粟津 潔(あわづ きよし、1929年2月19日 – 2009年4月28日)は日本のグラフィックデザイナー。
人物
東京都目黒区出身。法政大学専門部中退。絵画・デザイン技法は独学である。背景やフォルムを緻密な線や混沌とした色彩で構成し、一見ファインアートであるかのように見える作風が特徴。油彩作品も多数制作している。
1955年の日本宣伝美術会展(日宣美)で日宣美賞受賞。1960年に建築家の有志を募り『メタボリズム』を結成する。その後武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、デザイン教育に携わる。1966年に『エンバイラメント』の会を結成、翌年の1967年頃から大阪万国博覧会のテーマ館別構想計画などを練る。その他、国内外問わず国際的なプロジェクトに参加している。1990年に紫綬褒章受章。2009年4月28日に肺炎のため川崎市内の病院で死去[1]。
1950年代から世界のグラフィック・デザインを牽引し、60年代、70年代には、建築・美術・映像・音楽などジャンルを超えたクリエイターたち との協働により「前衛」の渦の中心に位置しつづけたデザイナー粟津潔。本書は、金沢21世紀美術館が有するコレクションより約1200点の粟津作品のデー タをおさめたDVDと、2007-08年に開催された記念碑的展覧会「荒野のグラフィズム」におけるレクチャー、公演、ワークショップを記録するドキュメ ント・ムービーDVD、ドキュメント・ブックの三部で構成する新しいスタイルのカタログである。
戦後の焼け野原にひとりで立ち、そこから人並みはずれたパワーと好奇心でマクリヒロゲられた粟津潔の世界が発する熱は、21世紀の初頭、ふたたび「荒野」をさまよう私たちになにを伝えるだろうか。
針生一郎・中原佑介・松本俊夫・篠田正浩らが語る60年代・70年代当時の社会と芸術の状況、一柳慧・林光・小杉武久・山下洋輔・沢井一恵らの演奏、福田繁雄・永井一正・勝井三雄・日比野克彦・祖父江慎らデザイナーたちの証言など、貴重な記録・映像が満載。