富嶽三十六景

 『富嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎の作成した代表的な風景画・浮世絵である。現在では作品名を「富嶽三十六景」と表記することが多いが、作中では異体字で「冨嶽三十六景」とされている。「富岳三十六景」と表記されることもある。

 「富嶽」は富士山のことであり、各地から望む富士山の景観を描いている。初版は1823年(62歳・文政6年)頃より作成が始まり、1831年(72歳・天保2年)頃から1835年(77歳・同4年)頃にかけて刊行されたと考えられている。版元は永寿堂西村屋与八。発表当時の北斎は72歳と、晩年期に入ったときの作品である。遠近法が活用されていること、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色である。浮世絵の風景画は当時「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したと言える[6]

画ごとの特徴

凱風快晴」や「山下白雨(上図左右)のように、富士山を画面いっぱいに描いた作品から、「神奈川沖浪裏」や「甲州伊沢暁(下図左右)のように遠景に配したものまであり、四季や地域ごとに多彩な富士山のみならず、各地での人々の営みも生き生きと描写している。巨大な波と舟の中に富士を描いた「神奈川沖浪裏」、赤富士を描いた「凱風快晴」などが代表的な作品として知られる。当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定であったが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になった。追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶ。

 

影響

 日本のみならず、ゴッホやドビュッシーなど、世界の芸術家にも大きな影響を与えた。アンリ・リヴィエールは本作に触発され『エッフェル塔三十六景』を描いた。

 2010年10月31日、葛飾北斎の生誕250年を記念して、Google日本版のホームページのロゴが「神奈川沖浪裏」バージョンとなった(画像)。

 顔料「紺青」は本作に使われたことで普及したとの俗説がある。実際は海外から大量に流入した為に値崩れを起こした紺青を北斎が使ったのである。日本では山梨県出身の木版画家・萩原英雄(1913年 -2007年)は1981年(昭和56年)から〈三十六富士〉に取り組んでいる。萩原は戦前に高見沢木版社に務め実際の浮世絵に触れており、戦後は聖書やイソップ物語など西洋の題材を取った具体的表現の連作や、「幻想」「石の花」など抽象的な表現の連作を手がけていた。萩原は〈三十六富士〉は北斎の〈富嶽三十六景〉に学び、富士を具体的に描く表現で各地から見た風景を描いている。ただし、北斎が人々の生活や生業を多く描いたのに対し、萩原は人間を一切描かず、純粋に富士の見える風景を描いている。(下図左右)

■作品群