シャトーカミヤ旧醸造場

■重要文化財保存修理工事(災害復旧)報告書

▶序 文

 シャトーカミヤ旧醸造場施設「旧事務室」(現本館)、「旧醗酵室」(現神谷侍兵衛記念館)、「旧貯蔵庫」(現レストラン キャノン)は、1903年(明治36年)日本最初期のワイン醸造場施設として建築され、当時の姿を今日まで残している貴重な煉瓦造の建造物です。また、明治中期の本格的なワイン醸造場施設の主要部がほぼ完存し、産業遺産としての価値も高いことから、2008年(平成20年)6月9日に国の重要文化財に指定されました。

 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震によって煉瓦造建造物3棟は、倒壊は免れましたが煉瓦壁体に亀裂が生じるなど甚大な被害に見舞われ、休館や休業を余儀なくされました。

 同年12月文化庁より保存修理工事(災害復旧)の事業認可を受け2012年(平成24年)3月より災害復旧工事を行ってまいりました。

 2014年(平成26年)3月28日「旧醗酵室」と「旧貯蔵庫」、2016年(平成28年)3月31日「旧事務室」の工事が、延べ49ケ月の期間をもって完了いたしました。震災直後の破損から可逆性を重視した耐震補強をおこない、被災前の姿にシャトーカミヤを蘇らせることができました。

 本報告書は、保存修理の記録をまとめて後世に伝える資料として刊行したものであり、今後の文化財修復の資料として活用いただければ幸甚(こうじん・非常に幸いなこと)です。

 2016年(平成28年)3月

オエノンホールディングス株式会社

代表取締役社長  西永 裕司


■第1章 第1節

第1項 概 説

 シャトーカミヤ旧醸造場施設は、創業者神谷傳兵衛によって葡萄酒を製造・販売するため茨城県牛久市内に創設されたものである。

 関連施設は、明治36年に完成した事務室・醗酵室・貯蔵庫の煉瓦造3棟が現存し、近代化遺産の歴史的価値が高いものとして平成20年6月重要文化財に指定され 平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震こよって震度5強を(牛久市内)観測し、各建造物の煉瓦壁にクラックや変形等が生じる甚大な被害を被った。その保存修理のため、「重要文化財シャトーカミヤ旧醸造場施設保存修理事業(災害復旧)」として着手した。

▶第2項 建造物の概説

 事務室は、1階に居住機能と経理事務、2階に応接機能を備えた2階建てで、本館と称して喫茶室を営業していた。

 醗酵室は地上2階・地下1階建てで、地下室苗木場や洗滌場を増築し、葡萄から葡萄酒を製造するまでの醸造機能を備えている。現在は神谷傳兵衛記念館として往事の醸造機器を展示公開している。貯蔵庫は、当初平屋建ての倉庫であったものを、現在はレストランとして営業している。

▶第3項 被害の概説

 地震による被害は、事務室は壁体の入隅・出隅や開口隈部からのクラックが生じていた。時計塔や煙突は、壁頂部から突出している部分で水平クラックや煉瓦の潰れ・変形が生じ、傾斜しているものがあった。

 醗酵室は、室口部からのクラックがみられた。洗滌場の両妻壁は大きく揺らされ、水平クラックが生じるとともに移動していた。貯蔵庫は、間仕切壁には放射状の、側壁には水平方向のクラックが生じていた。これらクラックからの浸水や腐朽、汚損等が生じていた。

▶第4項 修理内容

 事務室は、屋根葺替及び部分修理(構造補強を含む)

  醗酵室(地下室苗木場、洗淋場を含む)は、屋根茸替及び部分修理(構造補強を含む)

 貯蔵庫は、部分修理(構造補強を含む)とした。

▶第5項 事業費の概説

 総事業費960,000,000円で「災害復旧」事業に着手した。その後、事務室の復旧事業だけを切り離し、「災害復旧その2」と称し、491,568,140円の精算額をもって完了した。

第6項 工 期

 事業工期は、「災害復旧」は平成23年12月9日より着手し、醗酵室と貯蔵庫が完了する同26年3月28日までとした。「災害復旧その2」は、平成26年2月3日より着手し、同28年3月30日に完了した。延べ52ケ月の時間を費やした。

▶第7項 工事の概説

 「災害復旧」工事と称して、主な工事範囲を「仮設・解体】工事」とする指名競争入札を行い、大成建設株式会社東京支店が請け負った。工事内容は、仮設工事は素屋根を事務室と醗酵室(地下室苗木場、洗滌場を含む)に建設し、貯蔵庫は軒足場を設置した。解体工事は、屋根廻りの解体を事務室と醗酵室に行い、貯蔵庫は軒先部分とした。小屋組は、事務室は敷桁まで解体した。時計塔は、頂部のドーム組まで下地を解体した

 醗酵室は、野地板までとし、小屋梁・垂木等は破損範囲までとした。

 貯蔵庫は、構造補強工事に支障が生じる範囲の野地板・垂木等を解体した。各建造物の内外装を解体することによって煉瓦壁面の破損状況が明らかとなり、外壁のクラックや変形が生じている煉瓦を個体別にはつり取った。

 破損調査や耐震診断の結果、各建造物毎の修理・補強案や管理・活用目的に応じた復旧方法を策定した。事務室は内外装の意匠に支障が生じない補強工法を模索し、壁頂部内例の煉瓦積みを鉄筋コンクリート製臥梁に置換する方法とした。この行為は、可逆性に反し文化財的価値を失する恐れがあったため現状変更の申請をし、その許可を得た。

 醗酵室は、地階の醸造機能を失うような補強工法を避けるため、支持基礎を背面外部に設ける方法とした。

■第2節 建造物の概要第1項

▶第1項 重要文化財指定 

▶官報告示(文部科学省告示第807号)

 文化財保護法(昭和25年法律第214号)第27条の規定により、次の表に掲げる文化財を重要文化財に指定する。

 平成20年6月9日 文部科学大臣 渡海紀二朗

▶指定説明

(1)指定基準「(三)歴史的価値の高いもの」による。

(2)説明 シャトーカミヤ旧醸造場施設は、JR常磐線牛久駅東北方約600mに位置する。本格的なワイナリーの創設を目論む神谷伝兵衛が、この地一帯に葡萄栽培の適地を見い出し、南北に長い約160町歩を葡萄栽培地として入手し、その北寄りの敷地の一画に醗酵室等のワイン醸造施設を建設、整備したのが現存するシャトーカミヤ旧醸造場施設である。施設は、明治34年3月着手、同36年9月竣工とされる。設計は、岡田時太郎が率いた岡田工務所である。

 旧醸造場施設は、事務室、醗酵室、貯蔵庫の三棟からなる。醸造場敷地の南辺中央の東寄りに正門を開き、正門の真北方に南面する事務室を置く。事務室の真北方に南面する東西棟の醗酵室を配置し、醗酵室の西南面隅部から南方に南北棟の貯蔵庫を延ばす。また、醗酵革の西妻面にはもと地下室苗木場が取り付き、醗酵室と貯蔵庫との入隅部はもと洗滌場とされる。

 事務室は、煉瓦造二階建、建築面積308.52㎡で中央部に醗酵室と連絡する通路を南北に通し、通路の西面に事務所玄関、東面に貴賓室玄関を開ける。外観は、東西両端部にマンサード屋根を載せたフレンチ・ルネッサンス様式を基調とするが、中央部を前面に薄く突出させ、その右手に時計塔を立ち上げ、東面二階にバルコニー、西面に階段室を設けるなど非対称の構成とする。平面は、一階の西側を事務所、東側を和室二室 と階段室とし、二階は通路上部から西側を応接室(大広間)、東側を貴賓室二重と階段室等とする

 外部意匠は、正面中央部二階にパラデイアン・モチーフの三連窓を配し、上部に切妻破風を重ねて蜂と葡萄の鏝絵(こてえ)で飾り、一階通路入口は両脇のトスカナ式円柱が半円アーチを支え、アーチに「CHÅTEAU D.KAMIYA」と記す。内部意匠は、一階事務所を四本の独立円柱で前室と主室に分け、主宰西面に懐炉を備えるほか、二階応接室(大広間)では、各開口部上部にべディメントを配し、南面中央に暖炉と鏡、北面に二箇所の懐炉を備え、天井には装飾天井板を張る。小屋組は、木造のキングポストトラスを主体とする。

 醗酵室は、煉瓦造地上二階地下一階建、建築面積436.75㎡で、西面には地階床と同レベルの煉瓦造平屋建のもと地下室苗木場が附属し、南面西寄りの貯蔵庫と1の入隅部にはもと洗滌場を主体とする越屋根付き煉瓦造平屋建を設け、内部北面の階段で醗酵室地階と連絡する。

 醗酵室は、階上を「機械作業室」、階下を「醗酵室」、地階を貯蔵倉庫」とし、北東端と北西端を張り出して階段室とする。地階は、梁行に2.9m間隔で煉瓦造壁を築き、その間に煉瓦造ヴォールトを架けて一階床を造り、二列の柱・頬杖・梁・根太で二階床を組み、キングポストトラスの小屋を架ける

 貯蔵庫は、煉瓦造平屋建、建築面積404.58㎡で、南妻を寄棟とする。当初の西面は腰の高い位置に小さな丸窓を並べた倉庫然とした貯蔵庫である。

■第3節 修理事業の概要

▶第1項事業に至るまでの経過

 旧醸造場施設3棟は、近年まで数度の改修や補修を行いながら、各建造物毎に使用目的を変えて現在に至っている。(下図)

 しかし、経年による破損・汚損等が目立ち始め平成20年重要文化財の指定を受けたのを機に保存修理工事について関係者と協議していた。平成22年5月6日事務室1階喫茶室南西側の漆喰塗り天井が大きく脱落する破損が生じた。すぐさま、喫茶営業を休止するとともに修理内容を協議し、応急的な維持修理を方針とする部分修理の平成23年度国庫補助金申請をする予定でいた。また、平行して自動火災報知設備工事及び防犯設備⊥事の申請協議も行っていた。

 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震により被災した旧醸造場施設3棟は、破損の程度が大きくすべて閉館するとともに、周囲を立入禁止とした。

▶第2項 事業の経過

 被災した旧醸造場施設3棟は、事業名「重要文化財シャトーカミヤ旧醸造場施設保存修理事業(災害復旧)」と称した補助金申請書を平成23年11月14目付提出、同年12月9日付補助金交付決定通知書を受けて、着工届を文化庁へ提出し総事業費960,000,000円、平成24年3月31日までを工期とした事業に着手した。

 平成24年3月14日、工期を同年12月30日まで延長する明許繰越とした計画変更中請書を提出、その許可を同年3月30口付受けた。

 解体中に判明した被害の程度や補修範囲及び構造診断による構造補弓畠について、事務室は被害の程度がひどく策定に遅れが生じるとともに予算の増額が見込まれることから、醗酵室と貯蔵庫の復旧工事に関わる実施設計と平成25年3月31口まで工期を延長する工程表を添付した計画変更中請書を提出、その許可を平成24年12月5日付受けた。

 構造補強の施工図作成や加工に不測の日数を要し本年度内の工事完了が不可能と見込まれることから、工期の延長を平成26年3月28日までとした事故繰越の計画変更中講書を提出、その許可を平成25年3月29目付受けた。

 すべて災害復旧工事・事業が完了した後、精算書・工程写真を添付した平成26年3月30目付実績報告書を文化庁へ提出した。

 事務室は、現状変更許可を待って災害復旧事業予算の増額要求とともに工期のさらなる延長の必要性から、事業名を「重要文化財シャトーカミヤ旧醸造場施設保存修理事業(災害復旧その2)」と称して補助金申請書を提出、平成26年2月3日付の決定通知を受けて、着工屈を提出し総事業費554,854,980円、平成28年3月30日完了とする事業に着手した。

 平成26年5月27日付インフレスライドによる工事費の増額を要望する請求書を請負業者から受けて、予算額の増減による精算を行い、総事業費491,568,140円とした計画変更中請書を提出、その許可を平成26年9月1日付受けた。

 すべての災害復旧その2・工事・事業が完了した後、精算書・工程写真・工事報告書を添付した実績報告書を平成28年3日30日付文化庁へ提出した。

▶第3項 事業組織と運営

 事業の運営にあたっては、オエノンホールディングス株式会社の直轄工事とし、運営は文化財保護法、補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律及び同施工令、文化庁文化財補助金交付規則、茨城県財務規則、牛久市財務規則、その他関係諸規則に準拠した。

 所有者は、保存修理に関する業務を執行する修理委員会を結成し、委員長・副委員長・会計・監事の役員を任命した。委員長は、工事に関する一切の事務を統括し、必要に応じて会議を招集し、その議長を務めた。事務局を牛久市教育委員会に設置し、事務局員は各補助金や所有者負担金の収支決裁、請負業者・委託業者からの請求書の支払い等の出納業務を行うとともに、現金出納簿、予算整理簿、契約書等綴り、その他必要書類の帳簿作成を行った。

 工事に際しては、必要に応じ文化庁担当官の視察・指導を招嘱した(下図)。また、文化財建造物・建築構造等の専門家で構成した有識者委員会を結成し、復旧工事や耐震補強工法の指導・助言を受けた。

▶第4項 有識者委員会(上写真上部)

 議論:破損状況、復原項目整理、復原の是非 結論:災害復旧は現状修理とする

▶第8項 現場公開(上写真下部)

 地震による被災建造物として保存修理作業中も余震が続き煉瓦積の壁が揺れる危険性を感じていた。

 復旧工事の内容について見学を要望する問い合わせが多く寄せられたが見学者への安全を第一に考え、所有者・施工業者からの要請もあり原則非公開とした。ただし、文化財等の関係者や専門学校の生徒、研修目的に限って、安全を確保した範囲での案内を行った(上写真)

 牛久市教育委員会を通じ、牛久歴史講座の受講生や市内小中学校教員による地域巡回研修を目的とした見学が行われた(上写真)

 千葉県建築士会からは「文化遺産を生かした地域活性化事業」の一つである「歴史的建造物の保全活用に係る専門家育成事業」の参考事例としての見学であった(上写真)。

 煉瓦造の類する歴史的建造物を保存・修理することについて、同様の問い合わせや見学の要望が多くあった。

  国立研究開発法人建築研究所からは、独立行政法人国際協力機構筑波国際センター(JICA筑波)より「地震・耐震・防災復興政策」や「中南米 建物耐震技術の向上・普及」の学習・見学を目的とする研修委託を受け、海外研修生が見学に訪れた。(上図参照)

 歴史的建造物や近代化遺産の保存・修理等を教える近郊の大学から修復現場を実地体験させることを目的とした見学が行われた。(上図参照)

 見学の案内に際し、ヘルメットの着帽や手袋等の身辺保護をしたうえで安全を確保できる範囲の案内を行った。

■醸造場の沿革とシステム

▶第1節 概 要

▶第1項 神谷偉兵衛と醸造場の経営

 シャトーカミヤの創設者である神谷傳兵衛(下写真左)の経歴や神谷酒造合資会社の経営に関しては、坂本筆山『神谷傳兵衛』(日新印刷株式会社、大正10年)や牛久市史編さん委員会編『牛久市史 近現代 I 』(牛久市、平成13年)などに詳しいため、ここでは概要のみとする。

 神谷傳兵衛 安政3年(1856)に現在の愛知県西尾市の旧家に生まれた。横浜の外国人居留地にある混成酒醸造場の労働者を経て明治13年に独立、浅草に酒屋を開き(現在の神谷バー)、酒類の販売や製造を手がけた。明治27年に婿養子の傳蔵をフランスのボルドーに派遣させて醸造場を研究させ、明治30年に牛久の広人な土地を購入して「神谷葡萄園」(以下葡萄園)を設立、ボルドーから輸入した葡萄の甫木を移植し、明治36年には葡萄の栽培からワインの醸造・瓶詰めまでを一貫して行う「牛久醸造場」(以下醸造場)を実現させた。これが現在のシャトーカミヤである。その後は三河鉄道(現在の名鉄三河線)を設立・経常するなど実業家として活躍し、大正11年に逝去した。享年66歳(下左二人目写真)

▶醸造場の経営

 神谷酒造合資会社は明治36年に設立され、牛久醸造場におけるワイン醸造などの経営を行い、神谷酒造株式会社を経て昭和35年に合同酒精株式会社と介併した。合併時、牛久醸造場では既にワインの醸造は行っておらず、貯蔵所としてのみ機能していたようである。その後昭和44年に貯蔵庫をレストランヘ改造するなど飲食業へ転換して現在に至る。

▶第2項 二代目神谷俸兵衛

 明治3年山形市に生まれ、幼名を小林傳蔵と称した。明治27年養嗣子となり醸造技術を会得するためフランスへ留学する。初代傳兵衛逝去後の大正11年二代目を襲名する。昭和11年逝去した。享年66歳(上写真二人目)

▶第3項 岡田時太郎と森山松之助

▶岡田時太郎

 シャトーカミヤの設計者として記録に残る岡田時太郎の経歴に関しては、西澤春彦「建築家岡田時太郎の中国東北地方進出について−20世紀前半の中国東北地方における日本人の建築組織に関する研究−」(『日本建築学会計画系論文集』、平成5年)などに詳しいため、ここでは概要のみとする。

 岡田時太郎は安政6年(1859)に現在の佐賀県唐津市に藩上の子として生まれ。建築の学校教育は受けていないが、鉄道建築関係の技術者などを経て、建築現場で再会した同郷の辰野金吾とともに明治19年「辰野建築事務所」を設立、日本銀行などの設計監理を辰野のもとで行った。なお日本銀行の設計のため、明治21年から22年にかけてロンドン大学に聴講生として在籍している。その後独立して明治32年「岡田工務所」を東京に設立、シャトーカミヤはこの頃に設計されている。日露戦争が始まると関東軍倉庫嘱託として大連に渡り、明治39年には大連に「岡田工務所」を設立、設計のみならず施工も請け負った。さらに煉瓦製造も行うなど手広 く事業を行い、大正15年に大連で逝去した(上写真右)

▶類 例

 岡田時太郎が主体的に設計したと判明している建造物で国内に残存するものは、シャトーカミヤを除くと旧三笠ホテル(明治38年、長野県)のみであり、これも重要文化財に指定されている(上図右端)。また明治36年には「旭川酒精製造株式会社工場及び事務室等」を設計しているが、これは神谷傳兵衛が牛久醸造場と同時期に旭川へ開設したアルコール製造工場の建造物である。この工場は現在、合同酒精株式会社旭川工場となっており、近代建築としては大正3年の「煉瓦棟」と、それよりも古い煉瓦造の倉庫が2棟現存しているが、倉庫は岡田時太郎が設計したものである可能性が高い。さらに岡田時太郎が設計したと推測されるものとして、旧高取家住宅(明治37年、佐賀県)が挙げられる。

▶森山松之助

 森山松之助は明治2年に大阪市で外交官の子として生まれた。明治30年東京帝国大学工科大字道家学科卒業後、明治34年から明治38年まで、住所を岡田時太郎方としていた 森山松之助が、シャトーカミヤの設計に関係していたと指摘されている。シャトーカミヤとの関係を直接的に示す資料は存在しないが、事務室に配された左右非対称の塔や、醗酵室の立面に表れる意匠のいくつかは、彼の卒業設計「Univrer Sity Hall」(明治30年)にその類似例を見出すことができる。

 嘱託や講師などを経て明治39年台湾へ渡り、台湾総督府営繕課嘱託としで官庁建築を設計した。その後大正10年に帰国、建築事務所を構えて民間建築などを設計し、昭和24年逝去した。森山松之助が設計した建造物は日本や台湾にいくつか残存しており、特に昭和3年に建築された片倉館(長野県)は重要文化財に指定されている。

(1)「土木建築経歴書」に高取家住宅が記載されていないので史料的裏付けはない。財団法人文化財建造物保存技術協会『重要文化財旧高取家住宅モ屋(居室棟・大広間棟)他7棟保存修理工事報告書(本文編)』(唐沖市教育委員会、平成17年)p9に記された推測の根拠は、建造物が岡田時太郎のrU身地に近いことと、土地登記簿に名前が出てくることである。

(2)『建築雑誌』第178号(建築学会、明治34年)p337及び『建築雑誌』第219号(建築学会、明治38年)p187の転居蘭

(3)重要文化財指遥説明では設計担当と、占田智久「森山松之助」(『Lixile)』No.2、株式会社Lixile、平成25年)では設計に関与したと、それぞれ指摘している。

(4)2階南・西南中央の楕円アーチ、壁面を分割する付柱を大きなアーチで結んで窓のアーチと兼用させる手法、両端に水平部分を有する妻壁の形状など。