事故リスク、測りきれず

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 ある男が美しい妻と仲むつまじく幸福に暮らしていた。ところが、犬に脅かされて妻が狐(きつね)の正体をあらわす――。評論家の故加藤周一さんがかつて、本紙連載の「夕陽妄語(せきようもうご)」でこんな説話に触れていた。「噓(うそ)について」と題した一編だ

▼狐にだまされていたと知って男は驚く。しかし、だまされていたときの幸福を忘れられず、もう一度化けてくれと頼み、狐も応じる――。類似の民話は各地にあろう

▼狐が化けていた妻を原発に置き換えてみたい。福島の事故で安全神話のまじないは解け、正体が露(あら)わになった。それなのに昔が忘れられず「もう一度化けてくれ」と頼み込む。人の心の機微を突く古い民話は、現代の寓話(ぐうわ)でもある

▼鹿児島県の議会と知事が九州電力川内(せんだい)原発の再稼働に同意した。「地元の同意」を得て歯車は回りだす。経済優先の変わらぬ国政。動かすほど儲(もう)かるという電力会社の変わらぬ意識。地元経済の原発依存も変わらない。そうしたものが渦を巻いて、原発回帰へと日本を流していく

▼住民の避難計画も大きな不安を抱えたままだ。理屈ばかりで役に立たない訓練を畳水練(たたみすいれん)と呼ぶ。畳の上の水泳訓練の意味だが、その「理屈」にあたる計画作りも、国は地元に任せ切った格好だ

▼加藤さんの話に戻れば、もう一度化けた狐の妻と男は、その後幸せに暮らしたという。物語は美しく現実は厳しい。地震と火山の国の原発は、事あれば幾万の幸せをたちまち吹き消してしまう。福島から学んだ、つらい教訓である。

■事故リスク、測りきれず 規制委の目標、国民の合意なし 川内原発、新基準クリア

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■川内原発の重大事故時の対策の例

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 原発再稼働の前提となる原子力規制委員会の審査を九州電力川内原発(鹿児島県)が初めてクリアした。審査は、事故のリスクを積極的に認めたことが大きな特徴だ。だが、どんなリスクが残るのかは、審査を経てもはっきりしないままだ。

 「ゼロリスクとはいえない」。川内原発の審査書案がまとまった16日、原子力規制委員会の田中俊一委員長は会見で繰り返した。

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 残るリスクを認めて、規制に積極的に取り入れるのは、事故前からの大きな転換だ。審査では、福島第一原発事故の教訓を踏まえ、事故時の電源確保や注水の手段が十分か、事故がどう進んだときにどう対処できるかが検討された。

 では、リスクはどれだけ残るのだろうか。

 川内原発で放射性物質のセシウム137の放出量が最大になるとされたのは、交流電源がすべてなくなり、非常時の冷却などを失敗するケースだ。19分後に炉心溶融が始まり、1時間半後に原子炉が破損。注水などで24時間後以降に安定し始める。

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 この場合でも放出量は福島の0・06%程度。規制委は昨春、福島の約1%(100テラベクレル)を超える放出量の事故を1基あたり100万年に1回程度を超えないよう抑える「安全目標」を掲げた。放出量は、これを満たすことになる。

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 ただ、どれくらいの頻度で起こるかは電力会社が再稼働後に自主評価する仕組みになっている。川内原発が目標に達しているかは、はっきりとは分からない。

 「100万年に1回」は、米国で原発を新設する時や、英国で広く受容されているのと同じレベル。放出量は、長期避難や移住が必要になる目安の数字だ。

 この数字は、震災前の旧原子力安全委員会の議論ももとにした。今回は放出量だが、この時は周辺住民の被曝(ひばく)による死亡リスクを「年間100万分の1程度を超えないようにする」と示していた。これは、当時のがんによる死亡リスクの2千分の1程度という。

 原発のリスクの専門家は「多くの人が小さい値ととらえるだろうという数字を目標としている」と話す。

 とはいえ、イメージは湧きにくい。数字はあくまで「頻度の低い事故を理解しやすくする道具のようなもの」(原子力規制庁の担当者)に過ぎない。実際にどんなリスクがどれだけあるかや、安全目標で示した放出量を超えるとどんな影響があるのかといった説明は十分とは言えない。

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そもそも、こうした安全目標の数字自体が「決して国民と合意して作った値ではない」(田中委員長)。リスクの受け止め方も人によって違う。本来はどこまで受け入れるのか、住民、国民と合意を得るべきものだという指摘もある。

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 大阪大の平川秀幸教授(科学技術社会論)は「合意するのは非常に難しいが、国は残るリスクを詳しく説明し、判断材料を示すべきだろう」と話す。