竹工芸

    ■廣島一夫さんの仕事

 宮崎県西臼杵郡日之影町。熊本から車で2時間という山深い小さな町に、天才的な竹細工職人がいた。故・廣島一夫さんである。

 大正 4 年に生まれ、生涯を通 して日之影町で製作された籠は、桑の葉を運ぶ巨大籠、カルイと呼ばれる背負い籠、川で魚を捕るための仕掛け籠などの生活道具。使う人の注文によってのみ作られていたそれらがあるとき米国スミソニアン協会国立自然史博物館の学芸員の 目にとまり、高く評価される。応援者の尽力によって籠は海を渡り、同博物館に収蔵され、2004〜’05年にかけて大きな展覧会も開かれた。日本ではほとんど 知られざる存在だった廣島さんの、日之影町に残された竹細工30点あまりを中心に構成される本展覧会、籠を通して日本人の始原の魂に触れてみたい。

 宮崎県西臼杵郡日之影町で、80年以上に渡って竹細工職人として籠を作り続けていらした故・廣島一夫さん(1915-2013)。大正、昭和、平成と激変する時代の中にあっても、常に職人としてのたゆまぬ努力を重ね、真摯なものづくりを貫かれました。

 島さんの竹籠は飾られるための美術工芸品ではありません。日之影の暮らしを支えるための生活の道具です。日之影以外で流通されることはなく、日之影の人々その個々の求めに応じて作られていました。それにも関わらず、その機能美には目を見張るものがあります。

        

 廣島さんの作品の価値をいち早く認め、それを外に向けて発信された故・中村憲治氏(当時・日之影在住)の尽力によって、作品は海を渡り、アメリカ・スミソニアン協会国立自然史博物館、大英博物館に所蔵されました。1994年~1995年ワシントンで開かれた展覧会は大変な盛況だったとのことです。竹籠そして渡米された廣島さんのお人柄に多くの方が魅了されたと聞き及んでいます。
国内では、「宮崎県伝統工芸士」「現代の名工」などに選ばれ、黄綬褒章も受賞されていらっしゃいますが、展覧会は宮崎県以外、2012年滋賀県近江八幡で行われたにとどまっていました。

 廣島一夫さんは5人弟子をとったそうだが、いずれも長続きせず辞めていった。以来弟子は取らないと決めたそうだ。なぜ、長続きしなかったのかと問われて曰く「若い人には長く座る仕事は無理だったようだ。」と答えていらっしゃる。はたしてそれだけの理由だったのだろうか?

 弟子本人の覚悟の問題だったか、時代の変化によるものか、はたまたあまりに師匠の技量が優れていたことに恐れをなしたのかもしれない。

 ただ、ご自分の仕事を次の世代に引き継ぎたいという思いはお持ちだったようで、特に晩年、その思いが強くなっていらしたそうだ。だから、小川さんが3年修行されたことをとても評価されて、ご自分の技を伝えるにたる人物とみこまれたようだ。

廣島一夫さんの意思を受け継ぐ小川鉄平さん

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