講話 とらわれないこころ

■三つのパン

 東日本大震災のボランティア活動に参加した青年が、被災地のコンビニエンスストアを訪れたときのことです。ちょうど菓子パンが入荷したところでした。お店にいた小さな男の子が、父親と一緒にそのコーナーに向かい、三つだけパンを手に取ります。震災の直後で、食べ物は貴重でした。「どうして、もっと買わないのだろう」 と、青年は首をかしげます。すると、男の子の声が聞こえてきました。

「ぼくたちだけじゃなくて、みんな食べたいんだよね」そのつぶやきは、青年にとって忘れられない言葉になりました。

仏教では、「慈悲」という言葉に象徴されるように、他者への優しいまなざしを重視します。般若心経には、その理想を実現するための大切な智慧が説かれています。 それを、くわしく紹介することにしましょう。

■王子の苦しみ

 ヒマラヤ山脈のふもとに、小さな国がありました。て誕生したのが、お釈迦さまです。その国の王子としのちに仏教を開くお城の四方には、それぞれ立派な門がありました。

 ある日、王子は郊外に遊びに行くため、東の円から外出します。すると、ひとりの老人が目に入りました。「人はみな老いる」と御者から聞かされた王子は、遊ぶ気が失せて城へ引き返します。 二度目に南の門を出ると、病人がいました。「人はだれでも病む」とおそわった王子は、悲しくなって再び城へ戻ります。三度目に西の門を出ると、死者の葬列に会いました。

 「人は死を免れない」という現実に直面し、王子の苦悩はますます深まります。そして最後に、北の門を出ると、修行者の毅然とした姿に出会いました。

 これは 「四門出遊」 というお話です。王子が、地位と名著を捨てて出家した理由は、老・病・死の苦しみを克服するためだったのです。

■四苦八苦

 仏教が考える「苦」 とは、「思い通りにならない」ことをいいます。

 老いること、病むこと、死ぬことは、どれも自分の思いのままになりません。また、私たちがこの世に誕生することも、時と場所、あるいは性別を選ぺないので、やはり思い通りになりません。この生・老・病・死という根本的な苦しみを「四苦」 といいます。

 さらに、愛する人と別れる愛別離苦(あいべつりく)、怨み憎む人とも会わなければいけない怨憎会苦(おんぞうえく)、求めても得られない求不得苦(ぐふとくく)、すべてが苦であることを表す五蕗盛苦(ごうんじょうく)の四つを加え、「八苦」と称します。苦労が絶えないことを 「四苦八苦」というのは、仏教が考える「苦」に由来する言葉なのです。

 般若心経は 「観自在菩薩が一切の苦しみを除いた」と始まります。観音さまはどのようにして、思い通りにならない「苦」を克服したのでしょうか。それを解く鍵は、般若心経に説かれる「五蘊皆空(ごうんかいくう)」にあります。

■からっぼのコップ

 五蘊(ごうん)とは、私たちの体と心を構成する五つの要素です。五つとは、物質的な要素のと、精神的な要素の受(感じ取るはたらき)・想(想い描くはたらき)・行(意思のはたらき)・識 (認識のはたらき)のことで、「蘊」「集まり」 を意味します。私たち人間は、この五蘊が仮に、そして一時的に集まってできているのです。 

 観音さまは、五蘊がみな「空」であることを見抜き(五蘊皆空)、一切の苦しみから解放されました。般若心経の中心的なおしえである「空」を、コップで説明します。 

 中が見えない「からっぼ」のコップがあるとしましょう。そこに、おいしい何かが入っていると勝手に思いこんでいる人がいます。その人は、中身の量が気になって仕方がありません。「他のコップのはうが多いのでは……」と心配します。あるはずのない中身への「とらわれ」や「こだわり」が、余計な苦しみを作り出しているのです。

 コップを正しく「からっぼ」だと観察できれば、「とらわれ」は起こりません。ですから、苦しみは生じないのです。

 「空」とは、「固定的な実体がない」ことをいいます。たとえに使ったコップを 「私たち人間」に置き換えてみましょう。私たちの体と心は、永遠に存在することができないように、固定的な実体がない「からっぼ」のようなものです。とすれば、それにとらわれないことで、「苦」を克服できるのです。

■欲を出したらあかん

 「欲深き人の心と降る雪は、積もるにつけて道を忘るる」 という狂歌があります。 

 うっすら積もった雪であれば、風ぜい情のある雪化粧と菩ぺますが、どっさり降り積もれば、道を見失うことになり危険です。私たちの欲望も同じで、欲が大きくなると人の道をはずれ、わが身を滅ぼしかねません。 私たちの「苦」は、思い通りにしたいという「欲」があるのに、それが思いのままにならないから生まれます。ということは、「欲」をコントロールすることで「苦」を減らすことができるのです。 プロ野球で活躍した名投手が、「欲を出したら衣舟八 増結ポ「~く弓んや」と、語っていました。勝ちたいという欲望が強すぎると、勝利から遠ざかる、というのです。 もちろん、欲は悪い結果ばかりを招くわけではありません。上手に使     ひらえば、道を拓き、夢をかなえる原動力になります。まわりの人を助け、たくさんの人に幸福を運ぶ、頼れる力にもなるのです。 満たされない欲望で心がいっぱいになったら、それをからっぼにしてみましょう。そうすれば、「欲」が                       r111£小さくなって「苦」が押さえられ、正しい道を歩むことができるようになります。 いかだ 筏をどうする? 旅の途中に、大きな川がありました。舟もなければ、橋もありません。    いかだそこで、筏を作って向こう岸に渡りました。旅はまだ先があります。さ        のあ、筏を頭に載せて旅を続けますか? お釈迦さまの問いに、弟子たちは首を横に振りました。川を渡りきっ   いかだたら、筏はも撃必要ありません。この話に登場する筏は、さとりの岸に渡るための 「おしえ」 を意味します。 仏教では、すべての 「とらわれ」や 「こだわり」 を否定することから、大切なお釈迦さまの 「おしえ」 にさしゅうじゃくえ執着しないのです。お釈迦さまのおしえは、さとりの岸に渡る 「手段」であって、「目的」 ではないからです。 こうした点は般若心経もまったく同じです。どんなものにも、決してとらわれないことを、徹底的に主張しています。 ところで、自分という 「とらわれ」を捨て去ると、いいことがあります。自分と他人との区別がなくなり、お    じひのずと 「慈悲」 の心が生じるのです。

 日本に伝わった大乗仏教は、「さとりの岸」 に渡ることより、そこにいた到るまでの過程を大切にします。具体的には、慈悲にもとづいて他者を救済しながら、仲間とともに歩むことに大きな価値を認めます。

 般若心経が説く 「空」 によって、じひ慈悲の実践は、より確かなものになるのです。 

■あったかい、おにぎり

 子どもには、三つのしあわせがあるといいます。ひとつは 「ほかの人から優しくされるしあわせ」、もうひとつは 「新しいことができるようになるしあわせ」、そして最後は「ほかの人のために何かをするしあわせ」 です。これらの中では、三つ目のしあわせ、つまり 「はかの人に何かをしたら感謝された」 というしあわせが、最高のよろこびになるのだそうです。 東日本大震災の被災地で、こんなことがありました。 避難所で不自由な生活を送っている方のために、ボランティアが握りたてのおむすびを配ったときのことです。ひとりの少女が、おにぎりをほほ頬にあてて、大きな声をあげました。「ママ、このおにぎり、あったかいよー!」

 必死におにぎりを握った人も、夢中でそれを配った人も、うれしくな ひとことる一言でした。そして、そのときばかりは、避難所のだれもが笑顔になりました。

 自分以外の人のために行動を起こかきねすとき、相手との間に 「心の垣根」しゆうじやくはありません。一方、自己執着が激しいと、分厚いバリアができてしま   じひって、慈悲の実践をさまたげます。 

■心のバリアフリー

 東日本大震災で、避難所になった寺院があります。そこは、ちょっと変わった避難所でした。ほかの避難所であれば、決まって目にするものが、まったく見当たらないのです。プライバシーを守るための段ボールの仕切りが、どこにもありませんでした。

 「みんなが見えたはうがいい」 という、ほかの避難所とはまったく反対の発想で、仕切りは使われなかったのです。おかげで、大人は子どもたちの姿を見て元気をもらい、子どもは大人たちからたっぷり愛情を注11いでもらいました。厳しい環境にもかかわらず、この避難所には笑いが絶えなかったといいます。

 現代社会は、自分を守るために、だれもが心にバリアを築いています。そのために、互いの心が響き合わなくなってしまいました。それは、決して望ましいことではありません。 そこで、注目したいのが般若心経のおしえです。自分に対する 「とらわれ」 や 「こだわり」 を少しでも軽くすることができれば、どんなに分厚い心のバリアも、間違いなく薄くねりますく 

■仏のまなざし

 般若心経に登場する観自在菩薩は、   だいじょうぶっきょう ばさつ数多い大乗仏教の菩薩の中でも、とりわけ人気があります。仏教が栄えたインド・中国・チベット・日本のいずれにおいても、人々の篤い信仰を集めました。

 その名の 「観自在」 とは、「観ることが自在」 であるという意味です。観音さまのような 「仏のまなざし」があれば、世の中は違って見えてきます。

 せっかくの旅行なのに雨が降ってきました。天気は、自分の思い通り あいにくにはなりません。「生憎の雨」 ですが、仏のまなざしで見れば、草や木が喜ぶ 「恵みの雨」です。

 雨が降ったら、傘をさして、雨なふぜいらではの風情を楽しみましょう。病気になったら、治療に専念して、健力康のありがたさを噛みしめましょう。年をとって死が近づいてきたら、覚悟を決めて、いまできることをやる13だけです。

 般若心経は 「どんなことにも、とらわれない方がいい」 というおしえを示しています。それによって私たさわちは、青空のように 「爽やかな心」と、観音さまのような 「仏のまなざし」を、みずからのものにできるのです。その心と、まなざしがあれば、不安を安心に、不満を満足に変えることは、難しくありません。そして、たくさんの人に、しあわせを届けることができるようになるでしょう。,,

文・石井祐聖/絵・白川美和  

◎転法舎 〒1丁3−0004 東京都板橋区板橋4丁目12−1803(3963)8431・郵便振替00150−3−g7201  14