憲法を考える

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 緊急事態条項を憲法に盛り込むべきかどうかが、改憲論議の焦点になりつつある。緊急事態とは何か。そもそも、憲法を変えなければ対応できないものなのか。海外の事例もみながら、改めて考えてみる。

■有事や災害時、政府に権限集中

 外部からの武力攻撃やテロ、大規模な自然災害などが起きログイン前の続き、政府に権限を集中させて特別な措置を講じなければならない状況を、緊急事態という。

 ドイツやフランスは憲法で緊急事態への対応を定めている。これに対して、米国や成文憲法のない英国では法律で対応しており、日本もこのタイプだ。

 「特別な措置」がどこまで認められるかをめぐっては各国で絶えず議論が行われてきた。政府への権限の集中は、人権保障と権力分立を定めた憲法の原則に例外を作ることになり、乱用されれば、独裁につながる危険をはらんでいるからだ。

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 歴史を振り返れば、ドイツではかつて、公共の安全や秩序に重大な問題が起きた際に、大統領が緊急命令を発布できるとするワイマール憲法48条が乱用された。経済的な混乱の解決などにも拡大解釈されて適用された結果、憲法は形骸化し、国民の自由は大幅に制限され、ナチスの独裁への道を開いた

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 明治憲法でも、戦争や事変の際、天皇が国民の権利を制限できるとした「非常大権」(31条)や、行政権や司法権の一部を軍隊に移す「戒厳」(14条)を規定。議会閉会中、天皇が法律に代わるものとして命令を発する「緊急勅令」(8条)もあった。1928年には、最高刑を死刑に引き上げる治安維持法の改正案が、審議未了で廃案になったにもかかわらず、当時の田中義一内閣が緊急勅令を使って成立させている。

 しかし、現在の日本国憲法には、このような非常措置を取り得る規定は盛り込まれなかった。なぜか。憲法担当だった金森徳次郎国務大臣が46年7月、新憲法制定のための審議をしていた衆院の委員会で、こう理由を述べている。

 「民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するためには、(明治憲法の非常大権のような)政府が一存で行い得る措置は極力防止しなければならない。言葉を非常ということに借りて、それを口実に(憲法が保障する権利や自由が)破壊されるおそれが絶無とは断言しがたい」

 金森大臣は緊急事態が発生し、政府が特別な対応を取る必要が生じた場合には、(1)臨時会を召集する(2)衆院が解散後であれば参院の緊急集会を促す(3)具体的な規定を平素から準備しておく・・・とし、通常の憲法の運用の枠内で対応すべきだとの考えも示した。

■現憲法の枠内、法律で対応

 憲法に緊急事態条項をおいていない日本で、大規模な自然災害や有事の場合はどうするのか。すでに法律によって、政府に一定の権限を集中させる仕組みが用意されている。

 たとえば「災害対策基本法」では、首相が閣議にかけたうえで「災害緊急事態」を布告すれば、(1)供給が特に不足している生活必需品の統制(2)物の価格などの最高額の決定(3)金銭債務の支払いの延期や権利保存期間の延長・・・などについては、法律で定めなくても首相が罰則を伴う政令を出すことができる。

 また、相手国から直接武力攻撃を受けた場合の対応を定めた「武力攻撃事態対処法」では、「武力攻撃事態」「緊急対処事態」への対処基本方針を策定することになっている。「国民保護法」は武力攻撃事態での国民の協力を求め、物資の保管命令に従わなかったり、土地や家屋の使用に際して立ち入り検査を拒んだりした場合、刑罰を科す。拡大解釈されて人権が制限されかねない危うさも指摘されている。

 警察法には「大規模な災害、騒乱その他の緊急事態」に際し、首相が緊急事態の布告を出し、一時的に自ら警察を統制するとされている。さらに、警察力では治安を維持できないと認められる場合は、自衛隊法によって、首相が自衛隊に出動を命じることができる。

 緊急事態を定めた法律について政府は、「公共の福祉の観点から、合理的な範囲内で国民の権利を制限し、国民に義務を課す法律を作ることは可能」と説明。明治憲法下の非常大権のように、憲法秩序を停止する例外的な運用をするのではなく、憲法秩序の枠内で対応するとの立場だ。

■各党の考え、大きな隔たり

 「緊急時に国民の安全を守るため、国家や国民自らがどのような役割を果たすべきかを憲法に位置付けるかは極めて重く大切な課題だ」。安倍晋三首相は最近の国会で再三、憲法に緊急事態条項を新設する必要性を強調している。

 2014年11月の衆院憲法審査会では、共産を除く当時の7党(自民、民主、維新、公明、次世代、みんな、生活)が緊急事態条項の必要性で一致。環境権や財政規律条項の新設とあわせて、憲法審で議論すべき改正項目として浮上した。

 自民には、災害やテロ対策を前面に打ち出せば、国民の理解が得やすく、各党も反対しにくいため、改憲の「初手」として都合がいいとの思惑がある。ただ、条項の中身についての考え方は各党で大きく違っており、ほとんど議論されていないのが実情だ。

 自民は12年に発表した「憲法改正草案」で、外部からの武力攻撃や内乱、大規模災害などで首相が緊急事態を宣言すれば、内閣の判断で法律と同じ効力を持つ緊急政令を制定したり、人権を制限したりできるようにするなど内閣への権限集中を大幅に認めている。

 これに対し民主は、「非常事態にも国民主権や基本的人権の尊重が侵されないように仕組みを明確化する」と主張するなど、緊急事態でも国の権限に一定の制限を設け、憲法秩序を維持することを重視する。

 公明は、衆院解散の制限や国会議員の任期延長など、災害等が発生した際の国会の「空白化」を避けるためには何らかの対処が必要との立場だが、具体論には触れていない。

 参院選後の憲法改正で首相と歩調を合わせるおおさか維新も緊急事態条項の議論には応じるものの、人権の制限には消極的なことから、国会では内閣の権限強化や人権の制限と関係ない国会議員の任期延長を軸に議論が進む可能性がある。

 共産は「首相に権限を集中すれば大規模災害に対処できるというのは問題のすり替え」として、緊急事態条項は不要との立場だ。 (編集委員・豊秀一、石松恒)

■海外では 独の防衛出動事態、認定に厳しい要件

 憲法に緊急事態条項をおいているドイツでは

(1)自然災害や重大な災難事故、連邦や州の存立にとって差し迫った危険が生じた国内的な緊急状態

(2)外国から領土が武力で攻撃されるか、攻撃される直接の脅威が生じた防衛出動事態

 の二つに緊急事態を類型化。具体的な手続きや法的な効果を憲法に書き込んでいる。

(1)は自然災害などの被害が複数の州にわたる場合、連邦政府に州政府の権限を集めることを主な柱とする。州政府の独立性が高い、連邦制の国ならではの規定だ。(2)は激しい議論の末、1968年に導入された防衛出動事態と認められれば、連邦政府の権限が拡大し、職業選択の自由や財産権など一定の人権を制限できるようになる。

 ただ、ナチス独裁への反省を背景に、防衛出動事態の認定には、連邦議会の総議員の過半数の投票に加え、投票の3分の2以上の多数の賛成が必要となるなど厳しい要件が設けられている。また、連邦憲法裁判所の任務遂行を侵害してはならないとも明記されており、司法のチェックを入れているのも特徴だ。

 フランスはどうか。憲法には、非常事態に際して大統領に権限を集中する非常事態権力(16条)と、戒厳令(36条)の二つの規定がある。しかし、非常事態権力は、これまでに一度しか発動されていない。昨年11月、パリ同時多発テロ事件を受けて、オランド大統領が「非常事態宣言」を出したが、これは憲法とは関係なく、「1955年4月3日の非常事態に関する法律」に基づく措置だった。