クリストとの出会い

■アンブレラの意味と影響

▶クリストとジャンヌ=タロードから学んだこと

清水敏男

 クリストとジャンヌ=クロードに初対面したのは1991年、私が水戸芸術館現代美術センターの芸術監督に就任してすぐのことでした。《アンブレラ》プロジェクトに連動する同館での「クリスト展 ヴァレーカーテンの全貌とアンブレラ・プロジェクトのためのドローイング」について話し合うため、ニューヨークの彼らを訪ねたのです。 創造性にあふれ奔放なクリストに対し、実務的なことを力強く前進させるジャンヌ=クロード、というのが第一印象でした。もちろんジャンヌ=クロードが作品プランについて夫へ具体的に意見する場面も見ましたし、単純な役割分担ではなかったのでしょう。刺激的だったのは、2人が共に意見をぶつけ合い物事をどんどん決めていく様子です。個人作家だとあれこれ思い悩みそうな局面でも、言葉を交わすことがスピード感ある決断を可能にしていたように思います。

 彼らから私が学んだ最も重要なことは、自分たちの表現したいことについて人々に長い時間をかけて伝える姿勢でした。現代作家はそれを見る人々とストーリーを共有することは難しいのですが、それを何年もかけて説明する姿は印象的でした。《アンブレラ》プロジェクトでは茨城県知事から関連行政地区、各地権者や地域の老若男女まで、様々な方が対象になります。こうした人々に話しかけ説明することがプロジェクトの重要な部分なのです。のちに多くの方々がクリストたちを支えたのは、彼らがクリストとジャンヌ=クロードのやりたいことを理解し、そして顔見知りになっていたことが大きな理由でしょう。

 もちろん、困難も多かったはずです。《アンブレラ》に関しては、水戸芸術館は同時に展覧会を開催することでサポートし、場所柄、関係者のベースキャンプのようにもなっていました。

 ところで台風の影響から、開始直前になって傘を開けなくなったのですがクリストたちが延期を決めた時の状況をよく覚えています。混乱する記者会見の場で彼らは毅然と延期を宣言しました。公共空間に加えて大自然を 悪天候を乗り越え、夜明けの田園風景に無数の傘が開くのを見たときは、言葉にできない感動がありました。クリストはといえは、傘が開いたのを確かめるなり、現場を去っていきます。続けて同じ朝日がカリフォルニアの大地に届く瞬間に、そこで傘が開くのを見届けるためでした。彼の作品群には、既存の状態を劇的に異化させ、また元に戻すという共通点があり、ここでは太平洋を挟んだ二つの土地を舞台にしたことで、より広がりと深みをもたらしたと言えるでしょう。私にとっては、田園風景の日常に溶け込んだ大きな傘に加え、その風景の中を人々が歩き、休み、感動する姿も美しく思えました。アンブレラを目指す人々による交通渋滞を避けて裏道を走り、幾度も現場に通ったものです。ついに設置期間が終わり、全ての傘が消えた風景もまた、忘れ難いものでした。

 クリストとジャンヌ=クロードからは、多くの示唆をもらいました。美術館やギャラリーという既成のシステムを離れ、田園や都市にアートを設置することの意味、自分の表現したいことを関係者に繰り返し説明する姿、そしてアートマーケットと関わりつつも吸収されず、自らの意思を押し通す強靭さ。社会との格闘ともいえる活動を続ける姿は、その後の私の活動に大きな影響を与えています。アートツーリズムの考え方もまだ共有されない時代、ひとつの屋外作品が数十万人の来訪者を呼び寄せた事実は、驚異的でした。水戸芸術館の芸術監督に就任して早々に出合ったかれらの思想、行動そしてパワーは水戸芸術館現代美術センターが街に開かれた場として発展した過程にも作用したと感じます。

 クリストとジャンヌ=クロードはコミュニティの力をまだ信じることができた時代が生んだ作家です。説得すれば思想を共有できる、という信念がなければ成立しませんし、成立した時代でした。現在は当時に比べてコミュニティはますます崩壊しています。コミュニティ再生の願望はありますが、その範囲は非常に小規模になっている。考えるとき、回顧でなく現地点からクリストの営みを語り重要性はけして小さくないと考えます。

 クリストとジャンヌ=クロードのプロジェクトには、ドローイング等を通じたアイデアの公表、交渉と実現、その続く映像化、展覧会、という流れがあります。この度アンブレラから25年経って展覧会が開催されるわけで、25年という歳月はけして過ぎ去った苦ではなく、むしろ熟成の期間と言うこともできます。今回の展示が、無数が開いたあの風景の意味を改めて考える、良い機会になることを願っています。

(TOSHIOSHIMIZU ART OFICE代表)

■プロフィール

 美術批評家、キュレーター、学習院女子大学教授。1991ら97年まで水戸芸術館現代美術センター芸術監督を務占2000年上海ビエンナーレ芸術監督をはじめ多くの国際覧会を実現すると同時に、都市をアートによって再生する。

▶クリストの言葉に勇気をもらったからこそ、進んでこられた

タムラサトル

 当時は筑波大学芸術専門学群の1年生で、2人の学友と「クリストが来るらしい。行ってみよう」と興味本位で参加したのを覚えています。僕らは傘を台座に設置する作業の担当で、74のチームがあり、1チームが10人編成、一つのチームで傘を15本程度を立てるという段取りでした。私がもらった報酬は、たしか11日間で2万数千円でした。服やヘルメット、送迎バス、宿泊所も用意されていて、きちんとシステムができているプロジェクトという印象でした。

 僕らのチームは効率がよく、2日で作業を終えたのですが、牛舎の中で牛をどかしながら傘を立てたのを覚えています。他の現場を見に行ったり、スタッフが来すぎて大混乱になっている定食屋で注文を聞くのを手伝ったり、作業員仲間で飲み会をしたりと、いろいろな事がありました。当時「アンブレラ音頭」というのも作られ、カセットテープが売られていました。僕も踊った記憶があります(笑)。

 オープニングの日は、まずクリストの目の前の傘が開かれ、それから他の傘が開かれたのですが、それは壮観な光景でした。「なんだこれ!?クリストすごいな」と、ものすごいパワーを感じていました。同時期に水戸芸術館では《アンブレラ》プロジェクトのドローイングも展示されていて、実際の風景が絵の発色や構図と同じことに驚いても1る人もいました。芸術館ではプロジェクトの過程も展示されていたのですが、クリストはプロセスも作品であることを示した先駆者でもありましたね。

 強烈に覚えているのは、プロジェクト前に開催されたクリストとジャンヌ=クロードによる講演会での質疑応答です。「どうしてこのプロジェクトをやろうと思ったのか?」という問いに、クリストが「これを見たかったから」というように答えたんです。当時の僕は作品性やメッセージ性といったものに違和感を感じてもいたので、クリストの言葉を聞いた時に、「ああ、それでいいんだ」につながってきました。

 大学3年生の時に、4.5メートルのワニが2秒で1回転する作品を作ったのですが、作った本人なのに「うわ−、すごい!」と感嘆し、シンプルに自分が見たいものを作ったらこうなったという経験が、その後の自信になりました。今まで進んでこられたのは、クリストの影響でもありますね。

     (現代美術作家)

■プロフィール

 1972年、栃木県生まれ。1995年筑波大学芸術専門学群総合造形コース卒業。現代美術作家、日本大学芸術学部非常勤講軌主な展示に、2003「FirstSteps:EmergingArti5tShomJapan」P.S.1Contempor刑γArtCenter、2010年「小山マシーン」小山市立車屋美術館、201う年「あいちトリエンナーレ2013企画コンペ」長者町会場

■現代美術への入り口を開き、開眼させてくれたクリスト

山口ゆかり

 《アンブレラ》プロジェクトは水戸芸術館に勤めて1年半はどの新人の頃のことです。主な仕事は、現地のインフォメーションセンターでのお客様対応でしたが、人手が少ない所に助っ人に行くことも多く、連日大忙しでした。ゆっくり鑑賞する余裕もなく、いろいろ考えたり感じたりできたのは終ってからでした。直に見たクリストの第一印象は、細身でもの静かな雰囲気で、作品のスケール感と本人のギャップに驚くお客様も多くいました。ただし、内面は、プロジェクトの実現を見たいという一点に意識が集中していて、その真剣さがヒシヒシと伝わってきました。

 私のいた現場はプロジェクトの北端で、絶好のビューポイントでもあり、来場者は鑑賞したり、傘の下でお弁当を食べたりと楽しそうで、羨ましくもありました(笑)。

 クリストの印象は、物静かではあるけれど大きな熱意を持っている人ということ。また、人との繋がりをとても大切にしているイメージもありました。来場者も、作品以上にクリスト本人について質問される方が多く、たまたまクリストが近くにいて「あの方ですよ」と教えると、作品とのギャップに驚いていましたね。

 実は、プロジェクトの後にニューヨークで何度かお会いして、お住まいにもお邪魔したことがあるのですが、普段の彼はすごく穏やかな人物で、暮しぶりは「制作、食べる、寝る」の三つしかないくらいにシンプル。娯楽的なことにはあまり関心がないのか、いつも同じスタイルの服を着ていて、レストランで注文するものもだいたい同じ、そんなフラットな感じなのに、とても魅力的な人物でした。

 クリストとジャンヌ=クロードと食事をした時は、親戚の方やジャンヌ=クロードの姉妹が同席することもあったのですが、彼らはアートの話だけでなくテレビ番組など、自分たちが話題を提供して皆を楽しませてくれるんです。ジョーク好きのジャンヌ=クロードは、反応がいまひとつだと、その解説までしてくれたり(笑)。

 プロジェクトでは人材が重要ということもありますが、クリストは普段から人とのつながりをとても大切にしている印象応していました。ジャンヌ=クロードも、日本人ならではの礼儀正しさや気遣いを愛する方で、彼らが滞在していた民家の大家さんが毎日いろいろな食べ物を差し入れてくれ、そうしたおもてなしの心に2人はとても感銘を受けていたそうです。

 当時は、忙しさの中でも、このプロジェクトが現代美術の幅の広さを実感させ、理解不能なものを拒絶するような人さえもいずれ虜にしてしまうすごい可能性を秘めたものではないかと感じていました。事実、私自身があのプロジェクトで開眼し、以来、見る側伝える側の両面で現代美術を楽しみ深く理解するようになりました。そして、今なおクリストは現代美術への興味をリードしてくれる存在であり続けています。

(水戸芸術館ATMフェイス)

■プロフィール

 1990年の開館より水戸芸術館に勤務。クリストとジャンヌ=クロードの《アンブレラ》プロジェクトヘの関わりをきっかけに、19門年「アナザーワールド・異世界への旅」展にて事務局アシスタントを務める。2014年「拡弓長するファッション」展では出品作家パスカル・ガデンの制服ワークショップに参加。その後、他の参加者と共に手しごと集団「ふえいす・らぼ」を立ち上げ、水戸芸術館で行われる夏の子ども向けワークショップに参加。