荒川沖・乙戸付近の石仏調べ

■如意輪観音

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■路の辺の観音 No.4029    乙戸町

 乙戸町字新地の路の辺(べ)にある如意輪観音である。

 廃寺跡に残された仏像の一基で、十六夜念仏諸によって造立されたものである。俯(うつむき)加減の微笑が印象的である。「正徳五末天(とし)」と刻まれた「徳」の文字は珍らしい字体だが、徳の異体字である。

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■飛天の観音  No. 4031   乙戸町

 乙戸町児童公民館地内にある如意輪観音である。 市内八七基の如意輪観音像中、唯一基の角柱浮彫坐像で「飛天」孔姿ほ迷いの衆生をいざなう如くである。

 願主 女人講中の他、世話人男子名が刻まれている。

三尊種子の刻まれた観音 No. 4032  乙戸町

 乙戸町児童公民館地内にある。市内で確認された如意輪観音像の内二番目に古い(一六七三年)。光背上部に三尊の種子が刻まれているのは珍しい例である。  ぎ「同行(ぎょう)八十三人」の文字が見られ「同行」の文字がつかわれているものは、他に二基で少い例に入る。

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■如意輪観音 No. 4033 荒川沖町

 観音荒川沖二丁目旧墓地内にあり、舟型光背に浮彫りされた坐像で銘文に「延宝二年寅(一六七四)十月十九日とあり、市内では三番目に古い如意輪観音像である。

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 最も古いものは中村町観音堂の右側にあるN0.4028(一六六七年)である。

■馬頭観音

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■三面八臂(ひ)の馬頭観音  No. 4015 乙戸町仏照寺

 仏照寺は昭和三十五年(一九六〇)に現在の場所に建立されたものであるこの境内に在る石仏は、昭和四十八年頃造立し、当時土浦仏教会では年々墓地が狭くなり、犬や猫の埋葬に困っていた。それを知った住職が動物供養のため、ここに馬頭観音を道立した。

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 この石仏は御影石で造られ、三面八臂の立像である。口もとには紅がさしてあり、柔和で菩薩の相をしている。石質は花崗岩である。

■線刻の馬頭観音 No. 4129  荒川沖町沖新田

 荒川沖町新田妙向寺裏の茶畑の中に、ひっそりとただずんでいる。高さ四一センチ、巾二一センチ、板駒型・石塔の上部には二頭の馬が互いに向い合って線刻されており、市内では唯一で極めて珍らしい。聞くところによれば、これは供養した席の数を現わしているともいわれている。この馬頭観音の造立は新しいが、願主がいかに馬を愛したか、うかがい知ることができる。石質は凝灰岩である。

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■重厚味のある阿弥陀如来 No. 4003  乙戸町字新地

 南部地区乙戸町字新地の道沿いにある。右手を上に、左手を下に向けた 来迎相の光背塑浮彫りの立像である。像容は、非常にどっしりした、重厚 味がある。

「奉供養十四日念仏」、「一月一夜」と銘記があり、女人衆の別時念仏 供養を行っていたものと思われる。天和二年(一六八二)の古い道立年代 のものである。

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■逆邪鬼の背面金剛 No. 4089  南部地区乙戸町

 南部地区乙戸町の鹿島神社境内にある庚申塔であり、正面に、一面六臂の青面金剛像、下部に邪鬼らしきものが浮彫されている。向って右側に、「乙戸村話中」、左側に「宝暦六年(一七五六)と」刻された、高さ六〇センチ、幅三〇センチ、奥行二〇センチの光背型石仏。 今でも庚申祭りをしている。

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■限定された氏子により祀られている能州野神社 No.4229  荒川沖町

 荒川沖十二社の一つで、権現境内の中に、ひときわ大きい榎の大木四本に 囲まれた中に鎮座している。 氏子は明治五年以前に住んでいた家とその分家のみによって(氏子帳にき ちんと名前が記載されてある)。毎年正月には当番四名が交替でお祭りを しており、今なお蕨格に守っているのもめずらしい。

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■妙法牛頭天王守  No.4248  荒川沖新田

 道立老(故人)は熱烈な日蓮宗の信徒であり、其の一全精神が、七文字の 中に脈々と流れているのではなかろうか。現在造立老の子孫が家宝として 保存されている。慶長年間の作で、加藤清正の筆になるといわれる。一幅 の軸がある。その軸に日く「南無妙法蓮華経」「加藤肥後守清正」とある 碑の〝守(かみ)〟の一字は恐らく造立者は同経信者の大先輩肥後守を慕うの心情 より発したものと想像される。碑は荒川沖町沖新田妙向寺の裏茶畑の片隅 にある。

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