吉田調書

吉田調書(抜粋) 福島第一原発事故

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 ■事故の受け止め 「どうも爆発したんじゃないか」

 《3月11日の津波襲来から、12日の1号機爆発まで、状況をつかめぬまま予想を超える事態が続いた。》

 Q 津波の第1波が到達し運転中の1~3号機に危惧感は持っていましたか。

 A 持っていました。基本的にすごく強く持っていました。DG(非常用ディーゼル発電機)が動いたので、とりあえず電源はあるなと、ここはほっとしたんですね。こんな大津波が来るとは思っていないんですけれども、当然、地震によって津波が来る可能性があるんで、そうすると、海水系のポンプが水で、かぶる方への、引き波の方が我々は怖いんですけれども、引いて、水を供給できなくなってしまうということで、海水系の冷却源が使えなくなってしまうなと。

 Q 全交流電源喪失で、何をしようとしましたか。

 A これは、はっきり言って、まいってしまっていたんですね。私自身がですね。これはもう大変なことになったと。ただ、余り大変なこと、大変なことと言ってもしようがないんで、当然のことながら、シビアアクシデントになる可能性が高い。その準備をしないといけない、まず、自分でそう思いました。

 感覚的なことを言うと、大変なことになったというのがまず第一感なんですね。DGが生きるのかと。津波によって水没かどうか、その時点でわかりませんから、DGを生かせられないかとまず考えるんです。それがなくなったらどうしようと。アイソレーションコンデンサー(IC)とか、RCICがあれば、とりあえず数時間の時間幅は冷却ができるけれども、次はどうするんだということが頭の中でぐるぐる回っていた。

 Q 爆発をどのように把握しましたか。

 A これは、まず、状況から言うと、爆発については全然想定していなかったという状況で、現場的に言いますと、ちょうど1号機のSLC、ホウ酸水注入系の起動準備ができたと。あとは、スイッチを押すというか、中操(中央制御室)の操作をすれば、原子炉への注水が完了できますよというような状況になっていた。

 そういう状況で、では、注水するかというときには、まず、その時点では、免震重要棟から1号機が全然見えないんですね。線量が高いですから、外に出られないような状態で、だれも外に行って見ていない。そのときに、下から突き上げるような、非常に短時間のどんという振動がありましたものですから、また、地震だという認識でおりました。

 そうしているうちに、いろいろ情報が入って、現場から帰ってきた人間から情報が入ってきて、1号機の原子炉建屋の一番上が何か柱だけになっているという情報が入ってきまして、何だそれはということで、その後、けがした人間も帰ってきて、状況を現場にいた人間から聞くと、1号機の原子炉建屋の上が爆発したみたいだという情報を聞きました。

 ですから、直接私も爆発したところは見ていませんし、そこの状況を話で聞いた状況です。それで、すぐに偵察といいますか、線量がまだ高かったんですけれども、状況が見られますので、見てくるということで、視察に行かしましたら、今のような状況で、上が柱だけで壁がなくなっているという状況。

 それで、すぐさま確認した後で本店の方にも報告をして、どうも爆発したんじゃないかと、原因はわからないと、いろんな説があって、原子力発電所の中には、主発電機という、いろいろ電気を起こしている発電機に、水素を供給して、発電機が冷却をするために、水素が入っているんですね。そういう水素に引火したとか、最初は原因がわからなかったといいますか、今だからこそ、格納容器から漏えいした水素が上にたまって爆発したんだろうと、そういうのは後になればわかるんですが、その時点では、原因がわからないという状況でやっていました。(7月22、29日聴取分)

 ■事故への対応 「もう海水を入れるしかない」

 ◆海水注入

 《12日、現場は原子炉を冷やすのに海水を使うことにした。だが、官邸にいた東電幹部から「待った」がかかる。しかし、吉田所長は海水注水を続けた。》

 Q 原子炉の中に海水を入れることは、それまで聞いたことはありましたか。

 A まずないです。世界中でそんなことをしたことは1回もありませんから、ないんだけれども、冷やすのに無限大にあるのは海水しかないですから、淡水は、この前もお話ししたように有限で、どこかで尽きるのは決まっていますから、もう海水を入れるしかない、もう有無なしの話ですね。

 ですから冷やすと、ですから、私がこのとき考えたのは、格納容器の圧力を何とかして下げたい。それから、原子炉に水を入れ続けないといけない。この2点だけなんですよ。メーンで考えたのは、それ以外の細かいことは、枝葉末節で、この2点をどうするんだということしか考えていませんから、でも海水なんか当たり前だと、ここの暴れているものをどうにかするには海水しかない。

 Q 海水を入れると機器が全部使えなくなってしまうと考えませんでしたか。

 A 全くなかったです。もう燃料が損傷している段階で、この炉はもうだめだと、だから、あとはなだめるということが最優先課題で、再使用なんて一切考えていないですね。

 Q 本店から官邸に詰めていた武黒一郎フェローから、官邸の了解が得られていないので海水注水はちょっと待てということになった。その後、本店にいた高橋明男フェローと連絡を取ったことになるのか。

 A 連絡もテレビ会議がつながっていますからね。

 Q それは、テレビ会議を通じての話ですか。

 A 武黒からのやつは官邸なので、官邸はテレビ会議入っていませんので、電話で私のところに来たので、できませんよ、そんなことと、注水をやっと開始したばかりじゃないですかと、もっとはっきり言いますと、四の五の言わずに止めろと言われました。何だこれはと思って、とりあえず切って、本店にこういうことを言ってくるけれども、どうなんだと、そっち側に指示が行っているのかという話を聞いて、指示がまた言っていたような、言っていないようなあいまいなことを言っていましたけれどもね、高橋はね、彼は聞いていて握りつぶそうとしたのかなという気もしますけれども、そこは高橋さんに聞いてください。

 Q 海水注入は所長に与えられている権限ですか。

 A まず、ごく普通の操作であれば、要するにマニュアルだとか、それに従って実施しなさいということになりますけれども、海水を注入するなんていうのは、本邦初公開でございますので、インターナショナル初公開みたいな。

 Q 世界初ですね。

 A 初めてですから、もうこのゾーンになってくると、マニュアルもありませんから、極端なこと、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断でやる話だというふうに考えておりました。

 Q そうすると、止めろだの待っていろだのというのは雑音だと考える。

 A 考えます。

 Q そこが聞きたかったんです。

 A すべてがそうです。私は、水を入れる、要するにシンプルなんですよ。やることは、水を入れるのと、格納容器の圧力を下げる、この2点、どの号機もその2点だけをやるんだと、これだけを言っていましたから。

 Q それ以外は雑音だ。

 A 雑音です。それを止めろだとか、何だかんだいうのは、全部雑音です。私にとってはですね。

 Q テレビ会議でお伺いはたてましたか。

 A ほとんど言っていませんね。

 Q 3月13日の5時以降、水位が下がっていくという状況がある。燃料棒の相当部分が露出しているという認識はありましたか。

 A 勿論あります。ですから、最初から申し上げていますけれども、今回もそうなるというふうな、どの号機も、認識で、だから、それをちょっとでも早く止められるような方策を練らないといけないというのが、私の至上命題ですから、ですから、さっきから言っているように、水を入れることと、格納容器の圧力を抜くと、この2点だけ考えていたということですけれども、でも、準備ができないわけですよ。

 遅いだ、何だかんだ、外の人は言うんですけれども、では、おまえがやってみろと私は言いたいんですけれども、本当に、その話は私は興奮しますよ、3プラントも目の前で暴れているやつを、人も少ない中でやっていて、それを遅いなんて言ったやつは、私は許しませんよ。(7月29日聴取)

 ◆ベント

 《12日、現場は原子炉の圧力を下げるため、放射線量の高い蒸気を原子炉の外に出すベントを試みる。だが、思うようにいかない。》

 Q ベント準備を指示した時はどんな感じでしたか。

 A そのときは、ICが動いていないと思っていました。ですから、線量が上がったのは、22時かその辺でしたね。あの時点では、ほとんど期待できないと、要するに動いている、動いていないではなくて、私が想定しているようなうまい水も冷却になっていないと思いましたから、だから水を突っ込まないといけないなと、それからベントしないといけないねと。

 ただ、ベントは、そのときはまだドライウェル圧力出てきていませんから、ドライウェルのベントの準備はしているとは言っていますけれども、何せ何も見えない状態ですから、線量だけが上がってくるという、私にすれば、その場にいた人間が、班目(原子力安全委員長)のおっさんにしようが、何であろうが、どういう判断するのと、聞きたいぐらいなんですけれども。

 Q 何ができないのか。

 A だから、さっき言いましたように、電源がないですね、それからアキュムレーターがないので、いろいろ工夫しているわけですね、その間に圧力を込めに行ったりとか、電源の復旧だとかやっているんだけれども、どれをやってもうまくいかないという情報しか入ってこない。

 最後の最後、手動でやるしかないという話で手動でいくんですが、手動でいって、ドライウェル側のMO弁というバルブは、結構重たいので被曝するんですけれども、これは何とか開けた、だけれども、ドライウェルのサプレッションチェンバから出てくるライン、ここのバルブにアクセスしようとするんですが、線量が余りにも高過ぎてアプローチできないという状態で帰ってくるわけですね。

 そんな状態が続いているので、また、それをもう一度アキュムレーターから動かすのをチャレンジしろとか、やっとそのころにコンプレッサーの車が来たりとか、役に立ったりとか、そんな段階で道具もそろっていない中いろいろやるんですけれども、なかなかうまくいかないということなんです。

 ここが、今の議論の中で、みんなベントと言えば、すぐできると思っている人たちは、この我々の苦労が全然わかっておられない。ここはいら立たしいところはあるんですが、実態的には、もっと私よりも現場でやっていた人間の苦労の方が物すごく大変なんですけれども、本当にここで100に近い被曝をした人間もいますし。(7月22、8月8日聴取)

 ◆事前の備え 複数故障「考えていなかった」

 《福島第一原発が東日本大震災に襲われる前、津波や過酷事故について、どのような心構えでいたのか。》

 Q 過酷事故対策を整備する上で、複数のプラントが同時に故障するという事態を想定していましたか。

 A 一言で言うと、設計ベースの議論がされていたのはわかっていますけれども、設計の中でも、今、言ったみたいに、定説としてという言い方はおかしいんですけれども、我々の基本的な考え方は内部事象優先で考えていたということです。

 私は入社してから今まで、余りタッチしていないんですけれども、要するに、原子力の設計の考え方はそういう考え方だということは承知していた。今度、運用側に回った際に、運用側で同時に今回のような事象が起こるかということをあなたは考えていましたかという質問に対して言うと、残念ながら、3月11日までは私も考えていなかった。

 Q なぜそういう考えになったのですか。

 A 1つは、同時にいったという意味で言うと、柏崎(刈羽原発)の中越沖地震は同時にいったんです。同時にいったんですけれども、我々としては、プラントが止まって、えらい被害だったんですけれども、要するに、無事に安全に止まってくれたわけですよ。

 安全屋から言うと、次のステップはどうあれ、安全に止まってくれればいいという観点からすると、あれだけの地震が来ても、ちゃんと止まったではないの、なおかつ、後で点検したら、設計の地震を大きく超えていたんですけれども、それでも安全機器はほとんど無傷でいたわけです。逆に言うと、地震は一気に来て、全プラントを止める力を持っているけれども、それは止まるまでの話であって、それ以上に、今回のように冷却源が全部なくなるだとか、そういうことには地震でもならなかった。設計用地震動を大きく何倍も超えている地震でそれがある意味で実証されたんで、やはり日本の設計は正しかったと、逆にそういう発想になってしまったところがありますね。(11月6日聴取)

 ■首相官邸と現場 ベント「だったらやってみろ」

 《1号機格納容器の圧力が上昇。12日午前6時50分、経産相がガスを抜くベントを命令した。》

 Q このタイミングでなぜ経産大臣が法令に基づくベントの実施命令、手動によるベントみたいな、こういうのがでるのか、その経緯はおわかりですか。

 A 知りませんけれども、こちらでは頭にきて、こんなにはできないと言っているのに何を言っているんだと、極端なことを言うと、そういう状態ですよ。実施命令出してできるんだったらやってみろと、極端なことを言うと、そういう精神状態になっていますから、現場が全然うまくいかない状況ですから。

 Q これは要するに先ほどの話だと。

 A 多分、私はわからないですけれども、さっきの小森(常務)の話も、やはりベントに物すごい、勿論、こっちもこだわっているんですけれども、できないんですよと言っている話がちゃんと通じていかなくて、要は、何かぐずぐずしているのか、何か意図的にぐずぐずしていると思われていたんじゃないかと思うんですけれども、我々は現場では何をやってもできない状態なのに、ぐずぐずしているということで、東京電力に対する怒りが、このベントの実施命令になったかどうかは知りませんけれども、それは本店と官邸の話ですから、私は知りませんということしかないんです。でも、こっちは必死で手配していたということしかないので。(7月22日聴取)

 《ベントにてこずる現場。官邸と溝が広がる。》

 Q 最後はバルブを手動で開かなければいけないところまでいって、そこら辺の考えの共有というのはとても難しい気がするんですが。

 A はい。

 Q 何かすごい階層があってね。

 A あります。ですから、一番遠いのは官邸ですね。要するに大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから、そんなもんじゃないと。

 Q その差が大きい感じがします。

 A ここは、是非、そこの差というものを、もう少しビビットにちゃんと訴えるべきだというか、これから先も、やはりこういうことは山ほどあると思いますので、ここのギャップというのは、しっかりと御説明していきたいと我々思っております。(7月22日聴取)

 ■東電本店とのやりとり 「これも結局伝聞なんです」

 《東京電力の本店、自らがいる第一原発の免震重要棟、そして現場の中央制御室(中操)に「溝」ができ始めた。》

 Q テレビ会議を通じたりして、本店の方はその様子を見てわかってはいないんですか。

 A テレビ会議で、状況については、適宜報告はしているんですよ。電源がないから、MO弁が動かないということは言っていますし、それから駆動空気源というかアキュムレーターというか、そういうものが残圧があるかどうかわからないで、圧力を込めないと開かないとか、手順を検討しながら、そういうことを言って現場へ行ったら線量が高いだとか、そういうことも言うんですけれども、それは報告しています。

 ただ、本店の方は、もう最後は手で開きに行くだろうとか、そういうとさっきの話になるんですけれども、現場に近い、私も悪いんですけれども、当直長のところまで行っていない、外せないですから、どんな状況かわからないから、これも結局伝聞なんです。中操計器がどうなっているかというのは聞きますけれども、本店よりは近い形で聞いているけれども、何とかなるだろうとか、まだ思うわけですね。現場と、たかが100メーターくらいの距離ですけれども、現場の方を見てない、何とかできるんじゃないかと、それで本店ともっと離れていますから、もっと何かできるんじゃないのということでいろいろ言ってくるわけですけれども、実際はここはできないわけですね。そこのギャップがずっとあった時期がこの時期です。(7月22日聴取)

 《3号機の危機的な状況については、国民への情報提供が問題になった。》

 Q 3号機に関する情報について、プレスを止めているんだというような。

 A そんな話は初耳でございまして。

 Q 3号機の格納容器の圧力が非常に上がって、作業員が一時退避したという報道がなされて、マスコミの質問が予想されますので、このトーンで口頭で回答させていただきますというのがあって、国側の方が、この状況に関して。

 A ちゅうちょしていますね。

 Q 注水できる状況にして公表しないと、国民の不安をあおってしまうところがあって、すぐには知らせなかったのかと読めるようなところで、ただ、基本的には本店対応ということになるんですかね、ここは。

 A なります。ここは私はほとんど記憶ないです。広報がどうしようが、プレスをするか、しないか、勝手にやってくれと、こっちは、現場は手いっぱいなんだから、というポジションですから、しゃべっていることも、ほとんど耳に入っていないと思います。

 (8月9日聴取)

 <ベント> 原子炉格納容器が壊れて放射性物質が大量放出されるのを防ぐため、放射性物質を含む気体の一部を外に排出して圧力を下げる最後の手段。

 <過酷事故対策> 想定を超える原発事故で、核燃料が著しく壊れて放射性物質の大量放出につながる恐れがある時、事故の拡大防止や事故による影響を緩和する対策。旧原子力安全委員会が1992年に導入を勧告したが、福島第一原発事故発生当時は、電力会社の自主的な取り組みにとどめられていた。

 <非常用ディーゼル発電機(DG)> 災害で原発が電源を失った際に、自動的に起動して原子炉を冷やすためのポンプなどに電力を供給する。福島第一原発では、津波の影響でほとんどが故障して使えなくなり、大事故につながった。