日韓で読みたい韓国史

■序文

 李元淳鄭在貞徐毅植

 韓国と日本、両国の歴史的関係はしばしば “近くて遠い国” と表現される。地理上の狭い海峡一つを間においた隣の近い国でありながら、心情はお互いに遠く感じる間柄であるということである。両国の間には、いろいろと複雑に絡まりあった問題があって、その過去がいまだに消えないわだかまりとして残っている

 現在はもちろん未来にも、お互い隣人として生きなければならない地理的な関係をともにすることを考えれば、両国は当然 “もっと近い国 ” にならなければならない。科学と技術の発達が日々加速する現在の世界を、よく 地球村時代” という。このような現実のなかで、地球村の隣人である日韓両国民が、一つの村の隣の家のようにお互いに理解し、助けあい助ましあって、本当の気持ちをやりとりする間柄になることは、いうまでもなく望ましいことである。たとえ両国の間にいまだに消えない歴史的なわだかまりが障害物としてあっても、発展的な歴史認識に基づいてお互いを理解し、愛して、世界平和のためにともに努力すれば、日韓両国は新しい希望の歴史を立派に創造できるであろう。

 日韓両国のカトリック教会の首脳は、人類の平和と両国の人々の愛の分かちあいに障害物と思われている歴史認識と歴史教育の問題を解決していくのに、共同で努力することを約束した。『若者に伝えたい韓国の歴史』という本は、その約束を実践する一つの方法として発行したものである。国境と民族の壁を越えて、キリスト的な平和と愛の分かちあいを実践しようという両国カトリック教会首脳の高い意志が、この本を通して多少ながらも達成されることを願う。この本は、もともと日本の学生が韓国史の流れと日韓の文化交流について理解できるように企画したものであるが、韓国の学生も一緒に読み、お互いを理解するのに役に立つならば、願ってもないことである。

 自分の国の歴史がそうであるように、隣国の歴史も、その民族が今まで生活し蓄積してきた経験と能力の総体として尊重されて当然な、貴重な歴史遺産である。そのためにわれわれは隣の民族の歴史を自らの歴史と同じように偏見なく理解しようという開放的な歴史意識を持たなければならない。この小さを本が、近い隣人として平和と愛を発展的に分かちあえる日韓両国の未来に少しでも寄与することを切に願うものである。

■はじめの言葉

 韓国人と日本人は、近いところで降りあわせで現在を生きているが、違う環境のなかでそれぞれ独特の歴史と文化を作り上げてきた。そして、今や境遇が違い、考え方も違って、利害関係も異にするようになった。しかし、私たち両国民は、お互いに理解し協力して平和を実現し、ともに発展しなければならない。

 だからこそ、お互いに相手が置かれた現実とそのようになった来歴を正しく理解することが何より重要である。すなわち、相手の歴史を知ることが相手を理解するための出発点になる。自分が見て分かることだけでは相手の境遇を正しく理解することは難しい。相手の話を真剣に聞いてみる必要がある。

 韓国と日本は、地球上で独自性を維持しながら生き残った最後の「東夷(古代中国で、東方に住む異民族に対する蔑称)」だといえる。東夷には、いくつにも分かれた種族がいたが、大部分が中国の華夏族(かかぞく・漢の時代以前に中原の黄河流域に暮らす部族で、漢民族を構成する主体でもあるとされる概念)によって征服、吸収されてしまった。いまでは2つしか残っていない。日本人の起源に関して、特に韓国人との関係をめぐって多くの説があるが、今日のかなり多くの日本人が3国から渡った「渡来人」の後裔であることは厳然たる事実であり、日本語の系統に関して、特に韓国語との関係をめぐって多くの説があるが、語順と単語などで韓国語と日本語ほど多くの類似点を持つ言語は他に見あたらないことも事実である。

 韓国と日本は、原始・古代から現在まで、非常に緊密に交流してきた。人的・物的交流が絶えなかったし、文化の発展にお互いに大きい影響を及ぼした。モンゴルによって高麗人が日本攻撃に動員されたこともあったし、また逆に、日本が16世紀末と20世紀初に朝鮮を大挙して侵略したこともあったが、両国民はおおむね善隣を維持して信義を重ねてきた。私たちは、お互い相手を攻撃した時が、歴史上最も不幸な時期だったことを記憶し、互いに尊重する態度を持たなければならない。

 日本は今まで独自の文化を形成し発展してきた。これは韓国も同じである。言語、文字、食物、衣服など、ほとんどすべての面で韓国文化は他の文化と区別される韓国文化を中国文化の一形態だと考えるとか、韓国の歴史を中国の歴史の一部のように考えるのは問題である。世界的大国として発展した中国と隣り合ってきたので、その文化の影響を受けざるを得なかったが、新石器時代に櫛目文土器文化圏、青銅器時代に琵琶形銅剣文化圏を形成して以来、東夷の韓民族は長らく中国文化と大きく異をる独自の文化を発展させてきた。日本人は、よく、韓半島を日本が中国文化を受け入れるに際して、単なる架け橋の役割を果たしただけと考えているが、これは韓国人と韓国文化についてあまりにも無知で事実をよく知らない人の考えである。

 日本人が韓国の歴史、そして韓国との歴史を正しく理解し、また韓国人が日本の歴史、日本との歴史を正しく理解すれば、お互いに親近感と連帯感をもっと強く感じることができるだろう。この本はそのための出発点になるだろう。

■韓国と韓国人

 東アジアで韓民族の歴史が展開される 今日、世界各地で活動している韓民族の主な生活領域は、東アジア大陸から東南へのびている韓半島である。しかし長い間、韓民族の生活領域は、中国東北地方の大部分とロシアの沿海州の一部と韓半島にわたる広大な地域であった。その後、東アジアにいろいろな民族が登場し、生活の活路を求めて互いに激しく競いあう歴史を展開したが、力に押されて韓民族は、東北部の広い地域を徐々に失い、狭い韓半島に生活の舞台を移して、今日にいたる艱難と自矜(かんなんとじきょう・困難にあって苦しみなやむことと自分をほこること)の生活をずっと送ってきた。

 韓民族は、中国東北地方の北部およびモンゴル、シベリアなどで活動してきた胡族(旬奴、実験、モンゴルなど北方のいろいろな種族の捻称)と中国大陸の西側でおこった漠族、そして海の彼方の日本列島の日本族など、3つの民族と互いに緊密に接触したり交流するなかで、ある時は協力したりある時は争ったりしながら数千年を暮らしてきた主に遊牧生活をしてきた北方胡族は、機会があるたびに南方農業社会である中国と韓半島に軍事的圧迫を加えて苦難を与えた。そして西方の中国大陸の漠族も、しばしば韓民族に対して軍事的攻撃と政治的圧迫を加えた。南の列島で生活していた日本族は、近代になって韓半島と東アジア全域を侵略して大きい傷を負わせた

 これら周辺の3つの民族と長い年月にわたり接触していろいろな形態の挑戦を絶えず受けるなかで、民族のプライドを守って文化を発展させなければならなかった韓民族の歴史は、試練と創造が交差する歴史であった。こういう歴史を経て、韓民族は民族の生活の舞台を確保して、個性的な文化を発展させて現在まで生きてきたのである。