高橋由一の東北行

■高橋由一の東北行と《三県道路完成記念帖≫について

伊藤匡

 日本洋画の開拓者といわれる高橋由一は、東北地方に緑の深い画家であった。彼は生涯に三回東北地方を訪れている。一回目は1881(明治14)年、二回目は1884(明治17)年、そして三回目は1887(明治20)年である。由一の東北行は、酒田、山形、福島、栃木県令を歴任し、「土木県令」「鬼県令」と畏怖された三島通庸(みしまみちつね)との関係が濃い。

 1881(明治14)年の東北行は、山形県令だった三島の依頼により、山形に滞在して『大久保利通像』『上杉鷹山像』や、『菓子山陽道図』等三島が起こした山形県下の新道開削事業の風景を描いた。『鐸木西美像』は、制作年代から推測すると、この時に注文を受けて帰京後描いたものと考えられる。鐸木西美(1822−80)は、本名を三郎兵衛誠信、福島の薬種商伊勢惣の主人で、俳人としても知られていた。本作品は、西実の養子馬巌が前年に死去した養父の肖像画を依頼し、写真をもとに描かれたと推測されている。

栗子山昔時景』は、比較的最近世に知られるようになった作品である。福島市と米沢市の間にある栗子山を米沢側から描いているが、トンネルの入口は描かれていない。「昔時景」の意味は、栗子山に隧道(ずいどう・トンネル)が掘られる以前の景色のことと解釈されている。1881年10月25日付『東北毎日新聞』に、由一が山形県の招聘により県下に滞在し、油絵十枚を描いた中に「《栗子山昔時景》大小二枚」という記事があり、本作品はそのうちの「小」にあたると推定している。

 この年の冬に、由一は三島宛てに新道開削完成後の山形地方の図誌刊行の願書を出している。由一の主張を要約すれば、

山形県下の景色は「古色アル深山幽谷二新路陸道ヲ開カレ橋梁桟廊ヲモ架セラルル等新古混交ノ風景一層ノ美ヲ増シ」(深山幽谷の中に新しい道やトンネルや橋が作られ、新しい道が混ざり合った風景が一層の美を増している)

▶「一目シテ驚愕セサルナクーノ新世界二在ルカト疑ハシ ムルニ到ル実未曾有ノ絶勝卜奉存候」(一目見て驚愕し新世界にいるかと疑うほど、今までにない絶景である)

▶「積年学成り候画術ノ本旨ハ真ヲ失ナハサルニアリ故二 東北二見ル所ノ新旧佳絶ノ真景ヲ写シ以テ望能ハサル 西南地方ノ衆庶ヲシテ熟知セシムルアラハ此佳景二因 ミ此真画術ノ大意ヲ普ク地方二知ラシムルノー挙タル 実二少々ナラス」(積年学んだ画術は真を写すことにあり。東北 の新旧の真景を写し、西南地方の人々に見せれば、真を写す洋画を地方に知らしめることができる)

 すなわち、由一は自然と人工物の新奇な組み合わせに美を感じたのであり、その新しい美を写せるのは洋画だけであると強調している。

 由一のこの願いは、3年後の1884(明治17)年に受け入れられた。三島の命を受けて案内役を務めた旧仙台藩士で福島県の役人伊藤十郎平と由一は、徒歩、人力車、舟などを使って全行程約1.300キロに及ぶ約4ケ月間の写生旅行を貫徹したのである。時に由一は数えで57歳、案内役の伊藤は60歳であった。

 三島が指示したのは、栃木、福島、山形三県の道路と建築の新事業のすべての実景を写し、石版画に記録することであった。画帖は栃木、福島、山形の順となる。栃木県分の最初に旧薩摩藩士で歴史学者の重野安繹(しげのやすつぐ)の序文、山形県分の最後に旧仙台藩士で漢学者岡千仞(おかせんじん)の政文がつく。岡は伊藤十郎平の実弟であり、重野と岡はともに明治政府太政官修史局に務めたことがある。石版画集は全部で150〜160図になり、この年の内に100国分を50部刷って収めることになっていた。しかし、序文の日付は明治18(1885年)11月、跋文は同年の12月となっており、刊行は当初の予定より一年ほど遅れたことになる。

 旅行中に由一が東京にいる息子源吉に宛てた手紙によると、石版画制作の工程は下絵を東京に送り、源吉と助手たちが石版画にして、手彩色した試し刷りを由一に返送し、それを見た由一が再び手紙で指示を与える。また描くことになっている建物などの写真を東京に送って、下絵を作らせることもあった。

 この石版画帖は、各所蔵者によって異なる名称がつけられているが、近年は《三県道路完成記念帖≫と総称されるようになった。縮刷りと紙刷りがあり、1995年に山形県内で、三県128図が六曲一双の屏風に貼り込まれた《東北新道石版画屏風》が見つかるなど、少しずつ発見例が増えているが、それでもまだ十数組しか見つかっていない。由一は、地域の有力者、郡や県の役人にこの石版画の購入を働きかけており、今後も発見例が増える可能性がある。

 福島県内にはこれまで三冊揃いの完本がなく、わずかに福島県分一冊が《福島県道路風景画帖》の名称で福島県立図書館に収蔵されている。これは、1950年に三島通庸の子孫から福島県に寄贈されたものである5。近年、白河に緑のある家から三冊そろいの石版画帖が見つかり、昨年当館に寄託された。保存状態は良好で、色彩が鮮明であることに驚かされる。今回発見された石版画帖は、とりわけ福島県にとって貴重な資料である。鉄道開通以前(東北本線の全線開通は1894年)の、人々の旅の様子や、現在の国道4号線、7号線、13号線、47号線、49号緑、113号線、121号綾などの道路沿線(現在のルートとは多少異なるが)の風景が写生された貴重な記録といえよう。

■栃木県行程