横尾 忠則
神戸新聞社にてグラフィックデザイナーとして活動後、独立。1980年7月にニューヨーク近代美術館にて開催されたピカソ展に衝撃を受け、その後、画家宣言(これはデザイナーは商業的であり、画家より格が低いという思想から。明確な両者の差はない)。以来、美術家としてさまざまな作品制作に携わる。向田邦子脚本によるテレビドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年・TBS)では、倉田という謎の多い人物を演じた。長女の横尾美美も美術家。
作家論・業績
横尾が描いたY字路の残る西脇市街
幅広い作風でジャンルを超えて活動。油絵、オフセット印刷、テクナメーションや立体など技法は多様である。また先行する作品を引用や模写の形で作品に取り入れることも多い。絵を描くことを愛だと表現し、理論や状況分析によって制作する立場はとらない。また、興味をもった対象は膨大な量をコレクションする。それは作品のモチーフになり、時に引用される。1980年代後半から滝を描き続けたときは膨大な滝のポストカードを収集し、コレクション自体も作品化した。2000年からの「暗夜光路」シリーズでは、故郷・西脇市で幼少時によく通った模型店付近にあるY字路を集中して描いた。
何度もインドを訪れている。宇宙人や霊的な存在についての言及もあり作品の評価の際にも関連が指摘される。本人も霊感が強く、心霊と会話することが出来ると言う。きっかけは1970年代に宇宙人に、首のところへ送受信装置を埋め込まれ、それにより霊界との交信が可能になったという(『大霊界~丹波哲郎の世界』の対談より)。それらに関するいくつかの著書も出している。
メディア型美術家と評されるほど、各種メディアへの登場頻度が高い。自身の公式サイトにて発表している、ひと言風の日記「YOKOO’S VISION(横尾忠則 昨夜・今日・明日)」は更新頻度も高く、訪問数も高い。
『週刊少年マガジン』の表紙や、マイルス・デイビスのアルバム『アガルタ』、サンタナのアルバム『ロータスの伝説』『アミーゴ』などのジャケット、1979年貴乃花・1981年千代の富士貢の化粧廻し、宝塚歌劇団のポスター、マツダ・コスモスポーツの海外向けカタログなどもデザインしている。
また、多くの異なるジャンルの作家と交流を持ち、共同で仕事をしている。岡本太郎、谷内六郎、高倉健、三島由紀夫らを敬愛している。
2005年、資生堂が3月に発売した発毛促進剤「薬用アデノゲン」のテレビコマーシャルに対し、「アイデアやコンセプトが私の作品と類似している。広告の作り手の主体性とモラルを問いたい」と抗議。直後に資生堂はCMの放映をやめた。類似していると指摘した横尾自身の作品とは、鏡面床の空間に大量の滝のポストカードをビニールに差込み、壁面3面に展示するものであった。この件に関して、
アンディ・ウォーホル、荒木経惟など、数多くの芸術家が実践してきた手法であり、インスタレーションの手法としては一般的である。
1990年の「GOKAN」というエキジビションで、テレビCMを手がけたタナカノリユキは、底を鏡面にした作品をすでに発表している。
横尾は滝のポストカードだったのに対して、CMは商品対象になる人物たちのモノクロ顔写真である。
などのことから、模倣という指摘に疑問をもつ声も挙がっている。また、タナカノリユキは模倣を否定している。
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