日本書紀にドラマあり

■日本書紀にドラマあり

天地と神の誕生から歴代天皇の経歴、相撲の起源や浦島太郎の原話、さらに箒星(ほうきぼし)や疫病まで。日本最古の正史『日本書紀』が完成して今年で1300年。古代国家成立史が描かれているが、人間ドラマが詰まった物語でもある。

 兄に「天皇を殺せ」と言われた妹が、夫である天皇をひざ枕。妹は遂行できずに目から涙を落とす。涙が顔にかかった天皇が目覚め、不吉な夢を見たと明かす。兄妹の逃げた城に火が放たれた――。垂仁(すいにん)天皇の巻に記される、歴史書らしからぬ劇的な物語だ。

 『日本書紀』は、飛鳥時代後半に天武(てんむ)天皇が編纂(へんさん)を命じ、奈良時代の720年に完成した。神代から持統(じとう)天皇の退位までを描き、律令国家づくりを進めた天武天皇が公式な歴史書を作らせたとみられる。年代順の素っ気ない叙述の合間に、畿内の王権が勢力を広げる様子を投影したとみられる日本武尊(やまとたけるのみこと)や、10人の訴えを一度に聞き分けたとされる聖徳太子の伝説など、内容は起伏に富む。

 文字はすべて漢文だ。現代の研究者が英語で論文を書くように、当時の東アジアで最強だった中国王朝の言語を用いた。森博達・京都産業大名誉教授は『日本書紀の謎を解く』(中公新書)で、漢文の音韻や語法が正確な巻とネイティブにはない誤りが目立つ巻があり、筆者の中に渡来系の中国人と日本人がいるとの見方を示している。

 神代巻には「一書(あるふみ、いっしょ)」などと呼ばれる異伝も多く掲載されている。本文より長く詳しい一書もあり、歴史書では異質だ。遠藤慶太・皇学館大教授は、神代巻の本文は有力氏族から集めた秘伝をもとに創造され、収容できなかった伝承を氏族に配慮し、一書として共有させたとみる。

 712年には『古事記』が完成している。なぜ同時期に二つの歴史書が編纂されたかは、はっきりしていない。『日本書紀』では神話の時代が全30巻のうち2巻だけだが、『古事記』では全3巻のうち1巻を占め、出雲の神話が多い。三浦佑之・千葉大名誉教授のように、『古事記』は出雲王権を倒して成立したヤマト王権の物語という推論もある。

 『日本書紀』の編纂者は、中国の古典から表現や故事を盛んに引用している。なのに、「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」で有名な邪馬台国(やまたいこく)や卑弥呼(ひみこ)はなぜか登場しない。「天皇家の伝承になかったのでは……」と遠藤教授。ただ、似たような女王伝説を持つ神功皇后(じんぐうこうごう)の巻で注釈に「魏志」を入れ、関連をにおわせている。

 『日本書紀』は、日本列島が倭(わ)と呼ばれた時代の東アジア史を物語る貴重な史料でもある。3~7世紀の巻には朝鮮半島にあった加耶(かや)(加羅〈から〉)諸国をはじめとして、百済(くだら)や新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)といった各国との争いや人物交流も詳しく記される。注釈で引用される『百済本記』などの歴史書は現存せず、韓国の研究者にも広く読まれている。

 もともと王権を正当化するイデオロギーとして提供されたとみられ、朝廷内で平安時代中期までに計7回講義され、正史として定着した。戦前や戦中は皇国史観の正当化のために利用され、戦後は史料批判を通じて潤色・曲筆が多いとされた。近年は、各地で相次ぐ発掘調査でみつかった出土遺構や木簡などの資料と突き合わせ、信頼性が回復しているケースもある。

 現在はファンタジー小説やゲームに『日本書紀』の神様が登場し、サブカルにも受容されている。外交や権力闘争といった古代史だけでなく、不変のロマンまで学べそうだ。(井上秀樹)

▶︎昔も今も変わらない (マンガ家・里中満智子)

 持統天皇を主人公にした『天上の虹』を描くとき、国の機構や役職名を調べるのに『日本書紀』を参考にしました。編纂に携わった人の苦労も漫画に描きました。日本人は昔も今も働き者だなあと。

 あの時代に中国のマネをして律令制や条坊制の官庁街を整えたのは、明治時代になって外国にちゃんとした国に見てもらおうと鹿鳴館を建てたようなもんだったんですよ。国としての体裁を整えるために歴史書の『日本書紀』が必要だったのでしょう。

 読んでみると、当時の地方や全国の仕組みが興味深いです。女がトップで仕切っているのも不思議ですよね。最高神を女性にして、そのシンボルの下で動いている図式が見て取れる。ハハーン、と思うことがいっぱいある。社会の仕組みや人間の気持ちは、2千年や3千年でそう変わるもんじゃないですね。

 ややこしい歴史本よりもその時代を扱った映画や小説の方が理解しやすいように、『日本書紀』より先に『古事記』を読んでおくと、違いもわかって面白いですよ。

 <読む> 遠藤慶太『東アジアの日本書紀』(吉川弘文館)は古代日本の立ち位置を読み解く。古川順弘『人物でわかる日本書紀』(山川出版社)は武内宿禰(たけうちのすくね)や田道間守(たじまもり)ら脇役も取り上げる。『最新調査でわかった「日本書紀」の真実』(宝島社)は大胆な説も紹介する。