何を描きたかったか

■何を描きたかったか

▶︎カラヴァッジョとは

 16世紀末から17世紀初めにかけて、美術の表現に革新をもたらした画家。ミラノに生まれ同地で修業したのち、当時の美術の中心であるローマへと活動の場を移した。徹底的な写実表現や強い明暗、ダイナミックで演劇的な構図によって、主題と感情を見る者に直接的に伝える宗教画を描いて絵画表現を一変させた。それらはあまりの斬新さにより、しばしば拒絶反応を引き起こすことにもなった。風俗画や多くの肖像画によっても名高い。1606年に殺人事件を起こしてローマを出奔(しゅっぽん・逃げ出してあとをくらますこと)、ナポリやシチリア、マルタへと逃避行を続けた後、1610年に恩赦を期待してローマへ戻る途中没した。ルーベンスやベラスケス、レンブラントなど、17世紀美術全体に影響を与え、バロック美術の先駆者としての役割を果たした。

▶︎皺の一本一本まで描きとる写実描写

 ドラマティックな明暗、人物ひとりひとりの感情表現の巧みさ。カラヴァッジョ(1571-1610)の芸術は現代の私たちを魅了してやみません。

 このカラヴァッジョの最高傑作のひとつであり、バチカン美術館を代表する名品キリストの埋葬》(1603-04)2020年秋、東京にやってきます。先日来日したローマ教皇からの、日本への贈り物として実現する展覧会です。

 本展では大画面の映像やパネルによって作品の理解を深めるほか、同時代の版画によって、この作品が描かれた歴史的な背景を説明します。

 歴史的な背景としては、ローマ・カトリック教会の改革運動があります。その結果としてカラヴァッジョのような革新的な表現が生まれ、それを嚆矢としてバロックと呼ばれる美術が成熟することになります。同時にこの改革の一環として、世界各地へのキリスト教の布教活動も行われました。

 本展では同時代の日本各地の信徒集団がローマ教皇へ送った書状もバチカン図書館から借用することになっており、これをあわせて展示することで、カラヴァッジョの傑作を大きな視点から見直します。

▶︎《キリストの埋葬》について

 ローマで画家として成功を収めたカラヴァッジョによる、成熟期の代表作。もとはローマに建造されて間もないサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂のために描かれた。17世紀の批評家はカラヴァッジョの最高傑作のひとつと記している。

 強い明暗のもと、死せるキリストとその取り巻きを写実的に描いたこの絵は、均衡の取れた構図に、ローマの古典的な美術を研究・消化した跡が窺える。またキリストの肉体には、ミケランジェロの彫刻《ピエタ》との関連が指摘されている。ルーベンスはこの絵の模写を残しており、ほかにも後世の多くの画家たちの着想源となった。

 1797年、ローマを占領したナポレオン軍によってパリに運ばれ、ルーヴル美術館(ナポレオン美術館)で展示された。返還交渉の結果1815年に返却されたが、元の聖堂ではなくバチカンに戻され、今に至っている。