遣隋使

(文化の扉 歴史編)異説あり 遣隋使、いつから 600年が最初、野蛮国扱いに奮起
2017年3月5日05時00分

 「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」。7世紀、倭国(わこく、日本)の国書を携え、中国大陸に向かった遣隋使。初めて派遣された年や、隋に対する優位感情が国書から読み取れるというとらえ方は変わってきている。

 遣隋使は「607(群れなす)船」と語呂合わせで覚えた人も多いかもしれない。しかし、第1回の派遣は、600年という見方が現在では優勢だ。

 遣隋使の記録は、「日本書紀」と中国の「隋書」に残る。本居宣長以来戦後の一時期までは、国内史料を特に重視する立場から、日本書紀に記述がない600年は顧みられる機会が少なかった。だが、史料分析が進み日本書紀の一部に誇張があることが明らかになり、隋書に残る600年を第1回と考える見方が広がった。

 この7年の差は大きい。607年に次の遣隋使が派遣されるまでの間に、「冠位十二階」や「憲法十七条」が制定されるなど矢継ぎ早に改革が断行されたからだ。

 隋書には、600年の遣隋使に隋の皇帝側が倭の為政方針を尋ねた時、「夜明け前に政務をし、日が昇るとやめる……」と答えたため皇帝はあきれ、政治のやり方を改めるよう諭したとある。「野蛮な国」扱いされた衝撃が、倭に改革熱を呼び込んだと言えそうだ。

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 改革後の倭から派遣された、小野妹子(おののいもこ)ら607年の遣隋使は、「日出処の天子、書を日没処の天子に致す」の国書を持参した。受け取った隋の2代皇帝・煬帝(ようだい)が激怒したという記録が残る。

 怒りの理由について、かつては「日出処・日没処」に、倭が隋に対して優越か対等の関係にあるというメッセージを込めたためと解釈されることが多かった。だが、今は仏典を分析した奈良大の東野治之(とうのはるゆき)教授による「単に東と西を指す表現で使ったに過ぎない」という考え方が広がっている。

 煬帝が反応したのは「天子」という言葉とみられる。中華思想では、天から委ねられた唯一の存在という意味。皇帝以外に使うのは言語道断というわけだ。ただ、この時代隋にケンカを売るのは得策でない。「天子」という言葉についても、倭は仏教用語の「仏法により国を治める王」の意味で使ったのではとする説もある。煬帝は激怒したが、帰国する妹子に若手官僚を同行させた。「倭と友好関係を築き、朝鮮半島の高句麗などを牽制(けんせい)する意図があったかもしれない」(気賀沢保規〈けがさわやすのり〉・明治大元教授)という。

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 翌608年、再び隋に赴いた妹子は「東の大王(天皇)、敬(つつし)みて西の皇帝に白(もう)す」という国書を携えた。「形だけかもしれないが、文書からは隋への恭順の姿勢が読み取れる」と東野教授。蛮国扱いの衝撃から8年。倭もしたたかな外交ができる国になっていた。

 遣隋使派遣の背景について、関東学院大の田中史生教授は、「倭が仏教を国の柱に据えたことと深い関係がある」と見る。派遣前夜6世紀後半の倭では、仏教を国として受け入れるか否かで対立があり、受容派の蘇我馬子らが反対派の物部氏らを暴力で一掃した。当時の仏教は、中国皇帝が保護と世界的な普及を担う一方で、中国中心の国際秩序をつくる戦略にも使われた。それを受け入れたのだ。

 もう一つの背景が、朝鮮半島情勢だ。半島にある高句麗、新羅、百済の3国は早くから仏教を受容し、隋への朝貢も始めていた。「倭以外の周辺国は隋を共通のボスと認め、国際秩序ができていた。そんな中で倭だけ隋を無視して朝鮮諸国と外交をするのは難しい。まして紛争など起こしたら、大国の隋に秩序を乱すとにらまれる恐れもあった」(田中教授)。国際関係を考えると、派遣は必然の選択だった。

 (木村尚貴)

 ■「暴君」、戦略家の評価も

 隋の煬帝は、大運河の掘削や度重なる高句麗遠征で民衆を疲弊させた暴君として有名だ。だが気賀沢元教授は「東アジア全体で戦略を描き、脅威となる周辺国を段取りよく制圧した。その構想力や行動力は歴代皇帝にはないものとして注目される」。

 唐の太宗は、ワンマンがたたり暗殺された煬帝を反面教師にし、臣下の意見を意識的に聞いた。律令制や府兵制など隋のレガシー(遺産)を唐はそのまま受け継いだ。

 <読む> 遣唐使に比べ史料が少ない遣隋使は、一般書も少ない。気賀沢保規氏編の『遣隋使がみた風景』(八木書店)、田中史生氏『越境の古代史』(ちくま新書)、東野治之氏の『遣唐使』(岩波新書)などが参考になる。

 <訪ねる> 京都市左京区の三宅八幡宮は、小野妹子ゆかりの神社。社伝によると、隋に行く道中、北九州付近で病気になった妹子が、宇佐八幡宮(大分県宇佐市)に祈願すると全快。帰国後、妹子が恩に報いるため、当地の八幡宮の神を分霊してまつったとされる。