Ⅵ.アメリカの抽象美術

■アメリカの抽象美術・Abstract Art in the United States

 アメリカにフォーヴィスムやキュビスムなど最新の動向を含むヨーロッパの主としてフランスの近代絵画が組織的に紹介されたのは,1913年にニューヨークで開かれたアーモリ ̄・ショウ(展覧会名は国際近代美術展であるが,会場が兵器庫であったため一般にこう呼ばれている)によってである.いうまでもなく,パリで美術を学んでいたアメリカ人画家のうち,すでにフォーヴィスム、キュビスム,あるいは未来派などの美術運動に接し影響を受けていた若い画家は少数ながらいたし,また彼らとも親しかった写真家のアルフレッド・ステイーグリッツは,ニューヨークの5番街291番地に開設した小画廊で写真展のみならず,ヨーロッパの近代美術家の紹介と並んでアメリカ美術家の個展を開くなど活発な活動を行なっていた.しかしながら,こうした小グループの作家や美術愛好家の限られた範囲を越えてアーモリー・ショウがアメリカの美術界と一般の観衆に与えた衝撃は大きいものであった.

 このアーモリー・ショウ以後,キュビスムや未来派の影響を受け,さらには抽象的表現に踏み込む画家たちがアメリカ美術界に登場してくる.マックス・ウエーバー,ジョーゼフステラ,マースデン・ハートレー,アーサー・ダヴ,マンルイ,あるいはドローネーの影響からシンクロニズム(色彩交響主義)を唱え たスタントン・マクドナルド=ライトとモーガ ン・ラッセルらである.またアーモリー・ショ ウでその作品がセンセーショナルな話題を起 こしたマルセル・デュシャンが1915年パリか らニューヨークに来て,ピカビアやマンル イとともに社会と美術の既成の価値に攻撃を 仕掛けたニューヨーク・タグの活動を起こし ていることも見逃すことができない・

 国際的な動向に結びついたこうした新しい傾 向の美術に対して,アメリカ社会は必ずしも 好意的であったわけではなく,一部には強い 敵対的な反応があらわれており,多分にナショナリズムの調子を含んだ思潮が1920年代 に高まってくる.1920年代と1930年代に支配的だったアメリカの社会と現実を描くいわゆ るアメリカンシーンの絵画は,こうした思 潮を背景としている.キュビスムや未来派の 影響やアーモリー・ショウの刺較を受けて抽丁βJ象的な表現に踏み込んだアメリカ人の画家のうち,1920年代に写実絵画に復帰した者も少なくなかったのである.

 ただ,ヨーロッパの進歩的な美術家との連繋を維持しようとする努力は続けられていた・その一つは,1920年にキヤスリーン・S・ドライアーとマルセル・デュシャンが創設したソシ工テ・アノニム(株式会社)近代美術館である.この活動は,20年代と30年代にアメリカの現代美術の推進のみならず,デ・ステイルやバウハウスの作家,あるいはマレーヴイツチなどの仕事を紹介するのに大きな役割を果しており,殊に1926年にソシ工テ・アノニムがモンドリアンの示唆を受けて組織したブルックリン美術館での近代国際美術展は23カ国の300点を越す国際的な前衛派の美術を概観するもので,アーモリー・ショウ以降最も重要な意味を持つ展覧会になった・また,1927年にA・E・ガラティンがニューヨークに創設した現代美術館(ミュージアム・オブ・リヴインク・アート)は,最初はピカソ,ブラックなどキュビスムの作品が中心だったが,その後モンドリアンをはじめナスティルの作家の作品をアメリカにもたらし,いわゆる「非再現的」美術を普及させるのに力があった・

 アメリカにおいて構成主義的な幾何学的抽象 が明確な歩みを示すようになるのは,1930年代以降である・しかし,その方向への試みは それまでにもなされており,たとえば,この 展覧会の出品作家のうちジョン・ストーズは, パリ滞在中にロダンに師事してもいるが,後 にキュビスム様式を消化し,1920年代に幾何 学的抽象造形に進んだ彫刻家である・一方 チャールズ・シーラーとナイルズ・スペンサー は抽象には踏み込まなかったが,やはりキュ ビスムの影響を受け,アメリカの工場風景や 都市風景をテーマとして彼らの対象を単純化 し力つその幾何学的構造を明瞭化したいわゆ るプレシジョニズム(精確主義)の画家であ る.30年代に入ると構成的・幾何学的抽象を 進める画家が登場してくるが,そのうちジョ ージ・L・K・モリスはレジェとオザンファン に学んだ人であり,その他バーゴイン・テイラ ー,チャールズ・ピーダーマン,イリヤ・ボロ トウスキーらはいずれもモンドリアンらの新 造形主義の影響を受けた画家である・

 1930年代の後半シュルレアリスムはアメリカにも波及し,その影響が出てくるが,一方で1936年にニューヨークの近代美術館で開かれた「キュビスムと抽象美術」展は,アメリカの抽象美術家を鼓舞するものであったし,また同じ年にアメリカ抽象美術家協会が創立されており,翌年から毎年展覧会を開催するようになった同協会には,ジョージ・L・K・モリス,イリヤ・ポロトウスキー,バーゴイン・ディラー,ガートルード・グリーン,チャーミオン・フォン・ヴィーガントなどアメリカの抽象美術家が結集することになった・アメリカ抽象美術家協会の創立会員には,すでにジョーゼフ・アルバースが名を連ねているが,注目すべきはこの30年代と40年代にヨーロッパの政治情勢の逼迫の結果としてアルバースをはじめフリッツ・ゲラーナー,モホリ=ナジ,モンドリアン,ガボなどヨーロッパの構成的美術の重要な作家たちがアメリカに移住してきたことである.彼らは実制作によるだけでなく多くは美術教育に携わり,また著述などにょって彼らの理念を広め,アメリカの幾何学的抽象美術の展開に大きく寄与することに なった.