火と各種興行や売店に観衆が押し寄せた。桜川には屋形船や改造した砂利船など二百隻が浮かび、水上も花火見物をする者であふれた。近郷近在から詰め掛けた観客は十数万人にのぼり、常磐線や筑波線は臨時列車を運行し、乗合自動車も増発して観客の輸送にあたった」とある。不況下にあって、土浦の街を一時的でも活気づけ、経済効果をもたらした競技大会の意義は大きかった。223-1 223

 昭和16年(1941)から同20年までは戦時下のため中止となったが、翌年にはGHQの許可を得て土浦市と土浦煙火協会が主催し、全国花火競技大会として復活した。同24年には主催が土浦煙火協会から発足した茨城県煙火協会に代わる。同34年、速射連発(スターマイン)が競技種目に加えられた。同36年、主催を土浦市・土浦観光協会とし、後援に通商産業省・中小企業庁・茨城県が加わる。翌37年、後援団体に日本煙火工業会が加わり、輸出振興を兼ねた大会として同聖ハ年まで開催された。同39年、東京オリンピック協賛として開催し、打ち上げ場所を霞ケ浦湖畔に移し、さらに同47年には会場を桜川畔大曲付近に移す。同60年、つくば国際科学技術博覧会に協賛し、会場内でも花火を打ち上げた。

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 平成4年(1992)には名称を「土浦全国花火競技大会」とし、同12年には市制施行60周年記念大会として開催し、この年から内閣総理大臣賞が付与されるようになった。

 歴史ある大会も回を重ねながら発展を続け、現在では全国から60の花火業者が集う大会となった。秋田県大曲市の大会とともに全国二大競技大会と称されている。スターマイン・10号玉・創造花火の三部門で競われ、この大会で優勝することが、花火師たちの最高の名誉となっている。

 競技花火のほか、余興花火や広告仕掛花火も含め約二万発の花火が土浦の秋の夜空を彩り、約65万人もの観客を魅了している。