平和お話会

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〜平和のお話の会〜

     プログラム

■10:00  開会の挨拶県生協連会長 佐藤 洋一

       予科練平和記念館館長 坪田 匡弘

■10:05  紙芝居「高橋久子物語」

       茨城大学紙芝居研究会

■10:30    講演 世界は平和になっている  〜核廃絶は可能です〜

      前広島市長 秋葉 忠利 氏

▶秋葉忠利氏 プロフィール

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前広島市長、元衆議院議員1942年、東京生まれ。高校時代、AFSでアメリカに留学。東大理学部数学科・同大学院修士課程卒業。マサチューセッツエ科大学(HIT)でPh.D.を取得。ニューヨーク州立大学、タフツ大学等で教鞭をとる。学生時代から、原水爆禁止世界大会の通訳として活躍。1979年から世界のジャーナリストを広島・長崎に招待し、被曝の実相を伝えてもらう「ヒ′くクシヤ・トラベル・グラント・プログラム」の運営に携わり、1987年から広島修道大学教授に。1990年から衆議院議員を10年近く務めた後、1999年に広島市長就任。市長在職中、平和市長会議会長を勤める。2010年、アジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」を受賞。2011年、ネパール政府の創設したゴータマーブッダ国際平和賞を受賞。主な著書は、『報復ではなく和解を−いま、ヒロシマから世界へ』2004年、『元気です、広島一市民が創る豊かな未来』2006年、『コンピュータリ〈ワー一人工知能と人間の理性』               1979年(翻訳)など


■12:00  朗読 「戦艦大和ノ最期」から  吉田満 著

       朗読  加奈

■12:30  終了

     主 催 ピースアクション実行委員会・予科練平和記念館

2016年4月23日

■茨城大学紙芝居研究会

 ”戦後70年’’そのことを意識して始めたわけではありませんでした。偶然の人のつながりの中で、茨城在住の広島の原爆の被爆者である茂木貞夫さんの体験を紙芝居にさせていただきました。その「茂木貞夫物語」は、そもそも、被爆者の方の半生を紙芝居にしてみないか、と声をかけていただいた茨城県生協連の方々のご尽力により、たった1年の間に1000人を越える方に見ていただくことができました。

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【上写真・大学での紙芝居の制作のようす】

 そして今年(2016年)の初め、ようやく、「茂木貞夫物語」に続く、やはり、広島で原爆にあった高橋久子さんのお話を紙芝居にすることができました。そもそもを辿れば、先の大戦で原爆を受けた方々のお話を紙芝居にすることになったのは、私たちが作った、水戸空襲の紙芝居がきっかけでした。「1945年(昭和20年)8月2日未明」このセリフから始まる「ある紙芝居屋の物語」。この、水戸空襲を題材にした紙芝居もまた、本当に偶然の出会いから始まりました。私たち自身、「平絵紙芝居117枚、実演時間40分、それもテーマは戦争」などという紙芝居を作るなんて、その時には思ってもみませんでした。それでも、出会いは現実を産んで、私たちは私たち自身も思っていなかったような作品を作り、実演。


■世界は平和になっている  一核廃絶は可能です− 

茨城生協 ピースアクション春「平和のお話し会」@予科練平和祈念館

秋葉忠利

1 “The Better Angels of Our Nature”そして新しい時代の「パラダイム」とは

2 日本史からの教訓(1) (ア)500年前には不可能⇒今は当たり前

3  日本史からの教訓(2)

(ア) 945年から2015年までの70年間の戦争による死者数は「0」

(イ)でも1845年から1945年までの約100年間の戦争による死者数は310万

4 アメリカの戦死者数

(ア)1845年からの100年間の戦没者数は130万人以下、1945年から今までに約7万5 The Better Angels of Our Nature by Professor Steven Pinker

  −−世界は平和になっている−−

6 HomicideinEngland,1200−2000

7 Violent Deathsin Nonstate Societies

8 家庭から世界まで全てのレベルで平和になっている

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9 戦後の世界は世界的に「平和」だった

911

10 人類を平和にした5つの歴史的力

(ア)リバイアサン・・・国家が軍事力を独占

(イ)商業・貿易・・・ゼロ・サムではなく「Win−Win」

(ウ)女性化=「平和」と考えても良いくらい大切

(エ)コスモポリタニズムーー識字、コミュニケーション、情報化、通信、マスコミ外の世界が理解できるようになった

910

(オ)理性の「エスカレーター」・・・暴力の連鎖の不毛さを理解し、暴力は「勝つための競争」ではなく、「解決されるべき問題」

11 「女性化」の意味

(ア)女性化=「平和」と考えても良いくらい大切

(イ)21世紀の課題は、この「女性化」がどれくらい進むか・・・それを政治学の言葉で表す

12人類に与えられた21世紀の課題


■広島ブログより 2016.4.23  予科練平和記念館より

オバマ大統領の来広についてまだ続きがあるのですが、もう少し時間を掛けて整理をしたいと思いますので、今日は日記的な報告です。

 実は今日、4月23日に、予科練平和記念館で講演します。茨城県の土浦の近くにある阿見町にある施設ですが、昔、この町には「霞ヶ浦海軍航空隊」の本拠があり、その一部として「海軍予科練集部」が設置されました。その略称が「予科練」です。

主催は、予科練平和記念館、茨城県生活協同組合連合会ですが、イベントは「平和のおはなし会」というソフトな名称です。この施設の写真は今日、何枚か撮って近くアップしますが、昨夜、関係者の皆さんと夕食を共にしながら話題になったことを簡単に報告しておきたいと思います。「ところ変われば品変わる」ということわざ通り、普段はそれなりに理解していると思いこんでいる事柄でも、違う土地では別の視点から見られるからなのだと思いますが、フレッシュな気持で聞くことができました。

▶ 最初に話題になったのは、茨城に住む二人の被爆者の「半生」を伝える紙芝居を茨城生協連が作り、一年間でほぼ1000もの人に見て貰ったという活動です。特に皆さんが強調していたのが、「半生」です。被爆体験が貴重であることは言を俟ちませんが、それから後の被爆者の生き方が素晴らしいという認識の下、若い世代のために「半生」を語って貰う、しかも、紙芝居という媒体を通して視覚的な伝達を可能にし、紙芝居を見るという距離にも意味を持たせての成果です。二人の被爆者のお一人、茂木貞夫さんはとても82歳とは思えないくらいお元気で、毎日、平和運動の拠点と生協の事務所をかけ持ちにして、ボランティア活動を続けています。もうお一人の高橋久子さんのお話は今日聞けるようですので、また報告します。

▶ 二つ目の話題は安倍内閣の「一億総活躍社会」です。茨城の生協連では、「一億」にうさん臭さを感じる組合員が多く、消費者庁からの要請を蹴って、このテーマを取り上げないことにしたのだそうです。立派な対応だと思います。

 私が安倍内閣のPR作戦としてのこの言葉を聞いてすぐに頭に浮かんだのは、「進め一億火の玉だ」「一億玉砕」「一億総懺悔」です。そしてマスコミもそれなりには取り上げていましたので、こうした表現についての理解は広まっていると思い込んでいたのですが、そうではないというのが昨夜分った実情でした。

「一億」に違和感を持った茨城の組合員たちも、大政翼賛会のスローガンとしての「進め一億火の玉だ」までは知らないようなのです。「一億玉砕」についても同じです。しかし、「一億」という単位で日本国民を「単一化」し、戦争への道をたどった歴史についての理解はまだまだだということなのです。

 私がこうした言葉やその背景を知っているのは、戦前・戦中の直接体験があるからではありません。終戦時に2歳半だったのですからそれは不可能です。でも戦後のかなりの間、こうした表現は人口に膾炙されていましたしその意味も明確に伝わっていました。しかし、このように時の経過とともに忘れ去られて行く歴史的な事実について、もっときちんと伝えて行く義務を持つのは、教育界であり、マスコミだと思います。その両者とも安倍政権に絡め取られて本来の義務を果たしていない、果したくても果たせない今という時代の異常さに改めて、怒りを感じたことも正直に報告しておきます。

▶ 三つ目は、外国では「War Museum」つまり「戦争博物館」と呼ばれる、しかし日本国内では往々にして「平和」が付けられている施設についてです。予科練平和記念館、ここにあるのは、「平和」は付いていませんが「大和ミュージアム」、「特攻平和会館」等です。

 こうした施設を訪れた多くの人の反応は、「涙なしには見られなかった」「感動した」といった肯定的なものがほとんどです。阿見町の予科練平和会館についても同じ反応が圧倒的に多いのだそうです。

 私の父は軍人でしたし、父を尊敬していましたので、幼い時には、戦争に負けて軍人になれなかったことがとても残念だと思っていた時期がありました。ですから、「涙」も「感動」も良く分ります。でも、そんな純粋な若者の心を弄び、死に追い遣った、時の為政者たち軍国主義者たちに対する「怒り」は、このような施設を見学することで生まれるのでしょうか。

 若者の命を蔑(ないがし)ろにする施策はもっとも忌むべきものですし、そのような施策を展開した権力者たちに「怒り」を感じ、そのような轍(てつ・わだち)を二度と踏まないという決意の生まれる施設こそ必要なのではないでしょうか。そんな気持ちが生まれるような展示はなされているのでしょうかその正反対の展示がなされてはいないのでしょうか。

 一人の人間が「感動した」と言っているときに、それに意を挟むことは礼を失しているという考え方もあります。同時に、過去の「涙」から教訓を得て、同じ「涙」を流させないように努力する義務も私たちにはあるのではないでしょうか。この点についてはさらに丁寧に論じたいと思います。

 そんな疑問は全くの杞憂(きゆう・ありもしないようなことを、いろいろと心配し過ぎること)だ、どの施設もしっかり平和への意思を作るための展示や企画が行われている、あなたの不明を恥じるべきだ、という反論の出てくることを期待しています。