ジャワ原人の年代、絞られた?
■130万~11万年前 緻密な測定に基づく論文相次ぐ
米山正寛
ジャワ原人が、インドネシアのジャワ島にいつごろから住み始め、いつごろ絶滅したのか。その謎に迫る新たな論文が最近、相次いで発表された。アフリカから外の世界へ出た初期の人類が、どうジャワ島に至り、やがて現れる現代人の祖先(ホモ・サピエンス)とどんな関係だったのか。そんな輪郭が少しずつ見えてきた。
■長かったアフリカからの「旅」
ジャワ原人は、アフリカの猿人から進化したホモ・エレクトスのうち、ジャワ島に至ったグループを指す。100万年余りにわたって生息し、その間に脳の容量が増え、歯は小さくなったことが分かっている。しかし、いつごろジャワ島に現れて、いつ絶滅したのかは必ずしもはっきりしていなかった。
ジャワ原人の化石が1930年代から100点以上出土し、世界文化遺産にもなったジャワ島中部のサンギラン遺跡。ここで見つかった最古の化石の古さについて、150万年以上前のものだとする米研究者の報告が20年ほど前に出て、130万年くらいまでとする見方との間で議論があった。
国立科学博物館(科博)の松浦秀治客員研究員や神戸大の兵頭政幸教授を中心とする国際チームは、この遺跡周辺に広範囲に分布する火山灰に含まれる鉱物ジルコンに着目した。放射性元素が崩壊した痕跡などを検討したところ、これまで化石を前期と後期に分けていた地層の古さは約90万年前、最も古い化石が出た地層は約130万年前までという結果になった。
成果は今月、米科学誌サイエンスに発表された。松浦さんは「150万年前より古いというこれまでの研究は、試料の選択や測られた年代の解釈に疑問がある」と話す。
ホモ・エレクトスは、190万年ほど前にアフリカに現れ、約180万年前にアフリカ以外の地域に広がり始めたとみられている。やがて西アジアを経て、東南アジアへ到達してジャワ原人になったとされる。今回の結果は、その移動に従来の見方より長い時間を要したことを意味する。
サンギラン遺跡で見つかった古いジャワ原人の化石は、アフリカで登場したばかりのホモ・エレクトスのような原始的な特徴が残っているとされる。
数十万年もの長い期間にわたって古い姿を保っている意味について、東京大総合研究博物館の諏訪元教授は「ジャワ原人が独自の進化を遂げた結果と考えられる。ジャワ島に現れた年代が絞り込まれてきたことで、アジアとアフリカの人類進化の違いについての理解が深まる」とみる。
■絶滅、我々の祖先と無関係か
サンギラン遺跡の東部にあるガンドン遺跡では1930年代、ジャワ原人としては最も新しい時期の化石14点が見つかった。
年代は当初、10万年前くらいと考えられたが、20年ほど前に3万~5万年前との報告があり、こちらも議論になっていた。ちょうどそのころホモ・サピエンスが東南アジアを経て豪州へ進出しており、ジャワ原人が絶滅した原因がホモ・サピエンスとの競合だったのではないかとの説も出ていた。
米アイオワ大のラッセル・ショハン教授らの国際チームは、原人とともに出た動物の化石や付近の堆積(たいせき)物の放射性元素の測定結果を整理。ガンドン遺跡の化石は約11万年前という結果を昨年12月、英科学誌ネイチャーに発表した。ジャワ原人がその後も生きていた可能性はあるが、絶滅にホモ・サピエンスが関わったとの見方は薄らいだ形だ。
今世紀に入り、ジャワ原人から派生した可能性のあるフローレス原人(ホモ・フロレシエンシス)やルソン原人(ホモ・ルゾネンシス)らがジャワ島の周辺で見つかり、アジアに多様な人類がいたことがわかってきた。
長くジャワ原人を研究してきた科博の海部陽介・人類史研究グループ長は「今回の二つの年代測定は緻密(ちみつ)で、今までの研究より説得力がある。ジャワ原人がいた年代がはっきりしてきたことで、アジアにおける人類進化をより正確に描けるようになるだろう」と話している。(米山正寛)
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