中書院

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 中書院の建造については従来さまぎまな説があったが,今回の解体修理によって,当初建てられた古書院に増築されたものという結論になったようである.おそらく寛永19年(1642)の2代智忠親王の結婚に先立っての工事であろう.中書院は池側に平を見せる造りだが,古書院以来の庭と深くつながり合う構えは変わらず受け継がれ,古書院一の間の西を改造してできた囲炉裏の間を介しての雁行に,さらにそれがいっそう強調されている.

 平面はやはり庭側を三の間,二の間,一の間と鍵の手に回り,当初は三の間西の現在納戸となっているところに茶湯所,また三の間西に廊下を隔てて御湯殿や御厨を設け,その奥に御局向の棟も新設された.すなわち宮家の別荘としてさらに整ったものとなった訳である.

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 中書院の室内は古書院とがらりと変わって白の張付け壁で統一されている.昭和28年にはじまる修理と今回の修理で,襖を含めてその墨絵のすべてが模写に代えられたが,これは狩野守信(探幽)・尚信・安信の三兄弟の撃と伝えられる.床のあるのは三の間と一の間だが,これは今回の調査でともに中書院建造当初のものではないということになった.三の間の床は間口1間だが,一の間のそれは間口2問の大床で,ちょっと・桂のデザインとしては格式張ったものである.後の後水尾上皇御幸に関係してのしつらいであろうか.この床の右手にある違い棚は建造当初からのもので,どこか他の御殿の上段にあったものを持ってきて取付けたらしい.建物の東と南には半間幅の畳縁が回って,その外に明障子がめぐらされているが,これは後の改造で,当初は古書院同様,吹放ちの棒線に高欄がめぐらされていたらしい.一また桂離宮の御殿では,ともすれば表向きの諸室のみがあげつらわれ,賞揚されるきらいがあるが,裏向きのデザインにも興味深いものが隠されているのを忘れてはならない.たとえばこの中書院の大床の西にある,いま女房湯殿と呼ばれている4畳半の広さのある浴室などは,建造当初の親王湯殿の改造とも思われ,窓の配りなど茶席さながらの意匠に興趣尽きないものがある.