縄文時代の仮面

▶はじめに

 仮面を日常生活で見かける機会はそう多くはありません。観劇(面)や観戦(覆面)、そして縁日(お面)というように限られた場所や空間、期間や時間のなかで、仮面を着けた人々を目にしたり、場合によっては自ら仮面を買ってみたり、実際に顔へあててみたりするのではないでしょうか。仮面は限られた、もしくは決められた空間と時間のなかで、正体を隠して実在や架空を問わず色々な役を演じ、もしくは役になりきることで日常生活から離れられる不思議な道具の一つといえます。では、縄文時代の仮面とはどんなものだったのでしょう。

▶縄文時代における仮面の出現

 縄文時代の仮面(樹皮や皮革などの腐って残りにくい素材をもとに製作された事例をのぞく)は140点ほど発見されています。その内訳は土製が120点強、貝製が10点強、石製が数点です。今のところ縄文時代の仮面は中期が最古の事例です。出現の理由の一つとして、縄文時代の代表的な儀礼の道具である土偶の顔面表現が中期になると目や鼻、口というように充実しはじめることと関係がありそうです。

 縄文中期の仮面は、東北と九州で石製や貝製仮面がわずかに見つかっているだけで、後続する時期の後晩期にはあまりない素材で製作されています。石や貝は可塑性に乏しく、中期の土偶や後晩期の土製仮面と顔の造形手法や表情を比べることは難しいため、その系譜は明らかになっていません。ただし、貝製仮面は縄文後期の素文型素文型(No,60 北海道千歳市ママチ遺跡(長野県渡田町上波田出土出土)東京国立博物館蔵九州北西部地域(長崎県・福岡県・熊本県)でのみ確認され、本州島ではなくむしろ朝鮮半島(東三洞月塚や蘇爺島貝塚)や中国(殷墟)で類例が指摘されるため、貝製仮面に限定するならば東アジア地域へ視野を広げることで縄文時代の初期仮面の系譜の一つをたどることができる可能性があります。

縄文時代の仮面の広がり

 縄文時代を通した仮面の分布は、北・東日本に集中し、とくに北日本に濃密に分布します。時期的には縄文後晩期の事例が数量的に多くを占めます。後晩期の仮面は、類別すると写実と非写実の二者に大別でき、前者は素文型・鼻曲がり型・組み合わせ型、そして入ずみしやこうき墨・ペイント型に、後者は遮光器型に細別できます。類型別の分布は、鼻曲がり型と遮光器型が重なりをもって東北北半に濃密に分布します。一方、入墨・ペイント型は東日本に散漫に分布し、弥生時代の顔面付壷形土器や土偶形容器などの展開において注視されます。

 時期別にみると、後期の仮面の分布は、北・東日本に多く、太平洋側に偏る傾向があります。このごく限られた時期と地域(岩手県・宮城県域)に分布するのが、組み合わせ型仮面です。晩期の仮面の分布は北・東日本が多く、鼻曲がり型と遮光器型が東北北半に分布します。

▶縄文時代の仮面の使われ方

 素文型・鼻曲がり型・組み合わせ型・入墨・ペイント型では、目や口の部分が穿孔(せんこう・穴をあけること。また、そのあけた穴)された例が多く、サイズが顔面大と大きい。反対に、遮光器型では目や口の部分が穿孔される例は少なく、サイズは10cm前後の事例が多く小さい。従って、穿孔の有無とサイズの大小から着装形態に差異を認めることができ、ただ単に顔を覆うだけではなく、手にもって掲げたり、胸からさげたりというようにさまざまな仮面の扱われ方が予測されます。

 さて、遺跡からはどのような状態で見つかっているでしょうか。掘り込みをもつ遺構出土の事例は北海道ママチ例と岩手県人天例のどこうばたった3例しかありません。素文型のママチ例は土坑墓上からの出土で、その淡々とした表情と出土状況から葬送儀礼に使用された仮面として推測されています。組み合わせ型仮面である八天例のふくどうちの一つは、フラスコ状土坑の覆土からの出土で、もう一つの土坑出土例とともに、耳が二つ、鼻と口が一つずつというように一式揃て出土せず、組み合わせた状態での遺棄や廃棄ではない点が留意されます。さらに、遺構出土の事例が該当する類型(素文型・組み合わせ型仮面)そのものの出土数はごく少数で、しかも分布範囲が狭い点は要注意です。従って、これらの出土事例を代表させて、仮面を葬送用のみに限定して用途を判断するのは早計です。

 むしろ出土事例の多くは、遺物包含層から他の遺物(土器や石器などの生活残滓(ざんし・残ったかす。残りかす)とともに出土することが高頻度ですから、通常の集落・居住域で使用されたと判断できます。遺物包含層から出土するという状況は、土偶と類似し、しかも破片で出土するという遺存状況もまた類似します。加えて遮光器型仮面は、遮光器土偶と頭部形態や顔面表現が類似し、稀に仮面の内面に施文される文様は、土偶の後頭部と同じ文様が施文されたと理解することができる例もあり、両者の関係性の深さを示しています。つまり、遮光器型仮面は土偶と比べて出土遺跡数と数量が少ないという差異があるものの、形態や出土状況、そして残存状況が土偶と共通するため、相互に関連する儀礼の中で使用された可能性を指摘できます。さらに、土偶が各集落遺跡で一般的に出土することに対して、土製仮面は居住痕跡が累積的な大規模遺跡からのみ出土することから、前者が集落内(一遺跡)儀礼、後者が地域(遺跡間・群)儀礼というように理解することもできるのではないでしょうか。

▶おわりに

 縄文時代の仮面は、写実性の高い仮面がある一方で、土偶と同じ表情をした抽象的な仮面もあり、一棟ではありません。出土状況から葬送儀礼に使用された可能性が高い仮面があるものの、土偶と同様に再生や多産を祈り、災いや病気を避ける儀礼にも使用されたと考えるべきものもあると考えられます。

 従って、縄文時代の仮面はその表情の豊かさだけではなく、系譜や展開、そして用途においてもまた、さまざまな背景のもとに作り使われた儀礼の道具の一つだといえます。

■各仮面類