阿修羅展2009

■興福寺阿偉才像の表現

興福寺国宝館館長・金子啓明(ひろあき)

▶異形と自然らしさ

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 先ほど興福寺の阿修羅五部浄、娑伽羅(さがら・しゃがら)、乾閲婆像(けんだつばぞう)の四体は少年像として表わされ、守護神でありながら念怒や威嚇の表情を示さず、真筆でひたむきな姿であることを述べた。なぜ、このような表情に造られたのか。その意味について阿修羅像を中心に考えることにする。 阿修羅像は三つの顔に六本の腕をもつ異形の姿で表わされている。阿修羅はもとより人ではなく神である。しかし、異形ではあるが異様な感じが少しもしない。

 細くて六本の腕は空間に自由に伸びて美しい。多くの手をもつ日本の仏像は千手観音菩薩をはじめ少なくはないが、これほど空間のなかにすっと軽やかに動くのは興福寺の阿修羅像だけといってよい。

 耳の表現も通常ではない。両耳があるのは正面の顔だけで、両脇面は外側の耳しか表現していない。正面の両耳は横幅が広く正面に向けられているが、これも人の耳とは異なっている。また、顔は三つであるが髻(もとどり・髪を頭の上に集めて束ねた所)が一つだけであるのも不自然である。

 

 鎌倉時代の十三世紀中頃に制作された妙法院二二十三間堂の阿修羅像(上図)三面六臂(仏像が、三つの顔と六つの腕とを一身に備えた形をしていること。転じて、ひとりで数人分もの働きがあること)であるが、それぞれの顔は二つの耳と響をもっている。本来ならばそれが通常の姿であるが、興福寺阿修羅像はその常識を覆している。しかし、その不自然さは指摘されなければ気が付かないほどである。そこにはきわめて高い造形力が必要であるが、阿修羅像の作者は何のためらいもなく造り上げている このように興福寺阿修羅像は、神としての超人的な姿を異形としてとどめながら、形としての自然らしさと調和を重要な課題として追究していることがわかる。 また、興福寺阿修羅像は痩身で腕が細く、少し背をかがめてはいるがほぼ直立している。直立する姿には下から上に伸びる上昇感があり崇高な印象を与える。しかし、腰に着ける衣の打ち合わせは垂直の中心軸に対して、微妙な波をうってアクセントをつけており、単調さを防ぐことも忘れていない。

 

 条帛(じょうはく・仏像の左肩から斜めに垂らし、左脇を通り背面から一周し左肩へかけて結ぶたすき状の布のこと)の垂下部の折れも自然で布の質感が見事である。

 顔が小さく頭体のバランスがきわめてよいことも阿修羅像の特色である。頭髪の撃の下から顎までを頭長として、全体を見ると八頭身となり、髪の生え際から顎までを面長とすると全体は十面身となる。頭体の比率をよく考えた見事なプロポーションである。

 また、顔は正面より脇の顔を少し小さく作り、脇の顔は正面より少し高めの位置で、角度も真横ではなくやや斜め後方に向けるなど絶妙な角度調整をしている。心理描写 ところで、興福寺阿修羅像は、前代の代表作である薬師寺金堂薬師三尊像(上図)のように、堂々とした量感豊かな体躯や、自然で柔らかく生命感に満ちた肉体の表現をめざしてはいない。薬師寺像では身体から発する生命感があり、自然にいきいきとした肉体の理想的表現が追求がされている。

 しかし、阿修羅像が求めるのは身体のいきいきとした表現や生命力の豊かさではない。直立する像であるだけに、まず見る者の意識は自然と顔に向けられる。阿修羅像が追究するのは繊細で微妙な心のあり方である。

 正面の顔は眉をひそめて憂いを含むが、同時に厳しさをもっている。しかし、それは心の一瞬の動きを捉えたものではない。心は揺れているが、何かを真剣に見つめている。しかし、その視線の先に敵対者はいない。阿修羅像は守護神でありながら外敵を想定しておらず、そのまなざしには真摯な決意が感じられる。

 

 阿修羅像の顔の造りは頬が張って緊張している。鼻筋も通ってりりしく、横顔(上図右)は特にすがすがしい。しかし、阿修羅像は意図的に曖昧な表現を随所に表わすことで表情を和らげている。眼鼻立ちは左右対称を崩しており人に近い。鼻の先を少し右方にまげており、小鼻を明確に表わさず、鼻穴も表現していない。耳も人の耳にある耳珠(顔例の耳穴近くにある出)を表現せずにやわらかな耳となっており、緊張と曖昧さの双方を調和させて絶妙なふくらみのある表情に造り上げている。

 唇も少し右に上っている。阿修羅像の顔は人のそれに近いが単なる写実ではないのである。

 注目されるのは目の表現である(上図5)。和銅四年(七一一)作の法隆寺五重塔初層北面の塑造阿修羅像(上図6)では菩薩と同じように切れ長の目に造られている。しかし、興福寺阿修羅像は菩薩のそれではなく人の目の自然な形である。同じ法隆寺五重塔初層東面の文殊菩薩像(図7)の目が1瞼を長く引くのは瞑想的で浄化され安定した心の状態を暗示する。阿修羅像が意識するのは微妙に揺れる複雑な心理である。

 瞼の表現はさらに特徴的である。下瞼はその緑に沿って微妙なふくらみを表わすが、それにより目には涙を浮かべているように見える。また、上瞼の線には逆に窪みをつけており、扁強く涙目の表情をつくりだしている

 阿修羅の心は複雑である。真剣さと、憂いと、涙とが共存している。眉の動きに注目すると心の揺れが強く感じられる。緊張した頼と目を見ると真筆な意志が印象づけられる。そのまなざしは何かを吹っ切ったような力がある。に注目すると涙がどんどんとあふれてくるようだ憂いと真剣さと涙とが強弱しながら見えてくる。このような複雑な人の心理をこれほどリアルに表わした彫刻はこれまでにはなかった。その意味でも古代彫刻史に阿修羅像が現われたことは画期的である

▶少年相・三つの顔

 また、阿修羅像が少年相であることも注目される。美少年である。少年相は心の純粋さを象徴する。子供や少年の愛らしさ、すがすがしさに聖なるものを重ねることは普遍的な認識である。日本の七〜八世紀でも伎楽の先導役として登場する師子児は、その汚れなき純粋さで道を清める露払いの役割を担っている。また、白鳳期に流行の童顔童形像もその純粋さや初々しさに浄化された仏心を重ね合わせている。

 

 しかし、興福寺阿修羅像で選ばれたのは幼児ではなく少年の姿である。それは天真爛漫な無垢さのみではない。すでに人としての矛盾や不条理を感じっつも、純粋さを失わないという年齢である。繊細で傷つきやすく純粋で誠実さがあり、また、反省する素直な気持ちをもっている。少年としての意味がそこにある。阿修羅像では左右の両脇面の表情も注目される。右の面はふっくらとした丸顔で同じ少年相ではあるが、正面の顔よりも明らかに若い。額が少し広く下唇を噛んでおり、心の動揺に負けまいとじつとこらえているように見える。内面にはさまざまな心象が現われては消えていく。右面の表情にはそのような揺れる心がそのままに表出されている。それに対して左面は右面よりは年長の少年である。もはや唇を噛むことはなく、正面の顔に近づいている。しかし、口は小ぶりで左右相称性が強く正面とはやや異なっており、その表情には憂いと厳粛さが表われている。また、左面の視線は外へ向けられておらず曖昧でありわれわれは目をあわすことができない。意識を内面へ向けているからである。

 先ほど『金光明最勝王経』の「序品」に大衆が霊鷲山の釈迦を訪れた時、その姿を仰ぎ見て、仏足に頭を垂れ、右に三回巡ることを述べた。これはインドにおける仏に敬意を表わす儀礼方法である。右廻りとは釈迦を常に右に見て廻ることを意味する。インドでは左より右が尊く、左廻りは現在でも厳禁されている。阿修羅像でも左右の脇面ではまず右面から見られることを想定している。右面の方が少し若く、左面が少し年上なのも右廻りを意識してのことであろう。初発性が右面にあり、その次に左面がある。微妙な年齢と内面の相違を右廻りの順序で表わしたのである。まず、心の揺れに呼応して唇を噛むという動作があり、その連続として心のうちを見つめる厳粛さがある。最も年長の正面の顔は微妙な感情に揺れながらも何かを決意したような明瞭な視線をもっている

 

 阿修羅像は三つの顔をもち、それぞれが複雑な表情を示す。それは見る者に三つの顔を静かに見る時間を要求しているようである。また、最も重要な正面の顔の複雑な心理を感じるためには、像としっかりと対面しさまざまに思いを巡らさなければならない。そのような心理の深層を阿修羅像は秘めている。実際に信仰者が阿修羅像の周囲を巡って見たというわけではない。阿修羅像は群像の一体ではあるが、強い思いを込めて細部にいたるまで用意周到にそして、真摯さをもって造られているのである。

▶『金光明最膠王経』の懺悔と罪業消滅 

 『金光明最勝王経』の巻第四「夢見金鼓傾悔品」下図(夢に金鼓をみて俄悔する品)とそれに続く巻第五「滅業障品」(業障を滅する品)は、「儀悔による罪業の消滅」を中心のテーマとする。「夢見金鼓儀悔晶」には次のような内容が書かれている。

 昔、妙幢菩薩(みょうどうぼさつ)という菩薩がいた。その菩薩は、仏の素晴らしい教えを聞いて感激し、その夜夢を見る。そのなかに大き金鼓(きんこ)が現われる。金鼓は照り輝くように、光を発している。そこから仏ちが生まれてあふれ出てくる。さまざまな仏たちがそこで法を説いている。夢のなかに一人の婆羅門(ばらもん・僧侶で、学問・祭祀(さいし)をつかさどり、インド社会の指導的地位にあった)が現われて、桴(ばち)持って金鼓を打つと、非常に大きな響きが発生した。その響きは微妙で、懺悔の教えを音として直接説くように聞こえる。この体験の翌朝、妙幢菩薩は、鷲峰山にいる釈迦の所に行き、このことを伝えた。

 続けて、妙菩薩が懺悔の詳細を長々と述べ、最後に釈迦は妙菩薩を前にして、「その金鼓の音は如来の真実と懐悔の法を称賛するものであり、それを聞く者は罪障を滅除することができる」と述べ、妙菩薩の見た夢の正当性を保証した。諸々の大衆はその説法を聞き、歓喜したと結ばれている。

 金鼓と婆羅門はこの夢見金鼓懺悔品」に基づくものである。つまり、興福寺西金堂の諸像は霊鷲山の釈迦集会と、「夢見金鼓懺悔品」に登場する金鼓と婆羅門が加わる形で構成されたことがわかる。また、先に西金堂でどのような法会が行なわれたか不明としたが、金鼓(華原磬・かげんけい・ 中国陝西(せんせい)省華原産の石で作った「へ」の字形の楽器)の打鳴が行なわれた可能性もある。あるいはそれに代わるが打たれたかもしれない。その場合、須弥壇(しゅみだん・仏教寺院において本尊を安置する場所)の諸像に釜の音に耳を傾けることが想定されたことであろう。金鼓の響きは法の響きの比喩でもあり、言語を超えた法の象徴でもある。阿修羅の静かで深い心理表現は、法の響きに耳を澄ますという真摯さと、それが心の琴線に触れた実感と、何ものかへ向けた決意を感じさせる。その魅力的な表情は、罪業と煩悩の懐悔と消滅、その結果としての心の浄化と深く関係していよう。

▶業 障(悪業  によって生じた障害)

 懺悔の目的は悪業の消滅にあるが、悪業には十悪業、五無間罪、仏法僧の三宝への誹謗、両親への不孝、婆羅門衆の軽視などがあり、また、貪(とん・むさぼり)・瞋(じん・いかり)・癡(ち・おろかさ)の煩悩も人に本来備わった悪業であるとする。「金光明最勝王経」「滅業障品(めつごっしょうぼん)」には過去に罪を犯したものは、それが「業障」となり地獄、傍生(ぼうしょう・からだを横にして生きる生き物、すなわち畜生)、餓鬼、阿修羅や八難処(はちなんじょ・仏教の究極的目的である悟りを得るのに妨げとなる8種の困難のこと)などの救いない悲惨な世界に堕ちると明記している。仏教では業障について、

①行為として現われる「表業」と、

②行為が発生した後、潜在的な力として残る「無表業」 

とに分けられると考えられている。「表業」は身、口、意の行為として現われる。身業には「身表業」と「身無表業」が、口業には「口表業」と「口無表業」とがあるが、意業にはその区別がないという。

 悪行、たとえば暴力は「身表業」であり、いわれのない罵倒・悪言は「口表業」である。しかし、行為としての「表業」はそれにとどまらない。その行為を起こしたのちもその余熱は人の心のなかに潜在力として残るからである。それが「身無表業」と「口無表業」である。人間に本来ある貪(とん・むさぼり)・瞋(じん・いかり)・癡(ち・おろかさ)の煩悩も「表業」と「無表業」の悪業である。貪欲な行為は、行為が終わった後にもその余熱が心に残る。その余熱としての悪の「無表業」が再び次の「表業」を引き起こす。「無表業」はその後の境遇を決める潜在力となり原因となる。過去の罪業は永遠に消えることのない束縛であり、衆生(しゅじょう・人間をはじめすべての生物)には救いの道がない。しかし、『金光明最勝王経』では人間はもともと空なる存在であり、仏に帰依し懺悔することで罪業を消すことができると主張する。そこには大乗仏教の慈悲の本質があり、懺悔は人に救済の希望をもたらすものとなったのである。

 しかし、その罪業は人のみが負うものではない。『金光明最勝王経』には、菩薩や羅漢ですら過去において「独覚・どっかく緑覚・えんがく)と菩薩においても、恭敬心(くぎょうしん. つつしんで尊敬する心 )なく、衆罪(衆生の犯す諸々の罪)を作ってしまった。私は今それをことごとく懺悔する」(「夢見金鼓懺悔品」)、「過去の諸大菩薩は、菩提の行を修め、あらゆる業障をことごとくすでに懺悔した」(「滅業障品」)とあるよぅに、過去に「業障」をもったのであり、「懺悔」によってそれを完全に消滅させ、心を浄化した存在であると述べられている。かつてインドの神で仏教に帰依し、今釈迦のもとにいる八部衆も同様である。

 しかし、阿修羅は多くの菩薩、羅漢、天等々のなかでも、特に「懺悔業障」の象徴的存在である。過去において阿修羅が行なった行為は悪業そのものであった。仏教に帰依する以前の阿修羅は、インド神話において最高神のインドラ(帝釈天)への対抗心をむき出しで常に戦いを挑む激しい神であった。しかし、阿修羅は戦いに勝つことはついにできなかった。それが業となり宿命となって、勝てない戦いであっても常に戦わざるを得ない救いなき業を背負った存在となる。戦いという悪業が潜在し、これが原因となって再び戦争行為を引き起こす。

 

 これが果てしなく続くのである。 阿修羅道とは戦いという業火(ごうか・仏教で、悪業(あくごう)が身を滅ぼすのを火にたとえていう語)に苦しめられる救いない世界のことである。先に述べたように「滅業障品(めつごっしょうぼん)には、過去に悪業をなした者は、地獄、傍生(畜生)、餓鬼、阿修羅及び八難処に堕ちると明記されている。

 後に阿修羅道は浄土教のなかで地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道の一つに挙げられる。「北野天神縁起絵巻・上図」(北野天満宮蔵)日蔵(道賢)上人六道巡り(上図左)や、六道絵の「阿修羅道」(聖衆来迎寺本等)には、三面四管や六管で武器を持ち、怒り顔で、赤い肌をした帝釈天と激しく戦う阿修羅が描かれている。 この悪業を断ち切り、完全に消滅させるには「懺悔」が不可欠である。阿修羅は釈迦のもとで、菩提の行を修め、あらゆる業障をことごとくすでに「懺悔」した存在である。そして、釈迦が説く「金光明(こんこうみょうきょう)」の教えを守ることを誓い、『金光明最勝王経』を信じる者を守護する役割を担うことになる。

 また、『金光明最勝王経」には菩薩は「不般捏磐」(捏察しない)と説かれている。「捏磐」とは死を意味するが、仏教的にはさらに悟りを開いて彼岸に到ることをさしている。「不般涅槃(ふはつねはん)」とは悟りの境域にあえてとどまらず、衆生救済のために彼らのところへ向かうことを意味する。これが大乗仏教の根幹としての仏・菩薩の衆生への慈悲である。守護神としての阿修羅も人を守り救済する役割を担っている。

 実際の像として表現された阿修羅には二面性がある。

 ①は釈迦に帰依し「儀悔」することで過去の悪業を断ち切り、心を浄化した姿であり、 ②は守護神として信仰者を仏敵から昼夜守るために、インド神話での強い戦闘力を発揮する怒る神としての姿である。十二世紀の法隆寺行道面や、鎌倉時代の妙法院(三十三間堂)の阿修羅像(図2)は、②の仏敵から信仰者を守る姿で忿怒相(ふんぬそう・激しい怒りを示す仏像や仏画の表情。不動などの明王や蔵王権現に見られる)を表わしている。興福寺の阿修羅像は明らかに前者であり、怒りの表情や仕草はまったく見られない。

 興福寺阿修羅像は過去に行なった業障や煩悩を懺悔によって断ち切ろうとする内面のドラマのただなかにある。そして、今、懺悔によって心は浄化され、仏に帰依を誓う意志を秘めている。その状況をリアルに人に示すことで「懺悔」の手本を見る者に演出している。日本の仏像は単なる造形ではなく、魂をもつ生きた存在と考えられた興福寺阿修羅像も魂を得て須弥壇上で生きており、身をもって「懺悔」の範を示している。そして、像を見る者の心に「懐悔」の意識が喚起されることを願っている。

▶懺悔の諸相 

 しかし、「懺悔」を実践するには前提条件がある。それは、衆生(しゅうじょう・人間をはじめすべての生物)の仏・菩薩等への絶対的「帰依(きえ・すぐれたものを頼みとして、その力にすがること)」と、それに応える仏・菩薩等の慈悲心の存在である。「帰依」とは仏・菩薩等を信じその慈悲を受けるために仏への忠誠を誓うことであり、祈ることである。この双方があって衆生の「懺悔」は成立する。従って、「懺悔」は仏・菩薩等の前で行なわれ、仏は衆生の「懺悔」を見守ることになる。

 「夢見金鼓懺悔品」と「滅業障品」には、「懺悔」の諸相が説かれている。それによると、衆生は「懺悔」の前に「発露」をするとしている。「発露」とは仏の前で自分が過去に行なったすべての罪業を一つも隠すことなく告白することを意味する。そして「懺悔」により過去の罪障と現在の煩悩を悔い改め、悪業がすべて消滅する。法の象徴である金鼓の放つ光明や婆羅門の打つ大音響、それに『金光明最勝王経』の読経は「懺悔」を徹底させ、確かなものとする力があるとされる。

 「帰依」「発露」「懺悔」に続き、「随喜(ずいき)」が説かれる。「随喜」とは衆生の善根(ぜんこん・よい報いを生み出す原因としての善行)を喜び讃えること、功徳ある諸仏・菩薩等に触れる喜びを意味する。随喜の涙とはそれらに接することで生じる感激の涙をさしている。続いて説かれるのは「勧請(かんじょう)」である。「勧請」は仏の来臨を請うこと、仏の慈悲の働く場を設けることである。仏像の制作は仏の法身を受けとめ、目に見える応身(おうじん・この世に姿を現した仏身の意味)を形として作ること。つまり仏の慈悲が発揮される器と場を作ることを意味する。さらに「回向(えこう・死者の成仏を願って仏事供養をすること)」が説かれる。「回向」は自分の修めた善根により仏の世界に向かうことをさしている。

 この「発露(はつろ・心の中の事柄が表にあらわれ出ること)」「懺悔」「随喜」「勧請」「回向」が『金光明最勝王経』の五悔の懺悔(悔過・けか・仏教において、三宝に対して自ら犯した罪や過ちを悔い改めること)法とされる。このうち「発露」を「懺悔」と一組とみて四悔とする場合もある。これらは懺悔を中心とする一連の実践行為である。まず人は仏に帰依して忠誠を誓う。そして、仏の前ですべての過去の罪障、悪業を隠すことなくすべて告白する(発露)。それを懺悔することで業のすべてを消し去り、心を浄化する(懺悔)。浄化した心で諸仏の功徳と衆生の善根に触れその喜びをもつ(随喜)。続けて仏の来臨を請い(勧請)、さらに、自分が積んだ善根や功徳により自身が仏の世界をめざし、そこに達することを誓う(回向)。これら懺悔法を実施することには絶大な功徳あることを『金光明最勝王経』は力説する。

▶八部衆

  

 興福寺八部衆のうちで懺悔にかかる微妙な真理とその範を示すのは少年相の阿修羅、沙掲羅(さから)五部浄乾闥婆像(けんだつばぞう)である。八部衆のうちの半数が少年像であることは、西金堂でいかにその表現が重視されたかをよく示している。少年像は守護神ではあるが、いずれも繊細な心理描写を示し表現の上で外敵の存在を意識していない。一番若い沙掲羅像は少し顔を左斜め上に向け、純粋無垢な心で釈迦の方を見上げ無心の帰依を示している。五部浄像も遠方を見つめて釈迦への帰依を表現するがむしろ敬度さが強く表われている。目を閉じた乾閲婆像は静かに自分の内を見つめ、心に想起する業や煩悩を内省している。 先述のように最も複雑な心理描写をするのは阿修羅像である。右の脇面は下唇を噛みしめて揺れる心をこらえているようだ。左脇面を見ると目を開けてはいるものの視線は曖昧で、内面に向かう厳粛さが感じられる。それは懺悔の誠実さを示す表情であろう。そして正面の顔は過去の業や煩悩に由来する心象を憂いてはいるが同時にはっきりとしたまなざしをもっている。それは釈迦に帰依して仏法を追究する新たな決意を示しているようである。

 また、目に浮かぶ涙は懺悔を通じて仏法に触れた喜びを示すように見える。このように正面の顔には、懺悔にかかるいくつかの相が微妙に交差する心の深層が表わされている。 それに対して同じ八部衆のうちの鳩磐茶(くばんだ)は獣のような夜叉としての怖さをもっており守護神としての性格を強めている緊那羅(さんなら)は内面へ向かう意志と、目頭を立てて怒りを含んだ厳しい表情である。内と外へ向けた双方の複雑な心理を見事に示している迦楼羅鳥頭であるがその表情には一瞬の緊張が走っている。釈迦の霊妙な法に触れた瞬間なのかも知れない。畢婆迦羅(ひばから)には厳粛で人を超えた守護神として威厳があるが、それによって信仰者を守護しているのであろう。八部衆像には懺悔の過去と、信仰者を守護する現在の双方の姿が多様に表現されている。

   

 これまで十大弟子像についてほとんど触れていないが、最も若い少年僧の須菩提像についてだけ指摘したい。須菩提は八部衆の若者と異なり眉をひそめておらず、透明な明るさで微笑している。若い年齢であることで純粋な仏心を象徴する折、その明るさは阿羅漢としてすべての執着を捨て、煩悩もなく、解脱した明るさであろう。興福寺の須菩提は浄化された境地のなかにいる。

 

一方、八部衆の若者は守護神として、より積極的に人に向かっている。その役割は釈迦への帰依と懺悔の諸相を臨場感のある真実さで手本として示すことにある。決して強制することなく、人の心に懺悔への思いが喚起されることの自覚を求めている。それは信仰者の勧請に対する真摯な答えであったと考えられる。

 最後にもう一度、阿修羅像を見ることにする。その繊細で真剣な表情は、仏教への深い理解があってはじめて成立するものである。また、それは仏教への深い信心が造像の発願者にあってこそ期待される表現内容でもある。西金堂の造像の発願者は深い仏教信仰者であった光明皇后である。皇后の期待と関心に西金堂諸像の作者は十分に応えなければならない。この時の光明皇后は『金光明最勝王経』に高い関心を寄せていた。その根本にあるのが「懺悔による業障の消滅」である。阿修羅像の深い心理描写は「懺悔」とかかわっている。人に懺悔を促すためには身をもって真剣で迫真的な表現をしなければならない。

 興福寺阿修羅像のより自然な身体の表現や肉取りの方法は、唐の彫刻からの影響があることが指摘されている。しかし、阿修羅像の示す繊細で微妙な精神表現は日本彫刻ならではのものである。そこには仏教理解への真撃な姿勢とその深まりを見ることができる。阿修羅像は奈良時代の仏教理解の深化を体現するものであり、この時代を先取りし予言するものであったといえる。

 そして、興福寺阿修羅像に現代のわれわれが魅力を感じるのは、いま希薄になった精神的な思惟の深さ、敬度さ、静けさを、約千三百年もの長い歴史を通じてこの像が保ち続けているからであろう。阿修羅像を見ることでわれわれの心が癒されるのである。

 (かねこ・ひろあき/興福寺国宝館館長・東京国立博物館持任研究員)