ウラルの核惨事住民汚染は黙殺

ソ連体制下で隠蔽され続けた「ウラルの核惨事」 住民汚染は黙殺 ロシア

テチャ川の放射能汚染の実態を語るゴスマン・カビロフさん。一時期、川沿いには鉄条網がはられ、立ち入り禁止措置がとられた erp13051212000001-p2800px-Satellite_image_map_of_Mayak fbx.34

 テチャ川の放射能汚染の実態を語るゴスマン・カビロフさん。一時期、川沿いには鉄条網がはられ、立ち入り禁止措置がとられた

 今年2月、「100年に1度」の隕石が飛来したロシア中部チェリャビンスク州。現地の人々が「放射能汚染」を心配したのは理由がある。同州にはソ 連時代に作られた核開発施設が密集。落下による悪影響を疑ったのだ。半世紀前、「ウラルの核惨事」と言われる爆発事故やずさんな処理で多くの住民が被曝 (ひばく)した。汚染は世代を超え、今も人々を苦しめる。(チェリャビンスク州 佐々木正明、写真も)

 4月中旬、100万都市の州都チェリャビンスク北方約50キロを流れるテチャ川。後にオビ川に合流し、北極海へと流れ出るこの小川の上流に核開発コンビナートマヤーク」がある。人気のない川のほとりに来ると、手元の計測装置の放射線量が警報音とともに上昇していく。日本では国への通報義務のある基準量毎時5マイクロシーベルトを超えたとき、同行した地元住民、ゴスマン・カビロフさん(56)がこうつぶやいた。「放射能は匂いも色もない。だから怖い。多くの人々が何も知らずに、マヤークの汚染による『川の病気』で死んだんだ」。

 シラカバと湖に囲まれたシベリアの大地を襲った悲劇の発端は、60年以上前にさかのぼる。第二次大戦後、ソ連は米国に立ち遅れた核兵器開発を挽回するため、ウラル山脈の麓に外部の人の出入りを厳しく制限する閉鎖都市群を作った。

 次々に製造施設が建てられ、科学者や技術者が送り込まれた。マヤークのある現在のオジョルスク市は「チェリャビンスク40」という暗号名がつく。1949年夏、ソ連は原爆実験に成功。爆弾の材料を製造したのが、マヤークにあったソ連初のプルトニウム生産工場だった。ところがソ連は核兵器製造を急ぐあまり、放射能除去を行う施設の建設を後回しにし、安全性はないがしろにされた高い放射能を帯びた廃液がテチャ川に垂れ流された。

 57年9月には、再処理施設の冷却系統が故障し、爆発事故が起こった200万キュリー相当の放射性物質が上空1千メートルの高さにまで舞い上がり、周囲約2万平方キロの地域に放出された。汚染はこれだけに止まらない。67年には廃棄物を貯蔵していた湖が干上がり、放射性物質の付着した土埃が飛散してしまった。ソ連政府は事実を隠蔽した。爆発事故の際には、作業にあたった兵士に危険性について一切説明せず、情報を漏洩(ろうえい)した際には、刑罰を与えることさえした。

 76年、亡命した反体制派の露生物学者が英国で事態を告発した。しかし、英国でも当初、原発開発に対する恐怖心をあおりたくないという心理が働き、告発はなかなか受け入れてもらえなかったと生物学者自身が述懐している。そして、91年のソ連崩壊。事態の全貌が白日の下にさらされた。

 「放射能の健康への影響は今でも残っている。特にマヤークで直接、働いている人の方が深刻です」現在も外部からの立ち入りが制限されているオジョルスク在住のアイナ・キムさん(39)がメールでの取材に応じてくれた。中心部では放射線量はもう高くないが、多くの住民が甲状腺疾患や知的発達障害にかかっているのだという。

  健康の悪化は、放射能汚染が進行中だった当時の住民の第1世代だけでなく、その前後に生まれたキムさんのような第2世代、そして孫にあたる第3世代まで全 般的に見られる。筋腫、関節炎、ホルモン異常…。症状はさまざまで、キムさん自身、23歳の時から骨粗鬆症(こつそしょうしょう)に悩まされている。「アルコールの摂取は放射能被害を軽減するとして、オジョルスクには、アルコール中毒者も多い」

 テチャ川沿いの農村ムスリュモボ。住民らは川の水を生活の糧にした。飲料水にし、魚を捕まえては食べ、夏になれば子供たちは川で水浴びして遊んだ。外部被曝より、放射性物質を含んだ水や食料を摂取する内部被曝の方が人体への影響は大きい。多くの住民がマヤークの廃液の垂れ流しが原因とみられる病で亡くなっていた。

 放射能汚染の村の実態を調べ、核反対を世界中に訴えているカビロフさんによれば、半減期の長いストロンチウム90やプルトニウムは今でも高いレベルで検出されているという。2000年から04年までも、マヤークは地域住民への十分な説明なしに、放射性廃棄物をテチャ川に流していたことが判明した。政府が村民の健康被害と放射 能汚染の因果関係を認め、集落の移住支援を始めたのは06年から。被害者への補償は少なく、何段階かのレベルに分かれているが、日本円で月500円にも満 たない額しかもらっていない住民も多い。これでは治療もままならない。

 カビロフさんは「われわれは、放射能被害の人体への影響を長期間にわたって調べるためのモルモットにされている」と憤る。ところが、ムスリュモボでは自らの被害を訴えようとしない住民も多いのだという。60代のある男性は、ソ連時代、政権への批判が禁止されていた風潮が村にはまだ残っているとした上で、「住民は今も何かを恐れ、ただ黙っている」と話した。

 2012年3月の大統領選。核開発政策や露製原発の海外輸出を積極推進するプーチン氏がオジョルスクでは67%の圧倒的な支持を得た。オジョルスクの都市運営は実質的に、マヤークがなければ成り立たない。従業員の給与は平均より高く、街には医療施設や文化教育施設も充実している。

 マヤークではすでに兵器用プルトニウムの生産は中止されているが、現在はロシアで唯一の使用済み核燃料の再処理施設が稼働している。そのほかにも、この地域に新型原発や核医学の最先端センターを建設しようという構想もある。

  地元のある大学教授は「チェリャビンスクは事故が起こったとしても、世界でも有数の核の先進地域だ」と指摘する。しかし、ロシア国内では、チェリャビンス クの放射能汚染の実態はあまり知られていない。被害者の十分な補償もなおざりにされまま、チェリャビンスクの核開発の拠点化はさらに進もうとしている。

 ウラルの核惨事  1976年、ソ連から亡命した生物学者ジョレス・メドベージェフ氏が論文を発表。その実態が初めて明らかになった。マヤークの爆発事故は国際原子力事象評 価尺度で福島第1原発やチェルノブイリ原発の事故に次ぐ「レベル6」。チェリャビンスク州はソ連の「原爆の父」とされる核物理学者のイーゴリ・クルチャトフ博士の故郷であり、マヤークをはじめとする核開発の中核施設が相次いで建設された。