避難所、過酷な環境

(災害大国 あすへの備え)避難所、過酷な環境

実態タイムライン

 災害後に自宅に住めなくなったときや、安全の確保が必要なとき身を寄せる避難所。住み慣れた家を離れ、突然、他人との共同生活が始まる。不便で不慣れな生活は、心身の健康を害する原因になる。避難所での生活はどのようなもので、助けが必要な人をどう支援するべきか。

 ■配給に列、水や暖房制限 狭い空間、体調崩す恐れ調査

 阪神大震災では約30万7千人が避難所生活を余儀なくされ、被災者が仮設住宅などに移り、避難所が閉鎖されたのは7カ月後。約10万人が避難所で生活した新潟県中越地震では閉鎖は2カ月後だった。

 岩手、宮城、福島の3県で約41万人、全国で計47万人が避難所生活をした東日本大震災は、避難所閉鎖まで岩手県で7カ月、宮城県で9カ月を要した。原発事故で福島県双葉町の住民が避難した埼玉県加須市の避難所の閉鎖は2年9カ月後だった。

 避難所の生活はどんな様子か。改善は続けられてきたが、そもそも学校や公民館などは宿泊に適さない。

 日本女子大の平田京子教授(住居学)は、学生たちと震災の研究や実例からイラストつきの解説書を作った。「生活の過酷さは経験しないと分からない点もあるが、どんな生活か事前に知って備えることが重要だ」と指摘する。

 災害の発生間もないころは、多くの人が体育館などに集まり、それぞれが自由に過ごせる空間は非常に狭い。眠るとき手足を伸ばせないこともある。毛布や布団が足りず、カーテンやカーペットを防寒に使った例もあった。

 食料や水などの配給が始まっても、回数が少なかったり、行列で何時間も待たされたりする。暖房は制限され、トイレの水も足りず不衛生な状態が続くこともある被災者間のトラブル、お金や物が盗まれることもある。

 体育館は、プライバシーが十分に確保されず、着替えにも不自由する。布や段ボールで間仕切りをつくる工夫もされてきた。

 避難所は、多くの人が集まるうえ、換気は不十分で空気が乾燥する。阪神大震災では、インフルエンザが流行、肺炎で亡くなる人が多かった。運動不足や狭い場所の生活も危険。中越地震では、車の中で過ごし、エコノミークラス症候群で死亡する事例が相次いだ。

 他人と寝食を共にする生活にストレスを感じる被災者も多い。他人のせきやいびき、子どもの泣き声で眠れず体調を崩す人もいる。

 中越地震で調査をした長岡技術科学大の中村和男名誉教授(人間工学)は「災害直後は危険から身を守る意識や衣食住に関心が高いが、時間がたつと、人間関係やプライバシーに関する不満を感じる人が増える」と話す。

 仮設住宅への入居が始まると、仕事や生活など将来の不安が強くなる。時期に応じた精神的なケアや、相談できる人がいるコミュニティーを維持できるかが重要だという。

 ■高齢者や障害者への配慮に課題被害

 東日本大震災では、高齢者や障害者など災害時に助けを必要とする人(要援護者)への支援のあり方も課題となった。

 内閣府によると、岩手、宮城、福島の3県の死者のうち60歳以上は66.1%で、震災関連死と認定された死者のうち89.1%が66歳以上。障害者の死亡率は全体の約2倍にあたる1.47%だった。

 内閣府が東日本大震災の被災地に住む要援護者を対象にした調査では、避難所に行った要援護者の3割が「避難所生活の環境」を理由に退所した。理由は「設備面の支障」「周りに迷惑がかかると感じた」「障害のある息子と避難所に行くのをためらう」「精神的に居づらい」など手すりやスロープ、障害者も使いやすいトイレなどがないと暮らしにくい。

 持病がある人は、被災前の医療や福祉サービスが中断すると深刻な事態につながる。病院や福祉施設の再開までの期間は「翌日~2週間」が最も多く、1~数カ月かかることもあった。断水や停電で人工透析が受けられない例も相次いだ。

 妊産婦は授乳できる場所や乳幼児向けの食事の確保が切実な問題だ。1歳の子どもと避難した臨月の女性は1日に2回の食事のために野外で30分並んだ。「寒い中、1歳の子を抱いて並ぶのは大変だった」と調査に答えた。

 バリアフリー化され、専門のスタッフが配置された要援護者のための福祉避難所は整備途上で、一般の人の認知度も低い。

 東日本大震災を受けて政府は昨年6月、災害対策基本法を改正。福祉避難所の指定と避難所生活の環境改善を市町村に求める指針を策定した。一時的に難を逃れる避難場所と、被災者が長期間にわたり生活する避難所を区別して指定するよう明確化。他の自治体や事業所団体と事前の協定で、要介護者の搬送態勢を作るよう求めた

 避難所の運営は、当初は市町村職員が中心で、被災者の自主的な運営への移行が望ましいとした。コミュニティーの維持や生活再建の意欲を高めるためだ。

 (北林晃治)

■ホテル・公営住宅活用を 京都大防災研究所教授・矢守克也さん

矢守

 避難所は被災者にとって自宅。本来、お茶の間や寝室があり、個人ごとの快適性が確保される場所でなければならない。硬くて冷たい床の体育館が自宅だと言われてもむちゃな話だ。

 将来の見通しもつかず、隣には家族の葬式を出さないといけない人もいる。ホテル、公営住宅などをもっと活用する仕組みも考えた方がいい。自宅を少し直せば暮らせる人を積極的に支援し、自宅での生活を早く再開できるようにすれば、行政の負担が減り、避難所に残った人の環境改善にもつながる。

 避難所や避難場所は社会の縮図だ。阪神大震災のころから障害者、外国人など多様な人がどう過ごすかが問題だった。福祉避難所の重要性が認識され、最近は、女性の視点から避難所を考える動きもある。

 食物アレルギーのように他人にはわかりにくいが、生死にかかわり、数分単位の対応が必要なことがある。普段から交流し、何が必要かを知らなければ、適切な対応ができない。

 また、被災者は自宅や自動車内、テント、知人や親戚宅にもいる。避難所外の被災者への福祉、医療、情報を同時に提供できる拠点の構築も課題だ。

 まず、自分が一番守りたい人のことを考えて欲しい。大切な人が1週間以上、避難所で暮らすことを思い浮かべ、何が必要か普段から備えてはどうか。