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李禹煥美術館
李禹煥美術館
李 禹煥(リ・ウーファン、Lee U-Fan、이우환、1936年 – )は大韓民国慶尚南道に生まれ、日本を拠点に世界的に活動している美術家。日本の現代美術の大きな動向である
「もの派」を理論的に主導したことで有名である。
直島に安藤忠雄とのコラボレーションによる李禹煥美術館が開館した。
「もの派」は、1960年代末に始まり、1970年代中期まで続いた日本の現代美術の大きな動向である。
石、木、紙、綿、鉄板、パラフィンといった〈もの〉を単体で、あるいは組み合わせて作品とする。
それまでの日本の前衛美術の主流だった反芸術的傾向に反撥し、ものへの還元から芸術の再創造を目指した。「もの派」の命名者は不明。1968年に関根伸夫が『位相—大地』を発表し、
李禹煥がそれを新たな視点で評価し、理論づけたことから始まる。
このふたりが始めた研究会に、関根の後輩である吉田克朗、本田眞吾、成田克彦、小清水漸、菅木志雄(いずれも多摩美術大学の齋藤義重(斎藤義重)教室の生徒)が参加し、つぎつぎに作品を発表したことで注目された。かれらは「李+多摩美系」と呼ばれる。ほかに「芸大系」の榎倉康二・高山登、「日藝系」の原口典之が注目すべき活動をしている。
『美術手帖』1970年2月号が「発言する新人たち」という特集を組み、座談会に「李+多摩美系」が顔を揃えた(ただし本田眞吾は欠席)。これが事実上の「もの派宣言」といえる。しかしかれらは自主企画展を行うことなく、1970年夏ごろからそれぞれの作風に分散していった。
1970年代、「もの派」を論じることが比較的多かったのは峯村敏明(美術評論家)であり、後続世代の立場から「もの派」を激しく批判し、結果として歴史化に寄与したのが彦坂尚嘉(美術家)といえる。欧米のミニマル・アート、アルテ・ポーヴェラとの類似を指摘されることが多い。
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