美術と音楽の交差点

000■目と耳が交差する時空間へ

澤渡麻里

 はじめに本展覧会が美術館で開催される展覧会である以上、「耳をすまして」というタイトルはいささか奇異なものとして受け取られるかもしれない。一般的に美術作品と呼ばれるもの、例えば絵画や彫刻などは、第一義的には「見る」ものである。その美術作品を前にして、人は一体、何に対して耳をすまし、その結果、何が聞こえてくるのだろうか?

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 あるいは、フランスの詩人・劇作家ポール・クローデル(l868−1955)の美術評論集『眼は聴く』が手がかりになるかもしれない。クローデルは、オランダ絵画を例に挙げながら「眼によって知性を培うと同時に、耳をそば立てる」ことを説いている。そうすれば、我々は絵画の中の音や音楽、そして静寂を聴き取り、さらには「魂の聴覚」を通じて、作品の内部の奥深くに入り込み、いやむしろ、その中に取り込まれることで、表層的に目に見えているものを超えて何物かを捉ぇることが可能となる、ということである。これは対象への没入と共感、そして一体化の姿勢ということになるのだろうが、どちらかといえば音楽の受容の在り方と共通するものが感じられる。音楽を聴くといぅことは、音楽が耳によって内在化されるということだからである。

 2009年、茨城県近代美術館では「眼をとじて−“見ること”の現在」という展覧会を開催した。だから、というのはいささかシンプルに過ぎるかもしれないが、本展覧会のキーワードの一つは「目」(見る)に対する「耳」(聴く)ということになった。しかし、これだけではやや漠然とし過ぎているし、もともと音楽をテーマにした展覧会企画の案があったこともあり、まずは「音楽」を軸足として作品を選ぶところから本展の企画はスタートした。

 第1部は「音楽にあこがれる美術」とし、主に音楽にまつわる19世紀から20世紀にかけての西洋絵画を中心に日本美術も含め、彫刻作品などとともに構成し、第2部は「音と交差する美術」として、主に現代美術のインスタレーションを中心に紹介する内容となっている。

 なお、展覧会のサブタイトルは「美術と音楽の交差点」であるが、器となるのがあくまでも美術館なので、美術と音楽を対等に扱うのは 困難があり、基本的には美術の側からの音楽に対する様々なアプローチを紹介し、それに加えて美術に深く関わる音楽家や映像作家の作品も含むという形になった。

▶美術と音楽

 さて、音楽に心惹かれ、あこがれた美術家は多い。「隣の芝は青い」という言葉の通り、人はえてして自分にないものを求める傾向があるが、音楽にあって、美術にないものとは何なのか、美術家は音楽のどこに惹かれるのか。この疑問に答えるために、まずは美術と音楽の相違について簡単に述べてみたい。

 美術と音楽は、それぞれ視覚芸術、聴覚芸術に分類することができるが、芸術をジャンル分けするには、こうした分け方の他にもいくつか方法が考えられる。美術と音楽について論じる場合は、上の視覚芸術、聴覚芸術という区別に加え、それぞれ空間芸術と時間芸術に分けて、対比的に語るのが一般的であるように思われる。ドイツの詩人・思想家のゴットホールトエフライム・レツシング1729−1781)はその著作『ラオコオン』(1766)において、絵画や彫刻など視覚的な造形芸術を空間芸術と定義し、文学や詩といった一定の時間の流れの中で展開する時間芸術と区別した。

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 時間芸術はギリシャ神話の詩と音楽の女神ミューズ(ムーサ、ムーサイ)に因んでミューズ的芸術と呼ばれることもあり、文学(詩)や音楽などを指すものである(より広義には、演劇や舞踏なども含まれる)。ちなみに、大神ゼウスと記憶の女神ムネモシュネーの娘である9人のミューズが司るのは、詩、音楽、悲喜劇、舞臥歌、歴史、天文などで、いずれも時とともに推移する性質を有する、時間あるいは運動にまつわる学芸であった。

 キャンバスに絵の具で彩色をする、もしくは大理石で形作るといったように、物質的な素材や手段に訴える美術は空間の中に不変に成立する「静止の芸術」である。これに対し、実体のない音という素材によって構成されることに由来する非物質性、歌詞などの言語によって補われない限り具体的な内容を明確には描写し得えない非具象性(抽象性)を特徴とする音楽は、時間の中を連続的に推移していくことから「運動の芸術」ともいえる。なお、音楽の場合、それ自体が、時間の流れの中にはまり込み、あまつさえ時間を自ら創造するという独特の性質において、時間芸術の最たるものといえ、音楽とはすなわち時間である、ということすら可能なのである。いずれにせよ、こうしてみると、空間芸術である造形芸術(美術)と時間芸術である音楽 は、本質的に相容れないもののように思われてくる。

 しかしながら、こうした相違にも関わらず、美術と音楽は、特に近代的なコンサートホールや美術館の誕生以前には、祭祀や教会など宗教的な場や祝祭や祝典などの空間において共存し、相互に補完し合いながら発展してきた歴史があり、また、芸術家が異分野の芸術 から影響なりインスピレーションを得て作品を生み出すということも、決して珍しいことではない。例えば、絵画をもとに作曲された近現代のクラシックの音楽作品としては、モデストムソルグスキー(1839−81)が友人の画家の展覧会の印象をもとに作曲した《展覧会の絵≫(1874)あたりが一番馴染み深い例だろうか。

 あるいは、16世紀ドイツの画家グリューネヴァルト(?~1528)の《イーゼンハイム祭壇画》(c.1511~15)を題材としたパウル・ヒンデミット(1895−1963)の交響曲<画家マティス》(1934)アルノルト・べックリン(1827−1901)《死の 島》に触発されたセルゲイ・ラフマニノフ(1873−1943)の交響詩《死の島》(1909)などを思い出す方もいることだろう。


ここで再び美術、特に西洋絵画に目を転じれば、絵画と音楽の比較や類比については古代から論じられてきたが、ロマン主義以降、音楽は飛躍的に、自然を写すという模倣原理から自由な、感覚的純粋性と精神性を有するものとして、諸芸術にとっての理想と捉えられるようになる。そして、20世紀初頭に至ると、音楽は抽象絵画の一つのモデルとなり、画家に様々な手がかりを示すようになるのである。19世紀の美術批評家ウオルター・ペイターの言葉通り、絵画をはじめとする「すべての芸術は共通して音楽の原理に憧れ」たのである。

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▶音楽にあこがれる美術

 第1部「音楽にあこがれる美術」に関連し、近現代の美術における音楽に対するあこがれの諸相について、特に音楽と関わりが深いと思われる画家を数例挙げて、音楽をどのように捉えているかを探ってみたい。

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 象徴主義の画家オディロン・ルドン(1840−1916)は、ヴァイオリンやピアノを嗜(たしな)み、その手記や日記の中でしばしば音楽について言及している。自らのことを「私の内観的な性質から、視覚の世界に向かう努力は苦痛でした」と語るルドンが追究したのは、客観的な現実世界の描写ではなく、「暗示の芸術」であった。ルドンは、自らの目指すべき芸術の性質を、言葉では定義できない、また現実の自然に支点をもたない音楽になぞらえている。若い頃に触れた聖歌合唱を「彼岸の世界との接触」と形容するルドンにとって、音楽とは、想像力や夢想、魂の奥底の内面世界に結びつくものであった。

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 「暗示の芸術は、ものが夢に向かって光を放ち、思想がまたそこに向かうようなものでも(中略)我々の生の最高の飛翔に向かって成長し、進化する芸術、生を拡大し、その最高の支点となること、必然的な感情の昂揚によって精神を支持するのが、暗示の芸術で、このような芸術は、音楽という感情高揚を伴った芸術において、より自由に、輝くばかりに完全に見られまも私の絵もまた、種々の要素を組み合わせ、かたちを移し変えたりして、偶然の結果ではなく、論理によって暗示の芸術となっています。(中略)私の素描は、何かを吹き込むためのもので、自らを明らかにするものではない。何も決定しない、音楽と同じく、はっきりしない、説明のない世界です」。

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 ドイツの彫刻家・版画家マックス・クリンガー(1857−1920)の場合、音楽への憧憬はより具体的な形で作品化されている。彫刻家としてのクリンガーは、ルートヴィヒ・フアン・ベートーヴェン(1770−1827)の肖像彫刻で知られているが、ヨハネス・ブラームス(1833−1897)楽譜にイメージを付した版画連作の代表作《ブラームス幻想作品12》(下図)は、大作曲家ブラームスに対する敬意の表明であると同時に、詩(歌詞)と絵画(版画)と音楽(楽曲)という諸芸術の統合が目指された作品で、ドイツの作曲家リヒャルトワーグナー(1813−1883)がその楽劇において音楽、文学、舞踊、絵画など諸芸術の融合を追究した「総合芸術論」への志向が結実したものとも指摘される。

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 なお、ワーグナーの音楽やその理論は19世紀のヨーロッパ各地において熱狂をもって迎えられ、ワグネリアン(ワーグナー崇拝者)という言葉も生み出した。ルドンなども、ブリュンヒルデやパルジファルなどワーグナーの楽劇の登場人物を絵画化している(上図)。

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 実際のところ、ワーグナーの影響は様々なところに波及している。抽象絵画の旗手ヴァシリー・カンディンスキー(1866−1944)は、人生における2大事件として、まだ画家になる前のモスクワ時代に、クロード・モネ(1840−1926)の《積み藁》を見た際にそれが積み藁だと判別できず、それでも色彩の力に感銘を受けたこと、そして、モスクワのボリショイ劇場でワーグナーの《ローエングリン》を聴いたことをあげている。

 カンディンスキーは楽器の響きに魅了され、「私の知っている限りの色彩を心のうちに見た。それらは私の眼前にありありと現れた」と回想する。この経験により、彼は「絵画も音楽が有すると同様の能力を発展させうるという事実」を悟り、音楽と同じ力を持つ絵画、すなわち対象のない抽象絵画の可能性に思い至るのである。カンディンスキーは後に、著書『芸術における精神的なもの』(1912)の中で再三、楽器の音や楽音を色彩と結び付けて論じ、絵画の抽象化を段階的に推し進める過程を音楽的な語彙「印象(インプレッション)」「即興(インプロヴィゼーション)」「作曲・構図(コンポジション)」によつて説明し、実際の作品のタイトルにも採用している。

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 なお、『芸術における精神的なもの』と同時期に制作された版画集『響き』(c上図)の中にも、上記タイトルを付した作品が何点も収録されている。また、伝統的・外面的な美によら求魂に直接的に訴えかける「内的必然性」を色彩のハーモニーやデッサン、コンポジション(構図)の原理としたカンジンスキーは、古典的な機能和声を破壊して無詞の世界を切り開いた作曲家アルノルトシェーンベルク(1874−1951)に共感し、その音楽を「純粋に魂の体験である」と高く評価している。

 1911年、コンサートでシェーンベルクの《弦楽四重曲作品10》(1907−1908)《3つのピアノ曲作品11》(1909)に接したカンディンスキーはその印象を《印象(コンサート)》に描くと同時に、シェーンベルクに「わたしたちがめざす今日のハーモニーは、(中略)音楽と同様絵画においても、『芸術における不協和音』の道でもそして『今日の』この絵画的、音楽的な不協和音は『明日』の協和音にほかならないのです」とその感動を手跡こして書き送った。

 以後数年間、カンディンスキーとシェーンベルクの間では集中的に書簡が交わされるようになるが、両者の出会いは、抽象に向かう絵画と無調に向かう音楽という、20世紀初頭における絵画と音楽の最も先鋭的な実験の、精神的な交流の場となったのである。

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 古今を通じて、絵画と音楽の照応関係について最も真摯に研究し、精力的にそれを実践に移した画家はパウル・クレー(1879−1940)である、といって過言ではない。クレーは音楽一家に生まれ、玄人並の腕前のヴァイオリニストでもあり、モーツアルトの音楽をこよなく愛した。クレーは比較的早い段階から「ポリフォニー的絵画は、時間的なものがここではむしろ空間的となるという点で、音楽に勝っている。同時性という概念が、ここではさらに豊かなものとなる」と、絵画とポリフォニー(多声音楽)の関係に関心を寄せてたが、それを体系的に研究し、自らの制作に発展させたのは1920年代から30年代、ドイツ・ヴァイマールの美術教育機関バウハウス(後にデッサウに移転)にマイスター(教授)として在籍していた時期である。バウハウスでクレーは、リズムや拍子構造といった音楽の時間の要素や、運動の概念について論じ、絵画への転用に努めている。また、当時バウハウスでは、美術理論として対位法という音楽用語がしばしば用いられたが、この対位法およびポリフォニーの概念を絵画に援用すべく精細な考察を重ね、「いくつかの独立した主題の同時性。同時的な多次元的現象としてのポリフォニー」について、線的、面的、色彩的なポリフォニーといった風に細かく分析し、多くのポリフォニー絵画に昇華させている

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 アンリ・マティス(1869-1954)は、カンディンスキーやクレーはどの理論家ではなかったが、自身の絵画について語る際、特に色彩同士の関係性や作品が内包するリズムについて論じる折には、しばしば音楽を引き合いに出している。マティスは「音楽のハーモニーのなかで各音が全体の部分をなしているのと同じ仕方で、私はそれぞれの色が全体に寄与する価値をもつことを望んだ。一枚の絵は統御されたリズムの配置である」と断じたが、晩年、切り紙絵を通じて制作された版画集『ジャズ』(cat.no.22)においても、生き生きとした色面同士が響き合い、その名の通りジャズのような即興性に満ちたリズムが報っている。

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▶音と交差する美術

関係者各位

白い絵画(ホワイトペインティング)の方が先だ。私の沈黙の作品は後からできた。

-J・C(ジョン・ケージ)

 ロバートラウシェンバーグ(1925-2008)の画面一面を白で塗っただけの絵画=ホワイトペインティングを目にした時、作曲家ジョン・ケージ(1912-1992)は、音楽が絵画に遅れを取ったことを悟った。近現代において、視覚芸術は常に「苦楽の原理に憧れ」続けてきたというのに。やがてケージは、ラウシェンバーグの何も描かれていないキャンバスにいわば背中を押される形で、数年来温めていた沈黙の作品《4分33秒》(1952)を発表するに至る。%e3%80%80%e3%83%ad%e3%83%8f%e3%82%99%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%a9%e3%82%a6%e3%82%b7%e3%82%a7%e3%83%b3%e3%83%8f%e3%82%99%e3%83%bc%e3%82%af%e3%82%99%ef%bc%881925-2008%ef%bc%89%e3%83%9b%e3%83%af%e3%82%a4

 20世紀は、西洋音楽を何百年にもわたって支えてきた原理が次々と覆された時代だった。カンディンスキーのところで触れたシェーンベルク調性を解体して12音技法を創始し、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)は一曲の中で絶え間なく拍子を変化させ、拍子の一定性を破壊した。そして、イタリア未来派の画家・作曲家ルイジ・ルッソロ(1885-1947)都市の騒音を音楽の素材とする騒音音楽の実験を行い、音楽の素材として楽音(一定の音程を持つ音)以外の音、すなわちノイズを音楽に持ち込んだ。そして、この苦楽の素材としての楽音という概念を根底から覆し、さらには作品という概念を揺るがし、作曲家の意図といった要素まで無効にしてしまったのが、ケージである。ケージの《4分33秒≫は、演奏者は何も演奏せず、偶発的に生じる会場のざわめきや雑音などを音楽として鑑賞する作品である。苦楽に沈黙や静寂、偶然性といった概念を取り込むと同時に、いわゆる楽音と音のヒエラルキーをなくし、我々を取り巻く「意図されない音」に価値を見出したケージの思想は、音楽のみならず20世紀後半の芸術全体に大きな影響を与えるものとなった。

 音楽という概念を拡大すると同時に、「聴く」という極めて根本的な行為に立ち返ったケージ。その最晩年の版画作品《WITHOUT HORIZON》68

(上図)のタイトルのもととなったケージ自身の詩「Music without horizon Sound scape that never stops」は、無限に広がる、決してやむことのない、豊かな音の風景をイメージさせる。

 第2部はこのケージの版画作品《RYOKU≫(ca.no.39)《WITH OUT HORIZON》を導入として、音楽や音、そして「聴く」ということを独自の視点で捉えて表現する現代美術家の作品を中心に紹介する。第l部では、作品の内部の流れる音楽や、作品の内なる声に耳を傾けることに主眼が置かれるが、第2部では、作品自体が発する大小の音はもちろんのこと、作品が置かれた空間自体に耳をすますということも重要な要素になるだろう。

 オルゴールを用いたサウンド・オブジェの制作を通じて、「聴く」という行為自体に創造性を見出した藤本由紀夫(1950-)は、鑑賞者に見ることと聴くこと、さらに空間との関係性について問いかける。EARS WITH CHAIR》(下図44)や、《18×18》(下図52)《Music Dust Box2》(下図56)といったオルゴールの作品など、藤本の作品の多くは、鑑賞者が参加することによって成立し、彼らの想像力の働きによって完成を見る。そして、藤本の作品は鑑賞者の知覚に揺さぶりをかけながら日常のリアリティを変換し、新しい世界観を提供する装置として機能するのである。

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 作曲家藤枝守(1955-)もまた、空間と感覚の問題を提起する。藤枝は近年、弦の音や振動に注目したサウンド・インスタレーションを手がけており、《宙づりのモノコード》(下図57)は、古代ギリシャの数学者で音響学者でもあったピタゴラスが用いたモノコード(一弦琴)に由来する。藤枝は、弦のかすかなふるえや響きの連鎖に耳を傾けることが、我々の聴覚にどのような変化をもたらすのかを問いつつ、微細な音や響きの持つ力に思い至らせる。


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 八木良太(1980-)の《Ⅵm》(ca.no.65)《InSecret〟Insect)》(ca.no.66)《Timer》(ca.no.67)といった作品もまた、氷のレコードが奏でる音や砂時計の砂が落ちる苦、レコードの溝を引っ掻く音など、ささやかな音に耳をすますことを要求する。「『小ざな音』は耳の能力を増大させるといったのは藤本だが、八木の作品の場合、その結果として浮かび上がってくるものは、音そのものや知覚の問題に加え、時間感覚や個人の記憶であったりする。

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 鉄という素材にこだわる金沢健一(1956−)の作品においては、形と育とがダイレクトに結びつく。形によって吾が生み出されるのが「音のかけら」シリーズ、逆に振動によって形が決まるのがドイツの物理学者エルンスト・クラドニ(1756−1827)によって発見された「クラドニ図形」を応用した「振動態」シリーズである。「振動態」シリーズは、鉄板に振動を与えることでそこに撒かれた砂が振動(音)の違いによつて様々な模様・図形を生み出すというもので、今回は映像と写真の展示になる。一方、(音のかけら一取り出された542の音≫(ca.no.58)の鉄のかけらは、展示室の空間において誰かに触れられるその都度、一つとして同じではない響きを生み出すに違いない。

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 野村仁(1945−)と石田尚志(1972−)の作品は、文字通り「美術と音楽の交差点」といえるかもしれない。野村の《‘moon,score’:真空からの発生》(下図左右)は写真、石田の《フーガの技法≫(cat.no.63)は映像(手描きの絵画によるアニメーション)という現代的なメディアによって、美術と音楽の避遍を実現している。

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 月の運行と音楽を結びつけた野村仁の《‘moon,score:真空からの発生》は、中世ヨーロッパにおいて音楽が数学・科学であり世界の秩序・調和の象徴であったことを示唆するようであり、さながら、現代に蘇ったムジカ・ムンダーナ=「天体の音楽」(天体が奏でる音楽=四季の変化や天体の運行などを司る秩序)のようにも感じられる。ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685−1750)の《フーガの技法》をモティーフとし、対位法の重層構造を視覚化した石田の《フーガの技法》は、膨大な手描き素材(絵画)の集積として作品が生成していく時間と、バッハの苦楽自体の時間性とを重ね合わせながら、絵画と音楽の一体化を果たしたものである。

■おわりに

 近現代美術における美術と音楽の関係について、19世紀の西洋絵画から語り始めた本展覧会であるが、この甚だしく壮大で幅の広いテーマについて、19世紀から現代に至るまで網羅的もしくは体系的に概観するなどということは、はなから不可能なことであり、ごくわずかな一断面を紹介するにとどまらざるを得ない。紙幅も尽きてきたので、ここはひとまず、冒頭の問いに帰ってみることにしよう。美術作品を前にして、一人は一体、何に対して耳をすまし、その結果、何が聞こえて、いや何を受け取るのだろうか?例えば、カンディンスキーの黄色にトランペットの音色をイメージし、マティスの踊る人体にリズムを、足音を聴く。ケージの繊細な版画に風韻を感じる。藤本のオルゴールの音と音の間に静寂を聴く。もしくは、野村の月の楽譜を歌いながら、宇宙の大いなる秩序を感じ取る。作品の前で耳を「そば立てる」ことによって何を捉えるかは、鑑賞者の知覚と想像力の有り様にゆだねられるが、少し「耳をすまして」みることで、様々な可能性が開かれるに違いない。

▶作曲家武満徹(1930−1996)の言葉をもってして、本稿のまとめとしたい。

 「人間は、眼と耳とがほぼ同じ位置にありまもこれは決して偶然ではなく、もし神というものがあるとすれば、神がそのように造ったんです。眼と耳。フランシス・ポンジュの言葉に、「眼と耳のこの狭い隔たりのなかに世界のすべてがある。」という言葉がありますが、音を聴く時−たぶん私は視覚的な人間だからでしょうが・・・視覚がいつも伴ってきます。そしてまた、眼で見た場合、それが聴感に作用する。しかもそれは別々のことではなく、常に互いに相乗してイマジネーションを活力あるものにしていると思うのです」。

 耳をすますことによって、見る行為も研ぎすまされる。目と耳を縦横に働かせ、さらに想像力を達しくすることで、新鮮な見え方、聞こえ方を獲得し、世界の捉え方の新たな扉が開かれることだろう。担当学芸員として、この展覧会が多くの方にとってそうした機会になってくれればと願ってやまない。

(茨城県近代美術館学芸員)