バーミヤン古代遺跡群

■タリバンによって破壊されたバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群

▶蛮行の犠牲となったいまはなき摩崖仏 

 アフガニスタンの首都カブールの北西230キロメートルに位置するバーミヤン。巨大な磨崖仏(崖に彫られた仏像)を含む「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」1983年に世界遺産への登録が審議されたが、国内の紛争を理由に決定が先送りされた経緯を持つ。正式に登録されたのは2003年のこと。中央アジアにおける仏教美術の傑作であり、インドやヘレニズム、ローマ、ササン朝ペルシャなどの文化が融合した史跡としての価値が認められた。しかしそのときにはすでに、かつての荘厳な磨崖仏を目にすることはできなくなっていたのである。

 バーミヤンでこれらの仏教寺院が造られたのは1世紀にまでさかのぼる。当時この地を支配していたグレコ・パクトリア王国によって開削され、千以上もの石窟が掘られたとされる。その後、6世紀ごろには、東西に2体の巨大な仏像が姿を現した。東の大仏は詣メートル、西の大仏は55メートルの高さを誇り、石窟の内部にはインド美術やペルシア美術の影響を受けた壁画が描かれた。『西遊記』で有名な仏僧、玄奘もこの地を訪れ『大唐西域記』にそのときの様子を克明に記している。それによれば、いまではまったく想像できないが仏像は金色に輝き、宝飾で美しく彩られていたという。

 だがその後、イスラム教勢力の支配圏がバーミヤンにおよぶと、この仏教寺院は凋落の一途をたどる。

 11世紀にはイスラム系のガズナ朝君主、マフムードによって大仏の宝飾が略奪された。その後、長らくこの地は放置されたが、20世紀に入ってアフガ:スタンで内紛が勃発すると、大仏にはさらなる悲劇が襲いかかる。同国では94年ころから、イスラム教の戒律徹底を掲げる武装勢力タリバンが台頭。彼らは01年、偶像崇拝を禁止する戒律に基づいて大仏を爆破し、その様子を映した映像を世界中に配信したのである。その後の調査によれば、このときの爆破で大仏とともに壁面の仏教画の約8割が失われたという。

 アフガ:スタンでは紛争がいまも続くが、観光客はタリバン政権崩壊後、遺跡に足を踏み入れることが可能となった。調査の結果、失われた東の像は建立当時釈迦で白い袈裟を、西の像は大日如来で赤い衣をまとっていたことがわかり、現在はその修復計画が進む。仏像の跡地にはいまやポッカリと穴が開くばかりだが、その空洞の大きさをみるだけできつりつも、かつてそこに屹立(きつりつ・山などが高くそびえ立っていること)した大仏の偉容を推し量ることができる。

■バーミヤン大仏破壊から15年 証言者に聞く

 世界遺産の仏教遺跡群で知られるアフガニスタン中部バーミヤンで、旧タリバン政権が大仏立像を破壊してから15年がたつ。過去の事件や出来事を当時の証言者の話で振り返るBBCの番組「Witness」では、遺跡を爆破するための爆薬を運ぶのを手伝ったという現地の農家の男性に話を聞いた。

■ブッダ 大いなる旅路 第3回「仏像 誕生と流転~ガンダーラ・バーミヤン」(1/4)~ 初回放送:1998.06.07 放送時間:49分(NHKスペシャル)